魔法の天才は恋人に弱い
診療所の中にあるログの部屋で、カルメは魔術書を読んでいた。
カルメが難しい顔をして勉強するのを、ログは微笑まし気に眺めている。
「えっと、ここに効果をかき込むのか……で、ここにえーっと、なんだ?」
「魔法の種類をかき込むんですよ」
横から魔術書の文字を指差して教えた。
やはり書いてある内容は難しく特に専門用語に苦戦していたが、それでも何とか脳をグルグルと動かして働かせ、かつ横からログに解説を入れてもらうことで、何とか内容を理解することができた。
また、魔法をよく使うカルメは、魔法がどのようなものであるかを感覚でよく理解している。
このことも勉強に良い影響を与えたのかもしれない。
「ああ、なるほど。うーん、多分、大体は分かった。作ってみるか」
「え? もうですか?」
カルメが魔術書を読み始めてから、まだ半日も経っていない。
いくら何でも早すぎる、とログは驚きで目を丸くした。
しかし、カルメは活字を追い過ぎたせいで疲れた目をパシパシと瞬かせると、思い切り両腕を天に伸ばして、ギュッギュと背伸びをした。
それから大きく欠伸をすると、
「こういうのは、やってみた方が早いんだ。少なくとも私はそうだった」
と言って、明るく笑った。
魔法はとにかく使いまくって感覚を掴む、というやり方で現在のような強い力を得たカルメだ。
魔法陣に対する向き合い方も同じだった。
カルメは早速、紙の上にペン先を走らせて均一な線を描いていく。
「まあ、確かにそれも一理あるかもしれませんね。ところで、何をつくるんですか?」
カルメが熱心に紙に魔法陣を描くのを見て、ログは首を傾げた。
円の中にはいくつも文字や図形が描かれており、初心者が作るにしては随分と複雑な魔法陣だ。
「見てれば分かる」
カルメは短く言うと紙に手をかざして、少し長めに魔力を込めた。
魔法陣はみるみるうちに、涼しげな青に満ちていく。
しかし魔法陣が強く発光しても、魔法を発動させることはなかった。
『失敗かな?』
落ち込んでいるだろう恋人を励まそうとカルメの方を見ると、そこには手のひらの上に炎の球体を浮かべて魔法陣を見つめるカルメがいた。
「カルメさん!? ここは室内ですよ!」
ログが慌ててカルメの炎を消すより先に、魔法陣から水鉄砲のような水の塊が飛び出してカルメの炎を撃った。
炎は水の塊にぶつかって、ジュワッと音を立てるとその勢いを弱める。
肉体をそがれた炎が、空しく掌の上を踊っていた。
「あー、失敗だな。火を完全に消すつもりだったのに。それに、少し狙いがずれて床も撃ったみたいだ」
カルメは苦笑いを浮かべると、炎を掻き消した。
そして魔法で床に飛び散った水を操り、蒸発させる。
「十分凄いと思いますが……」
魔法陣は魔力を込めた瞬間に効果を発揮するものを作るよりも、魔力を込めた後に何らかの条件下で魔法が発動するように作る方が難しい。
条件を付けたりするためには、魔法陣をより複雑なものにしなければならないからだ。
『それに、魔法陣にはまだ魔力が残っているみたいだし。本当にすごいな』
ログはいまだに発光する魔法陣を眺めて、そんなことをしみじみと思った。
「改良の余地ありだな」
カルメはそう呟くと、あっさり紙ごと魔法陣を握りつぶした。
適当に書いたメモと同等の気軽さをみせるカルメに、ログは目を丸くした。
「あ! もったいなくないですか?」
「そうか? また作ればいいだろ」
カルメはこともなげに言うと、ゴミ箱にぐしゃぐしゃになった紙を投げ入れた。
「あっさり言いますね。俺なんかあの包帯をつくるだけでも数日かかったのに……」
実際、半日も経たずに魔法陣の理論を読み取り、複雑なソレを作り上げたカルメの才能には目を見張るものがある。
少しでも魔法を齧ったことがあるものならば、ログと同じかそれ以上の驚きをもってカルメのことを見ただろう。
しかし、そのことに自覚がないばかりかこの程度のことは当然だ、とすら思っていそうなカルメに、ログは少し嫉妬して、珍しく拗ねたような言い方をしてしまった。
だが、それに対してカルメは照れ笑いを浮かべる。
「そうだったのか。ありがとうな」
「何の話ですか?」
突然のお礼に、ログがキョトンとする。
「そんな風にして頑張って作ったものを、簡単にくれただろ。ありがとう。大事にする」
カルメがあんまりにもまっすぐログの言葉を受け取ったから、ログは自分の中のちっぽけな嫉妬心なんてどうでもよくなって、カルメの背中に腕を回した。
「わっ! ログ、なんだよ……」
困惑した声をあげながら、カルメもゆるりとログを抱き返した。
驚いた声とは裏腹に、その表情は安心しきっていて嬉しそうだ。
そんなカルメに、ログもこっそりと瞳を愛情で溶かす。
「カルメさんが可愛かったから」
「理由になってない」
拗ねたように顔を赤くするカルメは満更でもないようで、明らかに声が嬉しそうだ。
「でも、その包帯は何かあったらすぐに使ってくださいね。何日掛かったとしても、俺は何個でも包帯を作りますから。俺は、カルメさんが痛い思いをする方が嫌なので」
「分かったよ。大事にするけど、ちゃんと使う」
そう言って頷くと、ログはニコリと笑って、褒めるようにカルメの頭を撫でた。
カルメはこっそりと顔を上げて、頭を優しくなでるログの表情を窺った。
いつもは鋭い目つきが柔らかく細められ、そこから覗く瞳は愛場が滲んで揺れている。
あまりにも愛情深く色っぽい瞳を覗いてしまったカルメは恥ずかしくなって、ログの胸で顔を隠すようにして強く抱き着いた。
『やっぱり、何度見ても慣れないな。本当はずっと見ていたいのに』
カルメの夢、平常心でログの顔を見つめ続ける、を達成するのはもう少し後になりそうだ。
二人が抱き合っていると、コンコンとドアを叩く音が響いた。
「どうぞ」
ログの返事を聞いて、カルメは慌ててログから離れようとした。
「ちょっと待て、ログ! 何、返事してんだ。おい! 誰だか分からねえが、まだドアを開けるな。おい、ログ! 放せって!!」
カルメはモタモタと暴れて離れようとするが、なかなか離れることができない。
別にログの方が、力が強いというわけではない。
むしろ単純な戦闘力ならカルメの方がずっと上で、そうしようと思えばログのことなど簡単に引き剥がせた。
それをしないのは、万が一にもログに暴力を振るって傷つけたくなかったからだ。
事故であったし、精々かすり傷程度のものだったが、カルメはログに怪我を負わせてしまった事がある。
元々カルメにある、人に怪我をさせたくないという思いに加えて、その事故の影響が今もなお続いているのだ。
『ログのやつ、私が本気でログを引き離せないの、分かっててやってるだろ』
憎々し気に睨んでも、ログはふんわりと顔を綻ばせるばかりで何の効果もなかった。
むしろ頬を赤く染めて、涙目でログを睨むカルメが可愛くて仕方がないとすら思っている。
カルメの抵抗も空しく、ログに抱き着かれたままの状態でドアが開いた。
「わ~、今日も~仲良し~」
入ってきたのはウィリアだった。
ウィリアは派手なピンクの髪に桃色の瞳をもった可愛らしい女性で、零れ落ちそうなほど大きな瞳をキラキラと輝かせている。
恋愛話が大好きな彼女は仲のいいカップルの姿を見て、その話をツマミに友人と談笑するのが好きだ。
『絶対言いふらされる! 主にサニー辺りに』
嫌な予感がして、カルメは舌打ちをした。
「なんだお前かよ。入ってくんなって言っただろ。おい、ログ、いい加減放せよ」
二人きりの時ならログに甘えて素直になれるカルメだが、人前でいちゃつくのはどうにも恥ずかしくて苦手だった。
そのため、カルメは二度とログを拒絶したり傷つけたりしたくない、と思いつつも、人前でくっついてこられると、つい叱り飛ばしてしまっていた。
「嫌です。どうしても放してほしいなら、お願いしてください」
ポコポコと怒るカルメを、ログはそう言って揶揄った。
ニコリと歪められた瞳と口元はほんの少し嗜虐的で、カルメは、ついログの表情に心を奪われそうになった。
しかし、ウィリアの手前踏ん張って耐えると、わざと怒ったような声を上げた。
「はあ!? お願いって何だよ」
「お願いはお願いですよ。分かりませんか?」
照れ隠しで怒ったふりをするカルメには慣れているので、ログは平然とした態度で言った。
揶揄う瞳に愛情を混ぜるとカルメは一瞬固まったが、すぐに、
「分からねえよ!」
と吠えた。
「じゃあ、このままでいいですね」
そう言うと、ログはカルメを抱きしめる力をほんの少し強めた。
カルメは、ますます赤くなって狼狽える。
瞳が涙で満ちて零れる寸前になる。
怒鳴って羞恥心を誤魔化すのにも、限界がやってきたのだ。
「お、おい! ログ……た、頼むよ。お願いだ。放してくれって」
カルメができうる限りのお願いをボソボソと言うと、ログはにっこり笑って、
「いいですよ」
と、カルメの額にキスをしてから、あっさり腕の力を緩めた。
キスをされた瞬間、カルメの額から一気に熱が広がる。
拘束を逃れたカルメは物凄い勢いでログの背中の方へ回り、激突するようにしてログの背中に顔を埋めた。
『本当に、ログは意地悪になった!!』
顔面をログの白衣にグリグリと擦りつけて、羞恥の涙をぬぐった。
恋人になる前のログは自分を嫌うカルメを気遣って、甘い言葉や態度でカルメに好かれようと努力しながらも、決して強引な態度をとることは無かった。
しかしカルメと本当の恋人になってからは、時が経つにつれて段々と遠慮が無くなっていき、カルメが恥ずかしがって怒っても、人前で堂々といちゃつくようになっていた。
『こんなに恥ずかしいのに、意地悪なとこも好きだからムカつく。絶対分かってるだろ』
カルメの予想通り、ログはカルメが恥ずかしがってはいても、決して嫌がっていないことを見抜いていた。
そもそも、相手を傷つけたことに若干のトラウマを持ち、二度と相手を傷つけたり苦しませたりしたくないと思っているのはログも同じだ。
そのため、いくら遠慮が無くなってきたとはいってもカルメが嫌がっていないという確信が無ければ、揶揄うことも意地悪をすることもできなかった。
また、恥ずかしさに溺れるとログから思い切り距離をとっていたカルメが、最近ではログに抱き着いて顔を隠すことで羞恥心を誤魔化すなど、避難先をログにしているのも堪らなく嬉しかった。
散々恥ずかしがっていたのに結局自らログの背中に回り込んで後ろから抱き締め、ウィリアにいちゃつきを見せつけてしまっているカルメに、ログはニヤニヤが止まらない。
『駄目だ、すごく可愛い。あんまり意地悪しないように、って思っているのに』
一応反省しつつも、ログはじんわりと温かい背中に口元を歪めると、瞳を愛情でドロリと溶かした。
この瞳を見れば今度こそカルメは全身を真っ赤にして羞恥心と愛しさに溺れ、ログの白衣の中にでも逃げ込んだかもしれない。
周囲にカルメを自分のものと示すためにも、カルメの可愛い姿を見るためにも、ログはカルメが決して傷つかない範囲でせっせと意地悪をしている。
そして、そんなログにカルメは、
『いつかログにも恥ずかしい思いをさせてやる!』
と、闘志を燃やしていた。
具体的には何も思いつかないが、それでもやる気はあるようだ。
そんな二人を眺めていたウィリアは、
「はあ~、仲良しで羨ましい~。ログ、マジよかったじゃんね~。今度アタシにも~恋人とラブラブになる秘訣を教えてほしいわ~」
と、羨まし気に言った。
カルメはログの背中からひょっこり顔を出すと、赤い目元のまま舌打ちをした。
「うるせえな、見世物じゃねえぞ。大体、ウィリアは何しに来たんだよ」
自ら見世物になりにいったカルメは、恥ずかしさのあまり言葉使いが荒くなってしまう。
しかしウィリアはガルガルと唸るカルメに怯える様子もなく、一枚の薄い木の板を手渡した。
「何って、回覧板ですよ~。ほら~」
よく見るとその板には何枚かの紙がくっつけてあって、確かに回覧板なのだとわかった。
そこには、「最近熱いから熱中症に気を付けるように」というような、代り映えのしない内容が載っていた。
カルメとログは仲良く並んで回覧板を見ている。
「相変わらず何もないんだな、この村」
「それが一番ですよ」
カルメが呆れたように言うと、ログは嬉しそうにそう言って返した。
「じゃ、あたしは帰りますね~。ばいば~い」
二人が回覧板を受け取ったのを確認すると、ウィリアはアホっぽく手を振って帰って行った。
ウィリアが部屋を去って数分後、ウィリアは完全にいなくなり、ログは熱心に回覧板を読んでいてカルメに意識を向けていないことを確認すると、カルメはこっそりとログの肩に腕を回した。
そして後ろから一気にログを抱くと、つま先立ちをしてログのうなじにキスを落とした。
ちゅっ、と可愛らしい音が聞こえる。
「うわっ! カルメ!」
「お返しだ、バカ!」
先程までの余裕をなくしたかのように目元を染めるログに、カルメは舌を出して言うと、フンとそっぽを向いた。
そして、こっそり笑みを溢した。
その表情は悪戯が成功した子供のようで、とても無邪気に笑っている。
ご機嫌なカルメの方を振り返って、ログはキスを落とされたうなじを撫でた。
『何度やられても慣れないな』
耳まで真っ赤にして、そんなことを思う。
カルメを甘やかしている時には、ログはカルメの姿しか見えなくなる。
多少の羞恥は感じても、カルメを前にはすべてが些事に思える。
しかし、不意を衝くようにして後ろからカルメに来られると、いつもとは違った感じでカルメのことを意識してしまう。
カルメの存在が、息遣いが、妙に目立って緊張する。
愛おしさと羞恥が何倍にもなって、いてもたってもいられなくなる。
余裕がなくなってしまうのだ。
「おい、ログ。そろそろ行くぞ」
ログに仕返しができて満足したカルメは、上機嫌にそう言って笑った。
二人がこれから行うのは、診療所内の清掃だ。
診療所に住み込みで働いているログが、診療所内の清掃を行うことは当然のことなのだが、最近ではカルメもできる範囲でログの仕事を手伝っていた。
というのも、カルメの本来の仕事は日照りが続いたときに雨を降らせたり、凶悪な魔物が発生したらそれを狩ったり、川や湖が氾濫をしたらそれを鎮める、というようなことだ。
そのような有事でしか仕事がないカルメは、はっきり言って暇だった。
ログと恋人になる前は森を探索したり、花を育てたり、本を読んだり、そんなことをして過ごしていたのだが、現在のカルメにそんな時の過ごし方はできない。
自然を探索することは今でも好きだが、それよりも可能な限りログと一緒にいたかった。
しかし、仕事のあるログを邪魔して自分に付き合わせるわけにもいかない。
だからといって、ログの仕事を見ているだけというのもつまらない。
結局、カルメはログの仕事を手伝いながら、ログと同じ時を過ごしていた。
二人は早速部屋を出て、患者が入院するための部屋の掃除を始める。
「じゃあ、私はシーツとか洗ってくるから」
カルメは籠をシーツや毛布の塊でいっぱいにしてそう言うと、危なげなく外へ運び出した。
その間にログは室内の掃き掃除などを行う。
「いってらっしゃい」
ログは箒を片手に微笑んで、手を振った。
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