温かな日々

 まだ早朝だというのに、照りつける太陽の光が眩しい。

 カルメは目を細めて腕で顔を覆うと、足元に転がるジョウロを拾い上げた。

 そして今度は、顔を覆っていた方の手をジョウロへとかざした。

 かざした手のひらに涼しげな青の光が集まり、次第にジョウロの中身が水で満ちていく。

 ジョウロが水で満タンになると、カルメは花壇の中で色とりどりに咲き誇る花たちに水を与えた。

 美しい花々はその身に浴びた水の粒を太陽の光にきらめかせ、楽しそうに揺れている。

 カルメはジョウロが空になるとそれを地面の上に置いて、今度は花壇の側の木陰に置かれた箱の中から、サラサラとした砂のようなものを取り出した。

 それを花の根元に均一に撒いていく。

 一通り作業が終わって、少し額に滲んだ汗を拭うと、カルメは花壇で咲き誇る花々を満足げに眺めた。

 花たちは色彩鮮やかなだけでなく、その姿形も様々だ。

 大振りの花弁がドレスのように重なっているもの、小ぶりでうつむきがちなもの、花の代わりにギザギザとした葉が二枚重なって何かを食べようとうごめくもの等、実に様々な花たちがそこで自由に咲いている。

 花壇の花々は一度、カルメが三日間まともに世話をすることができなかったせいで枯れたり、萎れたりしてしまった。

 しかし、カルメが献身的に世話をすることで、多くの花々は再び美しく咲いてくれた。

「辛い思いをさせて、ごめんな。綺麗な姿を見せてくれて、ありがとう」

 カルメはそっと花に触れて謝罪し、お礼を言った。

 花もカルメに、

「いいよ」

 とでも言うように、優しく揺れた。

 カルメはにこりと微笑むと、屈んで雑草や枯れた花を優しくつかんで引き抜いた。

 そして、鈍く銀色に光る箱の中にそれらを詰め込んだ。

 雑草たちと一緒に、ポケットの中の枯れてしまった花瓶の花々も一緒に詰める。

 この箱は植物を肥料に変換する魔道具で、透明で見えにくいがよく見ると箱の天辺に魔法陣が描かれている。

 この魔法陣に魔力を込めると魔法が発動し、中に詰めた植物がサラサラとした土のような肥料に変換されるのだ。

 カルメは引き抜いた雑草やログの持ってきてくれた花、自分で育てた花の中で枯れてしまったものを肥料変換器に入れ、肥料に変えては花壇に撒いた。

 そうすると、一度死んでしまった雑草や花が新たに美しい花となって甦ってくれる気がした。

 花の輪廻転生だ。

 カルメがこの魔道具に手をかざすと、

「カルメさん、おはようございます」

 と、白衣姿のログが、穏やかに話しかけてきた。

 ログはカルメと同じ二十歳の男性だ。

 髪は小川のように美しく、本来は鋭い薄緑色の瞳は、本人の穏やかな雰囲気とカルメを見つめる柔らかいまなざしのおかげで、とても優しいものになっている。

 スラリと背が高く、猫背気味のカルメと並ぶと頭一つ分近くの身長差があった。

 顔立ちはよく整っていて、優しい笑顔が非常によく似合っている。

 カルメは魔道具を動かすのをいったん中止して、ログの方を振り返った。

 すると、ログが紫の花束を持っているのに気が付いた。

 少しカールした深緑の茎に、暗い、けれど深い紫の小ぶりな花がいくつもぶら下がるようにして連なって咲いている。

 小粒の実のようなその花は、以前カルメが好きだといったシロトマト草にも似ていて大変可愛らしい。

 ログはカルメと恋人になる前も、なってからも、毎日花を持って来た。

 それをカルメは毎日ベッドの近くにある花瓶に飾り、それに「おやすみ」を言って眠るのが習慣になっていた。

 にっこりと笑うログに、カルメも無意識に穏やかな笑みを浮かべた。

「おはよう、ログ。ふふ、ログにしては早く来れたな」

 実際にはログは早起きな方なのだが、カルメの判定ではログは寝坊助気味だ。

 そのため、ログがカルメの土いじり中に現れるとそう言って揶揄った。

「あはは、早くカルメさんに会いたかったから、今日は頑張ってみました。はい、カルメさん。今日のお花です」

 ログは照れたように頭を掻くと、カルメにそっと紫の花の花束を手渡した。

 近寄ったついでにカルメの頭を撫でると、カルメは嬉しそうに目を細めた。

「ありがとう、ログ。可愛い花だな。前にもらったシロトマト草にも似てる」

 カルメはそう言って笑うと、花を一本だけ抜き取って耳の少し上のところに差し、髪飾りにした。

 花はカルメの髪とほぼ同じ色なので目立ちにくく、似合っている、いない以前の話だったのだが、それでもカルメとログは楽しそうに笑い合った。

「似合ってます。可愛いですよ」

 お世辞ではなく本心でそう言うと、ログはカルメの耳元にキスを落とした。

 不意打ちのキスはあまりにも自然で、完全に油断していたカルメは両頬を真っ赤に染めた。

 そして片手で熱すぎる耳を押さえつけると、もう片方の手でバクバクと鳴る豊かな胸を押さえつけた。

「あ、ありがとう。この花、かわいいもんな」

 カルメが目を泳がせながら、しどろもどろになって言うと、ログがにこりと愛情を溶かした瞳で微笑んだ。

「何を言っているんですか、可愛いのはカルメさんの方ですよ。知っているくせに……」

 声を低く、甘くするとカルメの肩がビクリと震えた。

 恥ずかしそうに、けれどほんの少し期待してログを見ると、ログはにっこりと笑って先程キスを落とした方とは反対の耳に口づけを落とした。

 ある程度は予想のついていたログの行動だったが、やはり実行されると恥ずかしくてカルメは羞恥に震え、目じりに涙を溜めた。

 真っ赤な顔は困ったようでもあり、嬉しそうでもある。

 ログはカルメが可愛くて仕方が無くなって、そっと抱き寄せた。

 カルメもソロソロと抱き返すと、安心したようにため息を吐いた。

「そう言えば、カルメさんは、俺が来る前は何をしていたんですか? なんか箱みたいなのに、手をかざしてませんでした?」

 そう問われ、カルメは肥料作りを一時的に中止していたことを思い出した。

 ログから離れて花壇の側にある魔道具のもとへ行くと、蓋を開けて中身を見せた。

 中には使い切らなかった少しの肥料と、先程カルメが詰めた雑草や枯れた花がギッシリと入っている。

「肥料を作ってたんだ。この魔道具に魔力を込めてやると、中にいれた植物が肥料になるんだよ」

「へえ、面白いですね」

 ログが興味深げに魔道具を覗き込んだ。

 蓋を開けたり閉めたりしながら魔道具を観察する様子が、初めての玩具に好奇心を沸かせる子供のようで、カルメはクスクスと笑った。

「そうだ、ログ。ログも肥料、作ってみるか?」

「え? いいんですか?」

 パタンと蓋を閉じてからカルメを見るログは、やけに嬉しそうだ。

 カルメの宝物に関わる許可をもらえたのが、嬉しかったのかもしれない。

「ああ、いいよ。ログの魔力で作られた肥料を使ったら、ここにいる花たちが何倍も綺麗に咲いてくれると思うんだ」

 カルメがふんわりと笑って言うと、ログは少し照れたように頭を掻いた。

「そうですか? でも、いま咲いている花たちも十分きれいですよ」

「ああ。この子たちが綺麗なことは間違いない。でも、ログの優しさに触れたらもっとかわいく咲いてくれると思うんだ」

 そう言って、カルメは愛おし気に花を撫でた。

 ログの瞳と同じ、薄緑色の花弁をもつ花だ。

 それを見たログは、ふわりと瞳を愛で溶かすとカルメの頭を撫でた。

「カルメさんみたいに、ですか?」

 途端に、カルメの頬は真っ赤になる。

「わ、私は別に、かわいくない」

「可愛いですよ。今だって真っ赤で、この子みたいだ」

 そう言って、ログは真っ赤に咲く丸っこい花を撫でた。

 まるで自分が撫でられたように錯覚して、カルメはますます顔を赤く染める。

「そこまでじゃないって。いいから肥料を作ってみろよ。そこの魔法陣に手をかざして魔力を込めるんだ」

 そう言って、カルメは強引にカルメの掌を魔道具の上部へもって行く。

「分かりました」

 ログは微笑むと、魔道具に魔力を注ぎ込んだ。

 ゆっくりと、透明な魔法陣が薄緑色に染まっていく。

 やがて陣が完成すると、魔道具がゴウン、ゴウンと荒い音を立てて動き出した。

「うわっ!」

 ログは驚いて箱から飛びのくと、恐る恐るカルメの顔を見た。

「これ、大丈夫ですか? 大分荒めの音がしたんですが、壊れていませんか?」

「大丈夫だ。これはそういうものなんだよ。今日よりも大きな音を立てて、ガンガン揺れて肥料を作ったこともあるくらいだしな」

 カルメが笑い飛ばすと、ログはホッと一息を吐いた。

 ゴウンゴウンという音が止んで魔法陣の色が再び透明に戻ると、カルメは蓋を開けて中の肥料を満足げに見た。

「よし、上手に作れたな」

 そう笑うと、カルメはパタンと蓋を閉じた。

「今日は、肥料を使わないんですか?」

「ああ。今日はもう、肥料は撒いたからな。これは明日の分だ」

 カルメがポムポムと魔道具を叩くと、ログは顎に手を当てて少し考えてから言葉を出した。

「じゃあ明日、肥料を撒くのを手伝ってもいいですか?」

 せっかく自分で作った肥料なのだから、撒くところまでやってみたかったのだ。

「いいぞ。でも、ログは早起きできないからな。明日ログが来る頃には、もうとっくに撒き終わってるかもしれないぞ」

 カルメは意地悪く笑った。

「ええ……俺だって早起きのはずですよ、多分。大体、カルメさんが早起き過ぎるんです」

「そうか? それに、ログって寝起き悪いだろ」

 相変わらず意地悪な笑みを浮かべているが、揶揄いよりも非難じみたものがその言葉から感じられ、ログは苦笑いを浮かべた。

 バツが悪そうに人差し指で頬を掻く。

「もしかしてこの間の事、まだ根に持ってます?」

「……もってない。ただ、人前であんなことをすると思わなかっただけだ」

 そう言って顔を背けたカルメの顔は真っ赤だ。

「やっぱり怒っているんじゃないですか。俺、寝起きはボーッとしちゃうんですよ」

 カルメの言うあんなこと、というのは、先日うたた寝をしているログに話しかけたら周りにログの師匠であるミルクや村長娘のサニー、万年脳内お花畑のウィリアなどがいる前で抱き締められてキスをされたことだ。

 カルメが放せと言ってもなかなか放さず、何度もキスをした挙句に羞恥でカルメが動けなくなるまで、ボーッと抱き締め続けていた。

「だって、眠りから覚めたらカルメさんしかいないように見えたから」

 ログが言い訳を言うと、カルメはフンと顔を背けた。

「もっと視野を広く持てよ」

「そんなことを言われましても」

 顔を背け続けるカルメにすっかり困ってしまったログは、露骨に話題を変えた。

「あ、そうだ! カルメさん。俺、最近は魔法陣の勉強もしているんですよ」

「ログ、話題転換が露骨すぎないか?」

 ジトリとログを睨むと、ログは呆れたような笑みを浮かべた。

「カルメさんに言われたくありませんよ」

 普段、照れなどから露骨に話題を逸らすのはカルメの方である。

 ログの指摘に図星を指されたカルメはギクッとして、

「で、魔法陣の勉強ってどんな感じなんだ?」

 と、あからさまに話題に乗っかった。

 そんなカルメを、ログは仕方がないな、と笑うと、手に持っていた救急箱から包帯を一つ取り出した。

「包帯?」

「ええ、そうです。ですが、よく見てください」

 ログが魔力を込めると、包帯は全体的に淡い薄緑色に発光した。

 それをそのまま、スルスルと解いていく。

 包帯をちょうど半分の長さまで解くと、そこには小さな魔法陣が描かれていた。

「これそのものが魔道具みたいになっているんです。この魔法陣には治療魔法の使用を手伝う効果があって、使い手の適性が低かったり、込める魔力の量が少なかったりしても、本来得られる以上の強い効果が出るようになるんです」

 そう言って笑うログは自慢げだ。

 釣られてカルメも笑った。

「へえ、面白いな。そう言えば、私は魔法陣を作ったことないな」

 カルメは魔法の天才だ。

 水の魔法と氷の魔法、その他に身体強化や火の魔法などが使える。

 特に水の魔法が天才的で、水を作り出すことや自由自在に扱うことはもちろん、水蒸気すらも操って雨雲を発生させたり、逆に消し去ったりすることができる。

 村や町一つの天候さえも変えてしまえるのだ。

 湖一つ、蒸発させて消してしまうことだってできる。

 しかし、だからと言って魔法陣が作れるとは限らなかった。

 魔法陣をつくるには、それ専用の知識が必要となるからだ。

 ましてやカルメは魔方陣の基本のキさえ知らない。

 そのため、魔法陣を使うことはあっても、作ろうとは思った事すらなかった。

 そんなカルメにとって、恋人が作った魔法陣が相当珍しいのだろう。

 包帯を興味深げに眺めまわしている。

「それはあげますよ。万が一怪我をしてしまった時に使ってほしいから。怪我しないのが一番ですけどね」

 ログは包帯を持つカルメの両手を更に包み込むと、そう言って微笑んだ。

 それに対し、カルメは少し照れて頬を赤くすると、嬉しそうに包帯をポケットにしまい込む。そして、

「ありがとう。なあ、魔法陣を作るのって難しいか?」

 と、少し不安げに問いかけた。

 魔法を使うことが好きなカルメは魔法陣を作ることにも興味を持ったようだが、小説以外の本を読んだことがあまりなく、まともな勉強をしたことがなかったため不安を覚えているようだ。

 ログは自分の勉強の過程を思い出しつつ答えた。

「うーん、どうでしょう。俺は理論を読み取るまで、少し時間が掛かったかもしれません。ですが、作るのは不可能って程でもないですね。良かったら、作ってみますか?」

 ログの提案に、カルメは嬉しそうに頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る