久々の悪夢
濃い紫の髪をした少女がひたすらに氷の道を走っている。
一見すると黒にも見える髪の毛の先は、闇に溶けてしまって境が見えない。
深緑の瞳は、少女を捕まえようと後ろから迫ってくる化け物への恐怖と怯えで染まっていた。
裸足の少女は、足の裏が痛くて、冷たくて堪らない。
立ち止まって休んでしまいたかったが、後ろからやって来る得体のしれない化け物への恐怖で、少女は足を動かし続けた。
汗も涙も流さず、少女は必死で走り続けた。
けれど、無情にも少女の足元から真っ白い影が伸びてきて、少女の足を掴もうとする。
少女は機転を利かせて上に跳んだが、着地した瞬間に薄氷は砕けてそのまま暗い闇の中へと真っ逆さまに落ちて行った。
落ちた先に広がるのは純白の世界だ。
白い神聖な化け物たちが、真っ黒に汚れて化け物になってしまった少女を嘲笑う。
『お前は愛されない』
『価値がない』
『自惚れるな、このゴミめ』
『化け物が人間様に愛されようとするな、おこがましい』
人間の形をした化け物は少女を取り囲み、低い声で説教するように言っては嘲笑する。
恐ろしくて蹲る少女に、化け物たちは嘲るような視線を向けた。
『出て行け! 出て行け! 出て行け!』
一斉に化け物たちが怒声を浴びせる。
少女の心が壊れて砕け散るまで、怒鳴り声は止まない。
村はずれの森の中、湖の近くには小さな木製の一軒家が建っている。
その家のベッドで、黒に近い紫の髪と深緑の瞳を持つ女性、カルメは震えていた。
髪の毛がべったりと汗で湿る頬に張り付いている。
ベタベタとまとわりついてカルメの体を冷やす汗は夢で見た白い影のようで、カルメはしばらく動けなかった。
丸っこく愛らしい瞳は恐怖で溢れて、少し不健康な青白い肌はさらに青くなっている。
自分の腕を抱いて、寒くて凍えそうなのに毛布に入りなおすことさえ出来なかった。
「ログ……」
やや有って、やっと口に出したのは愛しい恋人の名前だ。
名前を呼べば少しだけ恐怖が和らいで体も動かせるようになり、カルメは頬に張り付いた髪の束を払った。
『久しぶりに、最悪な夢を見たな』
子供の頃の自分に戻って何かに追われ続け、最後には嘲笑われ、怒鳴られ続ける、という夢をカルメはもう何年も前から見続けてきた。
これ以外にもいくつか悪夢はあったが、今見た夢がカルメにとって最も恐ろしい悪夢だ。
ログと恋人になってからは初めて見る悪夢に、カルメは心底震えていた。
『少し前ならこんな夢、嘲笑って終わりだったのに……弱くなったな。いや、それは少し違うか』
確かに、以前までのカルメならばこんな夢を見た自分の心の弱さを嘲笑い、夢そのものを嘲笑して早々にベッドを抜け出したことだろう。
しかし、そうやって夢に動揺せずに済んでいたのは、自分自身にすら虚勢を張って傷ついていないふりをしていたからだ。
本当は傷だらけなのに、それを無視して虚勢を張っている姿は、表面上は強く見えたかもしれない。
けれど、実際は一切のケアを行わずに傷を蓄積させる、ということであり、根本的な解決にならないどころか傷を悪化させかねない危険な行為だった。
『その証拠に、あの頃はしょっちゅう悪夢を見たな』
カルメは過去の自分に苦笑いを浮かべて、枕元の花瓶を見た。
陶器製の花瓶には数本の花が差してあるのだが、その中で枯れても萎れてもいない元気な花を一本、取り出して頬を寄せた。
大切な恋人が、昨日カルメにプレゼントした花だ。
その花のもつ爽やかな空のような、清らかな水のような青が、大切な恋人を連想させた。
『隣にログがいてくれたら』
そんなことを思いながら、カルメはベッドから抜け出して顔を洗うと、着替えを始めた。
普段からよく好んで着ている白いブラウスの上に、薄茶色のワンピースを身に着け、その上に厚手の暗い深緑色のローブを羽織る。
肩より少し長い髪を簡単に梳かすと、チラリと鏡を見た。
『相変わらず可愛くないな、お前』
鏡の中の自分に苦笑いを浮かべると、ピョンとはねた寝癖を直す。
そして台所の棚に転がっている赤い果実を適当に頬張ると、花壇の花々に水をやるために外へ出た。
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