第3話 深沢洋二

 三人の刑事が今回の自殺事件を、

「何とか他殺という線でも追ってみたい」

 という意見を戦わせて、その証拠を集めようとしている時に、まったく別の場所から、いわゆる、

「天の助け」

 とでもいえばいいのか、一人の男が警察署を訪れていた。

 彼は受付で、

「あの、先日、自殺をしたと言われている水島かおりさんについてお話したいことがあるんですが」

 と言いに来た男がいた。

「あなたが?」

「私は、深沢洋二と言います」

「分かりました。刑事課に繋いでみますね」

 と、言って、受付から連絡を受けた刑事課で直接に内線に出たのは、門倉刑事であった。

「では、通してください。いや、私が受付まで参りましょう」

 と門倉刑事は直々に受付まで降りてくるという。

 それを受け付けの人が伝えた。

「ちょうど担当の刑事さんが今こちらに来てくれるということです。詳しいことはその刑事さんにお願いします」

 と言っている間に、門倉刑事がエレベーターから降りてきた。

「どうぞ、こちらに。わざわざご足労ありがとうございます」

 と言って、彼をねぎらった。

 刑事課に入ると、そこでは清水刑事が待っていた。辰巳刑事は聞き込みに忙しく、今も表にいた。

 昨日、三人で論議を重ねた応接室に深沢を招くと、さっそく二人は彼の前に鎮座し、自己紹介をした。

「私は門倉というもので、こちらは、実際に現場を確認した清水刑事です」

 というと、深沢と清水刑事はどちらからともなく頭を下げた。

「さっそくですが、深沢さんは、亡くなった水島かおりさんとはどういうご関係だったんですか?」

 というと、

「私たちは、大学の時からの友達なんです。大学を卒業してからも時々連絡を取り合っていて、今でもよく彼女から相談を受けます。いや。最近また、相談を受けることが多くなりましたかね」

「じゃあ、以前は結構相談を受けていて、次第にそれもなくなってきたけど、最近また相談を受けるということでしょうか?」

 と、清水刑事が聞いた。

「ええ、そういうことになりますね」

 というと、今度は門倉刑事が質問した。

「その内容というのは?」

「以前は、付き合っている人がいるんだけど、男性の気持ちがよく分からない。だから男性の気持ちを知りたいので、私に意見を求めているという感じですね。でも、最近はもっと相談は深刻なものになっていたんです」

 それを聞いて二人の刑事は顔を見合わせたが、今度は清水刑事が、

「それはどういう?」

 と聞き返すと、

「実は、どうもストーカーに追われているような気がするというんです。誰かにつけられているような気がするという話を聞いて、私は何度か彼女の帰宅時間、彼女の護衛のようなことをしてみたんですが、ストーカーらしき人はいませんでした。そして彼女も、誰かに追われている気がしないと言っていたので、じゃあ、もう大丈夫なんじゃないかということで話をして、護衛をやめたんですが、しばらくは何もなかったんですが、半月もしないうちにまたストーカーにつけられているという話をし始めたんです」

「それは同じ人物だったんでしょうか?」

 と清水刑事が聞くと、

「それがよく分からないんです。彼女は、同じと言われれば同じだったと思うんですが、よく分からないという話でした。きっと時間が経っていたので、前の気配を忘れてしまっていたのかも知れません。でも、また誰かに追われているような気がすると言い出した彼女は、最初の時よりも不安を感じているようでした」

 と深沢がいうと、

「その時はあなたは彼女のことを護衛したりはしなかったんですか?」

 と清水刑事がいうと、

「彼女は今、スナックで勤めているんですが、そこのママさんが守ってくれると言ってくれたので、私はそれに従うことにしたんです」

「それから連絡はありましたか?」

「いいえ、ほとんど連絡はありませんでした。特にストーカーの件についてはまったくなかったので、あれからは大丈夫だったんだなと思っていました」

「なるほど、そうだったんですね」

 門倉も清水も、実際のママの話を思い出して、二人の話に矛盾はないが、どこか繋がらないところがあるのに気付いていた。

 しかし、気付いていながら、何も言わなかった。言わなかったのは、言っても深沢には関係のないことであり、このあたりを追求するのであれば、深沢に対してではなく、ママの方に対してであると思ったからだ。

 この一件からも、もう一度は少なくともママに事情聴取を行う一つが出てきたことが分かったのだ。

 深沢にとって、亡くなった女性はどういう存在だったのだろう? 彼氏という雰囲気ではないような気がする。

――まさかと思うが、最近のストーカーはこいつだったんじゃないか?

 などという考えられないような発想をして、思わず苦笑いを清水刑事であったが、それがまんざら突飛でもなかったことは後で判明することになるが、ここではそれに触れることはやめておこう。

「ちなみに、深沢さんは水島さんとはお付き合いされたことがあったんですか?」

 と、門倉刑事が聞いた。

「お付き合いという感じはなかったですね。相談をよく受けていた感覚があるので、まるで妹のような感じだったでしょうか。僕も彼女のことを好きだと感じたこともなかったです。彼女が僕をそこまで頼りにしてくれなければ、ひょっとすると好きになったかも知れませんけどね」

 というと、今度は清水刑事が、

「じゃあ、彼女から好かれているという感覚はありましたか?」

 というと、深沢は少し照れたような雰囲気で、

「実は、一度ありました。それで僕もぐらっときそうになったことはあったんですが、すぐに相談事を言ってきたので、その思いはすぐに崩壊しましたね。やっぱり勘違いだったということだと思いました」

 と神妙に答えた。

 深沢という男、結構自分の感情を表に出しているような気がした。根が正直なのだろうか、自分には正直な気がした。

「深沢さんは、彼女がスナックに勤めているのは知っているということでしたが、そこのママさんとはお話したことはありますか?」

「いいえ、ありません。でも、彼女はママさんは頼りになる人なので、安心して働けるとは言っていましたね」

 と答えた。

 さらに門倉刑事は質問を畳みかけた。

「それでは、あなたは水島かおりさんのマンションにいったことはありましたか?」

 と聞かれて、

「いいえ、一度もありません。彼女は私を部屋に連れていこうとはしなかったんですよ。そういう意味では、男性を連れ込むようなことはしなかったんじゃないでしょうか?」

 と深沢は答えたが、それを聞いて二人の刑事はまた目を合わせた。

 二人は意外な気がした、

 そういえば、隣の奥さんの話では、同じ人物ではないと言っていたが、男が来ていたことは確実だったようだ。それなのに、その中に彼がいないということはどういうことになるのだろう。それを思うと、二人の刑事はお互いが同じ疑問を抱いていることを分かっていると感じた。

「水島さんの住まいは前からあそこだったんですか? 大学生には業火過ぎると思うんですが」

 と清水刑事がいうと、

「そうですね、もちろん大学時代は別のところに住んでいました。でも、大学生としては結構いいところに住んでいたと思います」

「そこには行ったことがありましたか?」

「ええ、何度かはありましたね」

「それなのに、なぜ新しいマンションには行ったことがないんです? あなたは相談を受けていたわけなんでしょう?」

 と清水刑事が聞くと、

「ええ、そうなんです。でも、今度の新しいマンションには、彼女は私を決して招待してくれようとはしなかったんです。私は彼氏でもいるのかなって思っていました」

「彼氏がいるかも知れない相手の相談に乗っていたというわけですか?」

 と、清水刑事が少し疑惑を持った目で深沢を見た。

 その表情にあざとさが感じられたので、門倉刑事は少し焦ったが、それより前に、

「ええ、それが私の役目みたいなものですからね」

 と、一見そんなことは関係ないとでも言わんばかりの表情で深沢は答えた。

 もちろん、彼の本心がどこにあるのかは分からないが、見ている限りでは、清水刑事の方が悪いという印象を受けた。清水刑事は刑事であり、疑うのが商売とはいいながら、相手にここまで平然とした態度を取られると、刑事としての仕事と分かっていても、自分が悪者になっているような感じがして、少し複雑な気分になっていた。

「水島さんから、彼氏のお話を聞いたことはあったんですか?」

 と清水刑事は聞いた。

「いいえ、彼女が僕に相談をするのは、きっと彼氏には相談できないようなことを相談してくるんでしょうね。まるで兄のように慕っているという雰囲気でしょうか。だから、彼氏とは違った意味での関係なので、彼氏ができようができまいが、自分には直接関係はないと思っているんです。だから、彼女は彼氏と別れることがあっても、私と距離を置くようなことはないんだろうなという感覚ですね」

「でもお互いが忙しかったりすると、なかなか連絡も取れずに疎遠になることもあるでしょう?」

「それはありますよ。でも、それは彼氏という立場であってもそうだと思います。でも、相手が彼氏であれば、疎遠になった時点で、なかなか会うことができずに、苛立ちから別れてしまうということはあると思いますが、僕との関係は疎遠になったとしても一時的だって分かっているので、すぐに彼女の方から連絡をくれると思っています」

 という深沢の話を聞いて、清水刑事は、

――この男、よほど、彼氏というものを意識しているのかも知れない。自分が彼氏ではないということで、彼女との付き合いが濃厚なことをいかに正当化しようと思っているように感じられて仕方がない――

 と感じているようだった。

 門倉刑事はそれを聞いていて、

「なるほど、あなたの水島さんに対しての立場とその立場に対する考え方はよく分かりました。でもですね。彼女がもし付き合っている人がいるとすれば、その人はあなたの存在をご存じなんでしょうか?」

 と聞いた。

「ひょっとすると知らないかも知れないですね。彼女が私と、彼氏とは別次元という感覚でいるとすれば、きっと私のことを知らないでしょう。私もだから彼女が誰と付き合っているか。そもそも付き合っている人がその時にいるのかどうかも分かりません」

 と深沢は答えた。

「なるほど、そういう意味では、さっきあなたが彼女の今のマンションに入ったことがないというのは分かる気がしますね。同じ空間に、あなたと彼氏を一緒にしたくなかった。それは時間が違っても同じで、それぞれの、「居住区」のようなものを自分の中で作っていて、自分がコントロールしているというわけでしょうね」

 と門倉刑事がそういうと、

――やっと納得してくれたか――

 と言わんばかりに門倉刑事を直視して、うんうんと頷いた。

「おっしゃる通りです。私は最初にそういう説明をしたつもりだったですが、やっとここで結び付いたというわけですね?」

 と、深沢の方も、紆余曲折の中ではあるが、最初にいいたかったことがやっと伝わったことで、その途中の話もこれで納得してもらえると感じていた。

 実際に門倉刑事も、清水刑事も今の言葉を聞いて、深沢という人物がどういうことを考え、彼女のために、健気であったのかということを理解したのだった。

 そのうえで清水刑事は、

――俺なら、そんな関係、耐えられないな――

 人によっては深沢のように、裏方に徹するという人もいるのは知っているが、自分としてはまったく想像を絶するものであって、どんなに考えても、自分と比較できるものではないと思っていたのだ。

 それにしても、いろいろな人がいることは犯罪捜査などしていれば、おのずとわかってくるものであるが、そんな中でも深沢のような男は珍しい気がする。それを感じさせるのは、

――深沢のような男って、きっと犯罪とは無関係の人間だったのだろうな――

 という思いであった。

 しかも、彼のような人物を見ていると懐かしさを感じる。その懐かしさも清水刑事と門倉刑事とでは見る立場が違っていた。それは、清水刑事の方は、

「私のまわりに、そういう人がいたので、懐かしく感じるんだ」

 という思いであり、門倉刑事の方が、

「自分がまわりからそういう目で見られていたという意味で懐かしさを感じる」

 と、まったく別のイメージがあったのだ。

 だが、本当に懐かしさとして感じるのは、清水刑事の方だった。自分が客観的に見ていることで、懐かしさが頭の中に素直に反映されるのだ。門倉刑事のように、自分がその場面の中心にいてしまうと、見ているはずのものが自分であるという矛盾から、心底懐かしいという思いには至らないだろう。そういう意味で、深沢の気持ちがよく分かるとすれば、門倉刑事よりもむしろ清水刑事なのかも知れない。

 ちなみに言えば、もっとその兆候に近いのが辰巳刑事だった。

 辰巳刑事は学生時代からグレていて。当時の少年課の担当者が親身になって相談に乗ってあげ、危険が迫った時も身体を張って彼を助けてくれた。特に恩義に対しては厳しい辰巳刑事はその時の担当の人の気持ちを察し、自分を顧みることで、刑事になろうと考えた。

 いわゆる、

「勧善懲悪」

 を地でいったとでもいえばいいのか、刑事ドラマには出てきそうなキャラクターだが、実際の警察ではやはり、かなりの異端児であることは間違いない。

 それでも彼の正義感は事件解決に必要不可欠であり、たまに暴走してしまいそうになるが、それさえ抑えてしまえば、これほど上司にとって扱いやすいやつはいない。それだけ単純であり、勧善懲悪が身に染みているのであろう。

 まだ辰巳刑事は深沢という男を見たことはないが、どう感じるだろう。

 根本的な考え方は似通っているように思う。勧善懲悪という意味ではないが、その広い視野で、目の前の人を一人、救うことができるとすれば、こういう人のことをいうのではないか。

 ひょっとすると、勧善懲悪と言いながらも辰巳刑事も本当は誰か一人のために自分の身を捧げたいと思っているのかも知れないが、今はそういう相手がいるわけではないし、警察の仕事に誇りを持っている。だから、誰よりも勧善懲悪に見えるのであるが、もし彼に大切にしたいと思える一人が現れればどうなるであろう。

 全体を助けるために、その人を犠牲には絶対にできないだろう。そうなると警察の仕事を放棄するかも知れない。だが、門倉刑事はある意味それでもいいと思っていた。もし、それを危惧して今のうちに彼の性格を治そうなどとしてしまうと、治してしまったその瞬間から、辰巳刑事は辰巳刑事ではなくなってしまうのではないだろうか。

 それよりも、いつ現れるか分からない相手を考えるよりも、今を大切にできる辰巳刑事の存在は唯一無二の存在と言えるのではないだろうか。

「門倉刑事にも清水刑事にもない情熱を辰巳刑事は持っている」

 それだけにいいのではないだろうか。

 性格はかなり違っているが、目の前の深沢を見ていると、門倉刑事も清水刑事も二人とも頭に浮かんでくるのは辰巳刑事のことであった。

「今頃、辰巳のやつ、くしゃみでもしているかも知れないな」

 と二人は感じていることだろう。

「私は、彼女にとって、なくてはならない存在と思われることが誇りだったんです。彼氏になってしまうと、その立場から降格させられてしまうような気がするくらいなので、私が彼女に対しての立場に満足しているという思い、お二人になら分かっていただけるような気がしています」

 と、今日、初めて会ったはずの門倉刑事と清水刑事のことをすでに見透かしているかのような言い方をしたのは、ある意味、深沢からの挑戦のようなものなのではないだろうか?

「ところで深沢さんは、今はサラリーマンをされているんでしょうか?」

「ええ、普通のサラリーマンですね。だから、なかなか彼女とも時間が合いませんでした」

「じゃあ、お店に行ったことは?」

「数回ほどありますが、いつもの彼女と違う光景を見るに堪えないように思えてきて、しかも自分がスナックなどの呑み屋は苦手なんですよ。何しろアルコールはほとんど?めませんからね」

 と深沢は言った。

「なるほど、それではその店のママさんとは面識がないわけですか?」

「ええ、ありません。ウワサは時々彼女からは聞くのですが、話だけですね」

「ということは、あなたは、水島さんがスナックで勤めるようになってから、少し疎遠になったと言ってもいいのかな?」

 と門倉刑事が訪ねたが、それを聞くと、聞かれることを覚悟していたと思えたのに、深沢の表情が曇った気がした。

 そして、その表情にはどこかやるせなさのような、苦虫を噛み潰すようなイメージが見え隠れしていることを見逃さなかった。

 さすが、このあたりは百戦錬磨のベテラン刑事、相手が誰であっても、常に臨戦態勢とでもいうべきか、そう簡単にごまかしなど利くわけもないと言いたげであった。

「まあ、そういうことになるんでしょうね。連絡は取るけど、会う回数はかなり減ったような気がしますね。電話の回数も歴然と減りましたしね」

 と言った。

 その言い方には、何か言い訳めいたものがあり、深沢は少し刑事の尋問に押されているかのようだった。

 その間隙をついて門倉が一番肝心な話を始めたが、ここまで引っ張ってきたのは、刑事の方の独特な計算があってのことなのか、肝心なこと以外での聞きたいことを先に聴いたという雰囲気であった。

「ところで深沢さん、今日はわざわざ署にまで出頭してきてくれて、我々に面会を求めたのですから、何か言いたいことがあってのことなんですよね?」

 そうである、元々この男がなぞここにいるのかという理由を、聞いていなかった。

 実際には引っ張ったわけではなく、聞く機会を逸していただけであったが、却ってその方が自然であったことから、いかにも焦らしたかのようにも相手に感じさせるほどであった。

 すると、その質問を待っていたのか、満を持したかのような様子の深沢が、

「そうそう、今回の事件を伝え聞いたところによりますと、皆さんはゆかりが自殺をしたと思っておられると感じていますが、完全に自殺だということで処理されようとしているんですか?」

 と言われ、門倉と清水の量刑事は、また顔を見合わせた。

「それはどういうことですか? 現状を見る限りでは、自殺以外の何者でもないですよ。鑑識の見解も死因や状況に自殺を疑う不審な点はないということでしたので、自殺ではないかと思っていますが?」

 と門倉刑事がいうと、

「やはりそういう結論なんですね」

 と言って、少し寂しそうな表情にった深沢だったが、それを見て。

「確かに、気になるところがまったくないわけではなかった。ただ、それは自殺を疑うだけの根拠にはなりえなかったわけです。ただ、その裏付けを取っているので、その裏付けが取れた時点で、彼女を自殺と断定するつもりでいました。正直、今の段階では、自殺以外には考えられないというのが事実になろうかと思います」

 と門倉がいった。

「そうですか。一応ちゃんと裏付けを取ろうとしてくれているんですね。それはありがたいことだと思います。私の方としては、彼女との付き合いが長かったということで、実際に彼女が自殺をした、いや、自殺に成功したということに非常な違和感を抱いているんです。ただ長かったというだけではなく、かおりが私を精神的な支柱のように思ってくれていたということが、僕の中で一番強いのかも知れません」

「では、君はあれを自殺ではなく、誰かに殺されたと思っているのかな?」

 と門倉刑事が優しく訊ねると、

「ええ、そうだとしか思えません」

 と、逆に興奮したかのように、完全に断言した。

「そこまで言うには、何かあなたなりの根拠があってのことなんでしょうね?」

「ええ、もちろんです。だからこうやってわざわざ出頭してきたわけです。もし彼女がただの自殺だったのだとすれば、別に私はこうやって警察の前に出てくる必要など、さらさらありませんからね」

 と言った深沢だが、それを聞いて門倉刑事は、

――なるほど、深沢という男の理屈はそれなりに通っている。確かにわざわざ自殺であるなら、後は形式的な処理だけで終わることなので、何もわざわざ表に出てくることなどはいはずだ。それだけ彼には自信があるに違いない――

 と感じたのだ。

「一体何が、自殺ではない根拠だというんですか?」

 と訊かれて、

「正直、絶対的な確証があるわけではないんですが、今のとこを、私の考えだと思って聴いてください。私がどうしてこの事件を殺人だと思ったのかというと、彼女が本当に死んだのはあの場所ではないからです」

 という衝撃の発言が飛び出した。

「えっ、それはどういうことですか?

 死んだのは風呂場ではなく、他の部屋だったということでしょうか?

「いえ、そうではありません。彼女は他の場所で殺されて、自分の部屋に運ばれ、そして浴槽で死んだと思わせたのです。今私が言えることとして、その一つの根拠として考えられることなんですが、死体発見が遅れたということがあげられると思っています」

「でも、それは自殺だったから、遅れたんでしょう? ママが連絡をしてもなかなか連絡が取れないので、三日目になって気になってやってきたわけですよね?」

「ええ、それも犯人の計算だったんじゃないですか? 自殺だったら、発見がどんなに遅れても不自然ではない。逆に遅れれば遅れるほど、自殺という根拠が強くなる。もちろん、それは消去法での結論なのかも知れないですが、この三日というのが、そういう意味で早かったのか、遅かったのか、それとも中途半端な時間だったのかまでは分かりませんが、私はそこに犯人の思惑が隠されているのではないかと思っています」

 と深沢はまるで探偵にでもなったかのような自論を推理として出してきた。

 そこにも理論的な間違いはないのだが、少し主観が入りすぎているのか、あくまでも自分の頭で、

――これは自殺ではない――

 という思いが強すぎることで出来上がった理論だとすれば、その勢いに押されて、鵜呑みにすることはできないだろう。

 そう思うと、門倉も清水も、この深沢という男が分からなくなった、

 最初は、死亡した女性の友達が、自殺をした彼女のことで何か尋ねたいことでもあるのかという程度にしか考えていなかった。こうなってしまうと、彼の訪問がこの事件にもたらす影響の大きさがどれほどのものになるのか計り知れないことで、ここから先の展開が読めなくなってしまったことで、捜査はまるで振り出しに戻ったかのように思え、苛立ちを隠せない門倉と清水であった。

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