第2話 被害者の正体
第一発見者からは、事件についての真新しい話が聴けたわけではなかった。ママさんからの話にあった、
「ストーカーに狙われていた」
というのも、本人から聞いたというだけのことで、信憑性が薄いというわけではないが、どこまでが自殺の原因だったのか分からない。
二人の刑事が現場の事情を聴いている間に、鑑識の捜査も行われていた。まだ完全に終わったわけではないので、とりあえず、近所の人の話が聴けるかどうか、当たってみることにした。二人とも、
――さっきの様子を伺っている様子があるんだけど、表に出てくることはなかったということで、きっと警察には非協力的なのだろうな――
と考えていた。
それでも、事情を聴かないわけにはいかないので、まずは、隣の三〇六号室の人に当たってみた。
呼び鈴を鳴らすと、奥から、
「はい」
という声が聞こえた。先ほど目が合ってしまったので、居留守を使うことは難しいと思ったのか、観念したかのように、玄関先まで出てきた。
この女性は、男性と二人暮らしのようで、表札には、男女の名前が列挙されていた。その表札はいかにも現代風の模様なんかも書かれたもので、一筋縄ではないかもと思わせた。そこまで情報が得られるかが何とも言えないという感じで、二人の刑事は目を合わせた。
「どうも、お忙しいところを申し訳ありません。お隣の三〇五号室にお住いの方についてお伺いしたのですが」
と、言って警察手帳を提示しながら若い方の刑事が言った。
「どうかしたんですか?」
と聞かれて、
「ええ、どうやら自殺を試みたようで、そのままお亡くなりになったんですが、何かお隣の方のことでお気づきの点がありましたら、お伺いできればと思いましてね」
というと、
「さあ、お隣と言っても、マンション住まいなどをしていますと、ほぼ近所付き合いなどありませんからね。それでも何度か、彼女の部屋に男性が入っていくのを見たことはあります」
という、意外な発言があった。
「ほう、男性ですか。お付き合いされている方だったんでしょうかね?」
と聞いても、たぶんそんな二人の関係まで分かるはずもなく、分かっても簡単には答えてくれないと思っていた二人だったが、彼女の回答は意外だった。
「それが、その相手が毎回違っているんです」
というと、
「毎回違う? 着ている服装が違っているから、別人だと思われたとかではなくですか?」
と聞かれて、彼女は、
「ええ、まったく別人です。その証拠に男性の年齢幅がかなりありましたからね。二十歳前後のまだあどけなさの残る男の子であったり、白髪が目立つのではないかと思うような中年から初老の男性であったりですね」
というのを聞いて。
「ご家族の方という可能性はありませんか?」
と聞かれて、
「そうではないと思います。それぞれと接する時、腕を組んで甘えるような雰囲気でした。もちろん、普段の彼女からは想像もできないような雰囲気です。普段は、笑ったり甘えたり、怒ったりというような表情をまったく示すような雰囲気を感じさせない人でしたからね」
と、彼女が答えた、
なかなか口を割ってくれないと思っていた彼女から聞かれた情報をどこまで信用していいものなのか分からないと感じたが、いきなり警察がやってきて、ウソをつく必要もないない場面で、積極的に話してくれた内容は、無視できないものだということは分かっているようだった。
だが、彼女についての情報が聴けたのは、これくらいのもので、後は、
「よく分かりません」
という返事が返ってくるだけだった。
そもそも、近所づきあいというもに期待もしていなかったので、一つでも有力と思える情報があったのは、よかったと思った。二人の刑事は、署に戻って主任に報告をすることにした。
署に戻るとそこには、主任の門倉刑事が待っていた。
「清水君、どうだった?」
と聞かれた上司の方の清水刑事は、今日聴取してきた内容の話を門倉刑事に話した。
「そうか、彼女の自殺についての事情もよく分かっていないわけだな」
「ええ、近所の人が言っていた。複数の男性が彼女の部屋から彼女と一緒に出てくるのを見たということくらいでしょうか? それと気になるのは、彼女のような場末のスナックに勤めているだけの女性にしては、住んでいるところがかなり高級なのは気になりましたね」
と清水刑事は言うと、
「そうなんですよ、でも、これは私が別の事件で聴いた話なんですが、その人はストーカーが怖くて、少々無理をしてオートロックのマンションを借りていたという話でした。でも、生活が苦しくなって、結局知り合いの人の口車に乗って、犯罪に手を染めそうになったことがあったのを、我々が止めたことがあったんです」
と、部下の刑事が言った。
「辰巳君が前にいた警察署で起こった事件のことだね。あれは、集団窃盗事件だったかな?」
と清水刑事がいうと、辰巳刑事が、
「ええ、その通りです。その人は窃盗の腕はなかったので、見張りだったり、運転手の薬だったりと、脇役を演じていました。時には証人となってみたりと、結構いろいろなことをさせられていましたが。結局彼女も両親の呵責があったのか、自首してきたんです。取り調べをしていて、気の毒なくらいでしたね」
と言った。
「となると、あのマンションで自殺をした水島かおりという女性も、かなり苦労をしていたのかも知れませんね。付き合っていた男性からだいぶ援助されていたのかも知れませんが、相手が違っているというのも、二股や三股くらいかけていたということかも知れませんね」
と、清水刑事は門倉刑事に話した。
「ちなみに、その隣の主婦と思しき女性の話には信憑性はあるのかい?」
と聞かれた清水刑事は、
「ええ、私はまんざらウソではないと思います。彼女にウソをつく理由も考えられませんし、高級マンションに住んでいる理由も分からなくもないからですね」
と言った。
「ところで、鑑識の方からは報告が入ったのかな?」
と門倉刑事が聞くと、
「ええ、入ってきているようですね。我々もまだ帰ってきたばかりで見てはいないんですよ。よかったら、ご一緒に確認しませんか?」
と、清水刑事に言われて。
「そうだな、そうしよう」
と、三人は、刑事課の奥の応接室に入り込んだ。
まず、死因は、
「手首を切ったことによる、出血多量でのショック死」
ということであった。
これは、自殺が成功したということの証でもあり、どこもおかしいところがないように見える。
そして死亡推定時刻であるが、どうやら二日前のようで、時間が少し経っていることからその幅は少し広いようだ。
「死体が発見される前々日の夕方から、深夜にかけての、午後六時から、十二時くらいまでの間」
ということであった。
当然それだけ時間が経っていて、水道の栓が開きっぱなしで水が垂れ流し状態だったことから、血液はほとんど全部流れ出ているとのことでもあった。二日前に死んでいたのであれば、ママからの連絡に出られないのも当たり前ということ。気が付いた時にはすでに遅かったということである。
「みた感じでは自殺のでほぼ間違いないと思われるんだよな?」
と言われて、清水刑事は、
「ええ、そうですね。でも」
と言いかけた。
「でも?」
「はい、遺書はなかったんですよ。まあ、遺書を書かない人も中にはいるかと思うんですが、少し気になってですね」
「確かに、そうだけど、一人で思い悩むタイプだったら、そういう人もいるんじゃないか?」
と門倉刑事がいうと、
「ええ、でも、ストーカーに狙われているという悩みは、店のママに打ち明けたりはしているんですよ。そんな人が遺書を書かないというのが、どうも気になってですね」
というと、辰巳刑事が口を開いた。
「この報告書を見ると、どうやら自殺を図ったのは一度や二度のことではないようですね。リストカットの痕がいくつも残っているということが書かれています。かなり前のことのようですが、自殺未遂の常習者だったという可能性もあるんじゃないでしょうか? もしそうだとすれば、遺書をいちいち残すということはしないんじゃないでしょうか? 失敗した時のことを考えると思うんですよね」
と、彼なりの意見を述べた。
「それはそうかも知れないね。私も辰巳刑事の意見に賛成です」
と、清水刑事も即座に三星側に回った。
「過去に自殺の経験があったということは、警察にも届けがあったかお知れないね。その足りも調べてみる必要があるんじゃないか? その時に受けた事情聴取の内容も含めてね」
と門倉刑事は言った。
すると、辰巳刑事がまた別の意見を言った。
「これはちょっと飛躍しすぎているような気がするんですけど」
という前置きに、
「というと?」
と清水刑事が相槌を打った。
「ええ、どうも部屋の中が整理性とされすぎているような気がするんですよ。もちろん、自殺をする人の心境なので、なるべく身辺を綺麗にと思うのかも知れないんですが、だ、寝室の布団をきちんと畳んでいるのは分かるんですが、台所の食器などが全部棚に片づけられているでしょう? 普通は食事をした後の食器は水切りの容器の中に置かれて、しばらくしてから片づけるものじゃないですか。亡くなった女性の意の内容物の消化具合から考えると、死亡したのは、食後、一時間か二時間くらいということです。そんなにすぐに片づけるでしょうかね?」
と恐縮した面持ちで語った。
「なるほど、辰巳君の目の付け所は少し変わっているね。言われてみればそんな気もするけど、やはり考えすぎなのでは?」
と、言ったのは、清水刑事である。
門倉刑事は、それを聞きながら、腕を組んで、静かに考えていた。
「辰巳刑事の目の付け所は、私は間違っていないと思うんだ。確かに何か作為のようなものが感じられなくもない」
と門倉刑事はしばらくしてから言った。
「そうですね。事件はあらゆる線から考えてみないといけませんからね。でもですね、今の辰巳刑事の話の内容を考えて、門倉刑事の今の言葉を悔い合わせてみると、おのずとそこに一つの疑念が出てくる気がするんです」
と清水刑事がいうと、
「それはどういうことかね?」
と、実は分かっているのに、わざと聞いてみるのが癖の門倉刑事が、優しそうな目で言った。
「皆さんご察しだとは思いますが、これは実は自殺ではなく、他殺だという考え方ですね」
と言った。
「確かに、状況的なもの、そして自殺を疑うとすれば、あまりにも部屋が片付いていたということと、遺書がなかったということくらいだよね。総合的に考えれば、普通であれば自殺でしかありえないように思う。でも、少しでも変だと思う部分を掘り下げていって、そこを納得のいく回答を見つけることで、初めて自殺だったと言い切れるんじゃないかな?」
と、門倉刑事は言った。
さらに続ける。
「だけど、これだけ自殺としての状況が揃っているから、そう長くはこの事件に首を突っ込んでいるわけにはいかない。早急にこの事件を自殺ではないという確証めいたものを見つけないと捜査が打ち切られてしまうことになるよ」
ということである。
それは二人にも分かっていた。だが、どうも二人とも簡単に自殺として片づけられない思いがあるようだ。特に若い辰巳刑事の思いは強いようで、今も、目を凝らすように鑑識の捜査報告を読み込んでいるようだった。
実は辰巳刑事は、探偵小説を読むのが好きで、非番の日などは、結構朝から晩まで読んでいることが多い、最近読んでいる小説でお気に入りの小説家がいるのだが、その作家が得意とする小説の中で、
「自殺が発見されたが、実は他殺で、まずは他殺を証明するところから始まって、事件を解き明かしていく」
というパターンが好きだった。
その意識が強いこともあり、どうしても自殺した人をただの自殺だと思えないという意識が強くあるようだ。もちろん、そんなことは他の同僚や先輩には言えるはずもないが、自分もいつかは、この小説の主人公のような活躍ができればいいと思っていたが、ひょっとすると今回の事件がその口火となるかも知れないと思い、燃えていたのだ。
そんなこととは知る由もない二人の先輩刑事だったが、もし、辰巳刑事の考え方を知っていたとしても、それで怒るようなことはないだろう。むしろ、犯罪捜査では、
「皆が一致したような意見を述べられるほど、怪しいものはない」
という考えがあるくらいで、天邪鬼なのかも知れないが、そもそも刑事というのは、
「疑うことが商売」
と言われるではないか。
それを思うと、一つでも奇抜な意見があれば、なるべくそっちを尊重したいと思うのも無理もないことで、しかし、そちらにだけ突っ走ってしまっては、本当に関係のないことであれば、取り返しのつかないことになってしまう。それを防ぐのが我々のような熟練の刑事であり、部下には逆にそういう発想をたくさん出させる雰囲気を作り上げることが大切だと思っていた。
だから、基本的には当たり前のことを認めているだけのように見せているのは、ある意味上司としての
「表情」
であって、本当の心の中の表情は、部下にさせるくらいの気持ちを抱いていたのだ。
それが上司としての心得であり、部下との接し方。ひいてはグループを一つに纏めるための秘訣なのだと思っているのだ。
清水刑事は、その気持ちを門倉刑事からハッキリと聞かされたわけではないが、清水刑事も門倉刑事を尊敬し、その背中を見ながら刑事を続けていたのだ。言わなくとも分かり合える部分は十分にあるというものだ。
実際に今の状態で、
「自殺ではなく、実は他殺かも知れない」
と思わせる部分は、ちょっとしたことから、ふと感じるような偶然とも言えるような発想からだった。いわゆる。
「考えようによっては」
という程度のもので、説得力も信憑性もあったものではない。
組織を動かすだけの力はなかった。
「門倉刑事は、ぶっちゃけ、今度の事件をどう思われますか?」
と清水刑事が聞いた。
「何とも言えないんだけど、二人は、自殺とは簡単に決められない何かがあると思っているんだろう?」
と聞いた。
辰巳刑事の考えは、先ほどのようなものであったが、さすがに口にできるはずもなく、
「ええ、根拠はないので、大きな声でいえないと思ってはいるんですが、どうもただの自殺だとすれば、疑おうと思うといくらでも疑える部分があると思うんですよ」
というと、門倉刑事は苦笑いをしながら、
「それはきっと、皆が普通の自殺を、完全な自殺だと思い込んでいるからなんだろうね。疑ってみれば、きっと辰巳刑事が懸念した部分を指摘する人はたくさん出てくるよ。でも、全部が全部自殺として片づけてしまっていいものかとも思うんだ。百件自殺の案件があれば、そのうち数件くらいは、本当は他殺だったんじゃないかって思うことも後になってみれば結構あったりするものだよ」
と言った。
「自殺か他殺かを見分けるのって、結構大変なのかも知れませんね。鑑識の話を信用しないわけではないですが、すべてを鵜呑みにするのではなく、状況と一緒に判断しないといけないということになるんでしょうね」
と辰巳刑事がいうと、
「そうだね、中には自殺をしたとハッキリしていることであっても、遺族が納得できずに、犯罪性を疑って警察に訴え出ることもあるからね。ただその場合は会社関係のハラスメントの問題が大きい時が多く、その場合は警察というよりも、弁護士の仕事だったりするんだろうね」
と、清水刑事が付け加えた。
「それを訴え出る人と亡くなった人との関係性もあるんでしょうが、警察で受け付けてないと思えることも多いカモ知れないですね」
と辰巳刑事は言った。
「ただ、勤めに出ていたスナックのママという人の話も気になるね。ストーカーに狙われていたというのに、帰りは普通に徒歩で帰っていたというのも、何となく気になるんだ」
と門倉刑事がいうと、
「それは私も気になっていました。受け付けられない内容なのかも知れないけど、相談してみるくらいはしてもよかったんじゃないでしょうか? ママさんも勧めてくれていたわけですからね。それなのに通報もしていない。さらにところどころで警戒が曖昧なところがあるというのは、何か亡くなった女性の性格的に問題があるということでしょうかね?」
と、清水刑事は言った。
「これは人によっても違うでしょうが、自分が本当に信じられる相手でなければ、信用しないタイプの人間だったんじゃないですか? 今までずっと裏切られ続けて人が信じられなくなる人も結構いるでしょう。特に彼女が自殺をしようとしたのは、今回が初めてではないということです。考えようによっては、自殺しきれないタイプだったのかも知れないと思うと、その思いも自殺を疑う理由の一つになるんはないでしょうか?」
と辰巳刑事は言ったが、
「なるほど、今の話は興味があるね。彼女が自殺の常習者であるとすれば、今回に限って自殺に成功するというのは、疑うだけの価値はあるかも知れない。それを思うと、最初の頃は本当に自殺をしようという意識で死のうとしていたのが、死にきれなかったのだけれど、次第に覚悟が次第に薄れていって、自殺を一種の義姉戯のような感覚になっているとすれば、死にきれないのではなく、覚悟をしていないので、本人は死のうという意思があると思っていたとしても、死にきれないことに対して悪気がなくなってくる。そうなると自殺をしようとする意思でさえも、悪いことをしているという後ろめたさがなくなり、自分の中で『どうせ死にきれない』という思いから、自殺はするけど、死ねないという構図が自然と出来上がっているのかも知れませんね」
と清水刑事は言った。
それを静かに聞いていた門倉刑事は、
「二人の意見はなるほどという部分が結構あるとは思う。私も心の中に思っていることを言ってくれたと感じていることが結構あるんだよ。だから、もう私が付け加えることはないんだけど、まずは、その意見を立証するだけの物証が必要になってくるよね。今のままでは完全に自殺で処理されてしまう。今の二人の話を聞いて、私の中でも自殺に対して疑問があるのは確かだったんだけど、今ではその気持ちがかなり信憑性を帯びているように思える。何としても、自殺ではなく、誰かに殺されたという物証を掴むことが最優先だろうね。そのためには付近の聞き込みと、関係者にもう一度話を聞いてもらうことが大切だと思う。私も、もう一度鑑識に話を聞きに行こうかと思うんだが、それぞれ、その線で動くことにしてみよう」
と言った。
門倉刑事は、今までに何度も自殺を見てきたことがあったが、実はその中には、
――この事件は、絶対に自殺なんかじゃない――
と思える事件もあったが、捜査本部の見解で、最後は簡単に自殺で片づけられた事件も結構あった。
自分がまだ新人刑事の頃で、口出しなどできない頃だったので、そんな理不尽を何度となく味わってきていた。そういう意味で部下の清水刑事と辰巳刑事が、自分の意見を堂々と言えるような状況を羨ましいと思うが、逆にそれを作り上げているのが自分を中心とした上司のおかげだと思うと、自分n統率力という意味では、
「理想の上司になってきているのではないか」
と思うようになってきた。
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