第5話 小説執筆心得
そんな自分が予知夢というものを見ているのではないかと最初に感じたのは、いつが最初だったのだろうか。玲子はその時のことを忘れることができなかった。なぜなら、その夢のせいで、両親が離婚したのだから……。
いや、正確に言えば、両親が仲が悪い状態が続いて、自分がいかにして家出をしようかという夢を見たすぐ後に、実際両親の仲が悪くなり、本当に離婚するに至ったというのが、本当のところだった。
もちろん、そんな夢を見たなどと、両親のどちらかに話したりするようなことはしない。もしそんなことを言いでもすれば、
「何バカなこと言っているのよ。お父さんに失礼でしょう?」
とお母さんからは言われるだろうし、お父さんにいえば、きっとお母さんに失礼だという言葉が返ってくると思われるからだ。
それならそれで仲がいい証拠だからいいのだが、自分だけが怒られるというのは明らかに理不尽で、自分からそんな事態を望むわけもない。そう思っていると、
「この夢は誰にも言えない。タブーな夢だ」
と思うようになった。
父親と母親、元々仲がいいのか悪いのか、子供から見ていてよく分からなかった。テレビドラマで見る家庭団らんな様子など見たことがない。会話もほとんどなく、玲子は自分の家庭が本物で、テレビでは誇張して描かれている。つまりは理想を描くことで視聴者のハートを掴もうとでもしているのではないかと思っていた。
だが、考えてみれば、そんなことをしても、実際に自分の家庭が玲子のような家庭だったら、そんなものを見せられれば、露骨に嫌なものである。
「何をそんなに理想を押し付けようとするのか?」
と思われるのがオチである。
玲子は友達の家に遊びに行ったことがないわけでもないが、その時に見る家庭は、団らんというよりも、どこかぎこちなく感じられた。無理に会話をしているようにも見えて、それが嫌だった。
玲子は自分の家に友達を呼ぶことを禁じられていた。
「誰も連れてきなさんなよ」
と母親から言われていた。
連れてくるなというものを無理に引っ張ってくるようなことができるはずもなく、そのうちに友達の家に遊びに行くこともなくなっていった。
玲子の方から避けるようになっていったのだが、どうも、友達も玲子を呼ぶのに躊躇していたようだ。
最初の頃はそれでも、
「玲子ちゃんもこない?」
と言われていたが、
「私は、いいわ」
というと、ホッとしたような露骨な表情が見えた。
そのうちに誰も誘わなくなり、
「これでいいんだ」
と思うようになっていった。
玲子は、自分の親と一緒にいるのが嫌だった。子供の頃は、正月が近づいてくると、お年玉が貰えるという理由で嬉しかったものだが、本当に嬉しくて、ワクワクした思いがあるのは、大みそかまでだった。
クリスマスを挟んだ週からの一週間というものは、世間も慌ただしく、
「一年の集大成」
とばかりにテレビでも特集している。
それを見ていると、別に自分のことでもないのにウキウキする気分になるのは、まだ子供だったからであろうか。
だが、大みそかのカウントダウンが終わってしまうと、一気に年が明け、
「あけましておめでとうございます」
という挨拶だけで、それが終わると眠りに就く。
それだけのために、無理して起きていたとでも言わんばかりだった。
正月に入ると、今度は急に何もしなくなる。テレビ番組も実にくだらないバラエティや、何がめでたいのか、ワンパターンな番組ばかりだ。
しかも、それがほとんど録画であり、その出演者は皆放送されている時は、ハワイにいるということを知った時、
「何てバカバカしいんだ」
と思ったものだった。
正月になったからと言って、何かがあるわけではない。形ばかりのお屠蘇とおせち料理を食べるという
「儀式」
が終わると、何をしていいのか分からなくなる。
父親は、届いた年賀状の整理に余念がないが、玲子には学校の友達から数通くるくらいだ。
皆自分が出した相手なので、新たに書いて出す必要もない。年賀状なんて、何の意味があるというのだろう。
初詣も人が多いばかり、小さい頃は親と一緒に家族で年末から出かけたことがあるというが、玲子はあまり覚えていない。それほど小さかった頃のことだ。
小学生に入った頃から、初詣も大きな神社に行くことはなくなった。近くにある祠に毛が生えたような神社で、並ぶことなくお賽銭を入れて、願い事をする。それが毎年の恒例だった。
正月は、娘が出歩くことを親は嫌った。
「どこのご家庭も正月というとゆっくりしたいものなのよ」
という大人の都合というものを押し付けられるだけであるが、確かにそれも一理ある。
自分から出かけようという気にもならなかった。しかも、友達からは呼ばれなくなっているのだから、なおさらのことで、正月はとにかく孤独であった。
だからと言って、親と一緒にいたいとも思わない。親は親で、大人の立場からしか話をしない。完全な上から目線で、子供のことなどどうでもいいという感覚で今まで言いたかったかのように説教をぶちまける。
そんなストレス解消に巻き込まれでもしたら、たまったものではない。それを思った玲子は、とにかく自分の部屋から出ることをしなくなってしまった。
「引きこもりってよく言われているけど、子供が引きこもるのって、こういうところから来るんじゃないかしら?」
と、子供ながらに玲子は考えていた。
大人の世界はもちろんのこと、子供の世界からも隔絶されたかのようになっている玲子は中途半端なところにいた。
さすがに引きこもりになることはなく、学校にも普通に行ったし、勉強も普通にしていた。
「そもそも友達がいなっから寂しい」
だとか、
「親が何を考えているのか、子供の立場になって考えてくれない」
という感覚は次第にマヒしていったのだ。
ただ、引きこもりにならなかったのは、引きこもった人たちがやっているネットであったり、ゲームのようなものに没頭しなかったからであろう。部屋にいて何をしていたのかというと、最初はマンガをよく読んでいたが、途中から本を読むようになった。
小説を読んでいると、想像力がたくましくなってくる。それにマンガを読むよりも、読書の方が、
「偉くなったような気がする」
という思いが強かったからだ。
そのうちに文庫本というものが好きになり、
「小説を書いてみたい」
と考えるようにもなっていた。
実際に書いてみたことがあったが、書いてみるとこれほど難しいものはない。書きながらの試行錯誤は自分だけにあるわけではないのに、試行錯誤が自己嫌悪に繋がり、文章を書くことがストレスに繋がってきたことで、少しして書くのをやめてしまった。
もちろん、最後まで書いた作品など存在するわけもなく、
「小説を書く基本は、まず、どんな内容であっても、書き上げることだ」
というのを知らなかったこともあり、書きかけては辞めるという、一番やってはいけないことを繰り返したことで、挫折してしまうという、誰もが陥る落とし穴に、自ら飛び込んだ形になってしまった。
今から思うと、
「どうして小説を書くのを辞めちゃったんだろう?」
と思ったが、いまさら書き始めようという気も起こらずに、大学生になってしまったということであった。
「飽きっぽいというのとは、少し違っているような気がする」
と思ったが、まんざら間違っているわけでもないように思えた。
玲子は、小説を書くことで、自分に対してかなりの、
「制限」
を設けていた。
例えば、
「ノンフィクションは嫌だ」
であったり、
「フィクションであっても、二次創作など嫌だ」
というものであったり、
「長さは基本、中編以上、短編であれば、短編連作にする」
などというものだった。
最初の二つは、ノンフィクションのように、誰に出書けるようなものは嫌だった、
「文章力で争う」
というのであれば、それならフィクションでも同じことであり、そもそも争いの土台からして違っているように思い、特に二次創作など、まったくの論外で、その存在すら否定したいくらいであった。
同じ小説としての土俵に上げたくないほどである。一体どこに個性が含まれているというのか、ただの言葉遊びでしかないような気がして、気に入らない。
最後の部分は、
「自分が書いているのは、本であり、雑誌掲載ではない」
という思いからであり、書下ろしを基本にしている。短い文章で本数を稼ぐなどということはしたくないということであった。
さらに、ここにはないが、人の作品の批評やレビューなどはさらに論外で、ノンフィクションが高額性の頃の作文であれば、批評、レビューなどは、ただの読書感想文にしかすぎないではないか。
そんなことを考えていると、次第に小説が書けなくなってきた。
だが、それは書けないことへのいいわけであることに気付いてくると、そのうちに、アイデアをノートに書いて、アイデアだけのストックがある程度溜まったら、何か一つ、自分のオリジナル小説として、一度は完成させてみたいと思うようになった。
この時の夢にしてもそうである。
「予知夢」
などという発想は、小説のネタにするには、実にいい題材ではないだろうか。
ただ、玲子はいわゆる、
「売れる小説」
であったり、
「読まれる小説」
を目指しているわけではない。
あくまでも、
「書きたいものを書く」
ということで、他人から読まれるということを前提にして書こうと思っているわけではない。
それはもちろん、人に読まれると嬉しいし、高評価がもらえると、それなりにやりがいもあるだろう。
しかし、小説というものに、正解はないと思っている。間違いはあるかも知れないが、正解はないのだ。
だから、あまり推敲と重ねて、どこまでも、
「いい作品」
を目指そうとは思わない。
そう感じた瞬間から、堂々巡りを繰り返してしまうような気がするからだ。最近ではやっと少しずつ書けるようになってきたが、その時に読んだ、
「小説の書き方」
と称するハウツー本であるが、最初こそ参考にしていたが、途中から参考にすることはなくなった。
あくまでも小説を書くということは、自分の個性を表に出すことが一番だと思っている。売れるため、読まれるために書くのではない。そんな風に考えると、無意識のうちに、読まれるためというのが、読んでもらえるような作品から、いかに読ませようという意識が強くなり、完全な上から目線でしか書いていないことに気付く。何もそれが悪いと言っているわけではない。最初は読んでもらうという気持ちからだったのか、それとも自分の書きたいものを自分の中で自由に書いているだけだという思いが転じたものであっても、書いている人間のエゴが、結局は同じところに向かわせるにすぎないと思うようになっていた。
実はこの、
「小説を書けるようになっていた」
ということ自体が、夢だった。
しかし、実際にはそれから自分が必ず書けるようになるという自信を持って、少しずつノートの中で題材が暖められている。別に、キチンと下プロットが出来上がっていないと書く始めることができないというわけではない。むしろ、プロットは中途半端なくらいの方がいい。要するに、
「ニュートラルな遊びの部分がないと、何も進まない」
と思っているからだ。
まるで真っ暗な世界の断崖絶壁の上にいて、前にも後ろにも進めないという、以前に見た夢がまた頭の中によみがえってくるのを思い出したかのようである。
「そうだ、夢の世界こそ、小説の題材になるんじゃないかしら?」
と思った。
ただ、あまりにも飛躍しすぎると、異世界ファンタジーに入り込んでしまう。異世界ファンタジーというと、イメージとしてはゲームやアニメなどのテーマになりやすいもので、猫も杓子も飛びつくジャンルというイメージがあった。
自分にはできないと思っているジャンルに、しかもピンからキリまであるジャンルに、わざわざ飛び込もうという意識もない。
それを考えると、夢や鏡の世界などのアイテムを使って描ける小説としては、都市伝説をテーマにしたオカルト小説であったり、怪奇ホラーの原点である、広義の意味でのミステリーなどがテーマとしてあげられるだろう。
そうやって考えると、小説のジャンルが、知らず知らずのうちに固まってくるではないか。ジャンルが決まってくると、あとはテーマを決めて、そこからディテールに入り込んでいけばいいだけのことである。その時に、今書き溜めているメモがその実力を発揮することになるだろう。
そういう意味で、最初の自分の小説のテーマは見えてきた気がした。
どんな内容になるかなどはまったく未知数であるが、やはりテーマとして考えるとするならば、
「予知夢」
ではないだろうか。
「普通の夢も書けないくせに、いきなり予知夢というのは、ハードルが高すぎやしないか?」
と言われるかも知れない。
しかし、夢というものを一口に捉えるよりも、その中でも一つの考え方としての、
「予知夢」
の方が、その話を具体的にすることができるのではないだろうか。
それが、想像力であり、創造力でもある。小説を書くということは、その両方が必要であり、ノンフィクションには、想像力の方が欠如しているのではないかと考えるのだ。
何しろ、小説には絵というものがない。本などでは、イメージさせるために挿絵が入っていることがあるが、基本はないと思った方がいい。そう思えば、いかに読者に想像させるかということが肝であり、想像力のないものを果たして小説として、同じ土俵に上げていいものなのかと考えてしまう。
またしても、余計なことを考えてしまうと、堂々巡りを繰り返してしまう。
そう、小説を書くということでもう一つ重要なことは、
「考えないこと」
だと思っている。
考えてしまって、そこで堂々巡りを繰り返してしまうと、結局タイムアップでゲームオーバーになりかねない。点数を獲得できなくても、ゴールすればいいのであれば、なりふぃりまわずにゴールを目指すというのが、ゲームの醍醐味ではないだろうか。ゴールできるだけの力もないのに、点数を取ってまでゴールしようというのは、
「二兎を追うもの一兎も取れず」
ということわざのように、本末転倒な結末を迎えてしまうことになるだろう。
だから、書き始めると余計なことを考えず、書きながら、三つ四つ先の文章を考える感覚で書いていく。文章が繋がりさえすればいくらでも書けるという感覚はあった。なぜなら、
「人と話を繋ぐことができるのだから、自分の中だけで考えている話を繋ぐことの方が簡単なのではないか」
と考えたからである。
その考えに至ると小説が書けるようになり、書けない人はその考えに至るために、考えていくのである。
だが、実際に今、玲子は小説が書けるようになったわけではなかった。そのわけが自分ではなかなか分からなかったが、最近では分かってきた気がする。
「最初に、予知夢を題材に考えたからではないか?」
と思った。
予知夢などの夢というのは、幅が広い。そのために何でもありのような気がするが、意外とこの何でもありというのが曲者であった。
何でもありというのは、簡単なように見えるが、結局はそこからテーマを絞り出さなければいけない。その作業がまず必要で、絞り出してからも、そこからが制約がかかるので、まるで狭いトンネルを抜けていくようなものである。気が付けば、夢の中で見た予知夢のような真っ暗な場所で、左右にも前後にも動くことのできないという状態に追い込まれていることに、その時になって気付くのだ。
最初から徐々に分かっていれば対策の取りようがあるが、その時点になって気付くのであるから、どうしようもない。つまり予知夢で見るというのは、最初のその時点だけを切り出して見ているというようなものである。
本当はそのことを小説に書ければいいのだが、実際にはそうもいかない。なぜなら、最初にその道を選んでしまったのだからである。その道を選んでしまったことがすべての間違いで、たくさんある他の選択肢を選べなかったことが、その時点で敗北だったということであろう。
だが、小説を書くことを諦めたわけではない。
実際に大学一年生の頃までは、結局書くことができなかった。予知夢の話を書こうと考えたのは、あれっていつのことだったのだろう? 少なくとも高校時代だったのは間違いないだろう。
高校時代というと、自分の中でも一番暗かった時代だった。中学時代も暗かったが、思春期で、しかも自分がまだ子供だという意識がある中での成長期だったので、好きになった男子もいたし、その子に告白してフラれたという苦い思い出もある。
だが、思い出というものが、結果がどうあれ、頭の中に残っているというのは、確かにその時代を経験したということであり、懐かしさを伴うものであった。その懐かしさが高校時代にはほとんどなかったのである。
それだけに思い出すことはあまりなく、あったとしても、記憶の中での時系列が、まるで中学時代に比べて、もっと以前だったような気がする。
そんな過去を思い出していると、時系列的にはもっと昔だったような気がするのに、意識として懐かしさがないのだ。
高校時代は考えてみれば、挫折だけの人生だったような気がする。小説においてもそうであるが、中学時代まで、成績もそんなに悪い方ではなかったはずで、高校生になってからも、決して勉強を怠けていたというわけでもない。
実際に学校での授業も、塾での授業にもついていけなかったわけではなかった。自分としては、それほど危機感を持っていたわけでもないのに、高校一年生の時の成績では、余裕で行けるであろう大学を第一候補にして勉強してきたはずなのに、いざ、三年生になって志望校を選択する段階になって、
「相沢さん、あなたのこの成績では、志望校への進学は今のままでは難しいかも知れませんよ」
と担任の先生から言われ、志望校の再考を余儀なくされた。
このセリフは、自分の中では青天の霹靂だった。
確かに、成績も順位も少し落ちているとは思っていたが。そもそもが余裕だったはずの大学ではなかったか。それがいつの間にそんなことになってしまったのか、何が自分の中で起こったのかが、理解できなかった。
そうなってくると、もう小説どころではなくなっていた。
元々小説を書きたいと思ったのは、受験勉強の中での息抜きとして考えたものであって、受験が危機的状態なのに、小説に没頭するというのは、そういう意味ではまったくの本末転倒なことである。
それを思えば、なぜ自分が勉強ができないのかということをどう考えればいいのかというところからの再出発である。
それまでなかなか先に進まずにもがいたという経験があったが、先に進んでいたものが後ろに戻ってしまって、そこから再出発を余儀なくされるなど初めてのことだったので、自分でもビックリしている。
だが、
「ひょっとすると、自分で気付いていないだけで、本当は、もっと前からこういう状況を自分にはあったのではないか」
と思うようになっていた。
そんな高校時代をどのように過ごしてきたか、記憶の中に悪しき記憶として封印されていたとしても、それは無理もないことだったのかも知れない。
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