第12話
終わりはあっけないものだった。
「ごめん。早く言おうとは思ってたんだけど、俺、好きな人ができてさ。……だから、別れてほしい」
昼休みになり、昼練に向かおうとするヒロを追いかけて昼食に誘うと彼はそう言った。
よりを戻すために愛がつくったお弁当は、皮肉にも彼が別れを切り出すための後押しになった。
ひと気のない階段の踊り場で向き合う男女は、傍から見たらまだカップルに見えるのだろうか。彼の視線が気まずそうに地を這い、後頭部をせわしなく掻いている。後ろめたいことがあるときによく見せた彼のクセだった。
右手にぶら下がったお弁当のバッグが視界に映り込む。熱が登ってこないように息を止め、お腹に力を入れた。幕を下ろすみたいに、瞼をゆっくりと閉じる。
それを再び上げると同時に、愛は顎をぐっと持ち上げた。彼をまっすぐに見据え、ニヤリと目を細める。
「マネージャーでしょ。バレバレだからね」
予想外の反応だったのだろう。なんで知ってるの! と、ただでさえ大きなヒロの目が更に大きくなった。その瞳はまたすぐに伏せられ、うん、とぎこちなく頬を掻く。
「いいんじゃない? お似合いだと思うし。だいたい付き合うなんてしょせんただの口約束なんだから、好きな人ができたらすぐそっちに行ったほうがいいよ。無駄な時間を過ごすより」
「ほんと!?」
ほんとなわけあるか! そう叫びそうになったが脳内で留めておく。だけど、あまりに素直すぎる反応に愛は吹き出してしまった。この瞬間、二人を繋いでいたものが切れたことが愛にはわかった。
陰っていた彼の黒目に、開放的な光がキラキラと増えていく。おもちゃのコーナーで駄々をこねていた男の子が、お母さんから「じゃあ一個だけよ」と言われたときのような、華やいだ笑顔だった。
別れ話をしているのに、彼はこんなにも明るい表情を浮かべている。それは自分が一方的に愛を好きだっただけだと、そう彼が思っているからなのだろう。
だから必要以上に彼はこの別れに負い目を感じたりなんかしない。愛はそれを理解しているから、彼の態度に怒ったりはしない。このカップルはヒロの好意によって生まれたものだ。初めからヒロの気持ちが切れたら終わりの関係だった。
しかし、なぜだろう。どうしようもないほどに胸が張り裂けそうになっている。
ヒロと話してわかったことがある。
たぶんヒロは一線を超えていないし、手もまだ繋いですらいない。あんなに好きアピールを晒してたくせに、おそらく愛のことが脳裏にあって控えていたのだろう。
コイツは自分の欲に素直すぎるくせに、いつも変なところで忠実だった。癖っ毛もあいまって、大型犬に似ていると思ったことがある。
どうせ誰も見ていないのだから、やることやればいいのにと思う。だが、彼のこの不完全な律儀さを愛は微笑ましく感じていた。
もうこれからは、それが自分に向けられることはないのだけれど。
地面をひっかくように、内履きで覆われた足の指に勝手に力が入る。対して、愛は意識して表情を緩めた。それぞれのパーツが、自分をもっともよく見せる角度にゆるりと上がっていく。
フラれようがなにしようが、華の女子高生なのだ。人当たりのよい笑顔をつくる技術は、数え切れないほどの自撮りで鍛えられていた。最後くらい、いい彼女で終わりたい。
「じゃ、お幸せに。新しい彼女のためにも大会がんばってね」
「まだ彼女じゃないって。でもありがとう、がんばるわ。あの――、愛もお幸せに」
「それはまじで余計なおせわ」
クスリと二人の笑い声が重なる。耳が捉えた彼の声にあったのは友情だけで、当たり前にあった愛情はもうなくなったあとだった。
階段を降りていく元カレの足取りは軽く、それを横目にバッグに力を込める。痕ができるほどの強さで爪を手のひらに食い込ませ、愛は来た階段を上がっていった。
教室に戻ると、愛の仲間たちからの注目が一斉に集まった。早すぎる帰宅に、そのままのお弁当。愛にまとう空気が、先ほどの結果をすべて物語っていた。
サヤカが小走りで目の前に駆け寄ってくる。
「あ、あんな男こっちから願い下げだよね。大丈夫。愛ならまたすぐにいい人が見つかるよ」
幼さが残る人懐っこい笑みを見せるサヤカに、愛の身体は思わず身構えた。やはり彼女たちはフラれた自分を馬鹿にしているのだろうか。
恐れていた妄想に頬を強張らせていると、視界のまんなかで彼女の大きな双眸がぐらりと揺れたのが見えた。あふれんばかりの水分を含んだその眼差しに、愛の心臓がぎくりと跳ねる。
なぜ彼女は泣いているのだろう。
こんな表情を向けられるなんて、微塵も思っていなかった。周囲に目を向けると、他の友人もどこか愛を気遣っているようだった。いくら目を凝らしても、そこには嘲笑の色が一切存在していなかった。
ただの寄せ集めのグループの友人に、こんな顔を見せるのだろうか。信頼できないのは若さや性別のせいだと決めつけていた。男にフラれた惨めな自分は、優越感の餌にされると思っていた。だが、実際はどうだろう。自分のことのように悲しむ彼女たちを前に、胸の奥からひしゃげた音が響いた。
信頼できなかった原因はほかにあるのでは? 愛は最低な勘違いをしていたのかもしれない。
上目遣いで見つめるサヤカの目尻を親指で払い、平常心を装って愛はつぶやく。
「ねえ、サヤカ。私、まだなにも言ってないけど」
「あ、ごめん。そうだったよね」
「冗談。でもまあ、お察しのとおりフラれちゃった。ほんと時間の無駄だった。次はもっといい人見つけるよ」
「愛、大丈夫?」
「うん、平気平気。心配してくれてありがと。でも、ちょっと一人になりたいかな。アイツへのイライラが絶賛膨らみ中で、みんなに八つ当たりしちゃうかも」
肩をすくめ、芝居じみたようにイーッと歯を見せる。我ながら下手くそな嘘だったが、サヤカは笑顔でうなずいてくれた。いままで見ようとしてこなかったやさしさが、愛の瞳へと注がれていく。
愛はお弁当のバッグを持ち直すと、その目から逃げるように教室をあとにした。
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