第10話①

「ちょっと休憩してからにしよっか。一緒におやつ食べよ」


 夕子の家に着くと、彼女はいつもの食卓ではなく自分の部屋へと愛を招いた。大変なことがあったしゆっくりできる部屋のほうがいいかな、という彼女なりの配慮らしい。

 中央に置かれたテーブル脇のクッションに愛を座らせ、夕子は買ってきた食材を冷蔵庫に入れるために台所へと向かった。


 もう何回も遊びに来ているというのに、夕子の部屋に入るのは初めてだった。生活感にあふれていて、どこか懐かしいような雰囲気を感じる。夕子の新しい一面が見れたみたいで、彼女がいないことをいいことに愛は物色するように見渡した。

 部屋は夕子が言っていたとおり姉弟で使っているようだった。部屋の中心を境に二人の生活圏がくっきりと分けられ、それぞれの机が鏡で映したように壁を向いている。共有している二段ベッドと愛のいるテーブルは、二人の境界線上に置いてあった。

 小学生のころ、一人っ子の愛にとって二段ベッドは憧れのものだった。高いところで眠るのは空に浮かんでいるみたいでワクワクするだろうし、上からのぞき込みながら話すのも楽しそうだと思った。だけど、実際に使っている友達から、上は熱がこもって暑いし朝は寝ぼけて何度も階段から落ちたと、夢のない真実を告げられたのを覚えている。


 夕子もやっぱり不便だと思ってるのかなと眺めていると、下の段にたくさんのぬいぐるみがいるのが見えた。食卓で見たシールと同じ、おそらく仮面ライダーのものだ。弟さんは中学生って言ってたけど、やっぱり男の子はいつまでも好きなものは変わらないんだな。微笑ましげに見ていると、ふと視界から妙な違和感を拾い上げた。

 ぬいぐるみの並べ方が、なんだか女の子みたい。

 愛は改めて部屋全体をぐるりと確認する。至るところに飾ってある仮面ライダーのポスターやグッズは、そのすべてが夕子の領域に存在していた。ポーズをとったフィギュアがある机に、愛が使ってるのと同じ教科書が立てられている。

 知らなかった。二ヶ月近く一緒にいたのに、夕子は愛にそんな素振りを一切見せなかった。別に教えてほしかったわけじゃない。でも、愛の胸はざわざわと微かに騒がしくなった。


 ドアが開き、夕子が入ってくる。お盆の上にはクッキーと紅茶が乗っていて、いただきますと愛は一枚噛じった。何気なさを装って、愛は掛けられたポスターに指を差す。


「夕子、仮面ライダー好きなの?」


「あ、……うん」


 夕子の反応が僅かに遅れた。秘密がバレたときみたいなぎこちなさで、コクンとうなずく。弧を描いた口角には恥ずかしさのほかに、どこか後ろめたさがあるように見えた。

 隠していたかったんだろうか。だとしたらなんで部屋に入れたんだろうと鼻をすすった拍子に、私のせいかと愛は気づいた。真っ赤に腫れた瞼を、愛は指でそっとなでる。


「最初は弟が見ててね、それを一緒に見てたらいつの間にか私のほうがハマっちゃってたの。弟はとっくに飽きて、いまではもう私しか見てない。料理をやるようになったきっかけも、実は仮面ライダーなんだ。主人公が料理上手で格好よくてね」


 えへへ、と笑みをこぼしながら夕子は自身の頬をかいた。

 その影響が巡り巡って愛のもとへと来たのか。へぇー、と意外なルーツに愛は相づちを打つ。


「てっきりこういうのって男の子が見るものだと思ってたけど、女の子も見たりするんだね」


「めずらしいほうだけどね」


「いやー、知らなかったなー。でも、夕子はいつも一緒にいる友達にはその話をしてるんでしょ?」


 持ってきたクッキーを夕子はなかなか食べようとしなかった。自分だけ食べてるのも申し訳なくなり、自ずと愛の手も止まる。食卓のテーブルと比べてここのテーブルは小さいため、いつもより夕子との距離が近い。それを愛はうれしく思ったが、夕子の目線は下に行くことが多くて重なりそうになかった。

 夕子が持ち上げたカップのなかで、赤茶色の液体がたぷんと揺れた。いや、と緩慢な動きで夕子は首を振る。


「したことない。仮面ライダーが好きって、いまの友達には言ったことないから」


「えっ、そうなの。いや、だって、よく楽しそうに話してるのが見えたからさ、みんなで仮面ライダーの話してるのかなって」」


 最初は小さな嫉妬だった。夕子の趣味を愛は今日初めて知ったのに、あのグループの子たちは前から知っていたの? なんで私には教えてくれなかったの? そんなめんどくさいことを言って、夕子をちょっと困らせるつもりだった。実際彼女たちがそれらを知っていたとしてもしょうがないし、当然だと思う。彼女らは愛に比べて一緒にいた時間も長い。グループになってるのも、おそらく趣味が近いからだ。

 だけど、夕子の答えは愛の想像とは違うものだった。

 したことない。つまり愛が初めて知った。

 それは愛が密かにいちばん期待していた答えではあったが、そこに嬉しさはなく拍子抜けしたような気持ちになった。夕子の台詞に、愛の口は間抜けに開いたままでいる。好きなものは共有したほうが楽しい。そう思う愛にとって、それはなかなか飲み込むことのできない言葉だった。


「学校ではアニメとか声優さんの話をしてることが多いかな。みんなそっちが好きだから。私はみんなほど詳しくないけど」


「夕子から仮面ライダーの話をしないの? 好きなんでしょ?」


「しないよ」


「どうして?」


「する必要がないからかな」


 一切のためらいなく夕子は答えた。

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