第7話 欺瞞の正体

 さすがに酔いつぶれる寸前まで来ていた坂口刑事であったが、自分の閃きに感動したのか、頭が冴えてきた気がした。たださすがに体力的にはまだ指が痺れていたりと、自分の思うようにならないことを自覚していたので、その日は家に帰ってまずはゆっくりと寝ることにした。

 そういえば、久しぶりのゆっくりした時間である。本当なら飲まずに帰ればよかったのだが、思わぬ発見ができたと思うと、、

「世の中何が幸いするか分からんあ」

 と感じた。

 確かに、坂口刑事の感じた通り、最初の薬の摂取がいつでもよかったのだとすると、一番今恐怖を感じているのは、最初の薬を作った人だろう。その人は、もう一つの薬を作った人間でないことは明白なので、そんな薬が存在するなど思ってもいなかった。それなのに、致死量にも達していないはずの薬で死んでしまうなんて想像もできなかった。本当は短い時間で再度摂取することを実験してみて、これがうまくいけば、被害者を徐々においつめることができると思っていただけで、本当の殺意はその時になって生まれるかどうかということで、まだ殺意などこの世に存在すらしていなかったことだ。

 当然、何がどうなって社長が死んでしまったのか。事実関係だけを積み重ねると、殺したのは自分ということになる。死ぬはずのない薬で死んだという恐怖も手伝って、自分が追い詰められることになる。そんな恐ろしい状態に自分がその身を置かなければならない運命を呪ったことだろう。

 もちろん、二つ目の薬を用意した人間もビックリしたことだろう。どうして社長が死んでしまったのか、不思議でしょうがないはずだ。

 坂口は、翌日、もう一度、如月祥子を訪ねた。彼女を訪ねて何かあるというわけではないが、何か聞き忘れていることがあるかも知れないという思いと、もう一度会おうと思たのは、各務原と話をした上で、さらに何か気付かなかったことに気付くかも知れないという、一緒に、

「一縷の望」

 に過ぎなかった。

 彼女もさすがに昼間の仕事がなくなったので、アポイントも取りやすかった。

「すみません、もう一度お話を伺いたいのですが、お邪魔しても構いませんか?」

 と電話を入れると、

「ええ、大丈夫ですよ」

 と軽やかな返事が返ってきた。

 警察がもう一度事情を聴きたいというと、普通なら、

――疑われているのではないか――

 と思い、委縮するのだろうが、今までの捜査が進んでいなかったのだとすれば。自分も容疑者の一人であることに違いはないのだから、二度目の事情聴取も分からないでもない。   しかも、本当に疑わしいのであれば、出頭を求めるか、直接やってきて、家宅捜索令状を見せて家を家探ししたりするものではないだろうか。あるいは、

「署までご同行を」

 などと、重要参考人にされてしまうのがオチである。

 それがないということは、警察も捜査が停滞しているということか、それとも容疑者を絞り込めていないということだろう。それなら、今のうちにこちらの容疑が晴れるような事実がなかったかを思い出す方がいい。それも一人で考えているより、むしろ刑事さんがしてくれた室温で、ふっと思いつくこともあるだろう。それくらい尋問される方としても、刑事を利用したとしてもバチは当たらないと如月祥子は思った。彼女は実に聡明な女性である。

 そろそろ刑事が来るだろうと思って待ち構えていると、果たして呼び鈴が鳴った。約束の時間とほぼ狂いはなく、誤差の範囲も踏襲していた。

「いらっしゃい。お待ちしていましたわ」

 と、まるで恋人でも来たかのような雰囲気に少し驚いた坂口だったが、

「忙しい仲をお伺いして申し訳ありません」

 と言って頭を下げると、

「いいえ、どうぞ中にお入りください」

 と言って招き入れてくれた。

 明らかに最初の時の緊張感は消えていた。本当に自分が彼女の恋人で、部屋に遊びにきたかのような錯覚を覚えるほどだった。

 すでに紅茶が用意されていて、いい匂いが部屋の中に充満していた。いかにも英国風をイメージさせる雰囲気にすっかり温まっている部屋で、すでに自分がリラックスしてくるのを感じた。

「アールグレイを入れてみました。最近私紅茶に凝ってるんですよ」

 と言って、こちらにも勧めてくれる。

「刑事さんは甘いのお好きかしら?」

 と言って、砂糖とその横にハチミツのようなものが置かれていた。

「これは?」

 と坂口刑事が指差すと、

「これはうちの田舎から送ってきてくれたハチミツなんです。私は健康に気を遣っていることもあって、実家から時々送ってきてくれるものをこうやって使うんですが、こちらを使用されるといいと思いますよ。甘いですが、佐藤よりも健康にはとてもいいですからね」

 と言って、勧めてくれる。

「では、お言葉に甘えて」

 と言って、スプーンですくって、紅茶に垂らした。

「いや、なかなかおいしいですよね。ご実家では養蜂場もされているんですか?」

「ええ、ミツバチを飼っています。ハチと言っても、ちゃんとしていれば刺したりしないですし、優しいものですよ」

「そうなんでしょうね。それにミツバチだったら、そんなに毒も強くなさそうだし」

 というと、ふと彼女が思い出したように、

「そういえば、東雲社長は、家の方でハチを飼われているというような話を聞いたことがあります。以前社長にもここで同じように紅茶をお出ししてハチミツをお勧めした時なんですが、自分もハチを飼っていて。それもミツバチではなく、スズメバチだというんですよ。どうしてそんな物騒なものを飼っているのかって聞いたんだけど、はぐらかされちゃった。きっとウソだったんでしょうね」

 と言って彼女は笑った。

「うん、そうだろうね。素人がスズメバチを飼うなんてなんか考えにくいし、どうしてそんなウソを言ったんだろう? 社長はウソをつくことが好きなんですか?」

「人を驚かせることは好きだって言っていたわ。でも、スズメバチを飼っているなんていうウソにはそんなに驚くことはないですよね。驚くというよりも、ゾッとして気持ち悪いくらいですよね。それを聞いただけで引いてしまう気がする」

 と、如月祥子は言った。

「なるほど、人を驚かせるにしても、少し趣味が悪いですね。社長はそういう悪い癖のようなものがあったのかな?」

「ええ、あったと思うわ。だから会社でもあまり社長と話が合う人はいなかったみたい。社長というと、上の人だから話しにくいという人なんでしょうが、あの社長は社長の方から近づいてこようとしても、社員が逃げるというタイプの人だったようですね」

 というではないか。

 この話を聞いて坂口は、

「おや?」

 と思った。

 こんな不細工な雰囲気の人が、果たして詐欺なんかできるだろうか。人を欺くための仮の姿だというのであれば分からなくもないが、今まで聞いてきた社長のイメージで、人を欺くことができるような感じはなかった。そんな人が自分から人によっていくはずなどかいからである。

「そういえば、刑事さんはアナフィラキシーショックってご存じ?」

 と聞かれて。

「聞いたことはあるけど、どんなものなんだっけ?」

 と、本当は知っていたが、このことをなぜ今、

「そういえば」

 と言いながら切り出してきたのか。それを知りたい気がしたので、知らないふりをしてみたのだ。

「アナフィラキシーショックというのは、一種のアレルギーなのよ」

「アレルギー?」

「ええ、アレルギーには、動物によるもの、植物によるもの。食べ物によるもの、中には金属やゴムに対してのアレルギーもあるのよ。牛乳だったり、ピーナッツなどの木の実だったりは有名で、植物であれば、春と秋にある花粉症なんかもそうよね」

「はい、それは分かります」

「さっき話題に上ったハチの毒というのも、実はアナフラキシーショックを引き起こす現認になるのよ」

「ハチの毒が?」

「ええ、よくハチに二度差されたら死ぬという話を聞いたことがありませんか?」

「ええ、よく言いますね」

「それはね、ハチの毒牙人を殺すわけじゃないの。例えばスズメバチに刺されたとするでしょう? それだけでは人は普通は死なないのよ。そして一度刺された人がもう一度刺されると死ぬことになるの」

「二度目の方が毒牙回りやすいということかな?」

「そうじゃないの。ハチに刺されると毒が身体の中に入るでしょう? すると身体が反応して、その毒に対して免疫力を作るために抗体ができるのね。で、二度目に刺されると、ハチの毒とその抗体とがアレルギー反応を起こすの。それがアナフィラキシーショックというのよ。だから、ハチに刺されてその毒が回って人が死ぬわけじゃないの。人が死ぬのは、アレルギーでのショック死なのよ」

「なるほど、それでアナフラキシーショックというんだね?」

「ええ、単純に毒で死ぬわけではなく。一度刺されると抗体ができる。その抗体が今度は二度目に刺された時にショック状態を引き起こす。そうやって段階を踏むことで、人はハチに刺されて死んだことになるんですよ」

 と、いう彼女の熱弁を聴いていたが。またしても、坂口の中に違和感のようなものが走った。

「おや?」

 と感じたのだがその思いがどこから来ているのかすぐには分からなかった。

 いつもであれば、すぐにでも閃くはずだと思うのに。今日は少し時間が掛かりそうだ。きっとそれだけ頭の中で理論を組み立てているに違いない。

 実は目の前でアナフィラキシーショックの話を始めた当も本人である如月祥子も何か考えながらというか、自分の言葉を一言一言確かめているかのように話しているのを感じていた。

――どういうことなんだ。ここだけ時間が止まりかけているように思うのに、時間が止まるどころか、少しでも普段と同じように感じさせるのは、何かそこにあるからなのだろうか――

 と坂口は考えていた。

 そもそも、アナフィラキシーショックの話を始めたのは、

「そういえば」

 といいながらなので、最初から会話の計画に入っていたわけではない。

 坂口は、他の刑事たちと違って事情聴取にわざわざ赴く時、最初にアポイントを取る。警察なのだから、ドラマなどのように、いきなり突撃して警察手帳をちらつかせてもいいはずだ。

 しかし、坂口はそんなことはしない。別に不意打ちを嫌っているというわけではなく、彼なりの考えがあるからだった。

「アポイントを取っていけば、相手も考える時間があるだろうから、理路整然とした話が聴ける」

 というのが彼の考えだった。

 しかし、他の刑事はというと、

「アポイントを取らなければ、相手はパニクってしまって、予期せぬことをポロッと蒸らすかも知れない」

 という考えがあるわけではない。

 ただ、漠然と相手に余裕を与えないようにという思いはあるかも知れないが、それは相手が重要参考人の時はいいかも知れないが、ただの聞き取り程度であれば、それは却って逆効果だ。普通の聞き取りであれば、すべてにおいて真実でなければ事件の真相を得ることはできない。

 犯罪捜査において、目的は大きく分けて目的は二つである。

 一つは言わずと知れた、

「真犯人を探すこと」

 であり、もう一つは、

「事件の真相をしること」

 である。

 この二つは関連性があり似ていることであるが、あくまでも事件の真相の中に真犯人というものがある。真相を知らずして真犯人もないのだが、事件の全貌を知りためには、真犯人の告白が必要不可欠なものだったりする。

 つまり、真犯人が分かっても、刑事にとっても事件はまだ終わりではない。前述のように、真犯人を犯人として起訴するには、事件の真相を裏付けるための証拠が必要で、その時に事件性の有無も当然考えられる。ここでいう事件性というのは、

「起訴して公判を維持できるかどうか」

 というのが大きなカギになってくる。

 そのためには、犯人が見つかる前の関係者に対しての事情聴取も重要である。決して真実以外が法廷で語られてはいけないのだ。

 一度冤罪事件を起こし、刑事としての尊厳もプライドもすべて失った坂口だからこそ、考えられる発想であった。

 そんな風に考えてみると、坂口もこのアナフィラキシーショックという言葉で、自分にも何か思い当たることがあるのに気付いていた。それが目の前にいる如月祥子が言った、

「そういえば」

 という言葉に続く感情と同じものなのか分からないが、坂口にとっても、アナフィラキシーショックという言葉を思い出した時、

「そういえば」

 という感覚があったのかも知れない。

 発想が少し突飛な感じがすることを、この言葉で例えてしまったのか、静かに坂口は考えていた。

――そうだ、アナフィラキシーショックというのは、この事件の中でも似たようなものがあるではないか。被害者が二度注射をして、一度目では死ななかったが、二度目で死ぬことになった。一度刺されても死なないけど、二度目に刺されるとショックを起こして死んでしまう。その死因は決してハチの毒によるものではなく、人間の中でできた抗体によるものだったはず。何と皮肉なことだろうか。この事件においても、二度目の死というものは薬物によるものというよりもショック死だったのかも知れない。それは解剖しても分からないもので、そもそもこんな形の殺害方法など今までに例もないだろうから、過去の事例も存在しないと言ってもいいだろう。だから鑑識や監察医が分からなかったとしてもしょうがない。となると、やはり犯人として裏で色を引いている人物がいる。その人物は事件に直接自分の手を下しているわけではないので、事件として真犯人を探そうとすると堂々巡りを繰り返してしまう可能性があるんじゃないかな?

 と考えた。

 そうなると、実行犯とは違う黒悪である主犯を責めるには、正攻法ではなく、もっと単純に、

「被害者が死んで得をする人間、あるいは被害者に恨みを持っている人間。そして、実行犯を操ることのできる立場にいる人間――

 を探すことであろう。

 最後の実行犯を操ることができるかどうかは、すでに事件が遂行され、実行犯も主犯も自分たちの「守り」に入ったのだから、そのボロを出すというのは、そう簡単なことではない。

 つまりは、犯人において自分と実行犯との関係が立証されなければ、真犯人は絶対に安全なのだ。

 しかし、犯罪においてリスクを伴うものの中に、

「共犯者を作ること」

 というのがある。

 それは共犯者がおじけづいたりして、警察に自首するなどと、計画にない行動をするようになると、実に困ったことになる。

 共犯を伴う場合は、まず最初から最後までの犯罪計画を練りに練って、推敲に推敲を重ねて完璧なものにして。さらに、それを完璧にやり遂げる必要がある。少しでも綻びが生じれば、そこから導き出される結果は、最初の計画をまったく逸脱したものとなるに違いない。

 そんなことになってしまうと、先が思いやられ、犯人同士、まったく違った方向をみてしまうことで、相手の心変わりを見逃してしまうだろう。

 犯罪を犯してしまった後であれば、もうそこは完全に受け身状態である。自分からの攻撃はタブーであり、いかに事実を隠蔽するかということに掛かってしまう。

 犯人にその意識があるだろうか。あったとしても、この心境の変化に果たしてついていけるだろうか。それを思うと、自分の考えが完璧でなければいけないことを示している。

 完璧であるものというのは、融通が利かなかったりする。そうなると、犯人が二人とも明後日の方向を見ていたりすると、その先は想像するだけでもおぞましい。自己防衛のために最初の計画は完全に瓦解し、人間の本能のままに突き進むようになれば、これは警察の思うつぼに嵌ってしまう。

 それにしても、アナフィラキシーショックを使った殺害事件というのは、あまりにも突飛な発想だが、如月祥子の部屋で見たハチミツからここまでの発想ができたのは、如月祥子の、

「そういえば」

 という言葉からであった。

 如月祥子が実行犯の片棒を担いでいるとすれば、真犯人にとって、予期せぬ綻びが、今生まれた瞬間なのかも知れない。

 ただ、その綻びが事件を一変させてくれるとは、さすがの坂口刑事も思っていなかっただろう。

 アナフィラキシーショックというのは、アレルギー。しかも毒には致死量が入っていなかった。

 しかも使用したのは麻薬である。社長が麻薬を摂取している人はそんなにたくさんはいないだろう。

 いくら被害者がなくなってしまったからと言って、その入手ルートはなかなか分かるものではない。下手をすると、社長への入手ルートというものは、社長が死んだことで、決して表には出ないように、影も形もなくなってしまっているかも知れない。麻薬の入手ルートに関しては、捜査としては絶望的ではないかと思うのだった。

 麻薬というのは、そのもの自体が、

「人をショック状態に貶めて、感覚をマヒさせることで、快楽を与えられ、次第に身体の奥からその人を蝕んでいくのだ。

 一時期、団地の奥さんが嵌っているという社会問題があったという話を聞いたことがあったが、急速に庶民に広がった時期があったはずだ。その分、入手がそれほど困難ではない軽めの麻薬によって、

「広く浅く」

 麻薬というものが蔓延した時期があったことだろう。

 今回の麻薬もそんな安価なものだろうか。社長とのあろうひとがまわりに黙ってやっているのだから、それなりの麻薬であることに違いはないだろう。

 となると、他の人が用意した麻薬? そもそも誰にも知られずにやっていたはずなので、麻薬の種類など分かるはずもないだろう。それなのに、鑑識に怪しまれないほどのものを用意できたのだから、真犯人は本当に社長に近くなければいけない。

 社長の女であれば、社長の裸を見るわけだから、注射の痕でもあれば、それが薬をやっていると分かるだろう。麻薬注射というのは、いつも同じところに針を打つと。当然のことながら、内出血のような黒い斑点ができているはずだからである。

 容疑者となっていた川崎晶子や如月祥子には、社長と関係があったような気はしない。二人が容疑者になったのは、社長に恨みを感じているタイプの二人なので、身体を重ねるようなことはしないと思う。確かに恨みが強く殺意を抱くほどの相手であれば、自分の身体を許すくらいのことはあってもいいのかも知れないが、少なくとも二人にそこまでの殺意があったとは思えない。しかも、川崎晶子のように彼氏に自殺された女が、好きでもない相手に身体を許すとは思えないのだ。あくまでも坂口刑事の建艦というだけなので、個人的な意見でしかないが、二人を主犯から外すとなると、社長とはそこまでの関係だったということはない気がする。社長の方が女にだらしないというわけでもなさそうなので、そうなってくると、社長とこの女たちとの関係は、さほどのものではないのかも知れない。

 ただ気になるのは、二人が社長に薬を渡した二人に思えてならないのはなぜだろう。ひょっとすると、麻薬は社長相手に使おうと思っていたわけではないのではないか。その相手がそのたくらみを知り、逆に社長相手に利用したと思うのは、それも突飛な発想なのかも知れない。

 そんなことを考えていると、如月祥子が何かを思い出したようだ、

「今、またふと思い出したことがあったんだけど」

 と口火を切った。

 どうやら、この女性は話をしているうちにいろいろ考えていくと、思い出すというよりも思い出すことが事件に関係しているということを理解したうえで、話をしてくれているようだ。

「どういうお話なのかな?」

 と坂口刑事が聞くと、

「実は、東雲社長という人は、おかしな性癖をお持ちだというのを、誰だったかから伝え聞いた気がするんです」

「おかしな性癖というと?」

「SMのような性癖があって、社長はMのようなんですが、叩かれたり少々であれば傷つけられることもいとhないという話でした。どこまで本当なのか分からないんですが、あくまでもウワサです」

 という話だった。

「それは、本当なのかな? 社長の死体には、傷つけられた痕はなかったような感じなんだけど」

「じゃあ、相手のパートナーがうまくて、傷が残らないようにしていたのかも知れないですね。何とも言えないんですけど」

 それを聞いて、坂口は、

「なるほど」

 と感じた。

 性癖があるのであれば、麻薬を使うというのも分からなくもない。セックスに関しては淡白だという話をウワサでは聴いていたが、そういうSMの趣味があるのであれば、麻薬を使ってまでのプレイに意味があるというのも分かる気がする。

「今ここで、性癖の話を持ち出したのは、調べればそのうち分かることだろうから、今のうちに性癖の話を自分から出すことで、相手にパートナーを自分ではないと思わせる含みがあったのだろうか。もしそうであれば、彼女が思い出したように話したのも納得がいく。いずれはどこかで話そうと思っていた最初からの計画を、いかにも今思いついたかのようにいうと考えれば、彼女の話のすべてを鵜呑みにすることは危険だと言えるのではないだろうか。

 どうも海千山千というか、百戦錬磨とでもいえばいいのか、この女と話をしていると、どこまでが本当なのかは分からない。しかし、こちらに必要な話はしてくれるようだ。小出しではあるが、それはあくまでも自己防衛。ひょっとすると、彼女は自分の話を繋いでいくと、最終的には主犯に繋がると思っているのかも知れない。

 直接的に話をしないのは、主犯に対しての敬意からなのか、彼女の中で裏切りという理屈を超えた何かが芽生えているのかも知れない。

――この女、もしお互いにこういう立場でなければ、いい友達にはなれたのではないだろうか――

 と坂口は感じていた。

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