第6話 炉端と路傍

 坂口が署に戻ってくると、ちょうど鑑識の人がやってきていて、門倉刑事に解剖所見などから、いろいろ説明をしていた。

「すみません、ちょっと珍しいケースでしたので、その確証を得るまでに少し時間が掛かってしまったことをお許しください」

 と鑑識の責任者の人は、そういった。

「どういうことなのでしょう? 元々の解剖所見に何か間違いがあったということでしょうか?」

 と門倉刑事が聞く。

「間違いと言えば間違いなんですが、我々も何かおかしいとは思っていたので、以前にも、その障りくらいはお話させていただいたと思うんです。つまり、被害者が薬を摂取してから、思っているよりも苦しんだ痕があると申しましたが、そこが気になったんです」

 と言って、戻ってきた坂口刑事も一緒に目でおいながら、観察主任は話した。

「確かに、そういうお話があったということで、私も頭の片隅に置いてはおりますが、それが鑑識の方で訂正しなければいけないような重要な話に繋がってくるんですか?」

「ええ、被害者の死因に関しては、以前示しましたように、注射によって生じたショック死でした。麻薬を使っているんですが、致死量を超えた摂取量が見受けられたんですが、実はその中に、致死量には達しない毒も入っていたんです。我々は麻薬にばかり気を取られていたので、麻薬と一緒に入っていた毒に目が行かなかったんです。これはひょっとすると犯人も計算していたかも知れない。麻薬の中に毒を致死量以下の微量であれば、麻薬抽出の際に分からなくなるという特徴を持ったものもあるんです。これを犯人が知っていたとすれば、犯人は麻薬や医学についての知識はかなりあるでしょうね。鑑識をも欺くくらいなので」

「なるほど、それで?」

「それでですね、一回の摂取だけでは被害者が死ぬことはないんです。でも、その毒薬を混入した注射を摂取すると、次までの感覚が非常に短くなる。つまり、摂取してから八時間は次までは持つとしても、その毒を摂取したために、二時間もしないうちにまた苦しくなってきて、禁断症状を起こしそうになる。そこで被害者は、苦しみから逃れたい一心で、また注射をしてしまう……」

「それが、死に繋がったと?」

「ええ、そういうことだと思います。しかも、こちらも疑念を感じて再度入念に調べてみたんですが、被害者が薬を摂取する時は、最初からその量をしっかりと管理して、時間も正確に摂取していたようなんです。きっと薬の怖さも分かっていたのかも知れないですね。それなのに、今回のようなことが起こってしまったということで、彼が薬について詳しく、そして接種に対して注意していたことを考えると、またしても不自然なことに気が付いたんです。それは最初の毒の入った麻薬と、その後に実際にしに至ったクスリの量にしても、少し違っているんです。実際には微妙なものなんですが、被害者のように几帳面な人間からは考えられないほどの誤差が存在していたんです」

「というと?」

 と言いながら、門倉刑事は皆聞かなくても観察主任が何を言いたいのか、分かっているような気がした。

「最後の二つの薬は被害者が調合したものではないということです。もちろん、殺人事件なのですから、死に至った薬を調合したのは犯人だということになるんでしょうが、最後の二回は別の人間の調合になるんです。しかもここが肝心なのですが、最後の一回と、その前とでは調合した人間も違っているということではないかと思うんです」

「なるほど分かりました。被害者が想像以上い苦しんだというのは、どの薬も致死量ギリギリでそのせいもあって、簡単に死にきれず、しかも毒によるショック状態もあるので、苦しみが長く続いたということなのでしょうか?」

「そう言えると思います。そのことはさすがに本人が死んでしまっているので、ハッキリとは立証できませんが、ここ三日間で調べたことを総合すると、そういうことになるのではないかと我々は考えました。今、警察の方でどのような捜査が進んでいるのかはわかりませんが、今我々が調べてきたことで、捜査に進展があったり、逆に捜査の妨げになるかも知れませんが、今の報告を考慮に入れて、今後の捜査を行ってほしいというのが我々の希望になります」

 と、観察主任は結んだ。

「いや、ありがとうございます。ご忠告いただいた通りに、少し考えを改めながら、捜査を続けてまいることにいたします。今日はどうもありがとうございました」

 と言ってm門倉刑事は頭を下げた。

 観察主任も、普段から気心の知れた門倉刑事だったので、それほど怒られることはないと思っていたが、ここまで丁寧にされるとさすがに恐縮してしまったのか、深々と頭を下げて、捜査本部を後にしていった。

「いやか、坂口君、聞いての通りだよ」

 と、門倉刑事も頭を掻いていた。

「するとどういうことになるんでしょうか? 東雲社長に恨みを持っていた人が偶然薬を使って同じタイミングで社長を苦しめようとした。しかし、それは致死量に至っていないので、殺すまでには至っていない。そんなことってあるんでしょうか?」

 と坂口刑事が言うと、

「普通に考えると何とも言えない話だよな。こんな偶然は普通なら考えられない。そうなると、二人の実行犯を裏から操っている人物でもいるということでしょうか? さっきの観察主任のお話を聞く限り、実行犯が二人いて、その後ろに主犯がいるということになるんでしょうか?」

「そういうことになるね」

 と言われたので、坂口刑事は先ほどまで自分が抱いていた疑念を門倉刑事にぶつけてみることにした。

 すると門倉刑事は、

「なるほど、君の意見がそれなりに信憑性はあるような気もするけど、今の観察主任の話を聞くと少し変わってくる気もするね。君の意見からは、川崎晶子と如月祥子の二人は完全に犯人ではないということも考えられたのだけど、ひょっとするとやはり何らかの関係を持っていると思わないわけにはいかないよな。そして、その後ろには黒幕のような存在も見え隠れしているということだ。そうなると、まず洗ってみるのは今までそれぞれを単独で考えていた川崎晶子と、如月祥子がどこかで繋がっているというところからになるのではないかな? そのうちに黒幕もあぶり出せればいいんだけどな」

 と言った。

「私もそう思います。それともう一つ重要な点ですが、被害者の東雲研三が本当に詐欺を行っていて、被害者の中に川崎晶子の彼氏がいたかどうかというのも調べる必要がありますね。まずは最初はそこから捜査が始まっているのですから、根本から調査をし直す必要もあると思います」

「そうだな。間違ったままの捜査をするわけにはいかないからな」

 と言って、門倉刑事は坂口刑事の意見に全面的に賛成だった。

「では、私はまず川崎晶子と如月祥子の関係について捜査してみます」

 と坂口刑事がいうと、

「よし、じゃあ、こっちでは東雲社長の詐欺行為につぃて、捜査してみよう。一緒に川崎晶子の彼氏が自殺した事件というのも並行して調べることにするよ」

 と、門倉刑事が言った。

「よろしくお願いいたします。その後の捜査として、第一発見者である各務原という男も何か胡散臭い気がするんですよ。あいつ、やたらと社長に近い存在じゃないですか。しかも会社内でもベールに包まれた存在なので、何を考えているのか分からないところもある。化けの皮を剥がす必要はあるような気がするんですよ」

「それは言えるかも知れないな。私も各務原という男は、ただの第一発見者なだけではないような気がしているんだ。何しろ、第一発見者を疑うというのも、事件の鉄則でもあるからね」

 と門倉刑事は言って、少し笑った。

「そうですね。普通の殺人事件でもそうなんだから、今回のようにいつ被害者が死ぬか分からない状態だったので、彼は第一発見者としてその立場を犯人から隔絶することもできたんですが、逆に被害者の様子を見に行ったとも言えなくもないですよね。死んでいれば自分が第一発見者、まだ生きていれば、社長のご機嫌を伺いに来たなどと、何とでも言えるでしょうからね」

「そうだね。それともう一つ気になったのは、東雲社長がやっていたクスリの出所なんだ。会社の社長がクスリに簡単に手を出すとはなかなか思えない。それに彼は几帳面な性格だというではないか。そんな社長という職にある彼が、きっと魔が差したか何かなのだろうが、薬に手を出すようになったのはどうしてなのか、そのあたりを調べる必要もあるのではないだろうか」

 と、門倉刑事も言った。

「そうですね。そのあたりは麻薬捜査課にも話を聞いてみないといけないですよね。彼らの方で内偵をしているかも知れないし。ひょっとすると意外な人物の名前が出てくるかも知れない。そう思うと、事件に進展が出てくるとすれば。案外そのあたりからかも知れませんね」

 と、坂口刑事が言った。

「事件というものを最初にいくつか切り離して、それぞれに信憑性を積み重ねていくか、あるいは減算法で、矛盾を消していくかによって精査された内容と、一つに結び付けた時、さらにそこに矛盾があると、改めて矛盾を解決する。そして細部にわたるまで検証してみて問題なければ、それが真実だというのが、捜査なんじゃないかな? ただし、一つ気を付けておかないといけないのは、真実がすべて事実だとは言えないということ、そして逆に事実が真実を網羅しているわけでもないということ。それを踏まえたうえで層をすることが必要なんじゃないかな?」

 と、門倉刑事は言った。

「分かりました。そのことを再度肝に銘じて、捜査するようにします」

 坂口刑事は、門倉刑事の話したことは自分の捜査方針と何ら狂いのないことを分かっていた。

 門倉刑事も、坂口刑事が同じことを考えているのを分かったうえで、敢えて口にした言葉だった。

「重要なことであれば、何度でも念を押すくらいの方がいいんだ。重要なことほどマンネリ化してしまうと、意識が薄れてきて、肝心な時に忘れてしまうことになりかねないからな」

 と、門倉刑事が言っていたのを、坂口も思い出していた。

――やはりこの人は尊敬するに値する立派な刑事さんだ――

 と感じた。

「それでは、明日から今の方針に沿って、捜査に当たります」

 時間的に、もう表も夜のとばりが降りてくる時間だった。

 街中は繁華街などネオンがチカチカしていて、眩しいくらいだ。ただ、昨今は繁華街を練り歩く人はめっきりと減ってきていて、防犯という意味ではいいのかも知れないが、以前の繁華街を見てきた人間には若干の寂しさが残っていた。

――こんな街の中にも、まだ顔を出していない殺意であったり、すでに計画は出来上がっていて、後は実行するだけの犯罪もあるかも知れない。もしやこう思っている瞬間に、誰かが殺されているかも知れない――

 などと思うと、自分が刑事であることの因果を思い知らされた気がした。

 坂口刑事はそんな時、思わず深いため息をつくのだが、溜息をついた後で、ついてしあったことに後悔することもある。

――溜息って、つきたくてつくもんじゃないんだよな――

 というのが、坂口刑事の考えで、疲れた時、虚しい時などにつく溜息を、いまさらながらに思い出していた。

――ひょっとすると、東雲社長の死体を見た時にも溜息をついていたのかも知れない――

 と考えた。

 帰り道を歩いていると、普段とは少し違ったいつもの道ではないところに入ってみたくなった。裏道に入ると、立ち寄ったことのない場所だったはずなのに、どこか懐かしさがあるのは、あまり店などないと思った裏路地だったのに、赤提灯などの懐かしい佇まいを見つけたからだった。

 もちろん、まだ若い坂口刑事なので、昭和の頃を知る由もないはずなのに、居酒屋はまだしも、

「炉端焼き」

 などという文字を見ると懐かしく感じるのはなぜなのだろうか?

 表通りではあまり見なくなった炉端焼きなる文句、そもそもがどういうことなのか知ることもなかった。炉端というくらいなので、飲み屋街以外の普通の道端にあったということなのか、まるで石ころのようなものではないか。

 今でこそ見かけないので、すごく目座らしく感じるが、昔は結構いたるところにあり、庶民が、まるで自分の家に帰ってきたかのような感覚で入れるという意味での炉端だったのかも知れない。

――こういう店は、最初から気にしておかないと、目の前にあっても、誰も意識しないんじゃないかな?

 そう思うと、ふとテレビで見た昭和の裏路地を思い出していた。

 あれはいつ頃になるのか、まだ舗装もされていない道をせわしなく帽子をかぶった背広姿のサラリーマンが歩いている。足早に帰宅する姿は、今のサラリーマンよりもリアルに感じられ、今のサラリーマンの方が、存在感が薄いような気すらしていた。

 歩いている姿は昔の方がせわしなく感じられるのに、堂々として見えるのはなぜだろう。皆同じようないでたちは今も昔も変わりがないのに、昔の人の方が一人一人の個性が際立って感じられる。やはり妄想と想像では違うのだろうか。

 炉端焼き屋もいくつもある。縄のれんに赤提灯。今ではあまり見たことがないのは、店が減ったのもあるが、ある一部の地域にいかないと見られないからなのかも知れない。

 一時期は、

「美観を損なう」

 などの理由で、居酒屋関係が表通りから消えそうになった時期があったが、それを住民の力で阻止したのがこのあたりの地域だった。

 地方によっては、行政の言いなりになり、店を閉めた場所も少なくないだろうが、

「古き良き時代の遺産」

 が消えていくのは、見ていて何とも切ないものがある。

 しかも、そのあたりを行政的に担うのが、自分たち警察ではないか。

 そう思うと、警察というものの存在が、よく分からなく感じられてしまう。

 だが、どうしても気になるのが、炉端焼きという看板の文字だった。学生時代には、お金もないので、時々利用したことがあったが、それが炉端焼きという名前だったタカということすら覚えていない。

――覚えていないくせに、懐かしいと感じるのもおかしなものだ――

 と感じたが、覚えていないdけで、潜在的に意識していることもあると思うと納得できた、

 しかし、そもそも潜在意識というのは、意識していないということなので、そのあたいりに矛盾を感じるが。矛盾するために、言葉の選択が難しいため、苦肉の策として、

「潜在意識」

 という言葉が生まれたのかも知れないとも思えた。

 逆に、意識しているはずなのに、まったく気にしないということだってあったはずだ。それが、

「路傍の石」

 であり、目の前にあるにも関わらず、その存在を意識することはない。

 向こうからは確実に意識していると思っているので、相手は自分が曝け出されたように見えていることが分かっているので、恐怖が募ってくるのは当然のごとくに分かっていることであろう。

 基本的に考えれば、路傍も炉端も同じようなものであろう。(実際の炉端焼きというのは、囲炉裏のそばという意味で、路ではないのだが、道端の道を路として介することもあるようで、実際にこの時の坂口は勘違いをしていた。しかしこの勘違いが後になって事件解決に役立つことになろうとは、まさか本人にも分かっていなかった)

 道に落ちているものを誰がどれだけ意識するか、いや、意識しないものなのか、そのことをこの時裏路地に入ったことで感じることができた。

 坂口は、あまり居酒屋に行くことはなかったが、この日はふらりと一軒も店に入ってみた。

 匂いに誘われたというのが本音だろうが、やはり懐かしさは本当だったようだ。

 中に入ってみると、薬はほとんどいなかった。表から見ていると、ほぼ満席に近いように感じられたが、実は中に入るとほぼ人がいないというのは、イメージとしては悲しく感じる。カウンターに十人以上は座れるはずなのに、奥の方に一組のカップルがいるだけだった。

 店主はカウンターの中で静かに仕込みをしている。客の方も、二人で何かを話しているようなのだが、まったくと言っていいほど声が聞こえない。店内には、まさしく昭和のイメージそのままに、演歌が流れていた。

――今どき演歌なんて――

 そういえば、最近、演歌が流れているような店に入った記憶がなかった。昔だったら演歌が流れるお店はもう少しあったような気がする。

 言っておくが、坂口は演歌が好きなわけではない。むしろ嫌いだった。だが、最近は本当に演歌を聴くことがなくなった。一つはテレビの歌謡番組が昔に比べればかなり減ってきたのが原因であろう。以前なら演歌を流していたのではないかと思うような店が演歌を流さなくなったのか、演歌を流していたかのように思えた店自体を、最近見ることがなくなったからなのか、どちらなのかが曖昧な気がして分からなくなってきているような気がした。

 炉端焼き屋や居酒屋などもそうかも知れない。客層の変化なのか、あまり演歌を聴く気がしなかった。考えてみれば演歌が似合う店ナンバーワンの居酒屋で聴かれなくなったら、それはもう、どこも流していないということになるのかも知れない。

 もう一つ言えば、

「演歌自体が進化して他の音楽のように聞こえるようになったのか、他の音楽と演歌の切れ目が分からなくなってきたことで演歌が減ってきたような気がする」

 という思いがあった。

「木を隠すなら森の中」

 ではないが、演歌を意識しないようになってから、演歌が流れなくなったことに違和感を覚えることはなくなった。

 そこには保護色のような力が働いているのか、それとも嫌いだという意識が無意識に、まるでフェードアウトしていくかのように消えゆく姿が限りなくゼロに近づいているのに気付かせることはないのだろう。

 それは限りなくであっても、実際にはゼロになっていないことが原因なのかも知れない。実際に聴かなくなったとはいえ、ゼロではない。

―ーひょっとすると、世の中にあるものはすべて最後には消えてなくなっているものだと思っているが、限りなくゼロに近づいているだけで、消えてなくなっていないものもたくさんあるのかも知れない――

 と感じることも多かった。

 この店に入って流れてきた演歌を聴いてそう感じたのだ。

 この路地に入って、最初に感じた、

「路傍の石」

 という感情。

 相手がこちらを意識していても、こちらはまったく感じることはないという不思議な現象は、ひょっとすると、まったくなくなってしまったわけではない、限りなくゼロに近いものがそういう意識にさせるのかも知れないと感じた。

 今回の事件も、実際にこのような、

「限りなくゼロには近いが、消えてなくなっているわけではないもの」

 という意識を持つことが事件解決への道になるのではないかと思った。

「僕は何も考えていないように思っている時でも、意外と頭が回転しているものなんだな」

 と感じたが、この感覚が事件を解決に導くための最後のヒントを捻り出す力になっているのではないかと感じていた。

 世の中というもの、時間が経てば忘れてしまうこと、覚えているはずなのに、思い出せないこと。逆に見たことないはずなのに、どこかに懐かしさを感じるというもの。

 懐かしさは錯覚ではない。つまりデジャブではないのだ。年齢や流行った時期を考えて、どう考えても重なるはずのない時期を懐かしく感じるとすれば、それは映像で見たくらいにしか感じられないが、その映像も曖昧なのだ。時代考証をしてみると、明らかな矛盾だらけの光景は、あるとすれば、夢の中で見て違和感がなかったというくらいにしか考えられない。普通の状態なら、明らかに感じるはずの矛盾であっても、夢だという意識を持って夢を見ているからなのか、矛盾を矛盾として考えないのだ。

 坂口刑事は、こんな話をかつて誰かと話したような気がする。それもごく最近ではなかったか。もし話をしたとすれば門倉刑事くらいのものだろうが、そう感じていると、門倉刑事も今同じことを考えているような気がしてしょうがなかった。

 最近、坂口刑事は、ミステリー小説についての話を読んだのも一緒に思い出していた。刑事の自分がミステリー小説と実際の犯罪事件を混同して考えると頭の中が混乱してくるということは百も承知だったのだが、それを承知で読んでみることにしたのは、

「今、言われていることは、昔であれば、タブーとされたことも多く、実際に何が正しいのか、今言われていることが正しいとも限らない」

 という考えがあったからだ。

 例えばスポーツをする時のことなど、そのいい例ではないだろうか。

 一番最初に思いついたこととして、

「水は飲んじゃいけない」

 と以前は言われていた。

 理由とすれば、

「バテるから」

 というのだったが、今では、適度な水分を摂らないといけないと言われる。

 塩分も補給しないといけない。なぜなら一つには生活環境の変化があるだろう。

 一番叙実に表しているのは、気候変化の激しさであろう。昔なら真夏でも三十三度を超えると溜まったものではなかった。だが、今は三十五度くらいは当たり前になっていて、年間を通せば日本のどこかで四十度を超えるところが必ず出てくるくらいである。

「熱中症にならないように、適度に休んで、十分な水分を摂って……」

 と言われるのも当たり前で、クーラーも昔であれば、身体に悪いからと言って、敬遠されていたはずではないか。

 もっといえば、昔にはクーラーもなかったのだ。今だとクーラーのない部屋で三十五度を超えるところにいれば、それこそ熱中症でぶっ倒れてしまうのも当然だ。そうなると、昔のような精神論はもはや通用しない。命の駆け引きに繋がるからだ。

 また、昔の常識が今では違うということが証明されていくのが、歴史認識であった。

 昭和の頃の教科書と、かなりの部分で違ってきているのは、明らかで、それは考古学の進歩が叙実になってきたことで、今までの常識が覆されていくのだ。

 例えば、聖徳太子と呼ばれていた人間。昔のお札になった人物でも、その存在、謂われに疑問があり、今では、厩戸皇子と呼ばれていたり、歴史の認識で、鎌倉幕府の正立年度が、今までの

「いいくにつくろう」

 ではなくなってきた。

 源頼朝が征夷大将軍に任じられた年として定着していたが、幕府の定義と征夷大将軍は同一だと思われていたが、どうもそうではないようだ。幕府という意識から考えると、全国にその勢力が及んだ時という意識から、

「守護、地頭が全国に置かれたその時」

 というのが、今の常識になりつつある。

 また、残っている有名人物の肖像画も、よく見ると時代の時系列的に矛盾があったり、家紋に矛盾があったりして、

「実は別の人物だった」

 などという説が有力になってくる。

 そんな常識が覆ってくる話を聞いていると、

「刑事が探偵小説やミステリーのハウツー本を当てにしても別に構わないではないか」

 と思うようになっていた。

 確かにミステリー小説は、読者をひきつけるために大げさな理論をぶちまけたり、普通ではありえないような犯罪と結び付けたりして、そこにトリックを絡めることで読者を引き付けようとする。

「事実は小説よりも奇なり」

 というが、それは小説を考える人間にも限界があるということであろう。

 また、実際にトリックなどに凝らない方が、意外と謎が深まってしまったりするもので、ミステリーのようにほぼトリックが出尽くした状態では、いかにストーリーの意外性や動機などが奇抜でないといけないという思いに駆られるのが、小説家であろう。殺人を犯す人間にそこまで考える必要はない。犯罪者の目的はあくまでも、犯罪の遂行であり、自分が捕まらないように遂行することが最大のテーマだった。

 目的は、犯罪の遂行、テーマは犯罪の遂行と捕まらないということの両方だということになる。

 捕まらないようにするには、いかに捜査員の目を欺くか、そして相手に自分たちと同じ目線で見せることのないような、トリックとでもいうような罠を仕掛ける必要がある。坂口刑事は、この事件に、どこか投げやりなところもあるが、元締めがいて、その人間が、それぞれの投げやりな部分を巧みに結び付けているように見えた。そこに何らかのトリックが含まれているかも知れないが、それは心理的なトリックではないかと思わせたのだった。

 そんなことを考えていると、結構酔いが回ってきた普段はこんなに酔いつぶれるようなことはないのに、どうしたことだろう。久しぶりに呑んだからだろうか。それとも最近涼しくなったことで、ビールよりも熱燗にしたことで、自分で気付かぬうちに日本酒が結構回ってきたのだろうか、身体の芯から温まるのはいいことであったが、これが翌日の仕事に差し支えては仕方がない。

 ただ、頭が痛いというところまでは行っていない。身体がほんのり熱っぽくて、まるで宙に浮いているかのような心地よさだ。これを感じていた時、

「麻薬って、打ったらこんな気持ちになるのだろうか?」

 と感じ、一瞬身体が固まってしまった気がした。

――何を恐ろしいことを考えているんだ。麻薬と言うと、東雲社長が打っていたという鑑識報告だったが、それが頭にあるから、こんな余計なことを考えてしまったのだろうか――

 と、感じてしまった。

 麻薬が着れると本当に苦しいという。社長もその苦しみから逃れようと二本目を差したのだろうが、一本目は致死量に達していなかったというではないか。それなのに、そんなに苦しむものなのか、確か麻薬誘発のような毒のようなものを摂取していると言っていたが、そんな話は聞いたことがないような気がした。

 しかし、監察医の話なのだから、なまじウソでもあるまい。クスリを打つことでそれまでなかった身体の変調が起きていたのかも知れない。

「そうか、それこそいつであってもよかったんだ。このいつであってもいいというのが、死亡する時だと最初に思ってしまったことで、このことに気付かなかった。社長の身体にまず最初、毒気を回すだけの効果が得られればよかっただけなのかも知れない。そう考えると、二発目の注射は偶然が重なっただけで、毒を摂取する必要などない。つまりは、致死量以下に毒を仕込んだ人にとって、必ずしも殺意があったわけではない。そういう意味で社長が死んで一番驚いているのは、一回目のアンプルと、二回目のアンプルを作った人たちだと思う。なぜかというと、同じ人間であれば、一緒に混入しておく必要はない。一本の注射で様子を見て、その状態で二本目をゆっくりと渡せばいいだけなのだ。殺意があったのだとすれば、一人で行ったことなのだろうが、そこに二つ用意しなければいけない必然性はどこにあるというのか、それを思うと、アンプルを作った人間は別々にいて、それぞれに殺意があったわけではないと言えるだろう」

 と、坂口は考えた。

「アルコールが入っている時の方が、いいアイデアが浮かんだ李するものなのかも知れないな」

 とほくそ笑んだが、明日このことを門倉刑事に進言することで、少し事件の様相が変化してくるのではないかと思えた。

 この事件にターニングポイントがあったとすれば、この発見だったのではないかと後になって思うのではないかと感じた坂口刑事だった。

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