第5話 各務原という男

 捜査本部に帰り、門倉刑事に報告をした。

「川崎晶子と、如月祥子のどちらが事件に深く関わっているのかと言われると、明らかに川崎晶子の方だと思います。だが、川崎晶子はあからさまな動機のようなものがあるのですが、彼女の犯行だとすると、どうも一歩何かが足りないような気がするんです。確かに動機という意味では確固たるものがあるんですが、性格的なものというか、どうも彼女が犯人ではないものを感じるんです。逆に如月祥子の方ですが、彼女は本当にドライな性格のようです。興味のないことはまったく目を向けることのない感じですね。きっと今の自分の境遇や育ってきた環境がそういう彼女を形成したのでしょうが、ただ、静かに燃えるタイプだという感じがしました。動機という意味でもほぼ考えられない気がします。頭がいいからなのか、我々が疑っているという意識はあるのでしょうが、決め手になるような動機や証拠もないので、彼女からすれば、自分は蚊帳の外にいてもいい立場だと思っていると感じます。だけど、私には彼女がこの事件にまったく関係がないという気がしないんです。犯人であるかどうかは別にして、重要なところで何かが関わっているという感じですね」

 と、坂口刑事は、女性二人の事情聴取からそう答えた。

「二人の事情聴取はどうだったんだい?」

「川崎晶子の方は、敢えてあまり質問をしませんでした。彼女は性格的にウソがつけないタイプではないかと思ったんです。だから逆にパニックになったり、自分に身に覚えがあることを突き詰められると、余計な神経が回ってしまって、ウソがつけないくせにごまかそうとする。そういう人を追い詰めると、まったく予想もしていないこと、それは本人にも分かっていないようなことを言い出しかねないような気がしたんです。だから私は、必要以上な質問をしませんでした」

 と、坂口刑事がそういうと、

――そういうことだったのか――

 と部下の刑事は思わずうなずき、納得させられた気がした。

「今度は如月祥子の方ですが、彼女は実に落ち着いていて、最初から計算をしていたような気がします。もちろん、我々がどんな質問をしてくるかなどをシミュレーションして、答えを考えていたはずです。最初から考えていないと答えられないと思うような回答がズバリと返ってきましたからね。それは彼女の性格によるもので、普段から考えていることを口にしたともいえますが、それだけ普段からいろいろ考えている人は抜け目もないものです。だから、如月祥子には、なるべく、話を膨らませるようにしました。唐突な話をしてみたりして、反応を見たのですが、まったく慌てることはありません。こちらの術中に嵌らない方にしているのか、それとも、普段の会話から、自分の土俵で会話をするという癖がついているのか、実に冷静で、最初から最後までそれは変わりませんでした。あのような人にウソがつけるような気はしませんので、別にウソはついていないのではないかと思いました。ただ、一つ、これは考えすぎなのかも知れませんが、『言葉が足りないのは、ウソをついているわけではない』という言葉がありますが、彼女にも同じ思いがあるとすれば、何かを隠しているとしても、それを彼女は悪いことだとは思っていないのだとすれば、それを彼女から聞き出すのは難しいことではないかと思いますね」

 と言った。

 それを聞いた門倉刑事は、

「なるほど、その通りかも知れないな。君は二人とも事件に何らかの関係はあるが、犯人であるという断定にまでは至らないということだな?」

「ええ、犯人だという目で私は見ることは今の段階では見ることはできません」

 というと、

「じゃあ、如月祥子にはパトロンがいるというではないか。その男はどうなんだい?」

 と門倉刑事が聞くと、

「それも質問してみました。でも、うまくはぐらかされたわけではなく、ハッキリと彼は関係がないと言い切っていました。下手にはぐらかされるよりも、言い切られる方が何かあるのではないかと疑いたくもなりますが、彼女に関しては、ウソは言っていないと思うのです。あくまでも私個人の感想でしかないんですけどね」

 と坂口刑事がいうと、

「いやいや、坂口君の目には私も十分に信頼をしているんだ。その君が、今の段階で自分の意見を言ってくれるのは私もありがたい。もちろん、全面的に信用して、捜査に抜かりがあってはいけないとは思うんだが、重要な意見を聞き逃すのは、捜査主任としては失格だからね。それに君のことは捜査課長も信頼しておられるので、君は自分の捜査をしてくれればいい、もちろん、捜査方針に従ったうえでだね」

 と門倉刑事は言った。

 門倉刑事は、坂口刑事に対して、

「自分が刑事になりたての頃になかったものを、すでに兼ね備えているやつだ」

 と思っていた。

 ただ、気になるのは、冷静であるがゆえに、思い込みがあってはいけないということであったが、彼を自由に捜査させている分にはその心配はなかった。逆に彼を捜査本部の殻の中に押し込めてしまうと、反発しようとする意識が生まれるのではないかと思えた門倉刑事は、坂口刑事を余計なしがらみのない方法で生かそうと思っていた。最近捜査主任へと昇進した門倉刑事は、まずは部下の長所を伸ばすことに専念しようと思っていた。一番の信頼が置ける部下として坂口刑事の名を挙げるが、

「やつは、俺が思っているよりも、もっと優秀な人間なのかも知れない」

 と、見れば見るほどに感じてきた。

 そして最終的に彼を生かす方法として、

「彼を閉じ込めないことだ」

 という結論に落ち着いた。

 これは、何度も堂々巡りを繰り返した中で得た結論なので、間違いない、何度も同じことを考えるのだから、その信憑性は高いものだろう。

 坂口刑事も、門倉刑事の期待は分かっている。しかし、それを意識してしまうと、せっかく門倉刑事が自由にやらせようとしてくれているのをプレッシャーにしてしまいかねないと思ったことで、余計なことは考えないようにした。そもそも、坂口刑事にプレッシャーなどという言葉が当て嵌るとも思えない。それは他の誰に聞いても同じ答えが返ってくるレベルではないだろうか。

「門倉さんの背中を見つめていると何か心地いい」

 と感じていたが、先輩として従える数少ない人だと思っていた。

 かといって、先輩をないがしろにしているわけではなく、他の先輩の中にある、今まで培ってきた悪い意味での伝統のようなものに自分も巻き込まれないかという意識があったからだ。彼が自分の意見をしっかり持てるのは、まわりに対してのそういう気持ちがハッキリしていることが大きな要因になっているのかも知れない。

 坂口刑事はそう思いながら、報告していた。

 二人の女の事情聴取は坂口刑事が行ったが、他にも事情を聴く人はいただろう。その最たる例が、死体の第一発見者である各務原ではないだろうか。

「ところで、各務原氏の事情聴取はどうでした?」

 と坂口刑事は聞いた。

「うん、彼への聴取は村上刑事が行ったんだけど、どうも要領を得ないようなんだ」

「どういうことですか?」

「何か、のらりくらりとしていて、その日の行動にしても、社長のことにしても、表に出てきていることはそれなりに答えるんだけど、少しでも裏に入りそうなことに関しては、一貫して、よく分からないと言ったり、逆にこちらの質問をはぐらかせるような言い方をするんだ」

「もし、その境界線のようなものが絶妙なところで使われているのであれば、彼は海千山千ということになるんでしょうね。それだけ大胆であれば、全体的によく分からない男としてのレッテルが貼られて、終始中途半端なところに位置していることになるので、まるで容疑から外れてしまったかのような錯覚に陥る。それが最初からの計算だったとすれば、恐ろしいやつだと思いますが。本当にそこまでのやつなのか、疑問には思いますね」

「坂口君もそう思うかね? 私も最初そういう思いを持ってもいたんだが、つかみどころがないという意味で何とも言えない存在からどうしても脱却できない気がするんだ」

「とにかく、やつに対しても、あまり刺激をしない方がいいかも知れないですね。もし彼が海千山千なら、彼の目論んだとおりに、こっちも載ってやればいい。あまりにも向こうの計算通りにいけば、却って相手も図に乗ってくれるかも知れない。海千山千の連中には我々をバカにしている傾向があると思うので、そこが狙い目かも知れませんね」

 と、坂口刑事が言った。

――本当に部下でありながら、末恐ろしい――

 とまで感じた門倉刑事だったが、とにかく、坂口刑事の言葉はもっともであった。

「今度、じっくり話をしてみてくれないかな?」

 と門倉刑事は言った。

「ええ、分かりました」

「それまでに、少しやつについての予備知識を与えておこうと思うのだが、いいかな?」

 と門倉刑事がいうと、

「ええ、ありがたいです」

 と言って、坂口刑事はメモを取るのに手帳を出した。

「そもそも各務原という男は、それほど学歴があるわけでもないのに、死んだ社長がどこかから引き抜いてきて、参謀のような仕事をさせているようだ。その前出については、謎のようで、誰も知らないという。彼の履歴書も総務には残っておらず、社長が持っているという。ある意味、彼は社長枠という形での入社で、会社のどこにも所属せずに、社長の直属ということになっている。これは。先代の頃から同じような体制だったようで、それを踏襲したという意味では、この会社では特別という意味ではないようだ。先代の方も、息子が自分と同じように優秀な片腕を自分で見つけてきてくれたことに大いに感動して、各務原は先代からも可愛がられているようなんだ。そういう意味でも彼の存在というのは絶対的なものであり、誰もこの二人の関係性について何かを進言することもできず、その分、誰に聞いても謎だという答えしか返ってこなかったんだ」

 というのが、彼に対しての会社での地位で会ったり立場のようだった。

「それでは、プライベートに関しても、各務原がどれだけ社長の中に入り込んでいるかを知っている人は誰もいないということでしょうか?」

「ああ、会社の中ではな。でも、社長が彼を引き抜いたのは事実だし、引き抜くにはそれなりの確証がなければいけないはずだ。しかし、謎に包まれている彼を一体社長がどこで見つけてきたのかということだよな、思い付きで彼を参謀にするはずもないし、裏で糸を引いているやつがいるのかも知れない」

「それは言えるかも知れませんね。でも、社長が各務原から何かの秘密でも握られているということはないんですかね?」

「あるかも知れないが、それだったら、お金だけを要求すればいいだろう。何も会社に入り込んで社長の下で燻っているようなこともない。よほど各務原に会社を裏から自分で動かすということに生きがいを感じていて、どんな手段を使っても、そういう立場になりたいと思っていれば別だが、そこまで考えているとはなかなか思えなくてな。どうにもつかみどころのない人間であることは間違いないようだ」

 と、門倉刑事は言った。

 坂口刑事は黙って聞いていたが、それも一理あると思った。しかし、本当にそれだけのことなのかという疑問があったのも事実だ。この事件を解決するには、どうしてもこの二人の関係性を調べる必要があると思った坂口は、やはり、

――もう一度、各務原に遭ってみないわけにはいかないようだな――

 と感じていた。

 坂口刑事は、各務原と翌日会うということにした。社長の葬儀も終わり、会社が大変な時だけに、あまり時間を取るのも悪いと思ったので、表で話を聞くことにした。会社の応接してでも本当はよかったのだろうが、彼のような会社での立場が微妙な人は会社よりも表がいいと考えたのだ。

 しかもあまり会社の近くでは、誰に見られるかということもあり、表で会う意味がなくなってしまう。そう思うと彼の自宅の近くの方がいいと思い、その話をすると、

「じゃあ、近くに喫茶店がありますので、そこで落ち合いましょう」

 ということになり、葬儀の翌日の昼頃、彼の自宅近くの喫茶店で待ち合わせた。

 その喫茶店というのは、何ともレトロな感じのする佇まいで、まだ昭和の色を残しているような雰囲気だったが、

――夜になると、スナックにでもなるんじゃないか――

 と思うような店だった。

 なるほど、カウンターの奥は食器棚のようになっていて、そこにはお酒の瓶が所せましと並んでいた。

 中に入るとすでに各務原は来ていて、手で誘っていた。彼が座っているのは、窓際に接しているテーブル席だった。

「これはこれは、わざわざ自宅近くまで来ていただいてありがとうございます」

 と、先に各務原の方から言われた。

 事情聴取なのだから、本当は刑事の方からいうのが当たり前なのに、先に言われてしまうと事情聴取という名目が薄れてしまいそうで、

――これもひょっとすると、この男の作戦なんじゃないか――

 と思うと、どれだけ彼の頭の中を探ればいいのか、分からなくなる坂口だった。

「いえいえ、こちらこそお時間を割いていただいてあるがとうございます」

 と坂口がいうと、

「おや、今日は刑事さんお一人ですか?」

 と各務原がいうと、

「ええ、それがどうかしましたか?」

「いえね。テレビドラマなどで見ていると、刑事さんは基本的に二人ペアで行動するものなんじゃないかって思っていたので、ちょっと意外だったんですよ」

「一人の時もありますよ」

 と手短に答えたが、本当は彼の言う通り、刑事の聞き込みは二人が基本だ。

 ただ、決まっているわけではないので、坂口のような相手を見る目の鋭い刑事は、えてして一人で事情聴取をすることもある。相手が一人だと、聴取される方も緊張してしまうということもあるが、一つの一貫した話題に終始できるということもあるので、そういう時は一人が多い。

 ただし、一人で事情聴取できる刑事は決まっている。坂口のような刑事になるのだが、いくら刑事と言えどもここまでのことができる人は、そうたくさんはいないだろう。県警内でも数人いればいい方ではないだろうか。

 昨今の犯罪も多様化しているということもあり、旧態依然たる聞き込みではなかなか解決への糸口をつかぬは難しい。犯罪のプロファイリングというのも以前から試されているが、なかなか科学捜査においついてこないのも無理もないのかも知れない。

 精神的なことは科学で解明できないものも多いので、そのあたりも難しいところではあるが、坂口刑事のような刑事には、昔のような堅物のようなところがないので、科学捜査と精神的な捜査との間に大きな結界が存在していることも分かっているので、微妙な部分に抵触しないように気を付けながら、捜査に望んでいる。

「ところで、各務原さんは、社長がなくなってからはお仕事も大変なんじゃありませんか?」

「いえ、実はそうでもないんですよ。基本的には総務が形式的な手続きや、葬祭などはすべてを取り仕切るので、私の出る幕はありません。何と言っても彼らはプロですから、手配から手続きまで、事務的にこなしていますよ。私の場合はその事務的な部分以外の思考能力を問われるところで社長と接していましたので、会社組織とは別扱いなんです。だからそういう意味では、社長が亡くなった今、私歩運命も風前の灯火のような感じですね。もっとも次期社長になられるかたが、私を再雇用してくれるというのであれば、話は別なんですけどね」

 と言って、各務原が笑った。

「まるで顧問弁護士のような感じですね」

「そうですね。弁護士とは違いますが、一種の顧問に近い形でしょうか。会社にいながら、会社の業務とはまったく切り離したところで私が存在していますからね。ただ私の形式的な経費だったり給料は、総務部を通していただいていますけどね」

 と各務原は説明した。

「なるほど、ちょっと変わっていますね」

「ええ、それがどうも社長のやり方のようで、これは先代の現会長の時からだったようですよ」

「ほう、ということは世襲会社だということですね?」

 と、坂口は知っていながら聞いてみた。

「ええ、うちの会社は現会長が一台で築いた会社で、現在は亡くなった社長が二代目だったわけです」

「ということは、会社の方も大変じゃないですか? 社長が不在の場合はどうなるんですか? 副社長か誰かがいて、とりあえず社長代理か代行という形になるんでしょうか?」

「そのあたりは僕も分からないんですよ」

「ちょっと待ってください。あなたは相談役というか、参謀のような役目ですよね? 普通なら社長代理であってもおかしくないような立場にいるんじゃないんですか?」

「普通ならそうかも知れません。でも私は、あくまでも社長にとっての相談役であり、参謀なんです。それは、会社の中の社長という意味ではなく、東雲社長個人のという意味です。だから東雲社長が亡くなった今、私はもう用済みなんですよ。一種のお払い箱になってもしょうがない。そういう契約だったんです」

 と、各務原は言ってのけた。

「そんな会社が今も存在しているんですね。そもそも世襲会社だったり、同族会社というのは、なかなか続かなかったりしそうなものだという認識しかなかったので、少しビックリです」

「そうですよね。今の企業は、どこかの傘下に入ったり、吸収合併されて、同党の立場のグループ会社を設立でもしないかぎり、業界トップでもない限り、まずは倒産の憂き目にあう。そういう意味ではよく生き残っていられますよね。私は少々呆れているくらいなんですよ。そういう意味で、社長という人間を観察するということでのこの会社での参謀としての立場は実に面白いものだった。そう思わなければ、正直やってられないですよ。個人相手の参謀というのは名ばかりで、社長のある意味、尻ぬぐい的な仕事はですね」

「そんな仕事もしていたんですか?」

「何と言っても一企業の社長ですからね。それだけの何かはありますよ。さっきもあなたが言ったように私は顧問弁護士のような感じなんですよ。さっきはうまいことをいうと思いましたけどね。そう、顧問弁護士って、何でも裏のことをするじゃないですか、例えば社長のドラ息子がどこかで悪さをすると、その尻ぬぐいをしたりですね・この会社にも顧問弁護士は存在しますが、それはあくまでも会社として社長を守るというものなんです。だから、会社あっての社長なんですが、私の場合はまず社長なんです。社長合っての会社なんですよ」

 と言ってのけた。

「じゃあ、極端な話になりますが、社長が助かるのなら、会社を犠牲にしてもいいとでもいう感じですか?」

「そうですね。だから、もしそんなことになれば、私と顧問弁護士は完全な敵になるわけです。似た立場ではあるけど、事情が変わればまったく違う、正反対の立場になるわけです。他の会社では考えられないことでしょう?」

 という各務原に対して、

「ええ、そうですね。なるほど、だから如月祥子さんが事務をしているような風変わりな会社も存在するわけですね。社長直属という意味でいけば、参謀としてのあなたと、会社とはまったく別組織というべき如月祥子さんのような会社も存在する。そもそもこの会社を普通の会社と思ってみてはいけないわけだ」

 と坂口は答えた。

「いいえ、そうではありません」

「というと?」

「この会社は、先ほども申しましたように、社長個人とはある意味無関係なんです。社長は世襲で本体の会社の社長に就任しているというだけで、個人的にはまったく違う人なんです。そのあたりを理解しておかないと、この会社の実質も、社長本人という人もどちらも理解できないでしょう。だから、この会社はそういう意味で、他の会社とは一線を画しているので、他が食指を伸ばさないんです。下手に吸収合併などをすると、共倒れしてしまうのではないかと思うんでしょうね。実際にそういうウワサもあって、どの会社もここを攻撃もしません。だから続けられるのかも知れません。生きるために動物はいろいろな身を守るための持って生まれた特徴を持っていますが、この会社は存在自体がその身を守るために持って生まれた特徴とでもいえばいいのか、お分かりにならないでしょうね」

 と各務原は熱弁する。

――あの冷静な各務原も熱弁したりするんだ――

 と、坂口は感心した。

――それにしても、この会社は、何とおかしな経営方針なのだろう? 会社がおかしいというよりも、先代がおかしいのか、それとも現社長がおかしいのか、それとも、別の意味でそれぞれの社長がそれぞれにおかしいのか――

 と、そんな何とも言えないような気持ちに、坂口はなってくるのを感じた。

 これでは、ウワサにあるように、この会社が詐欺を働いていて、川崎晶子の彼氏を自殺に追いやったという話があっても、おかしくはない気がした。如月祥子が、そのことを知って手伝っているのか、それとも何も知らずに手伝っているだけなのか、そのあたりも難しいところであるが、あの別会社の存在というのも、この会社ではなく、東雲社長本人を対象に考えれば、決しておかしなことではないのだった。

 そう思いと疑問に感じるのは、

「東雲社長と如月祥子とはどういう関係だったのだろう?」

 という思いだった。

 これを今目の前にいる各務原にぶつけてみようかと思ったが、少し戸惑っていた。

 どうも百戦錬磨であるこの男に対して正攻法で質問したとして、果たして本当のことをいうだろうか?

 いや、よしんば、回答を躊躇ってくれれば、そこに何かあるとして別の目で見るということもできるが、自信を持って答えられでもすれば、それが果たして本当なのかウソなのかという疑問が生じる。ウソであればまだしも、本当のことであれば、それがこの男の性格から考えれば、何か含みがあっての本当のことだと思わないわけにはいかない。

「木を隠すなら森の中」

 という言葉もあるが、まさに真実の中に本当のウソを隠されてしまうと、まったく分からなくなってしまうのも真理というものだ。

 そもそも、各務原という男が第一発見者というのも、実際には気に食わない。一番もっともらしい発見者であるのは間違いないが、あまりにも嵌りすぎていると、そこに何かがあるのではないかと疑ってかかるのも警察官としての宿命なのかも知れない。

 だが、坂口はそんな宿命だけではなく、自分の直感や感性を信じる男なので、違和感があったり、あまりにもピッタリと嵌っていることには余計に疑問を感じるようにできているのだった。

 各務原は完全にこの会社というよりも、見ているのは東雲社長しかいない。そのことは彼の言動からも、先に話を聞いた如月祥子の証言からも、そのことは裏付けられている。

 如月祥子の場合と各務原の場合の立場ではまったく違っているのだろうが、その中心にいるのは間違いなく東雲社長である。

 その東雲社長が何者かに殺された。しかも社長には詐欺疑惑があり、その詐欺によって自殺に追い込まれた男の彼女から脅迫状まで届いている。

――まるで絵に描いたような筋書きじゃないか――

 と坂口は考えた。

 やはり何かの意図が働いていることに間違いはないだろう。その意図を誰が操っているのかが、この事件の真相に近づくために調べなければいけないことなのは分かっている。

 しかし、ここまでハッキリしていると、正攻法で攻めることを坂口刑事は躊躇っていた。まるで犯人の術中に嵌ってしまうような気がしたからだ。

 もし犯人は相当な知能犯であれば。我々警察の考えることくらいはお見通しだろう。しかも警察は何と言っても事実を重視する。証拠であっても、事実関係によるものでなければ信用しない。

 それはきっと、犯人を逮捕したあとのことがあるからであろう。

 探偵小説などでは犯人が逮捕されればそこで終わりだが、実際には、四十八時間の拘留時間があり、その間に起訴しなければ、釈放になる。起訴すれば、そこから裁判が始まるのだが、相手にも弁護士がついて、検察と弁護側の戦いになる。裁判で証人尋問などのプロセスがあって、そこからやっと判決が生まれる。上告や控訴などによって、さらに高等な裁判所での裁判に持ち込まれれば、判決の確定までにはさらに時間が掛かる。それだけに逮捕する時点で、ある程度の証拠や証言が揃っていないと、冤罪を引き起こすことになってしまう。だから警察が一番大切にするのは、

「真実ではなく事実」

 なのであろう。

 そこが犯人にとっての狙い目でもある。事実が真実ではないような暗示もあるが、逆に事実ですべてを固めてしまうことで、捜査をミスリードすることもできる、肝心な事実さえ隠してしまえば、表に現れている事実を結び付けただけで、真実とはまったく違う事実を空想で作り上げてしまうというわけだ。特に、一度冤罪を生んでしまったという過去を持つ坂口には、この理屈は誰よりも分かっている。そんな坂口だからこそ、門倉刑事は部下として大切にしているのであろう。

 今考えられる容疑者は大きく三人であろう。もちろん、表に出てきているというだけのことで、実際には陰に隠れた誰かがいるかも知れないが、もしそうであれば、地道な捜査が必要になる。

 もし、他に犯人がいるとするなら、今表に出てきている容疑者を消去法で捜査し、誰も残らなければ、捜査は一からやり直しとなり、誰が犯人なのかは、振り出しに戻って考えなければいけないだろう。

 では、捜査線上に浮かんだ容疑者というのは誰なのか?

 まず一番考えられるのは、川崎晶子ではないだろうか。彼女は東雲のやっている事業に騙された彼氏を自殺に追い込まれている。それを脅迫状にしたためて、結局その後に殺されたのだ。

 動機としては十分だろうか? ただ、自分がひどい目にあったわけではなく、付き合っていた人がひどい目にあったということで、それから実際には何年か経っているというではないか。なぜ今頃脅迫状を出してまで殺害する必要があるというのか?

 そもそも、脅迫状というのは、心理的に矛盾しているようにも思う。

 脅迫状というのは、脅迫される方に恐怖を与え、何か金品を要求するというのが普通ではないか。

 何よりも坂口に引っかかったのは、今回の殺害が、薬によるものだということである。

 一緒にいて、殺害したのであればまだ分かるが、殺害現場に脅迫状が残っているというのは、犯人が脅迫状を送り付けた本人であるとすれば、まずいことになる。なぜなら、

「私が犯人です」

 と言っているようなものではないか。

 もし、その場にいて殺害したのであれば、まず証拠隠滅とともに、一緒に脅迫状の始末を考えるだろう。警察に家宅捜索をされて今回のように脅迫状が見つかり、自分がまんまと容疑者にされてしまうというのは、実にバカげているではないだろうか。

 そういう意味で、今回のような、何も一緒にいなくても犯罪が可能で、アリバイなどあってないようなものであるという犯罪に、脅迫状は矛盾しているのである。

 今度の事件で、脅迫状が見つかったと聞かされた時、坂口の中で、何とも言えない違和感があった。それが何を意味するものなのかすぐには分からなかったが、犯行が必ずしも犯人がその場にいることを必要としない犯罪。つまりは、いないことを前提とする犯罪だと感じた時、その二つが結び付いたのだ。

 そういう意味では、かなり早い段階で、第一の容疑者とされていた、川崎晶子を容疑者から消すことができるのではないかと思った。そのせいもあって、彼女の事情聴取は中途半端だったのだ。

「彼女が社長を脅迫しようとしていたのは事実だろう。だが、それを今回の殺人と結びつけるのはあまりにも軽率だ」

 そう思うと、川崎晶子が事件に何らかのかかわりがあるような気はしたが、直接の犯人ではありえないと思った。

――共犯者では?

 という考えが一番大きかったのだが、もし共犯者だとすれば、真犯人が彼女をこの事件に引きづりこむとすれば、それは脅迫状を送るまえなのか、送った痕なのかによって変わってくる。

 もし、思る前だったら、犯人が彼女をそそのかして脅迫状を送らせたことになる。あわやくば、その脅迫状をネタに、彼女を主犯にでも仕立てようとしたと考えるのが自然であろう。

 では、逆に脅迫状を送った痕だとすればどうだろう? それを知ったことで、主犯が今度は彼女を脅かした。

「脅迫罪で訴える」

 などと言ったのかも知れない。

 そうなると、もう彼女は犯人の言いなりである。犯人の手足になって動いたことだろう。そう考えると、犯人は、彼女が脅迫状を送ったという事実にだけ注目し、いつそれを知ったのかということは、さほど問題ではないのかも知れないとも思ったが。少なくとも心理的に正反対の意識が芽生えてしまうと考えると、やはり、タイミングというのも大切なことだと感じるようになった。

 たった一つの矛盾を元に彼女が主犯ではないと考えただけでいろいろな想像がついてくる。そう思うと、

「やはり川崎晶子はこの事件の主犯としては、あまりにも印象が違いすぎる」

 ということになり、他の二人を考えなければいけなくなるだろう。

 後の二人に関してはまだまだ分からないところが多い。明らかに怪しい行動を取ったことが矛盾を感じさせ、あまり知らなくても犯人から除外できた川崎晶子とは、正反対である。

 坂口刑事は、川崎晶子を犯人から除外できると考えたことで、一つの疑念が頭の中に浮かんできたのだった。もちろん、ただの疑念なので、ハッキリとしているわけではないが、そうなると容疑者は一人に絞られてしまい、その容疑者について、まだ何も分かっていないことが、今度は大いに問題になりそうな気がしたのだ。

 坂口刑事が抱いた疑念というのは、

「本当に、被害者の東雲研三は、詐欺行為を行っていたのだろうか?」

 という思いであった。

 たった一つの脅迫状に対しての矛盾から、

「どうしても、彼女が犯人だとは思えない」

 と感じたのも事実だったが、だからと言って、詐欺行為を否定してしまうと、

「如月祥子がやっているあの会社は一体何だったのだ?」

 ということになる。

 確かに一般の会社でも、会社の営業所の一つとして、営業活動を行うわけではなく、一つの拠点として、事務員が一人で、ただ、電話応対を行っているだけという会社も少なくはない。都心部などにおいては、実際に存在する経営体系でもあるのだろうが、そのあたりが今度はまた違った目で見るようになると、如月祥子に対しても別の意見を持たなければいけなくなる。

 少なくとも、詐欺が本当ではないとすれば、如月祥子と殺人事件を結び付けるものはなくなってしまう。一番容疑者の中で動機も薄い彼女に、今度はその薄い動機すらないのであれば、容疑者から外すしかなくなるだろう。それはあくまでも、川崎晶子が作った矛盾に対しての派生という意味で、川崎晶子に動機がなくなれば自動的に如月祥子にも嫌疑はなくなるということになるだろう。

「いきなり二人を容疑者から消すのは危険ではないか」

 と考えたが、その意識に少し待ったが掛かるようになってしまった。

 坂口刑事の誤算が分かったのは、その日、署に帰ってからのことだった。

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