第4話 勧善懲悪
坂口刑事は同僚が聞き込みを行ったが、その時とは少し違う観点から聞いてみようと思った。彼女の雰囲気はそこか能天気なところがあるように感じるのに、どうしてこのような胡散臭いと思われる仕事に携わっているのか。それが疑問だった。
スナックでホステスをしているだけでは物足りないというのか、それなりの給料は貰っているということだが、この会社に何か他に魅力があるというのだろうか。スナックにいてパトロンがついてくれているのだから、それだけでも十分に思えるが、女の欲望には底がないのだろうか。
「私は、クラブのホステスは基本的に嫌いじゃないんだ。話をしていても面白いし、女の子によっては、本当にしっかりしていて、その辺のOLや主婦に比べても、かなりしっかりした考えを持っていたりする。やっぱり、それだけの重鎮を相手にしているからなんだろうかね。少なくとも努力をすることに掛けては、誰よりもすごいと私は思うんだ」
と坂口刑事は話した。
坂口刑事が警官をしている時、いつも交番を通りかかった時に挨拶をしてくれるホステスがいた。
彼女は病気の母親と、高校生に通う弟がいて、母親の看病をしながら、弟を大学に上げるために頑張っているという。
「私のできなかったことを弟にはやらせてあげたいんだ。特に弟は男なんで、女の私にはできないようなことでも、何でもできちゃう気がするのよ」
と言っていた。
そんな彼女を見ていると、まるでおとぎ話に出てきた、
「マッチ売りの少女」
のイメージがよみがえってくるのだ。
クリスマスの夜、マッチを売り続けて、最後には凍え死んでしまうという悲劇のお話なのだが、坂口は実は子供の頃間違って覚えていたのだ。
自分の記憶ではクリスマスだと思っていたが、実際には大晦日の夜で、行き倒れが見つかるのは新年の朝だということだ。
どうして勘違いをしたのかというのを思い出してみたが、物語の中で、寒風吹きすさぶ中で寒さに耐えられるマッチを擦った時に浮かび上がった光景の中に、七面鳥というのがあったので、それをクリスマスと勘違いしたのではないかと思った。
「それにしても、クリスマスか年末かということは記憶にはないのに、七面鳥を見たという記憶があるということは、それだけ自分がその時空腹だったのか、それとも七面鳥の絵がおいしく見えたのかであろう」
つまりは、視覚が食欲をそそり、物語の時期を勘違いさせるだけの力があったということであろう。
このお話は。アンデルセンの童話であった。そもそは、一枚の木版画から着想を得たということであるが、それは編集者から、
「三枚あるうちの一枚を選んで、物語を書いてほしい」
というものであったという。
アンデルセンは、自分の花親から聞かされた母親の少女時代のエピソードを童話として書いたというが、内容としては結構ショッキングなものではないだろうか。
この話を読んで、同じ童話としての、
「フランダースの犬」
を想像した人も多いかも知れない。
最後には天に召される形になるのだが、そこはハッピーエンドに描かれた絵本であったり、アニメであったりするのだろうが、逆に言えば。童話などは、本当あ決してハッピーエンドのものばかりではないということだ。
特に日本のおとぎ話などは、結構悲惨な結末が多い。逆に本当はハッピーエンドのはずなのに、伝承されているのは悲惨な結末というお話も中にはある。それを思うと、子供向けと言っても、結局は大人が介在することで、話がゆがめられたり、改ざんされたりしているものも多いということだ。
そこには、政治的な意図が見え隠れし、日本の場合は、教育制度が始まった明治政府の影が色濃くなっていることだろう。
教育問題として、自分たちの都合よく童話や昔話を改ざんすることなど、彼らには当然のことだと感じていたのだろう。
またおとぎ話の中には、正義という定義が、
「悪を懲らしめる」
という、
「勧善懲悪」
という考えに則っているものもある。
特に、鬼退治モノなどはその最たる例であろうか。桃太郎や、一寸法師、あるいは、親の仇をうつ、猿蟹合戦などがそのいい例であろう。
ただ、いくらおとぎ話だと言っても、中には本当に勧善懲悪が正しいのかを疑いたくなるものもある。別に悪いことをしているわけでもないのに、鬼だから胎児をするという意味のものもあったのではないだろうか。
「鬼退治」
というだけで、その鬼たちが具体的にどのような悪さをしたのかなどという話も載っていないものもある。
ただ、そもそも鬼が人間に対して悪さをしたからと言って、一刀両断で悪だと決めつけるのが果たしていいものだろうかとも考えられる。
この考えは、人間にとっての都合だけで考えられている。弱肉強食、自然淘汰という自然の摂理において人間という動物は実に弱いものであり、その弱さを克服するために、この優秀な頭脳があるだけのことである。他の動物が生き抜くために、外敵から身を守るために備わった、能力、例えば、保護色であったり、ハリネズミのような身体の針であったり、相手を一瞬にして殺す毒を持っていたりするのだ。だから考え方によっては、別に人間だけが偉いわけではない。鬼にしてもそうである。
共存共栄を考えようとしてくるのであれば、まだしもそれを考えずに人間を滅ぼしたり、食べてしまおうという発想があるから悪として君臨することになるのだが、鬼の立場からすれば、人間がオニの餌であるとするならば、人間が家畜を餌にしているのと何が違うというのだろう。別に人間が家畜を餌にして食していても、誰からも悪だと言われることはない。
今から五十年以上も前のテレビの特撮子供番組で、地球に遭難してきた宇宙人を、侵略者としてやっつけるヒーロー物語があったが、それこそ同じようなものである。地球に漂流してきただけなのに、異星人というだけで侵略者と決めつけ、攻撃し。最後にはやっつけてしまう。そして、何よりもその日の放送のタイトルにハッキリと、「侵略者」という文字が躍っていた。
これをどう解釈すればいいのだろうか。
単純に勧善懲悪に則った子供を洗脳するための番組と見るべきなのか、当時の冷戦時代を皮肉った、大人向けの番組として見ればいいものなのか、どちらにしても取り方によっては、まったく別の解釈が成り立つといういわゆる賛否両論が争われる番組でもあると言えるだろう。
とにかく人間というのは、自分の都合や傲慢さによって、物語を改ざんしてしまうこともある。それは人間が他の動物に対しての考え方として出来上がったものだけではなく、同じ人間同士、自分の私利私欲のために、簡単に人を騙したり、相手がどうなっても構わないとまで考えるほどになってしまった。
動物は生きるために本能で行動する。動物が意志や意識を持っているのかどうか分からないが、もし持っているのだとすれば、人間のような自分の都合で行動するだろうか。
いや、人間は言葉や知恵、それに意識を持つことができたので、自分の都合で行動するという一種の、
「悪知恵」
が付いたのかも知れない。
これが果たして、どこまで許されることなのかを考えると、解釈が難しいと言えるのではないだろうか。
「生殺与奪の権利など、人間にはない」
という原則を持っていながら、人は簡単に人を殺す。
中には生きるために仕方なくであったり、生きるために恨みを晴らさなければ精神的に生きていけないなどのやむ負えない場合もあるだろうが、自分の私利私欲のために、まるで人間を虫けら同然に殺す人もいる。
実際に手を下さなくても、自殺するかのように追い詰めて、相手が自分自身の命を奪うように導くのは、ある意味一番卑劣ではないだろうか。自分で手を下すのではないのだから、その人に罪悪感などあろうはずもない。もし、罪悪感があるのだとすれば、それは嘘でしかない。人間という動物だけがそういうことを平気でできるのだ。もうここまでくれば、
「死というものが、果たして善悪の対象として図ることができるのかとまで考えさせられる」
如月祥子という女性の話は聞いていたが、どうも彼女はマッチ売りの少女のような雰囲気を感じさせる女性であるが、やっていることは、何か胡散臭いことにわざと首を突っ込んでいるようにも思える。パトロンがいて、スナックでホステスをしているのだから、それなりに生活は苦しくはないと思ったのだが、家族を抱えていてはそうもいかないのだろうか。
彼女はマッチ売りの少女のようにここで死ぬわけにはいかないと思っているのかも知れない。
坂口は、なぜか彼女が自分でもマッチ売りの少女を意識しているような気がして仕方がない。マッチ売りの少女は確かに悲劇の物語であるが、それは貧困に喘ぎながらも一人で苦しんでいて、力尽きるという話であるが、彼女は孤独だった。
マッチが売れないと父親に叱られるので、マッチを必死で売っているというのだが、彼女は孤独であり、この世に誰も自分の味方はいない。彼女がマッチをすることで優しかった祖母が現れた。祖母の笑顔をいつまでも見ていたいと思った少女はその時に気付いたのかも知れない。
「私はもう、この世に未練はない。私の人生の続きは天国にある」
とである。
つまり開き直ったというべきか、開き直りが少女に本当の自分の気持ちを教えたとでもいうべきか。そう考えると、死ぬということも決して悲劇ではない。むしろ、人によっては幸福でもあるのだ。
この考えは宗教的には間違っているものであろう。そういう意味ではこの物語は宗教に対しての挑戦なのかも知れない。こんな世界観もあれば、勧善懲悪のような世界観もある。
つまりは、
「人間が幸福に過ごせるなら、他の生き物はどうなってもいい」
という考えが勧善懲悪に結び付いたのか、それとも逆に、生殺与奪の権利を正当化するために、勧善懲悪を持ち出し、もし悪が人間であったとしても、それは懲らしめられるだけの理由があるのだから、生殺与奪も仕方のないことと考えるかということである。
おとぎ話や童話というのは、その考えをいかに正当化するかということで成り立っているのではないだろうか。もちろん、その自裁の政治体制に都合よく解釈させるための一つの手段に過ぎないのだ。
如月祥子という女性が、この犯罪に何かどこかで関わっているような気がしたのは、きっとマッチ売りの少女の話を思い浮かべ、そこから勧善懲悪のおとぎ話に結び付けてしまったことから感じたことだった。
だが、何か関係しているからと言って、決して彼女が悪だというわけではない。むしろ悪として見えるのであれば、自分たちの目の方が狂っているということであったり、何かの見えない力に誘導されて。そんな思いにさせられているのではないかと思うようになっていた。
彼女のマンションにやってきたが、このマンションは気のせいか、デジャブですらあるような気がした。
「このマンション。まるで昨日も来たかのような感じがするな」
と、坂口刑事がいうと、
「ええ、そうなんですよ。実は私もなんです」
ともう一人の刑事に言われて、自分だけの錯覚ではないとホッとした坂口は、
「ああ、そうか。今朝行った川崎晶子の住んでいるマンションに似ているな」
と感じたのだ。
「そういえば、このマンションですが、彼女が一人で住んでいるそうなんです。父親は子供の頃に亡くなり、母親が女手一つで自分と弟を育ててくれたと神妙に昨日は話してくれたんですが、どうもこの部屋の家賃は、パトロンが出しているようなんですよ」
「まあ、そうだろうな。今の彼女の収入だけでこれだけのマンションを借りて、実家に送金しているとなるとかなり厳しいだろうからな」
もし、もっと短時間でお金を儲けたいと思うのであれば、女としては、自分の中にある羞恥心やプライドを捨てれば、いくらでも稼ぐことはできるはずなのに、それをしないということは、彼女の中に、静かなプライドがあるのかも知れない。このあたりも、坂口にとって矛盾と思える部分であり。
――果たして彼女には、自分が考えている以上のどれほどの矛盾があるというのか、楽しみな気がする――
と感じた坂口刑事だった。
そもそも。マッチ売りの少女と勧善懲悪の発想も、矛盾に満ちているような気がする。坂口にまだ会ってもいない相手の矛盾をすでに抱かせるというのは、果たしてどんな女なのだろうか。興味深いところであった。
前の日から刑事がスナックを訪れた時、
「明日、もう少し詳しいお話を伺いたいと思いますので、もう一人の刑事を連れてマンションにお伺いしようかと思うのですが、大丈夫ですか?」
と言ってアポイントを取っておいた。
「ええ、午後からなら起きておりますので、大丈夫です」
「じゃあ、明日午後に伺いまう」
と言っておいたので、時間としては少し遅くなり、そろそろ三時近くなってきたが、約束は取りつけておいたので大丈夫だろうと、部屋に向かった。
呼び鈴を鳴らすと、彼女が出てきてくれた。その表情を見た時、もう一人の刑事は一瞬たじろいだ様子だったが、それはきっと、昨日とはまるで別人の女性が出てきたからであろう。
坂口刑事はそれくらいのことは想像がついていたので、部下がビックリしたのを見て、驚くことはなかった。中から出てきた女性はジャージに髪をオールバックにしたかのように後ろをカールで巻いているようないで立ちで、いかにもスッピンだった。まさか部下の刑事も、相手が恋人にでも会うかのようなおめかしをしているとは思ってはいなかったが、それなりに人に遭う程度の化粧くらいはしているだろうと思っていた。それだけ今日の我々が、
「招かざる客だ」
ということになるのであろう。
「お待ちしていました」
と言って部屋に招き入れてくれたが、今度は部屋の中に入ってさらに部下はビックリしているようだ。
――そんなに何をビックリしているんだ――
と半分呆れていた坂口だが、彼もまだ自分が新人の頃であれば、同じような驚きを示していたかも知れないと感じた。
彼女の部屋は、最初に出てきた化粧もしていない雰囲気に比べて、実に綺麗に整理されていた。
ゴミ一つ散らかっているわけでもない。どんなものでも、この部屋にあるものはすべてが必要なものであり、その場所が決まっていて、初めてきた人でも、どれがどの場所にあるかが容易に分かるかとでも思えるほど、綺麗に区画されていっるのだった。
彼女の部屋を見ていると、
「整理整頓というのは、区画決めなんだ」
と思わせる部屋であった。
あるべきものがあるべき場所にあるというのは、当たり前のことだが、それができている人がどれほどいるだろうか。ほとんどの人間が、あるべき場所が分からずに適当に置いてしまったことで、整理がつかずにいるのだろう。綺麗に整理されている部屋を見て、神経質だと思うのはあくまでもその人本人のこだわりを他人が分かっていないからだ。整理整頓も一種の芸術であり、ひょっとすると才能が必要なものなのかも知れない。
ということは、まったく才能がなく、整理整頓ができない人も存在するだろう。世間ではそういう人間は、ズボラであり、仕事もできないと決めつけているが、果たしてそうだろうか。ただ単にそっちの才能に長けていないというだけで、他の才能には長けているかも知れない。確かに整理整頓ができる人は、仕事が捗るという意味で、仕事はできるのだろうが、整理整頓ができない人が、仕事をできないと決めつけるのは、尚早ではないかと思えてくるのだった。
――きっと彼女は、整理整頓が好きなんだろうな――
と見ていて感じた。
別に掃除が好きだという感覚はない。ただ、綺麗な部屋にいるのが好きな人は、掃除に関しても最短で綺麗にできる能力を兼ね備えているのかも知れない。頭の中で無意識に行う計算は、間違いなく正しい答えを示しているように感じられるのが、彼女の役得なのかも知れないと思った。
被害者が、彼女を自分の会社の事務、しかも秘密の会社の事務員に選んだのも分かる気がする。それが彼女の綺麗好きな部分とは限らないが、ある意味潔癖症なところがあるのではないかと思うと、その部分を社長は気に入ったように感じた。
しかし、彼女の潔癖症は完璧なものではない。本当に潔癖症であれば。家にいる時もここまで普段着をズボラに着こなすことはできないだろう。ある部分に関して潔癖症な部分を醸し出している人は少なくなく、そこが彼女の魅力の一つなのではないかと思えてきたのだ。
―ー話し方も理路整然としているかも知れないな――
と、坂口は感じた。
久しぶりに話をしていて楽しめる相手ではないかと感じたのだ。
「こちらは、私の先輩の坂口刑事です。坂口さん、こちらが如月祥子さんです」
と言って、それぞれを部下が紹介した。
「初めまして、坂口と言います。今回は社長さんがあんなことになってしまって、まことにご愁傷様です。昨日は部下がお邪魔して、今日は私がまたやってきてご質問にお答えいただけることに感謝いたします。如月さんも何か気になっていることがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」
と坂口刑事は軽く挨拶した。
「ええ、こちらこそ、社長のことではご苦労様です。私のことはもうお調べだとは思いますが、社長が最近始めた新たな事業を行うために立ち上げた会社で、事務をしております」
「ところで如月さんは、社長の会社にいつ頃入社されたんですか?」
「私は夜にスナックでホステスもしておりますので、そんなに頻繁に会社には入れないと話をしたんですが、社長がいてくれるだけでいいからというんです。電話番のようなもので、それほどかかってくることもないということでした。実際に私が事務を初めてから一週間ほどですが、一日に二、三件問い合わせがあるくらいです。それも問い合わせと言っても何か分かって相手が聞いてきているのではないかと思うような話でした。事業に関しては私にもまだ内緒のようで、会社発起人の人たちの間で秘密裏に動いているようでした」
「何か怪しいという気はしませんでしたか?」
「先ほども申しましたように、私はホステスをしていますので、いろいろな方がお客様でおられます。こういう会社があるというのも聴いたことがありましたし、実際に新たな事業の設計図のようなものも見せていただいたこともありました。肝心なことは私にはお教え願えませんでしたが、私が安心して仕事ができるような配慮はしてくれていたんです。だから怪しいという感覚はありませんでした」
「ところで社長というのはどういう方だったんですか?」
「私も知り合ってから、まだ数か月なんですよ。社長はお店の常連さんで、時々いらしていたのは知っていたんですが、会話をしたことは、最初の頃はなかったんです。それがママさんから勧められて、
「あちらのお客さん、東雲さんというんだけど、会社の社長さんなのよ。せっかくだから、まみちゃん、お話してくればいいのよと言ってくれたんです。ちなみにまみというのは、私のお店での源氏名ですけどね、その時初めてお話したんですけど、最初は社長さんというから、上から目線の気取った人を想像していたんだけど、本当に紳士だったんですね。決して欲望を表に出そうとしないところがあって、女は欲望を剥き出しにされると引いてしまうけど、欲望を抑えているのが分かる人には惹かれるものなの、でもあの社長さんは抑えているという感じがないのよ、本当に紳士で、会話もぎこちなさがまったくない。だからお互いに初めて会ったような気がしないって言って。最初から気が合っていたわ」
そう言いながら、うっとりと何かを思い出しているようだった。
――この女は社長に惚れていたのであろうか?
とも思ったが、それなら殺されたのだから、もっと取り乱したような態度を取ってもよさそうなのに、その雰囲気が微塵もない。
どうやら、男女の間に存在する欲望というものを彼女は、社長に対しては感じていないのだと思ったが、この思い出したようなうっとりとした表情は、欲望以外の愛情が、二人の間に存在していたのかも知れないとも思えた。
――こういう女がもし、嫉妬を感じたりすればどうなるのだろう?
と一瞬考えた。
嫉妬心などとは遠い存在に見える彼女を見ていると、今日の雰囲気をどう解釈すればいいのか考えてしまう。部下のように昨日も見ていて。今日もまた違った雰囲気になっているであろう彼女の両面を見ていたとしても、同じことを考えたかも知れないと感じていた。
「ところで、社長とは少し離れた話で、少しプライベートに突っ込んでしまうお話になるかも知れませんが、構いませんか?」
と、切り込むように坂口刑事が訊ねた。
「いいですよ。その質問も必ずしてくるという覚悟はちゃんと持っていましたからね」
と、最初から分かっていたとでも言いたげな様子は、今までにない挑戦的な態度に思えた。
「如月さんは、スナックに勤めるようになって、パトロンのような人がいるというウワサを耳にしたんですが、それは本当でしょうか?」
と切り出した。
「パトロンというと、まるで私が愛人でもあるかのように聞こえますよね。一般的に見ればそうなのかも知れないですが、私にとっての彼は、あくまでも『あしながおじさん』のような存在だと思っています」
「というと、少し立ち入った話になりますが、いわゆる肉体関係はないということでよろしいんでしょうか?」
と切りこむように坂口刑事が言った。
「そこは、ハッキリとは申せません。私はあくまでも愛人ではないと言っただけです。それは肉体的な関係があったのかなかったのかというよりも、それ以上に精神的なつながりが深いということです。私のあの人を尊敬していますし、あの人は私を愛でてくれています」
と、うまくかわすかのように冷静に彼女は答えた。
それはまるでこの質問をされることが最初から分かっていて、それを肯定させないかのような言い回しだとすれば、彼女の頭のよさやしたたかさを垣間見ることができる。
「なるほど、、あなたにとって、自分たちの関係がイーブンであると言いたいわけですね。私もあなたの意見には賛成です」
と坂口刑事も軽く流すように言った。
「今回の事件には少なくとも彼は関係ないということをハッキリと申しておきたいという意味もあって、否定させていただきました」
「それを言い切るというのは、あなたも、この事件には関係がないということが証明されないと難しいかも知れません。何しろあなたがもしですよ、この事件の容疑者の一人として浮かんでくれば、あなたを奪われたくない一心ということもありえますからね。我々としては無視することはできません」
と坂口刑事は、当然のごとく、そう言った。
少し、如月祥子は黙っていたが、それを見て、坂口が続けた。
「彼は、社長と面識があるんですか?」
「多分、ないと思います。少なくとも私が知っている限りではないと思います。彼も社長を意識しているわけではありませんし、私が昼間社長の会社で働くと言った時も、彼は別に反対も何もしませんでした」
「夜はホステスをしながら、昼間も会社で働くというのは、何かそれだけの魅力があったんですか?」
「楽なお仕事だというのが一番でしたね。それに彼の本体である会社とは、ほとんど関係がないということだったので、煩わしい人間関係はないのも魅力でした。夜、こういう仕事をしていますと、何を言われるか分からないというところもあり、私にとってはあまりいい環境ではありませんからね」
と言った、
「そういえば、社長の葬儀などはどうなっているんですか?」
「昨夜はお通夜だったようですが、私は一度弔問に出かけただけで、すぐに帰ってきました。本日は大安なのであすが告別式になるらしいのですが、私は出席をしません。葬儀は親戚と会社内だけでしめやかに行うということでしたので、本体の会社が主催する葬儀に私が参加する謂われも資格もないということですね」
と、気が楽なような言い方をしていたが、その表情には明らかな寂しさが滲んでいた。
――彼女と社長って、どこまでの関係だったのだろう?
と坂口刑事は考えていたが、よく分からない。
「それは、少し寂しい気がしますね。ところで、今お勤めになっている昼の会社はどうなるのですか?」
と聞いてみた。
「私にもハッキリとは分かりません。ただ、社長がなくなったことで、あの会社の所有は本体の会社付けということになったようですから、たぶん、なくなると思います。本体の会社側では、私の会社をあまりよく思っていなかったようです。実際に詐欺のための会社なんじゃないかなんていうウワサもあったくらいですからね」
と彼女は言った。
「あなたは、詐欺に加担されているんですか?」
と、いきないr切り込んだ。
「まさか、そんなはずないじゃないですか。いくら私が素人だとはいえ、詐欺かどうか分かりますよ。詐欺を行うための会社なら、私以外にも他に社員がいると思います。ただ、私があの事務所にいるだけで、掛かってきた電話に応対するのは、相手が相談してきた会社をリサーチして、その会社が困っていることを研究し、アドバイスをするというような会社に対してのカウンセリング会社を設立するための、一種のプロセスなんだと言っていました。いずれは新しい会社を設立すると言っていたんですが、ここはあくまでもその繋ぎなんだという説明でしたね」
「あなたは新しい会社が設立されたら、そっちに行くんですか?」
「そのつもりはないと社長には話しています。だから、社長は私に必要以上の仕事もさせないし、それはきっと秘密保護の観点があるのではないかと私は感じています」
と、如月祥子は言った。
「なるほど、それではあなたはあくまでも社長とはこの会社だけの関係で、本体と言われた母体となる会社とは関係ない。向こうの会社の人間も知らないということでいいわけですね?」
「ええ、そう思っていただいて結構です」
「分かりました。ところで、少し話は変わりますが、如月さんは勧善懲悪という言葉に何か感じることはありますか?」
またしても、坂口刑事は切り込みを入れたが、今回はまた違った視点からの切り込みで、如月祥子も戸惑っていた。
「勧善懲悪ですか?」
「ええ、正確な意味はまた違うんでしょうが、概ね、正義を助け、悪をくじくというような意味ですね」
「私はあまり世間に興味があるわけではないので、何とも言えませんが、あまり考えたことはありませんね。自分のことだけで精一杯ですから。ただ、勧善懲悪というものが本当に正しいのだとすれば、今の世の中はあまりにも報われない世界であり、理不尽が横行していると思います。完全調悪なんて、ただの考え方であって、現実的ではないのではないかと思いますね」
と如月祥子はそういうと、目を瞑って、少し考えているようだった。
「いや、これはいきなりすみません、こんな質問をしてですね。今日はこれくらいでいいと思います。ちなみに、先ほど社長が殺された時に一緒にいたという方、お教えいただきますか? 一応、裏を取る必要がありますので」
「分かりました。後で連絡先をお教えします」
と言って、彼女は連絡先を確認し、部下の刑事に渡したのだった。
「今日はありがとうございました。またお伺いすることもあるかと存じますので、その時はまた」
と言って、二人は如月祥子の部屋を後にした。
二人は、そのまま何も言わずに署に戻ってきたが、坂口刑事の方では何らかの考えがあるようだった。どうして彼が勧善懲悪などという話を持ち出したのか、部下の刑事には分からなかったが、少なくとも勧善懲悪という観点からいけば、川崎晶子の方が強いような気がする。そういう意味で、二人の間に何かを感じたのではないかと思うと、今は何も言わない坂口刑事の様子を後ろから眺めるだけしかなかったのだった。
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