第6話 むっつり少女は見つける

 昼休みがやってきた。ある者は購買へ走り出し、またある者は机をくっつけて友達とお喋りをしだす。

 学校内が弛緩した空気に包まれる中、彼女は肩に乗った茶髪のおさげを揺らしながら弁当を片手に俺の席まで駆けてくる。


「黒崎くん! 一緒にお昼食べよ!」


 来川きたがわ冬帆ふゆほは前のめりになって俺を昼食に誘ってくれた。


「おう」


 来川からの誘いを軽く返事して俺も弁当を持つ。


 普段なら一輝と一緒に食べるのだが、最近は来川からお誘いを受け、二人で昼休みを過ごすことが多くなった。彼女が自分の趣味を他人に話せない分、俺に話したいことがたくさんあるのだろう。


 一輝はというと、新しいクラスで友達を作ったのか、今は席が近い人と楽しそうに話している。

 それを横目にあの校舎裏へと向かおうと教室を出たとき、来川が何やら不吉な気配を察知したのか、唐突に足を止めた。


 すると、俺の横を誰かが通り過ぎる。そして来川の背中へ飛びついた。


「えーなになにー? なんか最近冬帆ちゃんこの男の子と仲良くない?」


 お団子ヘアの女子生徒が来川の肩に頭を乗せて怪しげな笑みを浮かべながら顔を覗き込んでいた。


「何かあるのかなぁ~」


 さらにいつの間にか来川の隣にいたショートボブの女子が下から這い出るようにして現れ、ゆったりとした口調で迫る。


「もしかして……もしかするの?」

「ち、違うって! そんなんじゃないよ!」


 両手を胸の前で振りながら否定する来川に、迫ってきた二人の女子は笑むことを止めない。


 この二人はきっと来川の親友だ。四月始めからこの三人で会話をしているところをよく見かけていた。新学期でこの距離感は、一年の時に同じクラスだったのか、同じ部活に所属しているのかのどちらかで仲良くなっているのだろう。


「…………」

「…………」


 関係性を考えていると、来川に纏わりついていた二人が身体ごと俺へ向く。

 何を言われるのかと身構えていると、来川が二人を振りほどき俺の腕を引っ張った。


「ほらっ! 早く行こう! 時間が無くなっちゃう!」


 こうして息を切らしながら俺たちはまた校舎裏へやってきた。初めて来川とここへ来たときも彼女に引っ張られて走った気がする。


 あの時も思ったが、走って上気した体に涼しい風が当たり気持ちいい。直射日光が建物で遮られているところも涼をとるのに最適だ。


 俺たちは石段に座り持ってきた弁当を開け、箸を取り出す。すれば来川は手を合わせて謝る。


「ごめんね、未奈みなちゃんと由香ゆかちゃんが変なこと言って」

「あぁいや、別に気にしてない。……ただ俺への視線がちょっと怖かった」


 その未奈ちゃん由香ちゃんたら言う彼女らが向けた視線。まるで獲物を見つけたかのような鋭い眼光だったのを思い出し体が震える。


「あはは……二人とも割と色んな人に話しかけるタイプだからさ。これから黒崎くんのところにぐいぐい行っちゃうかもだけど、どっちも良い子だから仲良くしてあげてね」


 来川は、たははと笑っていた。


「あの二人と仲が良いんだな」

「うん、高一のときに知り合ってからずっと一緒なんだ。お団子ヘアの方が未奈ちゃんで、髪が短いボブヘアの子が由香ちゃんね」

「覚えられるかな……」


 自信がなかったが、来川と友達になった今、未奈と由香の二人と関わることもありえる。

 というか、さっき直接二人を見た感じ絶対に関わるだろう。頭の片隅にでも彼女たちの名前を残しておくことにした。


「あ、そうだ、昨日描き終わったやつ送っとくね」


 と、来川はスマホを取り出して操作し始める。するとすぐに俺のスマホから通知音が鳴った。


 来川とはつい最近連絡先を交換して、チャットアプリでやりとりをするようになった。それ以外にも、こうやってチャットアプリを介して彼女が描いた絵を見せてくれる。


 これならいつでも来川は絵を見せられるし、他の人に目撃されるリスクも少ない。


 あと、俺はよく理解できていないが、来川はどうやら実際に紙に描いているのではなく、パソコンで絵を描いているらしい。そのためデータ上に保存したものをわざわざ紙に印刷するのは手間かかるため、こういう形式になった。


 俺もスマホを取り出して、今送られてきた画像を見てみる。

 一人の少年魔法使いが呪文を唱えている状況が描かれていた。ただの一枚絵のはずなのに、前後の映像が浮かび上がってくるほどに躍動感がある。


 やっぱり来川は相当な腕前の持ち主だ。


 観賞していると、来川は横から絵についての説明を始めた。


「今回はね、ファンタジーに挑戦してみたんだ。全然やってこなかったジャンルだったから大変だったよ。普段描いてる現代ものの服装とかと全然違うから、細かいところのデザインがなかなか描けなくて。でねでね! こだわりポイントが杖の部分で! 神々しさっぽいのをするためにキラキラってしたりとか、こことか背景がちょっと透けて見えてたりとか。あっ、背景と言えば魔法陣もこだわってて――」


 ころころと表情を変えながら身振り手振りを交え、楽しそうに話す姿は微笑ほほえましい。本当に絵を描くのが好きなんだな。


 しかし来川は熱が入ったのか俺のスマホを覗き込み、指を差しながら早口で解説をしてくれる。だから彼女の柔らかい体が密着し、甘い香りが鼻腔をくすぐる。おかげで内容が頭に入ってこない。


 代わりに髪がサラサラだとかまつ毛が長いなとか、来川に対する知識が増えた。


「細かいところまで丁寧に描いていて、凄いな」


 俺は恥ずかしさをまぎらわすために、まだ解説の途中だったが、感想を言った。


「えへへ……ありがと。結構頑張って描いたから嬉しいな」


 来川は肩に乗ったおさげをいじりながら、目をきゅっと細めて笑う。


「こんなに絵が上手いなら、将来の夢はイラストレーターとか漫画家とかか?」

「ふぇ⁉ ま、漫画家?」


 突然上擦った声を出した来川は、少し戸惑ったような表情を見せて「か、考えたことなかった……」と呟く。


「意外だな。絵を描いていたらそういうの目指しそうなのに」

「確かにそうかも。でも、私の場合は……この前まで自分の絵を見せることなんてできなかったし、もともと自分のためだけに描いていたから皆に見せるなんてできなかったよ」


 中学の友達から言われた何気ない一言。それはずっと来川を怯えさせ、今も変わらず自分の趣味を隠して生活をするようにさせてしまった。


「その感じだと、あの未奈と由香? にも、君の趣味は秘密なんだな」

「うん。いつかは言いたいって思ってるんだけど、まだちょっと怖いかな」


 来川は自分の手を握り、俯く。


「未奈ちゃんと由香ちゃんは、私にとって一番の親友だから……もし二人に嫌われちゃったら、って思うと、怖い……な」


 まず、親友にすら自分の趣味を明かせない彼女が、不特定多数の世間に自分の絵を見せるなんてハードルが高すぎる。とても絵を将来の夢として見据えることはできないのだろう。


「自分の描いた絵を見せるのは怖いけど…………。でも最近は、黒崎くんに見てもらうのが、ちょっと、楽しみだったりするんだ」

「俺に?」

「うん。黒崎くんに喜んでもらえたり褒めてもらえたりするのが、嬉しくって……。それで、もっと絵を描きたいって思うようになるの」


 俺のスマホに映る絵を見ながら、来川は言った。


 俺は、深いことは考えずに彼女の絵を楽しんでいただけなのだが、たったそれだけのことで来川を支えていることとなっていた。

 いつの間にか俺は来川の拠り所となっていたらしい。


 さらに来川は恥ずかしそうに目を逸らしながらもこう続ける。


「だから、漫画家になる……っていうの、あり……かも」


 あぁ、きっと彼女は希望を持っているんだ。

 夢を見つけて、先の未来を見て、自分のなりたい理想を思い描いている。


 私はこれが大好きなのだと、抵抗もなく示せるようになりたいと願っている。


 そして今、趣味について話せていること、それこそが彼女の確かな一歩だ。

 歩みは小さくとも、確実に来川は前へ進んでいた。

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