第5話 ひねくれ少女は毒を吐く
「
授業が終わり、クラス内には弛緩した空気が流れる中、俺は男性教師から呼び出しを食らって教室の前まで来ていた。
要件は課題で出されていた作文について。結局、俺は期限内に書き切ることができずにこの日を迎えてしまった。
「すみません」
頭を下げて謝ると、先生は「まあまあ」と苦笑いで俺の頭を上げさせた。怒っているわけではなさそうだ。
「評価は下がるけど、今週まで待つから。ゼロ点になるよりはマシになるから、ちゃんと出すように」
「はい、わかりました……」
もう一度頭を下げて言うと先生は教室を出ていく。
分かりましたとは言ったものの、未だ俺のやりたいことや将来が見えていない。この調子だと、今週中に書き終わるどころか書き始めることすらできないまま、また提出期限を迎えてしまう。
どうしたものかと考えながら、教室の一番後ろの席に座り背もたれに深く寄りかかる。
天井をぼーっと仰ぎ見ながら思わず呟いてしまう。
「夢……かぁ…………」
俺のやりたいことってなんだ。俺の好きなことってなんなんだ。
なんだかんだ言って学校は楽しい。授業は……退屈なものもあるが過半数はまぁまぁ楽しんでいる。でも、それは内容が面白いというよりは先生の話が面白いだけ。教科書を読み込もうだとか、家に帰って予習復習をしようだとか、そんな勉強好きではない。
休日は……家でゴロゴロしてたり、テレビをぼーっと見てたり、外に出てあてもなくぶらぶらと歩くだけだ。おおよそ充実している楽しい休日とは言えない。
実際宿題を終えたあとの休日は退屈で、何もしていない時間が多い。
こんな状態で将来が心配になってきた。溜息が出てしまう。
気晴らしに窓の外に広がる景色を眺めようと左に目をやると、ふと、イヤホンを耳につけながら読書している少女が目に映る。
赤みを帯びたショートヘアの癖っ毛は自由にあちらこちらに跳ねていて、細い目元からは覇気のなさを感じ取れて、猫背気味の丸まった背中からは倦怠感も見られる。
スカートから伸びる華奢な脚は所在なさげにぶらぶらと振られていて、頬杖によって柔らかそうな頬を押し上げている。
隣の席になった
俺は一年前のことを思い出しながら彼女に向かって声をかけた。
「なぁ奈月」
「…………」
返答がなかった。あぁ、一年前と変わらない光景だ。
高校生になって初めて話しかけたクラスメイトが奈月だったのだが、あの時も返答がなかった。
勇気を振り絞って出した声が届かず、心臓が破裂しそうなほどバクバクしていたが、現在の俺は知識を得ているため至って冷静。
これは奈月がよく使う手段、『イヤホンをしているので聞こえません』というアピールだ。本当は聞こえているに違いない。
だから俺は言い訳ができないように肩をトントンと叩いた。
「聞こえてんだろ」
睨みつけながら言うと、奈月は諦めたように目を閉じてイヤホンの片方を外す。そして少し不機嫌そうに眉をひそめた。
「……なに?」
彼女の地声は女子にしては低い声なので、怒っているように思われてしまいがちだが実際はそうではない。まぁ今の奈月は多少怒ってはいそうだが。
「少し聞きたいことがあってさ……。その、夢ってなんなんだろうなって…………」
春の少し荒い風が窓を叩く。教室内や廊下から響き渡る、束の間の休み時間を謳歌する喧騒が大きくなる。
俺の問いかけに、奈月は一瞬怪訝そうな表情をしてから口を開いた。
「……は?」
出たのは一段と低い声。
「いや、は? って、俺結構真剣に悩んでるんだけど」
「意味わかんないんだけど」
奈月からそっけない態度をとられてしまう。そのままイヤホンを再度つけて読書に戻ってしまいそうな勢いだ。
いや、これは俺の言葉足らずが原因だったかもしれない。もう一度、今度は別の言い方で問うことにした。
「課題の作文が全く書けなくてさ。俺のしたいこととか将来の夢ってなんなんだろうなって思って。でも考えても何も思いつかなかった」
「はぁ、そう……でもアンタ、サッカーやってたじゃん」
「ん? あぁ……まぁ、そうだな、やってたな」
小学生のときから始めたサッカーは高校に入ってからも続けていた。だが、一年生の冬に退部届を出している。
「それじゃダメなの? プロのサッカー選手になりたいとかさ」
「いや……プロ選手になれるだなんて
せいぜい俺の腕前なんて身内で最強レベルだった。
井の中の蛙はもう味わっている。上には上がいるし、そのまた上がいる。どうしたって届かないものはあるんだ。
そういえば先生は、作文を出していないのは俺だけだと言っていた。なら奈月はちゃんと書き終えて提出していることになる。
純粋な興味で、作文の内容を訊いてみた。
「奈月は作文、なんて書いたんだ?」
「……『夢を持たない』って書いた」
「えぇと……夢がないんじゃなくて、夢を持たない?」
言っている意味がいまいち理解できなかった。
視線だけで問うと、奈月は説明をしてくれる。
「夢なんてものは結局のところ現実によって壊されて、期待や希望が失望や絶望に変わるだけなの。そんな苦しい思いをするくらいなら、始めから夢を持たずにいればいい。それがアタシの考え」
「でたな……ひねくれ…………」
奈月のトンデモ論を聞いて思わず苦笑いが出てしまう。
他の人とは違う考えを持つ奈月だが、まぁ聞いての通りかなり極端な発想をする。
皆が好むようなメジャーなものを好まず、マイナーなものを好む。曲がった角度から物事を見て粗を探す。
マイルドに言えば中二病、はっきり言えば……嫌な奴。七海奈月とはそういう人物だ。
「ひねくれているのはアタシじゃなくて世の中のほうよ。曲がった世の中だから、正しく真っ直ぐなアタシが曲がって見えてるだけ」
「少なくともお前は真っすぐじゃないだろ」
ここまで来ると屁理屈だ。
奈月独自の考えを聞いているとどこか頭が痛くなるような錯覚を覚える。
俺がこめかみを押さえていると奈月の方から問いかけがきた。
「なんでアンタは夢についてそんな真剣なのよ」
「そりゃ真剣にもなるだろ。俺は高校二年生だ。これから受験が控えているし、進路のことを考えていかなきゃいけない」
間違いなく五本の指に入るほど人生の中で重要な時期。だからこそ真面目になって考えてしまうものだ。
俺は当たり前のことを言ったつもりだったが、奈月は肯定しなかった。
「ふーん。でも、そんなに考えて意味があるの?」
「あ?」
「周りを見ても、真剣に将来のことを考えている人はいるのかしら」
促されるように言われて、俺は教室を見渡す。皆めいめい、友達をお喋りをしていたり、スマホゲームに興じていたりしていた。
……俺は考え過ぎなのか? いや、一生に一度の人生だぞ。代えの利かないものだ。
沈思黙考し見渡し続けていると、一人の人物と目が合う。廊下側の席に座る
「遥太、一緒にサッカーやらないか?」
「……なんだって?」
開口一番そんなことを言われて、思わず怪訝な顔つきで聞き返してしまう。
「次の時間で、球技大会の出場競技決めるじゃん?」
一輝の言う通り、次は授業をやるのではなく、明日行われる球技大会の説明だったり出場競技を決めたりする。
男子はサッカーかバスケ。女子はバレーかドッジボールの二択から選ぶことになる。
「なっ? 出てくれよ、頼むよ」
手を合わせてお願いをされる。別にサッカーが嫌だなんてことはないので、軽く頷いておいた。
すれば、一輝はガッツポーズをして喜んでいた。
「またお前とサッカーができると思うと嬉しいよ!」
「お、おう。そうか、それは良かった」
俺がサッカー部を辞めてからまだ半年も経っていないのだが、一輝は一日千秋の思いかのごとく肩を組んできた。
そうか球技大会の時期か。
新クラスの交友を深める名目で行われるため、四月に開催される学校行事。
しかし、隣に座る奈月には行事の効力が働かないように思える。
そんな奈月は球技大会のとき何をするのか、なんとなく訊いてみることにした。
「奈月は球技大会、どっちにするんだ?」
「アタシは余ったところに行く」
「余ったところって……。自由に決めていいんだぞ?」
「あんなの、アタシにとっては始めから選択肢がないようなものよ。どっちに行っても厄介者扱い。なら、最初から選択権を放棄して余ったところに枠埋めすれば平和解決」
悲観的過ぎる意見に俺は言葉を失ってしまった。その隙に奈月は沈んだ声で付け加える。
「それに……どうせアタシがいてもいなくても、問題ないわ」
奈月は諦念したように頬杖をついて遠くを見た。
その姿から、俺の脳内に過去の記憶がよぎる。
「まさかお前、また休むつもりか」
「……? なに驚いたように言っているの、当たり前でしょ?」
「お前こそさも当然のように言うな」
去年の球技大会、奈月は体調不良として休んでいた。そのことについて俺は心配していたのだが、後日奈月から仮病だったことを聞かされ驚き呆れたものだった。
「なぁ奈月、今年だけでも出ないか?」
「なんで?」
「なんでって、逆になんでっていうか…………。人生の内にこういう学校行事って数少ないし、貴重な経験だと俺は思うんだ」
「じゃあ来年出る」
「って言って出ないだろお前」
子供の言い訳か。夏休みの宿題の『明日からやる』じゃないんだぞ。
「それにほら、三年生になったら受験のこととかで頭がいっぱいになるだろうし、きっと純粋に楽しめるのはこれがラストになる」
なんとか今回だけでも奈月を参加させようと即興で思いついたことを口に出したものの、彼女の反応は芳しくない。
そしてさらに奈月は皮肉っぽい笑みを浮かべながらこう言った。
「友達のいないはみだし者は楽しめないわよ。個人競技があるならまだしも、団体競技しかないじゃない」
自らを嘲るように冷たい言葉を吐いた奈月だったが、彼女は間違っている。
「いや、なに言ってんだ」
だから俺は奈月の間違いを訂正してやる。
「友達ならここにいるだろ」
俺は自分自身を指差しながら言った。
「え」
すると奈月は驚いたように目を丸くする。いやいや、そんな意外だと言わんばかりのリアクションをとられても……。
「――なに? まさか友達じゃなかった?」
「いやっ、そんなことは……なくはないっていうか……」
奈月は言葉を詰まらせて焦っていた。
俺はここ一年間ずっと奈月とは友達の関係だと思って接していたが、当の彼女は全くそんなつもりじゃなかったというオチか?
俺が不安を抱いていると、奈月は目を泳がせながらまくし立てる。
「ま、まず、友達の定義から説明してくれる? どこからどこまでが友達と呼んでいいのか、そしてアンタがその友達の定義に値する条件を持っているのか証明を――」
「ほんとにめんどくさいな……お前」
うん、やっぱり奈月の友達は俺以外にいないだろうし、新しく作るのも難しそうだ。
睨みつけながら割り込んで言うと、ここで話は終わりだと代弁するようにベストタイミングで授業開始のチャイムが鳴る。
奈月は息継ぎをせずに喋ったものだから、はぁはぁと呼吸を乱していたのだった。
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