第4話 むっつり少女の告白

「あ、あのさ……黒崎くろさきくん、お昼一緒にいいかな?」


 四限の授業終わり。昼休みに入ってすぐのこと。凝り固まった身体をほぐすために大きく伸びをしていると、前から来川きたがわさんがやってきた。

 今日も変わらず一輝かずきと机を挟んで昼飯を食べようかと思っていたところだった。


「遥太……お前まさか……」


 いつの間にか隣まで来ていた一輝が驚きと疑いの眼差しをこちらに向けてくる。なんだか、まるで自分が裏切り者にでもなったような気分だ。

 来川さんも含めて三人で食事ができればいいのだが、昨日の下校時のことを考えると、この感じ、彼女は第三者を交えずに俺と二人で話がしたいのだろう。


 今日は来川さんの気持ちをくみ取ることにする。俺は一輝へ体ごと向けて手を合わせた。


「すまんな。次はお前の都合を優先してやるから」

「……はいはい、わかったよ」


 一輝は頭を掻くと諦めたようにため息を吐く。

 俺は「ありがとう」と言葉を置いてから弁当を持って来川さんと廊下に出る。


 さて、人気ひとけの少ない場所はどこだったかなと考えながら廊下を進んでいると、来川さんから話しかけられる。


「いやーごめんね、いきなり誘っちゃって」

「全然大丈夫だよ。それより、どうして鞄まで持ってきたんだ?」


 来川さんは昼休みなのにもかかわらず、学校指定の鞄を肩にかけていた。まさか今から下校するつもりじゃないよな。


 疑問の眼差しで見ていると、来川さんは少し俯く。


「それは……ちょっと、見せたいなって、思ってるものがあって……」


 注意していないと昼休みの喧騒に紛れて聞こえないほどにしおらしい声だった。

 心なしか顔が赤くなっていっているようにも見受けられる。

 それを誤魔化すためか、来川さんはブンブン顔を振ったと思ったらいきなり俺の腕を掴んだ。


「ほ、ほらっ! 早く行こう! 昼休み終わっちゃうよ!」


 言い終わるが早いか腕を強引に引っ張って廊下を突き進んで行く。

 すんでのところで転びそうになるのをなんとか堪えながら、来川さんに連れられることしばし、人の気配が全くない校舎裏に到着した。


 太陽の光が建物によって遮られていたり、吹き抜ける風が冷たかったりとするが、人の声が遠くから響き渡るここなら落ち着いて話ができそうだ。


 二人で石段に座る。

 そして弁当を膝の上に置いて食べ始めようかとしたとき


「ありがとね」


 来川さんがハッキリとした口調でそう言った。


 だが、突然の感謝の言葉に俺は何を言われたのか分からず、無言のまま来川さんの顔を見ることしかできなかった。

 俺の気持ちを察したのか、彼女は慌てて説明し始める。


「えっとね、前に一緒に帰ったときさ、私のこと……かっこいいって言ってくれたじゃん?」

「あの時のか」

「うん……。あれの、お礼が言いたくて」

「いや、別にお礼を言われるようなことはしてない」


 俺はただ本心を言っただけ。何もない自分とは対極的な彼女の姿を見て、羨ましく感じかっこいいと思った。

 ただそれだけなのだが、来川さんは首を大きく横に振った。


「そんなことないよ! 黒崎くんのお陰で、自分の趣味に結構自信ついたし……あ、でもまだちょっと怖い……でもでも! 私の好きなものを否定しなかったのは、嬉しかった」


 来川さんは笑顔を見せる。


「それでね、黒崎くんに……そ、その……」


 その表情が一転、強張り始め目が泳ぐ。


「その、黒崎くんは私の趣味のこと、否定しないでいてくれるんだよね?」

「もちろん」


 趣味を持っていない奴が他人の趣味を否定する資格なんてない。いや、自分に趣味があったとて、否定はしてはいけない。

 俺が来川さんの目を見て頷くと、また彼女も頷いた。何かを決心したような凛々しい顔つきになっている。


「これを、見てほしくて……」


 そう言って来川さんは持ってきた鞄に手を突っ込む。 中から出てきたのは、透明なクリアファイルだった。紙が何枚か入っているのが見える。


 そして一度深呼吸をした来川さんは両手を伸ばして手渡した。恥ずかしさから顔や目線は逸らされている。


 俺は両手で受け取り、ファイルを裏返す。


「おぉ」


 するとそこにはアニメ調のキャラクターがモノクロに描かれていた。見たところ設定の段階なのだろうか。

 ファイルから一枚取り出して詳しく見てみる。

 彼女の描いた絵はとても上手にできていた。絵のことに関して全く知識のない俺からでは、粗が全くないように見えるほど、本当によくできている。


「上手いね」

「……ありがと」


 素直な感想を言うと、一瞬、来川さんは目を大きく見開いたが、その驚いた表情はすぐに照れ笑いに上書きされた。


「これ来川さんが全部描いたのか」


 他の絵をファイルから取り出して問う。


「うん。私、趣味で絵を描いたり、たまに漫画描いたりしてて……。こうやって誰かに自分の絵を見せるの久しぶりだな…………」

「見せられる人がいたのか?」

「小学校のときの話だけどね。好きな漫画とかアニメのキャラを描いて友達に見せてたんだけど……」


 話の途中、来川さんの表情が曇る。あの下校時に見たものと一緒だ。話しづらい内容でもあるのかと察した俺は口を挟む。


「話したくなかったら無理しなくてもいいぞ」


 強制はしないと伝えたが、すぐに来川さんは首を横に振った。


「ううん、黒崎くんにならいいかな。それにここで勇気出さなきゃ」


 まっすぐ前を見ながら拳を作った彼女は、息を大きく吐いて呼吸を整える。やがて彼女の口から昔話が語られる。


「私ね、中学生の時に、BLに出会ったの」

「BLって、ボーイズラブか」

「そう」


 男性同士の恋愛を指す言葉だ。主に女性向けのコンテンツだと思って俺は全く手を出していないが、あの日、来川さんと書店で出会った日。彼女はそのジャンルの漫画を抱えていた。


「まぁその、私は今もBLが大好きな腐女子なんだけど……ハマるきっかけになった漫画に、中学生の時に出会ってね。友達にも教えてあげようと思って、スマホで検索したのを見せたんだけど…………『なんかキモい』って言われちゃって」


 その友達は何気なく本心を言ったのだろう。何も変わらない日常の会話で、普段通りの雑談の中で。けれども、その特に意識のない嘘偽りのない言葉が、来川さんの趣味を否定する結果になってしまった。


「私とっさに『だよね~』って合わせちゃって……」


 来川さんは力なく地面に向かって笑った。


 過去のトラウマから、彼女は自分の好きなものを打ち明けられずに怯えていたのだろう。

 また誰かに否定されるのを怖がり、友達やクラスメイトに趣味がバレるのを避けていた。


 けれども、アクシデントではあったが、今はこうして自分の趣味を俺に伝えて、とてつもない勇気を出して自分の絵を見せることができた。


 来川さんが抱く趣味の露呈に対する緊張や恐怖に、残念ながら俺は完璧に共感してあげられない。だって俺には趣味がないから。

 だが、気持ちに寄り添うことはできなくても、彼女にとっての唯一趣味の話ができる友達にならなってあげられる。


「来川さん、よかったら君の描く絵をこれからも見せてよ」

「え、いいの?」

「あぁもちろん」


 友達になりたいだけではなく、彼女のことを応援したい気持ちもあった。


「……じゃあ、さん付けはやめよ? もうそんな距離ある関係じゃないんだし」


 言われてハッと気がついた。俺は無意識に『来川さん』と呼んでいたが、よくよく考えてみれば同じ学年だし、彼女の秘密を共有をしている。

 もう俺たちは他人同士ではない。


「そうだな。それじゃあ……来川」


 ……言われたとおりにさん付けをやめてみたが思ったよりも恥ずかしかった。そう思っているのは俺だけだったのか彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 俺は照れを隠すために持っていた紙に目を移し、話題も移した。


「しかし本当に絵が上手いな」

「え、えへへ……」


 褒めると彼女は口元を緩めて笑みをこぼしていた。表情に出やすい人だ。


「――えっ」


 ぺらりと紙をめくり、最後の一枚を見た瞬間声がでた。


 そこに描かれてあったのは、露出の激しい女性だった。大事な部分は隠されてはいるものの、豊満な肉体をこれでもかと強調しており目のやりどころがなかった。


「――あれっ⁉ な、なんで!」


 耳まで真っ赤になっていた来川はすぐさま俺の手から紙を奪い取る。そしてくしゃくしゃにしながら鞄へ詰め込む。


 まだ涼しい春風が俺たちの間を駆け抜けるも、気まずい空気までは流れていかなかった。

 来川は顔が赤いまま顔を伏せて、まるで小鳥のように一口が小さくなっていた。


 おかげで何も話しかけられず。弁当と口とを往復する箸だけが動く。


 でも、いつまでたってもこの空気のままでは息が詰まる。

 どうしたら打破できるかと考えた挙句、俺はこんなことしか言えなかった。


「まぁ、あの、なんだ…………。来川がBL漫画を買うところを既に見てるし、今更あんま……俺は気にしてないから…………」


 反応がなかった。

 風に揺られ葉と葉がこすれ合う音や、未だ鳴りやむ気配すらない昼休みの喧騒だけが耳に入る。

 俺は恐る恐る、来川へ目線を移す。すると、彼女は涙目になっていた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁん! やめてぇぇ! 今はそっとしておいて!」


 逆効果だった。来川は自分の手で顔を覆って体を丸めてしまう。彼女の顔がまたさらに赤く染まっていった。


 俺は心の中で誠心誠意、来川へ向けて謝りながら昼食を続けたのだった。

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