第3話 むっつり少女の真意

 今日の授業は全て終了し、その後にあった帰りのホームルームも終われば、みんな部活やら委員会やらで教室からは人が去り閑散としていく。


 部活が無く、今日は委員会の当番でもない俺はといえば、友達に一緒に帰ろうと声をかけたのだが、皆には部活があるため断られてしまった。仕方がないのでイヤホンで音楽でも聴きながら帰宅しようかと鞄を探っていると、一人話しかけてくる者がいた。


「黒崎くん、帰るの?」


 振り返ると、来川さんはにっこりと笑みを浮かべながらやってきた。


「そうだけど。来川さんも?」

「うん、部活が休みで。だから一緒に帰らない?」

「あぁ、いいよ」


 断る理由はないし、一人で帰るのは退屈だったので誘いを承諾した。

 俺たちは教室を出て階段を降り、下駄箱で靴を履き替えてから校門を通って学校の敷地外へ出る。


 春は陽気で暖かいイメージがあるが、午後になれば肌寒くなり、風が吹けば体が震えてしまうほどの涼しい気候だ。

 隣を歩く来川さんも寒いのだろうか、手を半分ほどカーディガンの袖で隠している。なのにブラウスのボタンは閉め切ってないし、スカートは短い。

 同じ年齢のはずなのに女子高生というのはよくわからん。防寒を犠牲にしてまでファッションを突き詰める精神は、俺には理解できなかった。


 理解できないと言えば、今日の来川さんの行動。

 ずっと俺の後をつけて、監視していたような行動。


 俺は現在の二人きりの状況で、あの行動の真意について聞こうと口を開いた。


「なあ来川さん」

「なに?」

「今日はどうして俺のことをずっと見ていたんだ?」

「あ、あぁ…………あはは……」


 来川さんは居心地が悪いように肩に乗ったおさげをいじり始める。その後も言いづらそうに口を中途半端に動かしていたが、やがて弱々しい声ながらも言葉にした。


「その……ごめんね。怖かったんだ、本当に私の趣味のこと、言わないか」

「なるほど……」


 口約束程度で本当に自分とした約束を守ってくれるかと不安になり、常に俺を視野に入れておきたかったのだろう。

 そして恐らく、彼女が急に教科書を貸してくれたのは、少しでも俺に利益のある行為をして約束を守ってもらおうという画策だったのだろう。

 言い換えてしまえば、俺は一方的に来川さんの弱みを握っていたことになる。


「黒崎くんが約束のこと忘れていたりしたらどうしようって、思っちゃうと、なんか……見てないと不安でいっぱいになっちゃって……。でも、黒崎くんは約束を守って、誰にも私の趣味を言わないでいてくれてたのに、私は信じきれなくてごめんね」

「いや、いいって」


 来川さんの謝罪を俺は軽く受け止める。


 今日一日の行動理由が分かっただけで充分だ。それに、悪意を持った行為でなかったのなら、彼女が気に病む必要はない。


 しかし、たった今新たな疑問が出てきた。どうして来川さんは自分の趣味をそこまで過剰に知られたくないのか。


 人間、他人に知られたくない一面は誰しも持っているものではある。

 エッチな本を持っているところなんて見られたくない。家族や知人といった近しい人物ならなおさらだ。

 その気持ちはわかるのだが、一日中俺を監視して俺のサポートまでして。ここまで怯えている理由がわからない。何か別の理由があるのだろうか?


「なぁ来川さん。どうして自分の好きなものをそんなに知られたくないんだ?」

「……ん。……えっと」


 来川さんは言いづらいことでもあるかのように言葉を詰まらせる。そしてそのまま顔を下に向けてしまった。

 そんな弱った姿を見せられてしまえば、無理強いをするわけにはいかない。

 俺たちはまだ出会って間もないから、他人の領域に踏み込み過ぎるのは良くない。


「言いたくなかったら、別に言わなくてもいいよ」


 彼女に何があったのか、俺はわからない。


 けれどもあの日。来川さんは学校に通うときとは姿を変えて、さらに眼鏡や帽子を装着し顔を隠して書店へ訪れていた。人に知られたくないと思いつつも、リスクを背負ってでも好きなものを手に入れようとしていた。


 せっかくそれだけ、自分が好きだと言えるものがあるのに、それに蓋をしてしまうのはもったいない。


 俺のように好きなものを失ってほしくない。


 だから、これだけは伝えたかった。


「好きなものがあるって、俺はすごいことだと思うんだけどな」


「え……?」


「俺には将来の夢みたいな大きなものがなければ、自分の好きなこととか趣味が分からない。だから何かを好きになって、何かに熱中している人がかっこよくて羨ましい」


 夢がない。特技がない。才能がない。

 俺は何も持っていないから、何かを持っている人が輝いて見える。


 来川さんには持つものがあるはずなのに、何を悩むのか、どうして自信がなさそうにしているのか分からない。


「か、かっこいいって……そんな…………」


 来川さんは頬を染めて、そわそわと手を胸の前で動かす。


「かっこいいよ。だから、何かに怯える必要はないって」

「――っ!」


 突然、来川さんが足を止める。俺はつんのめりそうになるのを堪えて振り返った。


「あっ、ごめんごめん! なんでもない」


 目が合うとすぐに歩き出した来川さんの歩調は早足だった。合わせるように彼女の隣を歩く俺は、それから口を開くことはなかった。


 ただ、横を見てみれば、先ほどまでのどこか緊張感漂う来川さんはいなくなっているように思えた。口元を緩めていて、頬を少し染め、心なしか両肩に乗ったおさげが弾んでいるように見えなくもない。


 俺たちはお互いに話しかけることもなく、数分間人通り少ない帰路を進んでいくと、来川さんが十字路で止まる。


「あ、私ここ曲がるから」

「そうか、俺は真っすぐだ」


 ここで別れることになるらしい。

 彼女は胸の前で小さく手を振っている。


「じゃあ……ばいばい。また明日ね」

「おう、またな」


 俺が軽く手を上げて答えると、それから互いに前を向いてそれぞれの帰り道を歩いていく。

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