第2話 むっつり少女の追跡

 学校までは歩いて二十分程度で着く。もうほとんど散っていった桜の並木道を通り抜けて、線路沿いを少し歩いて行けばもう到着だ。

 校庭からは運動部の掛け声が聞こえてきて、体育館からはきっとバスケ部のだろう、ボールを床に叩きつける音が伝わる。


 各部活の朝練風景を横に俺は下駄箱まで向かった。今日は少し早起きをしてしまったせいか欠伸あくびが出てしまう。

 眠気に抗いながら校舎内に入ると、下駄箱の影に誰かがいることに気がついた。


 二つに結ばれ両肩に乗った明るい茶髪はふわふわとしていて、大きな瞳に小さな口は幼げな雰囲気がある。

 ボタンが二つ開けられたブラウスの上からカーディガンを羽織っており、スカートは風でも吹いたら見えてしまうのではないかと思うほどに短い。その出で立ちから活発な印象を受ける。


「あ、やっほー! おはよ、黒崎くろさきくん!」


 彼女は俺と目が合うなり手を振ってきた。そんな突然のことに俺は逡巡してしまったが、とりあえずこちらも手を振り返して「おはよ」と挨拶も返しておいた。


 嬉しかったのか彼女はおさげを揺らしながら笑顔でうんうん頷きもう一度挨拶してくる。


 えっと……どちら様でしたっけ……。靴を履き替えながら彼女の姿を見て、そんなことを考える。

 まだクラス替えをしてから一か月も経っていないため席が近い人しか顔と名前が一致しない。相手に「誰ですか」と正直には言えないので、どうにかして思い出そうと頭をフル回転させながら上履きを履いていると向こうから話しかけられる。


「ねぇ……」


 顔を近づけられ耳元で囁くようにして言われたものだから、ビックリして体勢を崩して後ろにこけてしまいそうだった。女子のほのかな香りにも気を取られてしまい、おかげで途中聞き取れなかった。


「――覚えてる?」

「え」


 もしかして、自分のことが覚えられていないと感づかれたか。俺は咄嗟に否定した。


「いや、覚えてるよ。もちろん覚えてる。忘れてないよ」

「よ、よかったぁ」


 彼女は安堵したのか、その小さな口からため息を吐く。俺のそばでそんなことをするもんだから吐息までもが何やら艶めかしく聞こえてしまう。


「クラスメイトだけは、お願いね?」


 クラスメイトだけは……。そのつい最近聞いた言葉で俺はようやく彼女のことを思い出した。

 先日、偶然書店で出会った来川きたがわ冬帆ふゆほだ。あの時とは違って眼鏡はかけていないし、髪は結んであるし、全く気が付かなかった。


 さっきの「覚えてる?」という問いかけは、自分自身についてではなく自分の趣味を口外しない約束についてのものだ。

 意味をしっかりと理解したうえで、俺は改めて来川さんに向かって言った。


「ちゃんと約束は覚えてるから安心してくれ」


 そもそも彼女の趣味を俺の友達との会話に使ったところで話が広がらない気がするので、約束されなくても初めから言うつもりはなかった。


「そっか、なら安心だ……」


 来川さんは強張っていた表情を綻ばせて、そう呟いた。

 呟いたのに……。





「…………」

 三限の授業が終わり、そろそろお腹が空いてくる時間帯。次の授業が始まる前に教科書やノートを机の上に出そうかと準備をしているとき、前方の席から視線を感じて顔を上げる。


 来川さんと目が合う。すると、彼女は慌てて前を向いてピンッと背筋を伸ばす。

 明らかに不自然な行動だ。

 だがこれは今に始まったことではない。こんなのが今朝から続いていた。


 何か用事があってこちらにアイコンタクトを送っているのかと思いきや、俺から話しかけても「なんでもないよ~」と微笑みながら逃げるように距離をとられた。

 移動教室の際も何か話すこともなく、ただただずーっと俺の数歩後ろをついてきていた。

 自分の後をつけられていれば、なんでもないと言われても気にしない方が難しい。


 俺と来川さんの関係は、たまたま同じクラスになっただけの他人。主な会話は先日の書店と今朝の下駄箱前だけ。そして俺は彼女の顔を覚えていなかった。

 それほどの関係値である来川さんが俺のことを見ていると思うと、何をされるのか、何を考えているのか気が気じゃない。


 彼女の目的は何なのか、考えているときだった。


「よっ」


 急に後ろから肩を叩かれ驚きで体が跳ねてしまう。


「ビックリした……一輝かずきかよ」


 新木あらき一輝かずき。黒髪短髪で四角いフレームの眼鏡をかけた彼とは高校一年生から同じクラスで部活も同じだった。今では一番の親友。


「何を驚いてんだよ」


 少しバカにしたような口調で言ったあと、一輝は口角を上げた気味の悪い笑顔を近づける。


「それより、もう女子と仲良くなったのか?」


 そして目線だけを来川さんに向けてひそひそと声を小さくした。


「いや、仲良くはない」

「嘘つけ、会話してたくせに」

「会話をしたかどうかが仲良しの基準なのか? 絶対違うだろ」

「新学期で女子と会話できるのは仲良い証拠だろ。なにがあったんだよ? あの子、めっちゃお前のこと見てるし」


 もう一度、今度は一輝と共に来川さんへ目線を向けてみる。

 見たところ、来川さんは後ろの席にいる友達らしき女子と、すぐ近くに立っている女子と談笑している。楽しそうに三人でお喋りをしているようだったが、時折チラチラと来川さんの目が俺たちのいる方向へ動いていた。


「お前、何やったんだよ?」

「別に……何も……」


 事情を説明しようにも、当の来川さんから他人には話さないことを約束してるため説明ができない。嘘の一つでも言えればこの話題を終わらせられるかもしれないが、生憎あいにくその嘘が思いつかないうえに、思いついたとてバレたときのリスクを考えると言い出せない。


 歯切れが悪い俺の態度に一輝は不信感を積もらせる。彼の眼光が突き刺さる。

 俺はいたたまれずに口を開く。


「本当にそんなんじゃないんだって」

「どうだか」


 やっぱり信用には値しないようで、一輝は腕を組んで見下ろしてきた。


 説明ができないんじゃ、どうすることもできない。

 いったん一輝のことは無視して、机の横に置いた鞄から教科書を取り出そうと手を突っ込む。がさごそと鞄の中を探っていると、一瞬にして背筋が凍るような感覚に陥った。

 いや、まさか……と思い、今度は入念に鞄の中を見てみたが…………


「あ、教科書忘れた……」

「おいおいマジかよ。教科書持ち帰るとかお前ってそんなにガリ勉だったっけ?」

「いや……家でやることがないから、教科書でも読もうかと思って」


 言うと、一輝は顔を若干引きつらせていた。


「うわぁ……ついに勉強に目覚めちゃったか?」

「いっそのことそうであってほしかったけど、結局はつまんな過ぎて五分も続かなかった」


 睡眠導入には効果的だったが、知識は何一つ身に付かなかった。


 さて、教科書を忘れてしまったがどうするか。席が離れた一輝から借りるのは避けたい。であるならば、俺の隣に座る人から借りようと体を左へ向けようとしたとき。


「く、黒崎くん! はいっ、これ」


 いつの間にかすぐ右に来川さんがいた。彼女は俺が求めていた教科書を手にして、前に差し出している。


「私の貸したげるから」

「お、おう……ありがとう…………」


 勢いに押されて思わず受け取ってしまった。


「あっ私のことは気にしなくていいよ。友達から借りるからさ」


 と、言い置いて来川さんは自席へと戻っていき、先ほどまで話し合っていた女子に手を合わせていた。


「これで仲良しじゃないって無理があるだろ……」


 一輝は作った拳を震わせて俺を睨んだ。何を怒っているんだこいつは。


 事情を知らない人からしたら、物の貸し借りができるほどには仲が良いと見えてしまうのは自然なことだ。だが、実際俺と来川さんはまだそんな間柄ではない。


 そもそも、どうして俺が教科書を忘れたことを知っていたんだ。まさか、さっき俺が「教科書を忘れた」と呟いた声を聞いていたのか?

 もうここまで来たら監視だ。俺の行動を逐一監視しているとしか思えない。


 だとしたら、教科書を貸してくれた理由はなんだ?

 他の人から見てみれば、俺と話していた一輝から借りるか、近くの人から借りるのが定石と思われる。だが、来川さんは席が離れているし自分から進んで貸してくれた。


 何か、目的があるのだろうか。


 俺が来川さんの行動について悩んでいると、突然、一輝の声音が落ち着いたものになる。


「お前ここ最近、少しおかしくないか? 部活も急に辞めちゃうしよ」

「お、おう……」


 その真面目な雰囲気に俺は思わず目蓋まぶたを大きく開いた。


「まぁ、お前自身のことだから俺は口出ししないけどさ。でも俺はまた一緒に部活をやりたいと思ってる。だから戻ってきてくれよ」


 友達から真正面にそんな真剣なことを言われてしまい、俺はどう対応したらいいか動揺してしまった。


 と、授業開始のチャイムが鳴る。それと同時に先生が入ってきた。

 先生の姿を目にした瞬間、一輝は慌てた様子で席へと戻るのであった。

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