青春ラブコメは夢見る少女たちと共に

利零翡翠

第1話 むっつり少女の悲劇

「どうしよ……」


 書店で適当に立ち読みしていた本を棚に戻しながら俺はため息と共に思わず呟いてしまった。

 読んでいた本に対して発言したのではない。むしろ本の内容なんて全く覚えていない。

 先日学校から課された作文の題材『自分の進路について』に頭を悩ませて、気晴らしにあえて遠くの書店まで歩いてきたのだが、この通り全然効果なんてなかった。


 課題の期限は一週間もあったのに今となっては残り三日。しかし一文字も書けていない。

 今俺がやっていることは問題の先延ばしでしかない。そんなことはわかっているのだが、だからと言って机に向かって書こうとしても何一つ進む気配はなかった。


 俺には将来の夢なんて大層なものがない。

 自分が何をしたいのか、将来どうなりたいかのビジョンが見えない。

 数週間前から高校二年生になって大人へのタイムリミットが近づくなか、何もない自分に焦りを覚えていた。


 はぁ……とため息を吐き、せっかくここまで来たのだから気休め程度でも作文の書き方が載っている本でも買おうかと思いながらプラプラっと歩き始める。


 すると本棚の角から現れた少女と危うく衝突しかける。


「――きゃ⁉」


 接触はしなかったものの、驚いた少女は腕に抱えていた漫画を落としてしまう。


「すみません!」


 俺は咄嗟に謝り、彼女が落としてしまった漫画を拾おうと屈むと。


「ん?」


 その漫画の表紙に、半裸の男性二人が抱きしめ合っている姿が描かれていることに気が付いた。これは……?

 伸ばした腕を止めて目線を泳がしてしまったが、なんとか平静を装って拾い上げた漫画を彼女に手渡す。


 けど、やっぱり恥ずかしくて目を合わせられずに逸らしてしまう。それは相手側も同じだったのか、か細い声が聞こえてきた。


「あっ、ありがとうございま……」


 少女がお礼の言葉を中断した。

 何かあったのか、それとも自分が何かしてしまったのか、俺は恐る恐る目線を彼女の顔へ向ける。

 灰色のキャップを深く被り、丸いふちの眼鏡をかけていて表情を鮮明に窺うことはできなかった。だが彼女の頬がたちまち真っ赤に染まっていくのは見えた。


「あ、あ、あぁ……」


 空気の抜けるような声を出して本当にどうかしたのか尋ねようとしたときだった。

 問う前に彼女は急に顔を上げ、眼鏡の奥にある潤んだ目を大きく開いて見つめてきた。


「お、お願いします! この事だけは誰にも言わないでください!」

「は、はい?」


 そして突然頭を下げて大声で懇願し始めた彼女。俺は戸惑いを隠せずまぬけな声が出た。


「特にクラスメイトと私の親友には絶対に!」

「クラスメイト……?」


 いきなりお願いされても何がなんだか分からない。というか静かな書店であまり騒がないでほしい。他の人からの突き刺さるような視線が痛い。

 第三者からあらぬ誤解を受けてしまったら事態はもっと大事になってしまうだろう。今は目の前の彼女に冷静を取り戻してもらうことを優先した。


「あの、とりあえず落ち着いて……落ち着いて下さい」

「その! どうか……言いふらさないでください……! 何でもしますから!」

「――な、なんでもっ⁉」


 何でもということはそれはつまり何でもということであり何でもいいってことか⁉

 思わず唾をゴクリと鳴らして飲み込んだ。


 庇護欲をそそられるやや小柄な体型。肩甲骨まで真っ直ぐ伸びた明るい茶髪。

 丸眼鏡の奥から向けられる上目遣いの潤んだ瞳に長いまつ毛。幼げな印象のある小さな口。

 そんな美少女と言っても遜色ない彼女に『何でも』と口にされてしまえば、様々な妄想が膨らんでいくのが思春期男子のさがだ。


 いや、ダメだ! 弱みにつけこんで脅すなんて絶対やっちゃダメだ。

 彼女を落ち着かせようとしていた俺が冷静さを欠いていた。 頭を振って煩悩を追い払い我に返る。


 呼吸も整えたところで……そもそもだ。そもそもの話なんだが……


「いや、えっとどちら様ですか?」

「ふぇ?」


 少女はぽかーんと口を開ける。一気に場が静かになった。


「あれ、黒崎くろさきくん……だよね?」

「……はい、そうですけど」


 俺の名前を知っていた。

 てっきり初対面だとばかり思っていたのだが、まさか……前にあったことがあるのか? だとしたら俺、結構失礼なことを言っちゃったんじゃ。

 彼女のことを思い出そうと記憶を遡っている間に、また彼女も顎に手を当てて思案し始める。


「あれ……あれ…………? もしかして私が来川きたがわ冬帆ふゆほで、同じクラスだってこと、気づいてなかった……感じ?」

「あ、あぁ来川さんね。あぁー……今年から同じクラスになった」


 思わずそんなことを言ってしまったが、全く記憶になかった。なんなら今もわからない。


 新学期に入ってまだ四月の半ばだ。新しいクラスメイトの顔を全員覚えていない上に今着ているのは見慣れた制服姿でない。そしてキャップ、丸メガネを着用しているため顔の情報が隠されている。こんな状態で思い出すなんて難しすぎる。


「き、気づいてなかったんだ…………。じゃあ私、自分で……」


 自分の失態に気がついた彼女は俯き徐々に声が震えていった。


「あ、あの……どうか……この事は……秘密に、お願いいたします…………」


 過剰に丁寧な口調で言ったあと、頭を動かしたのかどうか微妙なところではあったが一礼をし「失礼しました……」と彼女は漫画を抱えて早足でレジへ向かっていった。

 見られてもなお買うのか……。

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