第6話 ヘビーメタル
川島の場合は、
「物忘れの激しさ」
というよりも、自分の中にある意識として、
「モノを覚えられない性格」
というのが、ピッタリと当て嵌まるだろう。
どちらが重症かというと、後者の方だと思うからだ。
物忘れするのは、忘れないようにメモを取ったりして頭で覚えておけるようにすればいいが、モノを覚えられないのは、最初から覚えようという意識がないのか、覚えられないという気持ちが頭の中にこびりついてしまって、その呪縛から逃れられない感覚なのかのどちらかに感じる。
そうなると、忘れることよりも覚えられない方が、かなりの重症に思えてくるのであった。
「再婚ですか? そうですね、あまり考えたことはなかったですね」
というと、
「どうしてですか?」
と聞かれたので、
「僕の場合は別れた時が最悪だったんですよ。それまでいろいろ話をしてきたつもりだったのに、急に無口になられて、気が付けば別れようなんて言い出すんですよね。僕にとっては青天の霹靂で、理由を訊いてもハッキリとは言わない。しかも、もう話すことはないなんて言われれば、どうすればいいのか分からないでしょう? それってもう地獄ですよ。信じていた相手に裏切られるというのってこういうことなのかと感じました」
というと、
「なるほど、そういうことだったんですね。きっと、一番接しやすかった相手が一番接しにくい相手になって、どうしていいか分からずに、孤独感が焦りに繋がっていったんでしょうね」
と、宇月さんは冷静に分析していた。
「宇月さんの場合はどうだったんですか?」
「私の場合も似たようなところはありましたね。私も急に無口になって考え込んだりしました。旦那がそれに気づいて、話しかけてくれるかなと思ったんですが、結局話しかけてくれることはありませんでした。その時、私は一番孤独を感じましたね。焦りもしました。でも表に出すことはしませんでした。そして堂々巡りを繰り返しながら出した結論は、離婚だったんです。つまり、初めて旦那に離婚を切り出したその時には、すでに腹は決まっていたということですね」
という宇月さんの話を聞いて、
――そういうことだったのか。何となく分かってはいたけど、自分以外の誰かからその話を聞くと信憑性を感じる。特に相手は宇月さんであれば、余計にそう感じられて仕方がない――
と感じた。
「僕の元女房も同じだったんでしょうね」
「きっとそうだと思います」
と言って、少しだけ二人は無口になった。
その沈黙を破ったのも宇月さんだった。
「私、趣味で小説を書いたりしているんですが、そういう趣味を持たれるというのもいいかも知れませんよ」
と宇月さんが話してきた。
「小説ですか? 僕も学生時代に少しだけ書いてみたことがありましたね。あの時代はまだまだ小説を書いてみたいと思っていた人が多かったですから、僕もちょっと齧ったという感じでしょうか?」
「どんなジャンルだったんですか?」
「僕は、ホラーのようなオカルトのような感じですかね。都市伝説的な話から入って、ごく普通の生活をしている主人公が、ふとしたきっかけで、不思議な世界に入り込んでしまうという、そんなお話ですね」
というと、
「いわゆる、最後の数行で、どんでん返しを起こしたいというようなお話ですね」
「ええ、そんな感じでしょうか」
「だとすると、きっと短編だったんでしょうね」
「ええ、よくお分かりですね」
「あの当時、そういう小説が流行っていたような気がするんです。私も読んだ小説の中には、そういう小説も多かったんですよ。でも、そのほとんどは短編でした。文庫本にすれば五十ページくらいまででしょうか? それくらいがしっくりとくる小説なんです。似たような作風の小説を長編で読んだことがあったんですが、なかなか理解するのが難しかったです」
と言われた。
「でも、今は長編も多いような気がしますが」
というと、
「確かにそうですね。流行りが変化してきたのか、それとも小説が進化してきたのか、私は前者だと思います」
「僕もそうじゃないかと思います。ただ、それは悪い方に変化していったわけではなく、バリエーションが増えてきたという意味で、いい方に変わってきたのではないかとも思えるんです」
というと、
「確かにそれは言えますね。出版業界は冷え切っていますけど、小説を読みたいという人が減ってきているわけではないですからね」
「でも、活字離れの傾向はしょうがないところもありますね」
「日本にはマンガという文化がありますからね。でも、私はバーチャルに訴えるのではなく、文字によって想像させられる方が好きなんです。これが小説の基本なんじゃないでしょうか?」
と、宇月さんは言った。
そして、宇月さんがまた話を微妙に変えてきた。
「さっき、クラシックや、プログレの話をしたでしょう? 川島さんは音楽に関して造詣が深そうなので、私もちょっと音楽的な観点から、お話を分析できればいいと思っているんですよ」
と言った。
「ええ、音楽は好きだし、そのジャンルについても、その時々でいろいろ考えることもあります。なんだか、音楽のジャンルが人生の縮図のような気がしてですね。一人の人が一度の人生の中で、その時々でいろいろなジャンルを感じながら生きている場合もあれば、逆に一つのジャンルを貫いている人間同士が仲良くなったり、夫婦になったりしていると思うと面白いものですよね」
「私の旦那だった人は、ずっと何かのジャンルだったような気がするんです。あの人との人生に疑問を感じ始めた時、何が合わないのかって一生懸命に考えました。私も自分の人生を顧みることにしないと、不公平ですからね。そしてそうじゃないと、結論など出るはずがない。そう思ってお互いの性格やこれまでの一緒にいた時間、そして出会う前の時間まで想像してみました。でも、どうしても堂々巡りを繰り返すんです。お互いに交わるところのない平行線を感じるんです。私はそこでふと感じたんです。『堂々巡りを繰り返すから結論が出ないのであって、そもそも堂々巡りを繰り返すということが、お互いの無理を押し通してきた証拠なんじゃないかな?』ってですね。それが結論であって、修復は不可能だって考えたんです。しかも、それを本当は最初から分かっていたって思うようになったんです。つまり結婚した時からですね。分かっていて強引に自分の気持ちにウソをついてきたと感じるようになると、もう後戻りはできませんでした。何があろうと離婚してしまわなければいけないと思ったんです。だから私は、鬼になりました。相手が私の顔を見るのも嫌と思うくらいにさせたんです。さっきの川島さんの話を聞いて、旦那も同じことを思ったんだろうなと思うと、川島さんに対して、もう一度結婚の意志があるのかどうかを聞いてみたくなったんですね」
というではないか。
宇月さんの話を聞くと、あの時自分の奥さんも同じようなことを考えていたのだと感じた。
ただ、一つ大きなショックだったのは、
「結婚した時から、お互いが合わないのを無理していた」
と言われたことだった。
実はその感化右派川島の中にもあったのだ。もちろん、最初からあったわけではなく、もし、最初に感じたとすれば、それは女房が自分と距離を置こうとした時ではないだろうか、それまで自分は女房を見ながら、自分のことを考えたことはなかった。考えていると思っていただけだった。自分が悪いから女房が話さなくなったと思いたくないという一心があり、それを否定したくて、
「何かあれば相手から言ってくるだろう」
として、すべてを相手にボールを与えることで、逃げていたような気がした。
そのことを宇月さんが教えてくれたような気がした。
少し今の宇月さんの話を聞いたうえで、何とも考えがまとまらないので、
「宇月さんは自分をどのジャンルだと思いますか?」
と聞いてみた。
「私はたぶん、一生で一つのジャンルを生き抜くというタイプではないと思うんです。その時々で違うジャンルなんじゃないかってですね。だから今はどんなジャンルかと聞かれたと思うと、私は、『ヘビーメタル』と答えるんじゃないかと思うんです」
という、少し意外な言葉が返ってきた。
「ヘビメタですか?」
と思わず聞き返したが、
「ええ、ヘビメタですね。それは、きっと趣味で小説を書きたくなったという自分の意志がそう感じさせるじゃないかって思うんです。ヘビメタというのは、発想として、犯罪だったりオカルトだったりのものが多いんですが、私も小説のジャンルとしては、ミステリーやオカルトを考えることが多いんです。実際に今まで読んできた小説もそっちの分野が多いですからね」
と言われたので、小説の分野ということで訊いてみたくなった。
「宇月さんは、嫌いな小説のジャンルというのはあるんですか?」
「そうですね。嫌いというか、自分の中でのNGですね。読みたくもないと言えばいいですかね。一つは恋愛ものですね。学生時代には青春小説の一環としての恋愛、いわゆる純愛関係は読んだことがあったんですが、どうも不倫やドロドロした恋愛というか、愛欲系の小説はどうも苦手でした。基本的に、恋愛を正当化して考えようとするところがあったので、結婚も含めて、最初から自分には制限のようなものがあったんじゃないかって思うようになりました。それからもう一つ読みたくないジャンルとしては、異世界ファンタジー系の話ですね。最初から敬遠していたと言ってもいいと思います」
そこまでいうと、少し宇月さんの表情に変化が見られたような気がした。
嫌悪というか、憎悪というまでにはならないが、離婚の話をしている時でもそんな表情をしなかった宇月さんだったのにである。唇の端を噛んでいるというか、歯ぎしりでもしているかのような雰囲気であった。
また軽い沈黙が続いたが。今回は口を挟む気が川島にはなかったので、それほど長い時間だとは思わずに待っていると、徐々に宇月さんの口が開いてくるのを感じた。
「異世界ファンタジーというのは、最近では結構たくさんの人が書いているんですよ。猫も杓子もというと大げさかも知れませんが、これって、まるで二十年くらい前の俄か小説家人口と似ているような気がしてですね」
「今から二十年くらい前というと、そうですね。あの頃は確かに猫も杓子も小説家を目指していた時代がありましたね。自費出版社系の会社が増えてきたのもその頃だったし」
というと、
「ええ、それまでの常識を打ち破った画期的なやり方で一世を風靡した自費出版社系の会社だったんですが、結局は自転車操業と、時代の流れであっても、大きな仕組みの流れを変えることができなかったというべきでしょうか? やはり一つの事業を回すのには、どれだけのまわりを動かさなければいけないかという分析ができていなかったんでしょうね。実際にやってみないと分からない部分もあったでしょうが、やはり時代がそれを許さなかったのか、最初から無理だったのか、どっちなんでしょうね・」
と聞かれたので、
「どっちもじゃないでしょうかね。そもそも自転車操業しかできないような新興産業はダメですよ。もっとも、新興産業だったからこそ、自転車操業しかできなかったのかも知れませんがね。それを思うと数年で消え去ったのも分かる気がしますね」
というと、
「それはきっと、全世界を席巻したけど、十年くらいでブームとして消えていったプログレとは違うんでしょうね。プログレは少なくとも否定されて下火になったわけではないし、今でも燻りながらもジャンルとしては残っていますからね。でも、自費出版系の会社は、その系統は受け継いだ会社も残っていますが、ほとんど自費出版系ではやっていけません。何しろ社会問題になって、裁判沙汰もいくつもありましたからね。完全に『悪』というレッテルを貼られた状態ですからね」
と、宇月さんは言った。
「ええ、その通りだと思います。僕も一時期自費出版社系の会社に原稿を送って評価してもらったことがあったんですよ。ちゃんとした評価をしてくれたので、そういう意味では好感がもてたんですが、そのあとの営業がいかにもあざとかったので、すぐに自分から引いてしまいましため。まるで夢から覚めたかのような感じでした」
「それはよかったというべきでしょうね。本当に真面目に出版を考えている人の心の隙間に入り込むような企業体勢でしたから、出版してしまった人も多かったですよね。それがネットの普及と一緒になって、今の出版不況を決定的なものにしたのかも知れないですね。何しろ紙を媒体にしてしまうと、在庫などの問題が発生しますからね」
と宇月さんはそこまで言って、また少し考え込んでいるようだった。
やはり宇月さんも自分と同じで、モノをなかなか覚えられない性格なのかも知れない。そして忘れないように、頭の中で一度整理する必要があるのだろう。
――きっと、自費出版社の話しはここで終わりだな――
と考えた。
「異次元ファンタジーというと、私は本当にただのブームで終わってしまうのではないかと思っていたのですが、どうもそうではないんですおね。それが私には気に食わないんですよ」
と、宇月さんはまたしても、苦み走ったような顔になった。
「忌々しい」
という感情は、こういう表情をいうのではないかと思った。
「異次元ファンタジーというと、今のようなネットで小説を書くようになってから増えてきたんですかね?」
「以前からもあったんでしょうけど、他のジャンルは書く人が減ってきたけど、異次元ファンタジーに関しては書く人が減っていないということだと思います。それは、ネットの影響が強いだと思うんですけど、元々自費出版社系に投稿していた人のほとんどは、自費出版社が倒産したり、問題になったことで書くのを辞めてしまったりしていると思うんですが、それでも書いて発表したいと思っている人は、ネットの無料投稿サイトなどに登録して、ただ作品を発表するだけでもいいと思っているんでしょうね。下手にお金のかかることはこりごりだという謂見合いもあります。お金がかからないから安心して投稿もできるし、そこにSNSの機能が追加されて、読んでくれた人が感想を書いたり、交流の場を持てるサイトもあったりと、利用方法もいろいろです。もちろん、まだ書籍を出したくて、編集者の目に留まるのではないかと思って投稿している人も多いんでしょうが、やはり自分の作品を世に出したいという思いが強いんでしょうね。そんな中の一つに、異世界ファンタジーがほとんどのサイトがあるんですよ」
と、宇月さんは教えてくれた。
「確かに何かの一つのジャンルに突出したサイトがあってもいいんでしょうけど、一つのジャンルに偏るとなると、その部門のジャンルを書く人が爆発的に増えるということにならないですかね。悪いことではないと思うんだけど、人によっては、皆が一つのジャンルに偏ると、少々の内容のものを書いても見てもらえないんじゃないかと思うんじゃないのかな?」
というと、
「それは考え方でしょうね。応募が多くても、その分、実際に書籍化されたり、電子書籍になったりと、実際にこのジャンルの公開が増えているのも事実です。でも、それが果たしてどれほどの分母なのかということは、あまり誰も言いませんからね」
「そういう意味で、皆が書いていると、その中の一人になれるには、ハードルが高いと言えるんでしょうが、それ以外のジャンルでは絶望的だったり、本人が他のジャンルを書けないと思っていると、どうっしても偏りますよね。特に異世界ファンタジーはゲームなども結び付いているから、若者が入り込みやすいジャンル。本格的な小説が書けなくても、異世界ファンタジーなら書けるんじゃないかという発想が芽生えたとしても、不思議ではないですよね」
「書けないというよりも、書きたくないんじゃないでしょうか? 基本的に自分が読んでいないジャンルは嫌いだと思っている人も多いでしょう。特に異世界ファンタジーは好きだけど、読書は嫌いだという人も多いでしょうからね」
と言われ、
「昔はそんな発想はなかったんですけどね」
と、川島は答えた。
「異世界ファンタジーというのは、私もほとんど読んだことがないのでどんなものなのかよく分からないんですよ。童話の冒険ものを大人向けにしたような雰囲気なんでしょうかね?」
と聞かれて、
「そうなのかも知れませんね、小説なんかでもいうじゃないですか。成長モノって言われる感じあんでしょうね」
「でも、何だか皆が皆書いていると、似たり寄ったりの作品にならないのかって思うんですけど」
「それはなるだろうね。それでもいいと皆が思っていろということなんじゃないかな? それがブームというものであるのなら、それも仕方がないことなのかも知れないしね」
というと、どうも宇月さんの方は、納得が行っていないようで、
「皆が皆同じものを目指すのって、私はどうしても納得が行かないんです。一つのジャンルの中でそれなりの個性を見出そうと意識しているなら分かりますが、明らかにほとんどの人は、そのサイトであれば異世界ファンタジーが強いから、そちらを書こうという意識がバレバレじゃないですか。その気持ちがどこか許せない気がするんです」
と、宇月さんは怒りのようなものをあらわにした。
「確かに売れ筋に皆が群がっているのを見ると、ハイエナしているようで、見ていて醜く感じますよね。しかも異世界ファンタジーだったら、小説家になれるんじゃないかなんて考えているとしたら、僕もそんな連中を見ているとヘドが出てきますけどね」
「そのあたりの気持ちと、人と同じでは嫌だという気持ちが微妙に絡み合ってきているような気がするんです。だから、異世界ファンタジーは僕の中で、小説のジャンルとして認めたくはないくらいですよ」
というと、
「ええ、私たちと同じ考えの人って、結構いるんじゃないでしょうか?」
批判で意見が一致するというのも悪い気がしない。
ただ、少し寂しい気はしたのだが、この考えが宇月さんの考え方の基本にはあるようだ。ヘビメタが好きだと言った意味も、何となく分かる気がした。
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