第5話 プログレッシブロック


 一九六〇年代に流行った音楽というと、イギリス出身の四人組グルー王の台頭であった。いわゆる、

「ビートルズブーム」

 というものである。

 しかし、ビートルズのブームが下火になりかかってから、つまり一九六〇年代後半から七十年代前半にかけて、全世界で流行した音楽ジャンルがあった。

 いわゆる、

「アートロック」

 と呼ばれたり、

「前衛音楽」

 と呼ばれるものが存在していたが、それをキングクリムゾンというバンドの出現で、新たに統一されたジャンルとしての、

「プログレッシブロック」

 という音楽が確立されていた。

 略して、

「プログレ」

 と呼ばれるこのジャンルの特徴は、

「高度な音楽技術を駆使して、オーケストラを形成することなく、クラシックやジャズの要素を組み入れた新しい音楽スタイル」

 と言っていいだろうか。

 実験的な音楽としても考えられていて、幻想的なイメージなどを追求し、当時使用されるようになった新たな楽器として、メロトロンや、シンセサイザーの存在が、プログレッシブロックの幻想的なイメージを可能にしたと言えるのではないだろうか。

 クラシックやジャズを要素にしていることで、インストロメンタル的な部分の大きなロックと言ってもいいかも知れない。もちろん、ボーカル部分もあるが、一曲で片面すべてを使ったような、壮大な音楽も存在する。クラシックの交響曲でいうところの「組曲」という発想おm組み入れられていて、組曲的な発想が、一曲の中に物語を作り出し、いかにもクラシックの要素を色濃くイメージした音楽性だと言ってもいいだろう。

 それぞれの楽器のソロパートもあったりして、組曲にする理由もそのあたりにあったのかも知れない。

 十年も続かなかったプログレブームではあるが、その考え方は、以後の音楽に感銘を与えたことに間違いはない。

 ヘビーメタルであったり、テクノポップなどという発想は、プログレなくしては語れないものではないかとも思えるからだ。

 プログレッシブロックやヘビーメタルのバンドは、なかなかメンバーが固定しないというのも何か不思議なところがあった。

 プログレに関しては、その個人が考えている音楽性の微妙な違いから、メンバーとの確執があり、そのために脱退したり、他のバンドに移籍したりというのがあったのかも知れない。

 何しろ全世界に波及した音楽だったので、それだけいろいろなバンドが生まれては消えていった時代だった。それこそ、

「実験的な音楽だった」

 と言われているが、その言葉のゆえんだと言ってもいいかも知れない。

 そんなプログレが流行った時代など、四十歳になったばかりの川島が知るはずもない。プログレが流行ったのは、ちょうど今から半世紀前でもう五十年は建っているということになる。

 考えてみれば、よくそんな昔にこのような壮大な音楽があったものだと思えるが、それよりもその源流となっているクラシックは、まだそれから数百年も前からずっと続いてきた音楽ではないか。それを思うと、音楽というもののすごさが感じられるではないか。

 今ではいろいろ音楽もジャンルが細分化されてきて、主旨も変わってきている。

 クラシックのように宗教や政治色の豊かな音楽でも、そこにはキチンとした芸術性が現れている。

 では今の音楽はどうだろうか?

 そんなことをいろいろと考えさせられるが、やはりプログレの出現というのは、今の音楽を刺激的に決定づけたという意味では、大きな存在ではないだろうか。

 川島はジャズよりもクラシックが好きだった。実際にジャズというのは、喫茶店などに行って流れていれば聴くという程度のBGM的な感覚でしかなかった。

 しかし、クラシックはクラシック喫茶などがあると、自ら通うくらい造詣が深いと思っている。今でも時々クラシックを部屋で掛けて、気持ちをリラックスさせることがある。もっともそれは離婚してから一人になったからするようになったことであった。

 クラシックを聴いていると、何かを妄想するのにいいという話を聞いたことがあったが、それならクラシック系のプログレではどうかと思ったのも一つであったが、もう一つは川島の性格にもよるものだった。

 一時期、一世を風靡し、世界を席巻するかの勢いだttプログレというものが、十年も持つことがなく、ほとんどが消えていった。いわゆる「ブーム」というだけのものとして終わってしまったかのように思えた。

 プログレの一つの特徴としては、

「長く続けていると、ポップ調の音楽に走ってしまう傾向がある」

 ということであった。

 元々はクラシックやジャズを発送して、妄想の世界から始まったものが、行き着く先をポップスに落ち着いてしまうというのも、どこかおかしな気がする。その理由は定かではないが、そうなってくると、今までのプログレ路線を踏襲していきたいと思っている人の音楽性とが真っ向から対決することになる。バンドとして長続きしないのも当然だ。だが、同じプログレという土俵で、音楽性の違いを感じ、違うバンドに移籍するのとでは全然違っているように思う。

 そしてもう一つ、川島がプログレに感じている自分との共通点があるのだが、それが、

「人と同じでは嫌だ」

 という感覚だった。

 今ではほとんど活動しているバンドもほとんどいなくなり、

「プログレッシブロック」

 などという言葉も、知っている人はほとんどいなくなってしまったことで、忘れ去られた過去の音楽となってしまった。

 そんな音楽を誰も聴く人はいない。

 つまり人がしないことをするのが好きなのだ。

 そして、川島の嫌いな言葉としては、

「ミーハー」

 であった。

 もし、今プログレが人気であれば、それこそミーハーなのだろうが、完全にブームが去ってしまったもので、誰も聴かない素晴らしい音楽。それがプログレだと思っている。

 今の音楽は、昔の音楽しか知らない人が聴けば、

「果たして音楽と言えるのか?」

 というところまで来ているのかも知れないが、画期的なという意味でいけば、プログレが出てきた時も、それまでの音楽しか知らなかった人たちには、

「これが音楽と言えるのか? 音楽というのも来るところまで来てしまったのではないか?」

 とでも言われていたかも知れない。

 画期的な今までになかったことをやろうとすると、素晴らしいと評価されるか、逆に

「これはもうすでに〇〇ではない」

 などと言って、嘆かれるかのどちらかであろう。

 両極端な評価に対して、皆どちらを感じるかということだ。

 今、プログレを聴いて、今の音楽しか知らない人の中には、

「これは斬新だ。まさか半世紀も前の音楽とは思えない」

 と感じる人もいるだろう。

 だが、考えてみれば、クラシックだって何百年も前から作曲され、何百年もの間演奏され続けてきた。無双の音楽だと言っても過言ではないだろう。今のように、五年や十年で新しい音楽がブームとなって生まれては消えていく時代には考えられないことなのかも知れない。

 そういう意味では、十年近くもいきなり生まれた音楽が、世界中をあっという間に席巻し、ブームとなったのは、紛れもない事実である。

「何かきっかけがあれば、不可能だと思ったこともできないわけでもない。そして、そのきっかけというのは、近づいてくると、きっとピンとくるものがあるはずだ」

 という感覚を、三十七歳になった時、川島は感じた。

 それはまるで、今の時代にプログレを聴いてみようと思い、ふとしかきっかけであったが、聴いてみたことで、まるで身体に電流が走るかとでも思ったほどの刺激が、身体を駆け抜けたような感覚があったからだ、

 言葉でいうと、大げさになりかねないが、人との出会いは運命の相手だと思えば、身体に電流が走るか、あるいは、爽やかな風が、爽やかな匂いを連れてくるかのように感じたことから始まるかのようである。

「もう、結婚なんてしなくていい」

 と思っていた川島に、走った電流であった。

 相手も同じバツイチで、彼女とは、本屋で知り合った。最近は本屋もどんどん減ってきて、大きな街にでも、一軒か二軒ほどしかなくなってしまい、客が集中するかと思いきやそんなこともない、スマホを使って電子書籍を読む人が増えたということなのだろうが、それ以上に活字離れの方が酷いのかも知れない。

 マンガであれば、まだ読む人も多いだろうが、それも電子書籍で買う。本屋に行く手間も省けるし、読み終わった後の始末にも困らないからだ。

 以前であれば、お金を出して買った本なので、部屋に本棚を置いて、読んだ本をどんどん重ねていくのが一つの楽しみだったのに、今ではそんなこともない。引っ越しなどの時には邪魔になるだけだし、古本屋に売ったとしても、百冊以上売っても、数百円くらいにしかならなかったりする。持っていくだけで大変で、時間と労力の無駄とはこのことといのだろう。

 それくらいなら、燃えるゴミに捨てる方がいいくらいだ。ただ、ゴミの選別も今は厳しくなっていて、しかも自治体によって違うので、厄介だ。この街では普通に燃えるゴミでいいが、他の街では、紙ゴミとして別にしなければならないなどという制約が市町村によって違うのだ。

 そのせいもあってか、他にも理由があるのか、たぶん、活字離れが決定的なのだろうが、本が致命的に売れなくなった。文庫として発行しても売れない。昔であれば、有名な小説家の本は、ことごとく文庫本として発表され、一人の作家の本が百冊近くになったりしたもので、少々大きな本屋になら、そのほとんどが並んでいた。しかも、売れる本は数冊が並んでいるのだ。

 しかし、あれはバブルが弾けてくらいからであろうか。それまで書けば出版をしていた本が再編集となり、今までは百冊近くを敢行していた作家の本が、売れ筋だけを再発行するということで、十数冊にまで激減し、これも売れる本だけが、一冊置いてある程度になっていた。

 昔しか知らない人が急に本屋で昔のイメージを想像しながら文庫本コーナーに行けば、お気に入りの作家を見つけることができるだろうか。一列丸ごとその作家だったのに、今では一、二冊あればいいくらいになっている。

 ただ、ブームになっている本はこれでもかとばかりに平済みされている。ポップもふんだんに飾ってあったりして、あからさまに売ろうとしている魂胆が見え見えであった。

 しかも、それは一軒の本屋だけのやり方ではなく、このあたりは本屋間でも競技しているのか、売ろうとしている本は共通している。そうやって本屋業界を活性化させていかなければ、本屋として生き残ることができないのだろう。背に腹は代えられない。本屋同士て競争している場合ではないということなのだろう。

 だが、同じメディア発信の業界として、本屋よりも深刻なのは、CDショップではないだろうか。

 本屋はまだ大きな街に行けば数軒は見ることができるが、CDショップは大きな店に行っても、ほとんど見かけることがなくなった。一軒でもあればいい方で、以前は大きな本屋や大きな電気屋のワンフロア―の一角にCDショップがあったものだが、最近では見かけることもない。本屋に隣接しているものとしては、文具売り場であったり、カフェがあるくらいではないだろうか。

 これは完全にネットの普及によるものであろう。音楽ダウンロードさえすれば、店に買いにいくこともなく音楽だけをダウンロードできる。CDを買ってきても、どうせダウロードしなければいけないのだから、飼いに行く手間が省ける分、いいというものだ。

 そして、これは本にも言えることだが、アマゾンなどのようなネット販売があることから、いちいち店に行かなくてもネットで購入し、宅配で持ってきてもらえるのだから、本屋もCDショップの需要はグッと下がるというものだ。

 CD購入の際の特典も、宅配ならば一緒に持ってきてもらえる。それも便利なことであった。

 それでも、駅の近くに本屋があれば、会社の帰りにフラッと寄ってみたくなる人も多い。今でも本を立ち読みとまではいかないが、実際に手に取って内容を確認してから買うという購入スタイルを持っている人は、ネット購入には尻込みをしてしまうだろう。そもそもネット購入にあまり興味を示していない川島には、仕事の帰りに本屋に立ち寄るのは、ある意味一つの楽しみでもあった。

 知り合った女性とも、この本屋で何度か見かけていて、川島は少し意識していたが、彼女がこちらをチラッとも見たのを感じたことはなかったので、まったく意識されていないと思っていた。

 いつも彼女の横顔を見ながら、

――本を真剣に見ている姿が凛々しいな――

 と感じていたのだ。

 背はそれほど高いというほどではなかった。少しふっくらした雰囲気を感じさせたが、前の女房が痩せ気味でスラッとした雰囲気はいかにもインテリ風を思わせ、さらに彼女を綺麗だと感じさせた鼻の高さは、今から思えば、高慢ちきな雰囲気を感じさせ、思い出すのも嫌なくらいだ。

 だが、本屋で見かけた彼女の雰囲気は、かつての女房とは似ても似つかない雰囲気を持っていた。

 ということは、若い頃の自分であれば、見向きもしなかったような相手を今になって気にするというのは、彼女の雰囲気が自分に語り掛ける何かがあったということだろう。

 彼女が見ていたもは、意外にも医療関係の本だった。専門誌というわけではないが、救命の本をよく見ているのが少し気になった。

「救命士さんなんですか?」

 といきなり声を掛けてしまって、川島も、

「しまった」

 と感じたが、相手の女性も声を掛けられ、一瞬たじろいだかのように見えたが、すぐに気を取り直して、

「私は教師をしているんですけど、救急救命士の勉強もしているんですよ。できれば取れればいいなって思ってですね」

 と簡単に話しているが、

「確かテストの受験資格を得るだけでも大変なんじゃないんですか?」

 と聞くと、

「ええ、大学の時は教師の資格を取ったんですけど、その後一度結婚して教師を辞めたんですが、その後離婚して、また教師に戻った時、学校から派遣される形で救急救命の資格家庭を受講したんです。それが、教師に戻るための条件のようなものでしかたらね」

 と言っていた。

「へえ、変わっているんですね」

「ええ、私も変わっていると思ったんですが、そこの校長がユニークな人だったんですよ。私と同じ女の校長先生で、相当若い頃には女だということで苦労された経験をお持ちで、その影響からか、女性にはたくさんの経験をしてもらいたいと思ってくださっているようで、救急救命の養成課程を受講するのも、先生のお気遣いだったわけなんですよ」

「なるほど、それでいよいよ資格を取るために勉強というわけですね?」

「ええ」

「救急救命士の資格を取ったら教師は辞めるんですか?」

「そのつもりはありません。私はその校長先生についていくつもりでいますからね」

 と彼女の目は輝いていた。

 その時を機会に、よく本屋で会うようになった。

 話をすることも多くなり、話の内容もいつも難しい話をするわけでもなかった。最初の頃は本屋の奥にあるカフェで本屋での一時の時間という風に時間を割いてもらっているという形であったが、

「今度一緒に、呑みにでも行きませんか?」

 と誘うと、彼女も

「ええ、いいですよ」

 と二つ返事が返ってきた。

 川島はあまり飲み屋は知らなかったが、一軒本屋の近くにあるバーで気になっているところがあったので一緒に行ってみることにした。

「実は自分も初めていくお店なんですけど」

 と言うと、

「それは楽しみですね。初めてご一緒するところが二人とも初めてのお店というのも生鮮でいいじゃありませんか」

 と言ってくれた。

 店は適度な調度を保っていて、バーのような店であればジャズが流れているものだとばかり思っていたが、流れてきた音楽はクラシックだった。

 ピアノ系や吹奏楽系の曲が多いようで、川島的には気に入っていた。それに、インテリな彼女にはお似合いな気がして、

「このお店、なかなかいいな」

 と感じていた。

 あまりアルコールが強くないので、薄めのカクテルを作ってもらい、お店の看板メニューだというパスタを注文した。ここは、麺を手作りしていて、そこが看板なのだろうと思ったが、まさしくその通りで、オイルそーづの海鮮パスタを注文したのだが、その味に偽りはなかった。

「なかなかおいしいです」

 彼女は名前を掛川宇月と言った。非常に珍しい名前だと思ったが、

「お父さんがつけたようなんです。理由は教えてくれなかったんですけどね」

 と言って笑っていた。

「嫌いなんですか?」

 と聞く、

「そんなことはないですよ。気に入っています。皆と同じっていうのも面白くないじゃないですか」

 と言って笑っていたが、その笑顔を見るとまさに川島の性格にソックリだと言わんばかりに聞こえて、思わずほくそ笑んでしまった。

「私、今まで結構気を張って生きてきたような気がするんですよ。人に負けちゃいけないってですね。だから、男の人からは、遠ざけられて、女の人からは、まるで目の上のたん瘤のように見られて、結構きつかったと思うんです」

 と、少しアルコールが回ってくると、宇月はそう言って、ボヤいていた。

 そんなボヤキなどするタイプには見えなかったので、

――きっとこの人は、僕だからこんな姿を見せてくれているんだ――

 と感じた。

 実に都合のいい考え方であるが、川島にはいじらしく見えていた。そのいじらしさが、今まで女性に対して違和感しかなかった自分の中で、昔の、青春時代くらいに憧れた女性を思い起こさせているようで、新鮮さがあった。

 高校生の時に憧れていたのは、一年先輩だった人だった。生徒会にも入っていて、自分では教師を目指していると言っていたっけ。中学時代に一人だけ女の先生に習ったことがあったが、中学時代に感じた女教師への憧れが、先輩の中に芽生えた。

 しかし、先輩はあくまでも高校生で、制服を着た姿しか想像ができない。とても、女教師をイメージすることはできなかったので、憧れの人と女教師を結び付けることができなかった。

――そういえば、宇月さんは、高校時代の先輩に似ているな――

 と思った。

 あの先輩が女教師になっていたら、こんな風になっていたはずだ。あの先輩も今宇月さんが着ている服を着せると似合ったことだろう。

――でも、あの人もきっと同僚の先生か何かと恋愛して、結構しているんだろうな――

 と思ったが、結婚という言葉を思い浮かべただけで、自分の顔が歪に歪んでいるのが分かった。

――思い出さなくてもいいことを思い出したじゃないか――

 と、誰にいうともなく、自分に言い聞かせた。

 せっかく気に入った宇月さんなのに、余計なことを考える必要はないのだった。

 そんなことを考えていると、少し気ますいとでも思ったのか、宇月の方から話を変えてくれた。

「私、結構音楽を聴くのが好きなんですけど、今までには流行りの曲から、ポップス、ロックといろいろ聴いてきたんですけどね。そのうちに小学生の頃に戻ったような感覚で、もちろん、教員をしているということもあって、クラシックに戻ったんです。私に限らず、たぶん結構な人は、最初に音楽らしい音楽のジャンルに触れたとすれば、クラシックじゃないかと思うんですよね。音楽の時間もそうだけど、私の通っていた小学校では、何かのタイミングで流れる音楽はすべてクラシックだったんですよ。授業の間だったり、昼休みの間だったりですね。だから、好きだったか嫌いだったかは別にしてクラシックてずっと残っているものだったんです」

 という話を聞いて。。

「なるほどそうですよね。僕も曲名は分からないけど、いつもクラシックが流れるたびに、これは知っているって感じていたものですからね。知っている曲が流れていると嬉しいおのです。しかも、大学時代にクラシックが好きな友達が何人かいて、そんな連中の会話に自分だけが入れないのは癪だったので、僕も結構教えてもらって聴いたものです。相手は得意げになって喜んで教えてくれますよ。こっちも高貴な気持ちになれて嬉しかったですけどね」

 というと、

「そうなんですよ。私も大学時代にクラシックの好きな友達がいて、よく名曲喫茶に連れて行ってもらってました。そこはいかにもクラシックを聴くにふさわしい場所で、席にそれぞれオーディオ設備があって、自分でカウンターの奥にあるCDを選んで、店内でヘッドホンをつけて聴けるようにしてくれていたんです。もちろん、ヘッドホンなしで普通のBGMを楽しんでいる人もいましたけど、今から思えば、ほとんどが情連さんばかりで、それも嬉しかったですね。話もしたことのない人ばっかりだったんですけどね」

「僕の大学の近くにもありましたよ。似たような喫茶店。マスターが凝り性なようで、CDだけでなく、昔のレコードも、しかも、蓄音機なんかも置いてあって、行かれたらビックリするかも知れませんね」

 と言ったが、それも自分が大学時代のことなので、果たして何年前のことなのか、まだ店があるかどうかも怪しいものだった。

 だが、似たようなクラシック喫茶があり、お互いに常連だったと思うと、まるで同じ店にいつもすれ違いでいた常連客のような気がして、おかしな感覚になっていた。

 宇月さんは続けた。

「それでですね。私はクラシックが気に入っているんですけど、そのうちに最近、少し変わった音楽を聴きたいと思うようになってですね。凝っているジャンルがあるんです」

「というと?」

「もう半世紀も前に流行った音楽なんですが、今ではその存在すら知っている人は少ないかも知れませんね」

 というではないか。

 川島はビックリして、

「それって、『プログレッシブロック』のことですか?」

 と聞くと、

「ええ、その通りです。ご存じですか?」

 と言われて、

「ええ、僕は今でもよく聞きますよ。僕もクラシックと平行して聴いているんですけど、まったく違う音楽なんだけど、共通点は多いんですよ。クラシックは数百年も続いたのに、プログレは十年と持たなかったという事実もあるのにですね。面白いですよね」

 と言うと、

「でも、プログレには勢いがありましたよね。全世界にその人気は波及して、ほとんどの国でプログレのバンドができたんじゃないですか?」

「ええ、そうですよね」

 とお互いにプログレの話題に火が付いたようだ。

「プログレは、ジャズやクラシックの要素を踏まえて、高度な演奏能力で、実現させた芸術的な音楽というイメージがあります。だから、クラシックとはそのあたりが似ていると思うんです。クラシックは宗教的なイメージが濃いですが、宗教と人間の生活とは昔は切っても切り離せない関係にありましたからね。宗教が戦争を引き起こしたりという本末転倒な話もあったけど、、戦争のほとんどは、宗教が絡んでいるというのもおかしなもので、私はクラシックの壮大さはそのあたりにあるのではないかと思うんですよ」

 と、哲学的な話になってきた。

「そうかも知れないけど、クラシックにはルネッサンスのような中世の芸術が感じられます。もっとも、その芸術も宗教が絡んでいるので、結局そこに行き着いてしまうんですけどね」

 と川島がいうと、

「ところで、川島さんは、再婚をしたいとお考えですか?」

 とまたしても、宇月は話を変えた。

 何か思いついたことがあると言わなければ忘れてしまうと思うのか、話を変えるのもそのあたりに原因があるのではないかと思った。

 そもそも物忘れが激しいと感じるのも、川島の性格であり、思いついたことがすぐにメモできるようにポケットに手帳を忍ばしているくらいだった。

「物忘れの激しさ」

 これも、川島の性格の一つだった。

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