第6話 三段論法

「今年という年、いや、その中でも今月というのは、何か呪われた時期なのではないだろうか」

 少なくとも、門倉刑事や上野刑事、そして課長と、それらを取り巻く捜査員は、そのことを思い知らされることにあろうとは思ってもみなかった。

 ラブホテル殺人事件が発生してから、今度は三日と立たない二日目に、またしても夕方、警察に通報があった。

「三丁目の交差点近くに新しく建設中のビルがあるが、その中で人が死んでいる」

 という匿名の通報だった。

「それだけでは分からないので、もっと詳しい情報をいただけますか?」

 と電話に出た警官がそういうと、

「そのビルの三階部分、たぶん、三〇一の部屋になると思われる階段を上がったすぐの部屋に入ってみるがいい」

 という話だった。

 その声は男なのか女なのか判断がつかない。明らかにボイスチェンジャーを使っていて、声から男か女かの識別もできないようにしたのだろう、当然相手の名前を聴いても答えるわけもなく、電話はすぐに切れた、

 悪戯かも知れないとも思ったが、何もないならそれだけのことであり、

「よかった」

 ということで済むではないかと思い、警官はパトカーで相棒と一緒に乗り込んでいった。

 果たして、指定された交差点のそばには、建設中のマンションがあったのは知っていたが、もうここまで出来上がっているとは思っていなかった電話を取った警官は、パトカーをマンションの前に留め、階段を上がっていった。マンションはまだ建設中であり、しかもパトカーなので、駐車禁止を気にする必要もない。

「気を付けろよ」

 とお互いに声を掛け合って、ゆっくりと階段を上がっていく。

 本当なら警察署の刑事を同行させたいところであったが、最近は殺人事件が横行していて、こんな悪戯かも知れない通報に、いちいち動向を求めるのは忍びなった。怒られるのも癪だと思っていたからだ。

 二人の警官は、それぞれにまったく別の思いがあった。

 電話に出た方の警官は、

「最近は、殺人事件が横行している。これをデマや悪戯だとして簡単に放置などできるわけはない。きっと何かある」

 と思っていたし、もう一人の連れてこられた警官の方は、

「確かに最近事件が多いが、二度もあったのだから、三度もあるというのは偶然としては重なりすぎだ。もし重なったら、連続殺人ということになり、今のところ二つの事件に綱g李などないのだから、今度は完全に悪戯に決まっている」

 という思いを抱いていた。

 それでもついてきたのは。あくまでも何かあると思っている同僚に、

「そら見たことか、そんなに事件ばかりがあってどうするんだ」

 と言って、嘲笑ってやりたいという気持ちがあったからだ。

 もっとも、事件などあってほしくないという思いは二人とも共通している。電話を取った方の警官も、

「笑い話で済むのであれば、どれほど気が楽なことか」

 と考えたのだ。

 二人は、そんなことを思いながら、ほとんど暗くなってしまった誰もいない工事現場を懐中電灯に晒しながら歩いていた。

「どうやら、今は工事は中断しているようだな」

 工事というと、進む時はかなり進むが、なかなか一連の流れでは進んでいることはない。どうやら、途中で工事が中断されたりすることも多いようで、その理由は一介の警官に分かるはずもなく、ただ進んでいない工事現場が誰も掃除もしていないことで荒れているのを見るのは、あまり気持ちのいいものではない。

「さっさと工事を済ませればいいのに」

 と、真っ暗な中懐中電灯をスポットライトとして進まなければいけない自分たちが情けなく感じられた。

 いくつかの部屋があることは分かり、間仕切りや壁もある程度まではできていた。ここが何の部屋なのかというところまではある程度まで分かるようになっている。きっと近いうちにモデルルームもできて、入居者募集を始めるのであろう。

 中に入ると、今度は窓ガラスから入ってくる光で部屋に入った方が明るかった。すでに部屋としてある程度までできているところもあり、特に浴室やトイレなどは、浴槽も便器もついていて、洗面所も備え付けられていた。さすがに水道が通っていないので水が出ることはないが、真っ暗な部屋を抜けて中を通っていくと、不気味ではあったが、明るさが幾分か勇気を与えてくれた。

 ただ、考えてみればすでに日は暮れていたはずなのに、この明るさはおかしい。どうやら、他の部屋か、別のフロアで夕方以降も作業をするために、表から照明が当たっているということなのかも知れない。

「誰もいないと思っていたのは、正面から入ってきたからなのかも知れないな」

 と、一人の警官がそういうと、もう一人も同じ思いだったのか、頷いていた。

 一通り見渡したが、人が死んでいるのが分かるような大きな物体や塊りは見つからない。

「やっぱり悪戯だったんじゃないか?」

 と言われて、

「うん、そうかも知れないな。でもその方がよほどいいじゃないか」

 というと、

「そうだな。早くこんな気持ち悪いところから帰ろうぜ」

 と、とにかく一刻も早くこの場所から離れたいという思いが強かったのだろう。

「ちょっと浴室を見て来よう」

 と言って、念のために浴室に入ってみると、

「ぎょっ」

 という低い声で相棒が唸ったので、もう一人もビックリして、

「何かあったのか?」

 と声を掛けると、

「人が、人が死んでるんだ」

 と言って、声は完全に震えていた。

 それを聞いてもう一人の警官が中に入ると、やはり一瞬たじろいだが、そこに死体があるという話は間違いのないことだったので、すぐに気を取り脅した。

 そこには、男が鬱咽に倒れていて、顔だけがこちらを向いている。表情は断末魔を呈していて、顔色はまったく血の気がなく、凍り付いたような瞼を見るだけで、その男の息はすでにないことは一目瞭然だった。

 欲見ると、まだコンクリートが裸で何も塗装もされていない床が真っ赤に染まっていて、胸のあたりから円形を描いた放射状に真っ赤な鮮血が飛び散っているようだった。

 抱き起こすまでもなく、少しだけ浮いた身体を見ると、胸に短剣のようなものが刺さっているのが見えた。

 明らかに刺殺である。いや、見るからに刺殺と言うべきか、犬歯が行われないとハッキリしたことは言えない。二人は、自分たちが警察官であることも忘れてしまったかのように立ち竦んでいた。

 そんな時、後ろが何やら騒がしいのが聞こえた。

――工事現場の人たちかしら?

 と思ったが、そう思うと、急に警察官としての自分の立場を思い出し、もし部外者であれば、中に立ち入らせないようにすることと、急いで警察署に連絡をしなければならないと思ったのだ。

 すると、騒がしいその声は次第に近づいてきた。だがsの声の一人に聞き覚えがあった。懐かしいというわけではなく、ごく最近も聴いたような、そして気安く話をした相手のような気がして、その声を聞いただけで安心感がよみがえってくるようなそんな声だったのだ。

 果たしてその声の主が現れた。

「ん? お前たちどうしてここにいるんだ?」

 その声はもう身がまうだけのことはない。その人は間違いなく、上野刑事だったのだ。

 そして、上野刑事と一緒にいるのは、門倉刑事であった。二人がコンビだということも交番の警官も知っていて、

「これは最強のコンビじゃないですか」

 と、彼らも上野刑事をからかったものだ、

 上野刑事とは、警察学校時代以来の知り合いであった。上野刑事が二年くらい先輩ということもあり、しかも刑事志望だったこともあって、刑事課に配属された時には、この二人の警官も一緒にお祝いをしたものだった。

「我らが誇り」

 とまで思っているほど二人は、先輩に上野刑事がいるというだけで、心強かったのである。

 しかも、そのコンビの相手が、今では飛ぶ鳥も落とす勢いと言われる門倉刑事ではないか。二人が喜ぶのも無理はなかった。

 そして、二人にとっての初めての事件と言ってもいい。まさか二人が揃って、死体の第一発見者になるなど、思ってもみなかった。それを後ろから上野刑事と門倉刑事が見守ってくれているという構図を感じた。

「ところで、君たちはどうしてここに?」

 と門倉刑事が聞いてきた。

「実は先ほど、交番に、ここで人が殺されているという通報があったんです。通報者はすぐに切ってしまいましたが、無視もできないと思ってやってきたわけです」

 それを聞いて、門倉刑事と上野刑事は無言でお互いの顔を見あった。

 そして、門倉刑事は諭すように言った。

「なぜ、我々に連絡しなかった?」

「相手がすぐに切りましたので、悪戯かも知れないと思ったんです」

「そうか、それは仕方がないな」

 というと、今度は警官の方が聞いた。

「お二人こそどうされたんです? ここの捜査か何か必要でもあったんですか?」

 と言われて、

「お前たちと一緒だよ。署の方にも怪しい男から通報があったんだ。年には念を入れたものだな」

「犯人でしょうか?」

「そうなんだろうと思うぞ。わざわざ交番と警察署の両方に通報するなんて、今までにそんな話を聞いたことがない」

「どういう心境だったんでしょうか?」

「うん、まともな神経ではなさそうな気がするな。それとも何か犯人にとって両方に通報しなければならない何かがあったんだろうか?」

「それは何でしょう?」

「いや、まだ分からないよ。何氏と、建設中のマンションで、死体が見つかるなんてな。工事関係者の人だっているだろうに」

 と門倉刑事がいうと、

「それだったんじゃないですか? 工事関係者に先に発見させるよりも第一発見者を警察の人間にしておきたいという思いがあったのかも知れませんね」

 と言ったのは上野刑事である。

「そうかも知れないな、いや、今現在では、上野刑事の意見が一番的を得ているかも知れない。そう思うとこの事件が何を意味するものなのか、分かってくるかも知れないな」

 と門倉刑事は言った。

 そうこうしているうちに、kン死期が到着、警官二人によって、立ち入り禁止のロープが張られ、いよいよ事件現場としての様相を呈してきた。

 課長や他の捜査員も到着し、

「お疲れ様です。見ての通りです」

 と門倉刑事がいうと、

「一体どうしたことなんだ。ここ半月の間に、殺人事件が三件も同一管内で起こるなんて、普通は考えられないよな」

 と課長も言った。

「でも、そう考えると、この三件の事件、まんざら無関係とはいえないんじゃないかと思うんですが」

 と、上野刑事が言った。

「そうかも知れないな。単独で調べていくよりも、この事件の接点を考えていく方に捜査の方針を向けるのがいいのかも知れないな」

 と課長がいうと、

「とりあえず、単独で事件の捜査を行いながら、この三件のつながりも探っていくようにするのが、いいかも知れませんね」

 と門倉刑事は言った。

「門倉さんは、この三件に関連ははいと思われているんですか?」

「いや、そうは言ってないんだ。ただ、今のところ、犯行の手口も関係者のつながりも一貫性という意味で何も見えてこないじゃないか。でも、今度の事件が起こったことで、それが見えてくれば、いいかも知れないと私は思っている」

 と、門倉刑事は言った。

 警察がバタバタと騒ぎ出したところで、工事現場の人たちが数人、気になって入ってきた。やはり表の明かりは、居残りで数人が工事をしていたことによるもので、そうでもなければこんなに早くここに入ってこなかっただろう。

「一体、どうしたんですか?」

 と工事現場の責任者のような人が恐る恐る制服警官に聞いた。ヘルメットに作業服で、明らかにここの工事を請け負っている会社の人間であると分かると、警官はすぐに上野刑事を呼んだ。

「実はここで死体が発見されたんですよ:

 というと、

「えっ、そうなんですか?」

 とビックリしたように工事現場の人は驚愕していた。

「あなたがたは、ここの工事現場の人ですよね。何かお気づきになりませんでしたか?」

 と聞かれて、

「我々は、ここを直接工事している会社ではないんです。マンションの外装関係の仕事を請け負っていて、表が我々の作業場なんです。今はマンション建設もその時期なので、実際にマンションの工事を直接管理している会社は、ここ一週間ほど、お休み状態です。今日でちょうど四日目くらいでしょうか?」

「じゃあ、この部屋にも?」

「ええ、昼間でもたぶん、業者は入っていないと思います」

「じゃあ、ここに仮に人が入り込んでも分からない?」

「そうでしょうね。今の時期は工事関係の業者が数社入っているので、工事関係の服を着ていたり、スーツであっても、ヘルメットをかぶっていれば、誰も怪しむことはありませんよ」

 ということだった。

「ということは、皆さんに、怪しい人間を見たかどうかと聞いても、ハッキリとは断言することは難しいんでしょうね?」

「ええ、そういうことになります。何しろ他の業者の人間は、他の現場であったことがあるかも知れないという程度で、まったく知らないと言ってもいいですからね」

 工事現場の人の話はその程度で、これ以上話しても、新たな証言を得られるようなきがしなかった。

「ありがとうございました。またお伺いすることがあるかも知れませんので、連絡先だけは教えておいてください」

 と言って、警官二人に振り返り、二人にその指示を行い、現場に戻っていった。

 鑑識が捜査した中で、

「門倉刑事」

 と、鑑識のベテランで、門倉刑事とは懇意の主任が、門倉刑事に声を掛けた。

「どうしたんだい?」

「どうやら、この仏さん、死後二日くらいは経過しているようですね。それに気になるところとして、胸から出ている血液、少々少ないように見えるので確認しましたが、ひょっとすると、犯行現場はここではないかも知れません。ハッキリとしたことは何とも言えませんが、血液の量と、争った形跡もないので、可能性的には五分五分かも知れませんね」

「なるほど、工事関係者の連中の話でも、いくつかの業者が入っていたというので、作業員に変装すれば、死体を大きめの麻袋にでも積んで、猫車か何かで運び込めば、決して怪しまれることはないわけだ。そう考えると、他の場所で殺されて、ここに運ばれた説は、ありえるかも知れないですね」

 そこに上野刑事も加わってきて、

「でも、もしそうだとすれば、ここまでどうして運んだんでしょうね? 死体を隠そうとする意図はまったくないようだし、しかも、発見してほしいと思ったから通報しているわけですよね」

「どうやら、死体発見が今でなければ困ることでもあったのかな? アリバイに関係しているとか、それとも、発見されるのがすぐでは困るが、かといってあまり発見が遅れると、今度は死亡推定時刻が判明しにくくなると思って、この時期に発見させるようにしたのか、少なく十今発見されなければならない理由があったのは確かなのかも知れないな」

 と門倉刑事は、上野刑事にそう話した。

「まあ、普通の死亡であれば、いわゆる死亡推定時刻をごまかすような細工が施されていなければ、死後二日や三日で、そんなに死亡推定時刻の幅が広がるということはないような気がしますね」

 と、鑑識主任は言った。

「ところで、凶器はあの短刀に違いないんだろうか?」

「それは間違いないように思います。

「死亡推定時刻だけど、二日前のいつ頃のことなんだい?」

「そうですね、二日経っていますので、ハッキリとは解剖の結果を待たないといけないと思いますが、昼から夕方にかけてくらいではないでしょうか? それともう一つきになるのを発見したんですが」

 と言って、門倉刑事と上野刑事を被害者の下に連れていった。

「ここをご覧ください。

 と言って、鑑識主任は被害者の長袖のシャツをまくって、腕の内側を見せた。

「ここをご覧ください」

 と言って、静脈のあたりが紫色に変色しているのを示した。

「麻薬中毒者か?」

「そういうことでしょうね。でも、こんな目立つところに注射の痕があるということは、この人は立場的になのか、簡単に麻薬をやっているなどと、まわりから疑われることのない人なのかも知れませんね。それなりの一定の地位のある人だったり、普段から犯罪とはまったくの無関係に見える人だったりと思うんです。それを思うと、我々もやるせない気持ちになるんですけどね」

 と、ため息交じりに鑑識主任は答えた。

「まったくですね。我々も、肝に銘じておかなければいけないことだと思っています。もっとも捜査一課とは若干畑違いですがね」

 と、自分たちが殺人課であることを強調した。

 しかし、どうもおかしなものだ。この間のラブホテルの被害者も、媚薬と称して麻薬をやっていたのが判明したばかりではないか。このままこの二つの事件に関連性がないということになれば、ただの偶然ということになり、そんな偶然が続くはずもなく、偶然が続くほどに、麻薬という者がこの街に蔓延しているということになる。殺人事件の捜査も大切だが、麻薬捜査の方もしっかりしてほしいと願う門倉刑事だった。

 被害者の指から採取された指紋は早々に署に運ばれて、科捜研の方で、指紋の照合がなされ、やはり門倉刑事の睨んだ通り、ここで発見された被害者の指紋が、ラブホテルの数か所に残されていた指紋と一致したようだった。その報告を受けた門倉刑事は上野刑事に向かって、

「どうやら、ラブホテルの殺人と、こちらの殺人事件がつながったようだね」

 というと、

「ええ、そうですね。でも、そうなると、ラブホテルで女を殺した犯人が、それからすぐにナイフで刺されて殺されたことになりますね。しかも、殺害現場は特定されていないわけですよね」

「そういうこだ」

 と二人は、課長に報告し、ラブホテルでの殺人事件がいわゆる

「連続殺人事件」

 であったということが判明すると。

「じゃあ、最初に殺されてマンションで発見されたあの死体もその一環ではないですか?」

 と上野刑事がいうと、

「その可能性は強いカモ知れないな。ラブホテルの殺人とはあまり共通性はなかったが、今回の建設中のマンションの場合とは、犯行の共通性があるような気がするんだ」

「というと?」

「まず、死体の発見のさせ方だね。最初の事件はお湯を流し出すことで、発見を促したが、今回は通報というやり方が違うだけで、犯人にとっては、予定の時間に発見させたかったと考えるとそこに共通性が見られる。そして、さらに死亡推定時刻をごまかそうという意図の有無は別にして、それぞれに少しでもごまそうとする意志が感じられないかい? 今回の事件で二日も経って、やっと発見させるような通報をしているんだからね」

「そうですね。まるで三段論法のようだ」

「三段論法?」

「ええ、AとBは関係がある。BとCも関係がある。だから、AとCにも関係があるのではないかという考えですね」

「なるほど、上野君のいう通りかかも知れないな」

 と、門倉刑事も納得していた。

 最初はまったくの別々な事件に思われていたものも、実際に重なってくると、そこには隠そうとしても隠し切れない事実が存在する。そんな場合は、敢えて隠そうとするのではなく、事実を真実として思い込ませるのが一番なのかも知れない。

 一筋縄ではいかないと思われた今回の犯罪だが、ある程度まではスムーズに事件解決に向かうように見えるだろう。だが、ある程度まで行けば犯罪の絡み合った糸があと少しのところで窮屈な洞窟を出ることも入ることもできず、ちょうど上がるためのダイスの数字を引くことができず、ずっと抜け出すことのできない状況を作り出すに違いない。

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