第7話 真実と事実
濃淡は、ある意味音楽にも相いれる発想ではないだろうか? 光と影というのはいわゆる、
「旋律のアクセント」
と言えるのではにだろうか。
メロディに強弱をつけることで音楽も、その壮大さが変わってくる。その思いは特にクラシックを聴いていると分かってくるものでる。オーケストラのような大人数による旋律は強弱がつけやすい。しかも、その音源を大切にするという発想から、おおきなステージに音響効果が抜群な場所に手の演奏は、強弱をつけるに最高である。
クラシックというのは、交響曲など組曲仕立てになっている。楽章ごとに、組曲ごとに、一章節ごとにテーマに沿った音楽になっていることから、光化影のどちらかを表していると言っても過言ではないだろう。
大きいだけでは、本当の大きさを示すには物足りない。小さい部分をあくまでも小さく目立立ててこそ、全体が見えてくるのだ。影というのは、全体を目立たせ、大きさを曖昧に見せることで、本当の大きさを計り知るための方法を模索するものだと言ってもいいだろう。
第三に、これはマスターが自分で勝手に思い込んでいるものであるが、錯覚という発想が、絵画に息を吹きかけているのではないかと思っている。
どんなに自分の中で創造して描いたとしても、本物に適うはずはない。この発想は、何かをする際に、同じことをずっと続けているのであれば、それは最初に行った人間に適うことではない。
という思いと似ているのではないだろうか。
要するに、
「先駆者が一番偉いのであって、先駆者に適うことはありえない」
という発想に似ている。
どんなに改良を加えたとしても、別のものとして自分が開拓者にならなければ、前の開拓者を超えることはできないということだ。
特に絵というものは、写生という意味では、目の前にあるものを、充実に描き写すというものであれば、物まねでしかない。
マスターは物まねはあまり好きではない。例えば芸人などがやっている誰かの物まねなどは、ただマネをしているだけではなく、その様子を自分たちなりにアレンジし、面白く描いていることで、その場合の物まねは、「モノマネ」という一つの芸としてのジャンルであるから、嫌いというわけではない。むしろ、気に入っていると言ってもいいだろう。
絵を描いていると、急に虚しくなってくるのは、自分の描いている絵が、物まねになっているのを感じるからだった。
絵を描こうと思った時には、物まねになってしまうという発想はなかった。それほど深い意味も持たずに考えていたのだが、描いているうちに、どうしても、被写体に似せようと思って描いていることに気付かされる。
自分は、
「絵を描くのが下手だ」
と感じていたのは、自分の嫌いな物まねに、いつのまにかなってしまっていることに気付いたことで感じたジレンマが引き起こした感情だと思うようになっていた。
そのうちに、
「絵というものは、目の前にあるものを忠実に写し出すものではなく、いかに省略できるものを省略して描けるかというものが、芸術家というものだということを感じさせるものである」
と考えるようになっていた。
それが、加算法と減算法の違いではないかと思うようになった。
これは好きなものを習得するという意味での話になるのだが、加算法は、何もないところから組み立てる、一種の創造性を中心とするが、減算法は、絵画のように目の前にあるものをいかに独創的に描くことができるかという発想で、時として極端な省略を必要とするものである。
そういう意味で、絵画というものは、想像力だけではなく、独創的な発想を求められるものである。これはある意味、一から自分で何かを創造するよりも難しいことなのかも知れない。
あるものから省略していく方が、加算する場合の何もないものから作り出すということに比べて、相当楽だと思われるからである。だが、その思いは自分が一番よく分かっていて、ジレンマに陥るのだろう。
マスターが、自分の趣味として絵を描くようになった時を思い出していると、小説家としてデビューしたにも関わらず、最後には死ななければならなくなった山口氏の気持ちを思い図る気がした。
少なくとも夢を叶えることができたのに、それが最後に死ぬ運命にあったということが、マスターには分からなかった。マスターは、基本的に自分の夢が叶わなかったということはなかったからだ。
小学生の頃には苛めを受けていたマスターは、何事も無難に生きることを信条にしていたように思う。
余計なことを自分に課すことで、変に悩みを増やしたり、思いつめたりすることで、自分を追い込んでしまうことを嫌ったのだ。
苛めに遭ったことのない人は、そんなことは思わない。ある程度、無難に生きることよりも、冒険してでも自分だけの道を切り開こうとするはずだ。だから、あまり他人事のように考えることをしない。そのせいで自分の思い込みや辛煮閉じこもってしまうことで、苦しい立場に追い込まれることがあるのだろう。
だが、苛めに遭ったことのある人は、必ず自己防衛に走ってしまう。無意識の思いなのだが、自己防衛に入ると、まわりだけではなく、自分のことまで他人事のように思うのではないだろうか。
そのことが、言葉に帰ってボリュームを与え、気持ちに余裕のない人間からは、実に頼りになるように聞こえるのだ。
だが、本人はそうは思っていない。まわりに対して自分が他人事のように思っているということは、まわりもそれ以上に自分を他人だと感じていると思うのだった。
自分を他人だと思ってしまうと、閉じこもる殻は、結構強いものであり、自分が一番異常なのに、異常であるという認識を持てなくなってしまう。その状態が、
「自分は何でもできる」
という思い込みに発展していき、趣味を叶えることができた人は、そこで人生のほとんどを達成したような気がして、その力を持って何でもできるのではないかと思い込んでいるようだった。
だから、夢を叶えて小説家になった人間の自殺は、理屈としては別に、理解できないのであった。
なんでもできると思っていると、悩みなど、どこ吹く風だと思う。
人生の中で自分の目標を達成してしまうと、その先どうすればいいのか、普通なら考えるというものだ。
「目標は達成することがすべてだというものだが、段階性のある目標だってあるだろう。一気に最終目標を目標として最初から挙げる人はまずいない。例えば小説家になるという漠然とした目標であっても、まず、
「新人賞に入賞することから始まり、小説家デビュー、そして少しでも長い間売れ続けること、そして有名作家として名前を残せるようになること」
という目標が段階を持ってあるとすれば、
「小説家になる」
という漠然とした目標は、その過程の中にあるものだと言えるだろう。
山口氏の場合は、小説を書いて入選し、小説家になることができた。額面通りに見れてみれば、
「彼は、自分の目標を達成した」
と言えるだろう。
しかし段階的に見れば、その発展途上であることは一目瞭然であり、段階的に見ることができないのが、今までに苛めに遭ったことがあるため、自分をどうしても他人事のように見てしまうという目を持った人間にこそあり得るのではないだろうか。
どうしても、自分が無難でなければ生きていくことができないと、子供の頃から悟ってしまったことで、自覚までもが他人事になってしまっているのだろう。
マスターは、山口氏が自殺をしたとはどうしても思えないという彼女の気持ちが分かった気がした。ただ、それは自分が他人事のようにまわりを見ているからだということにくづいていたのかそうか、本人にも分かっていなかった。
――新人賞を獲得するだけで、本当にすごいことなのに――
と、マスターは絵を描くようになってから、絵画の公募にいくつか応募してみたが、結果が思うようにはいかないことで、誰にも話をしていない。
絵を描いているということですら、一部の人間でしか知らないだろう。
マスターは、自分では、他の人よりも一層深く、人のことを分かっているつもりになっているが、実際にはまったく知らないのだ。
いや、知ろうとしないというべきか、分かっていないということを自分が分かっていないのだ。
鎌倉氏は、マスターの過去もよく知っていた。そして、マスターの性格も、
――もし、もう少しリアルな考えを強く持っていて、自分に対して自信があり、さらにそれを真正面から信じていれば、ちょっと怖かったかも知れないな――
と感じたことがあった。
マスターと話をしていると、その教養と発想には感心させられる。だからこそ、この店に立ち寄るようになったのだが、その性格は最初計り知ることができなかった。
それは、あまりにも自分と似ていないところがいくつもあるわりに、似ているところも多かったからだ。
「似ているところが多いわりに、似ていないところも多い」
と思うのか、
「似ていないところが多いのに、似ているところが多い」
と見るべきなのか、似たような言い回しであるが、その内容はまったく違っている。
鎌倉氏が思うのは、後者であった。最初は、
「まったく似ていない」
と思っていたのに、よく考えてみると、見ていないはずの相手のことがよく分かるというのも、どこかおかしな気がした。
その理屈を考えた時、マスターが自分に似ていないと思っている場所でも、本当はすぐそばに自分の性格があるのではないかと思うと、
「違うと思っていることであっても、ごく近くにあるものなのかも知れない」
という発想は、
「長所と短所は紙一重」
であったり、
「苦手なコースは、意外と得意なコースのすぐそばにあるものだ」
という、よくy級などで言われる表現などを考えてみれば、分かるというものだ。
鎌倉探偵も職業柄、
「陣実は、欺瞞のすぐそばにある場合も多い」
と一度ならず感じたことがあったのを思い出していた。
鎌倉氏は、マスターを見ながら、楓の話を聞いているうちに、
――依頼を受けたとして、果たして自分にこの件を解決できるのだろうか?
といういつになく自信のなさが感じられた。
普段であれば、引き受けようかと最初に感じた事件であれば、途中で自信をなくすということは稀であった。今までに事件の捜査中に負傷したり、圧力がかかり、捜査二ストップがかかったこともあったが、そのそれを乗り越え、事件を解決に導いてきたという自分なりの自信もあった。
しかし、引き受けようかと思っている事件で、話を聞いているうちに、どんどん気乗りがしなくなるというのも、実に珍しかった。
今までには少なくともなかったような気がする。
――確かに興味を持ったはずなんだ――
鎌倉探偵はそう思った事件は、事件のとっかかりとして話を聞いている間、どんどん興味を増していき、自分が事件に嵌っていくのを感じるのだった。
そんな自分が鎌倉氏は好きだった。
一種の、
「探偵冥利に尽きる」
とでも言えばいいのか、事件を愛欠に導くためには、最初の聴取が大切であることを、十分に分かっているからだった。
とりあえず、事件は引き置けるとしても、この気持ちをどうすればいいのか、鎌倉氏は分からなかった。
こんな気持ちのまま、探偵業務に入ったことはなく、正直言って、自信がない。
解決できるという自信がないというよりも、事実を解明できる自信がないというべきであろうか。
この言葉は、明らかに矛盾しているのだが、今の鎌倉氏には、そういう表現がピッタリだった。
――この事件には何かが絡んでいる――
と感じたが、それを解明しようとすればするほど、見えないアリ地獄に嵌ってしまうそうな気がして、目の前に見えるのが、底なし沼を想像させた。
――そういえば、いわゆる「底なし沼」ってどういうものなのだろう?
ということを今までにも何度か感じたことがあった。
――底なし沼というくらいなので、底がないということ、しかし、それでは地球の裏側まで行ってしまうということか?
などとバカげたことを子供の頃に感じたことがあった。
あくまでも「底なし沼」という表現は、抽象的な言い方で、本当に底がないなどということはないdろう。
ただ、一度嵌ってしまうと抜けることのできないものであるのは間違いない。助けようとするならば、沼のそばに木でもあれば、そこに助ける人が命綱を結び付け、その状態で助けに行かなければ、助けに入る人まで溺れてしまう。
しかし、実際に助けることができるかというのも問題である。底なし沼なのだから、沈んでいく人の体重がそのままかかっていることになる。相手が子供ならまだしも、自分と同じか、それよりも大きい人を助け上げるというのは、至難の業だ。
そもそも、助けに行く人のそばに、今言ったような装置を作るだけのアイテムが揃っているなどということは、マンガでもない限りありえないことでもある。
つまりは、底なし沼に嵌ってしまえば、その瞬間から、嵌った人は死の宣告を受けたようなものであろう。
そう思うと、山口氏の自殺というのも、それが事件ではない限り、すでにどこかの時点で死の宣告を受けていたと言ってもいいだろう。
誰かが彼に思想のようなものを感じていたのではないかとも思うし、編集者の担当者なのか、あるいは今目の前にいる依頼者である楓なのか、とにかく、誰かが彼の思想に気付いていなかったと言えるだけの確証はないような気がした。
鎌倉氏は、その部分をついてみた。
「山口さんは、死ぬ前くらいからどこかおかしいとおう雰囲気はありましたか?」
と聞くと、
「何かに悩んでいる様子はありましたが、自殺をするような雰囲気ではありませんでした。小説家なんだから、小説のことで悩んでいるとしたら、それを私が何とかしてあげられるとは思っていませんでしたので、敢えてそのことに触れるようなことはしませんでした」
というではないか。
――彼女はそうは言っているが、ひょっとして何かを言ったのではないだろうか?
という思いを鎌倉氏は抱いた。
何をいったのかは分からないが、その言葉が相手にいかなる印象を与え、その気持ちを逆なでするかのような印象を与えたかと思うと、鎌倉探偵は、彼女にも、今回のことがわだかまりとして残っているのではないかと思えた。
――後悔しているのかな?
とも感じたが、どうもそうでもないようだ。
「あなたがこ彼の死を不審に感じて、警察には相談しましたか?」
「ええ、話は一応してみました。でも、私がハッキリと自殺したわけではないという確証を口にできなかったことでm警察の方は、ただの戯言だとして見られたような気がします。確かに私には彼が自殺ではないとハッキリと下根拠があって言っているわけではないんです。言えるとすれば、彼の性格からは自殺はないというくらいしかないので、それは確証ではなく、個人的な意見ですから、それを警察は鵜呑みにしてくれるわけもありませんよね」
と楓はいった。
「確かのそうでしょうね。それであなたは、そのまま引き下がったんですか?」
「あの場合はそうとしかできませんからね」
「じゃあ、出版社の方はどうだったんです?」
「出版社の方としては、編集担当者の人の意見がすべてでした。彼とすれば、私と同じように、作品に対しての悩みを感じてはいたけど、自殺をするというような感じはなかったという意見でした。もちろん、自殺をしないなどという確証があるわけではありません」
「なるほど、二人が二人とも、自殺はしないと思っていたわけですね?」
「ええ、そうです」
「たった二人だけということなので、私もハッキリとは言えませんが。少なくとも複数の人間が同じことを感じていたのであれば、それは事実に近いものなのかも知れないですね。ただし。これは事実に近いという意味で、真実という意味ではありません」
「そうなんですね。だったら、いいんですが」
と、楓は鎌倉のいった言葉の含みの部分には何も感じていないようだった。
――おや?
と鎌倉氏は思った。
――彼女は、真実と事実という言葉を使い分けた私の話を、スルーしたかのように見えたけど。これは何かを考えながら上の空だったからなのか、それともわざとその話題に触れないようにしたのかどっちなのだろう?
と考えた。
そもそも鎌倉氏は、今彼女に対してカマを掛けたのだ。
真実と事実という言葉、似ているようで実は全く違うものだ。
さっきの長所と短所であったり、好きなコースと苦手なコースの話とは正反対である。
見た目はまったく違うのに、実際にはごくすぐそばにあるものという認識だった言葉とは真逆に近い、
「真実」と「事実」
事実というのは、あくまでも表に現れたことすべてを総称して事実という言葉で言われるものであろう、
しかし、真実というのは、前後の関係であったり、まわりとの関わりという意味で整合性が取れていることであり、必ずしも、事実を必要としない。
それと同じで、事実というのも、前後やまわりの関わりに対して整合性が認められることを必要とはしない。
したがって、事実と真実は違うものでありながら、まったく正反対の様相を呈しているものであった。
楓との話の中で、彼女がそれくらいのことを分からないような女性だとは思えない。マスターも私がカマを掛けたのを分かっているからなのか、彼女の返答を聞いた時、何とも歯切れの悪い、まるで苦虫を噛み潰したような嫌な顔をしたのを垣間見ることができた。
鎌倉氏は彼女にカマを掛けたその時から、彼女の返事によるマスターの表情を確認しようと思っていた。
ということは、彼女のリアクションも最初から分かっていたということなのかも知れない。
マスターも、嫌な顔を一瞬浮かべた後、鎌倉氏の顔を見た。二人は目を合わせることで、何かしら、嫌な雰囲気がこの空間に漂っていることに気付き、この瞬間から、急にテンションが下がってしまい、何かのやる気スイッチを切ってしまったのではないかと思えたのだ。
こんな状態で捜査を引き受けてどうなるというのか>
それが分かっているからこそ、先ほどのような、真実と事実を匂わせる発言をして、彼女にカマを掛けたのだ。
マスターを見ていると、
「やめた方がいい」
と言っているのが、ハッキリと分かったような気がした。
鎌倉氏も、正直今の段階では引き受ける気はなくなってしまった。
だが、
――このまま断ったしまっていいのか?
という思いもあった。
今までの鎌倉氏からすれば、一旦引き受けようと思った依頼でも、引き受けてしまった後で、
――引き受けなければよかった――
と思うこともなかったわけでもない。
そんな時、
――最初の話で気付いていれば――
と何度感じたことだろう。
だからと言って、最初の話を聞いた時点で分かったとして、果たして依頼を断るようなことをしただろうかと考えると、そこは疑問だった。
今、その状況になってみると、確かにこの時点なら断ることは簡単だ。自分に正直になればいいだけだから。
しかし、そこまで鎌倉氏は自分に正直になれないところがあった。そこがマスターと似たところなのだろう。では、
――もしマスターが探偵で自分の立場と同じだったら引き受けるだろうか?
と感じた。
マスターだったら、引き受けるような気がした。目の前であれだけ露骨に嫌なものでも見たような顔をしたマスターであるにも関わらずにである。
鎌倉氏は、この事件を引き受ける引き受けないという本当の最初の部分で引っかかっていた。この部分は本当に表か裏かの二つに一つ、別に悩むことなどないはずだった。
だが、今までに悩んだことのないこの場面で悩むというのは、何か自分の中で引っかかっている部分があるからであろう。それを思うと、初めて感じる思い出はないことを思い出そうとしていた。
それはすぐに思い出せるものではなかったが、思い出してみると、どうして思い出せなかったのか分かった気がする。
――そうか、この思いは、探偵になってから感じた思いじゃなかったんだ。まだ小説家だった頃に感じた思い、つまり編集者との間で、作品の構想を練っている時に感じたあの感覚だった――
ということを感じたのだ。
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