第6話 マスターの悲哀
鎌倉氏も、以前小説を書いていた時、霊験教という宗教の存在をしっていた。それどころか、入院している人が身近にいたのだが、それを知っている人は今ではほとんどいないだろう。しかも、彼が付き合っていた女性で、鎌倉氏はその女性が自分の前からいなくなってからというもの、今までずっと独身を通してきたのだった。
この話は、本当にごく身近な以前から、つまりは小説を書いていた頃からの知り合いでないと知らない事実で、マスターも実は知っているが、警察関係者でも知っている人が今どれくらいいるかというのも、よく分かっていないくらいだった。
だから、何かあれば訪れてくる門倉刑事も知らないことであった。一度彼が結婚について訊ねたことがあった。
「鎌倉さんは、ご結婚なされないんですか?」
というと、一瞬暗い表情になり、
「いや、相手がいないよ」
というので、
「そんなことはないでしょう。鎌倉さんくらいになれば、引く手あまたでしょうに」
というが、鎌倉氏はまったく載ってこない。
すぐに、
――これはまずい話題なのかな?
ということに気付いた門倉刑事は以後あまり結婚について鎌倉氏には聞かないようになった。
この手の話題に対しては鎌倉氏であれば、それなりのリアクションを示してきそうで、門倉刑事にしてみれば、
――きっとテレるに違いない――
と思っていただけに、載ってくるイメージのない鎌倉氏に対して、触れてはいけない話題だったことに気付いたのだ。
霊験強がなくなった時、彼女がどうなったのか、鎌倉氏は知らなかった。知りたいとも思わなかったと言った方が正解であろう。いくら宗教のためだとはいえ、あれだけ熱烈な恋愛をしていたのに、急にのめりこんでしまった宗教である。元々宗教に対して胡散臭さしか感じていなかった鎌倉氏は、自分の憤りの持って行き先を彼女にすればいいのか、霊験強にすればいいのか、分からなかった。
得体の知れない宗教団体に対してよりおも、今までずっと一緒にいて分かり合っていると思っていた間が急に豹変したのであるから、怒りの矛策は当然っ彼女にということになるだろう。
しかも、その怒りはハンパではなかった。明らかに自分は捨てられたという男としての屈辱迄味合わされたのだから、たまったものではない。
彼女が入信してからはまったく音沙汰もなかった。訪ねて行ったことが一度だけあったが、信者でもない人間を入れるというのは言語道断というけんもほろろの態度で、完全な門前払いだった。
「信者ではないからと言って、一般市民に対してのあの態度、何様のつもりなんだ」
と、誰でもが思いことだろう。
それを見た瞬間から、彼女はもう別の世界にいってしまったということで諦めもついたようなものだった。
もちろん、完全に吹っ切れるまでにはまだ時間が掛かったが、実際に絶縁を覚悟したのは、その時だったのだ。その時の心境は今でもハッキリと覚えている。忘れてしまいたことであるにも関わらず、忘れることのできない不可思議な感覚であった。
彼女のことを吹っ切ったつもりになると、それまでしがみついていた小説家への意識も次第に離れて行った気がした。そういう意味では自分が生まれ変わった瞬間ではないかとも思える時であった。
彼女と小説家という意識の両方を失った鎌倉氏は、しばらく鬱状態に陥った。その時のことはマスターがよく知っているが、
「本当に声も掛けられないくらいの雰囲気で、正直いうと、そんな表情でうちの店に来ないでほしいなんて思ったくらいだったよ」
と、今だから言えるというようなセリフを吐いたことがあったが、もちろん、悪気のあるものではなく、親しき仲の毒舌だったのだ。
鎌倉氏もよく分かっていて、逆に、
「マスターのような人がいてくれたから、早く立ち直れたのかも知れないな」
と言っていたが、同時に、
「あの鬱状態の時のことで記憶が残っているのは、この店のことがほとんどだったんだ。だからこのお店のイメージは、鬱だった時のイメージが強烈に残っているので、何かを思い出すとすれば、真っ先に鬱状態だった時のことになるんだよ。実に皮肉なことだよね」
と笑いながら言っていたが、本音に違いないことはマスターも分かっていることであろう。
しかし、鬱状態の時、立ち寄るのはこの店しかなく、自分の部屋にいてもいたたまれなくなるだけで、表に出ても、自然と足はこの店に向いてしまう。だから、鬱状態の時の記憶のほとんどがここにあるのは、あながち間違いではない。他の場所と言っても、それはただの時とともに通り過ぎていく心境と同じだったからだ。
鎌倉氏は、べつにこの店で愚痴をこぼしたり、管を巻くようなことはなく、黙って佇んでいるだけだった。マスターは苦笑いをするしかない。
「おかえりください」
と言える立場でもなく、言える立場でもないことは分かっている。
しかし、本当は、
「しっかりしろよ」
と言いたかった。
そんな鬱状態の鎌倉氏など見たくもなかったし、実際に見れるなんて思ってもいなかったからだ。
――この人には鬱状態なんて、関係ないのかも知れないな――
と思い、そんな彼を密かに尊敬していただけに、人並みの鬱状態が訪れたことに少なからずのショックを受け、それほど鬱状態というものは誰にでもいつ襲ってくるのか分からないものだと再認識させる結果になってしまったのだ。
かくいうマスターも鬱状態には陥りやすいタイプだと自分で思っていた。しかし、その鬱状態のほとんどは学生時代までで、しかも、他の人がかかる鬱状態とは質が違っているような気がしていた。
何が違うのかというと、陥った後の精神状態が違っているような気がした。他の人は、陥った鬱状態からは絶対に逃れることはできないが、なぜか鬱状態から抜ける前というものは予兆があるものだということを知っていた。
しかし、自分が陥る鬱状態は、他の人よりも抜けやすいという意識があった。だが、逆に本当に抜ける時、つまりは自然に無意識な状態から抜けていく時というのは自分でも分からないのだと認識していたのだ。
マスターは、自分のことよりも人のことがよく分かる方だった。
「人のことがよく分かるから、自分のことも分かるんだ」
という認識があり、この認識を最初に感じたのはいつだったのか、中学時代くらいからだったような気がした。
どこか鎌倉氏と似ているところがあると感じてはいるが、それがどこなのか、すぐには分からなかった。最初は、
「傷つきやすいところかな?」
と思っていたが、そうでもないようだ。
確かに傷つきやすいというところは似ているのであるが、それだけではない何かがあるような気がする。
それは、傷ついたそれがどういう種類のものか、どこから来るものなのかを、冷静に分析しようとする姿勢である。そして、結局は自分を客観的に見ることでその答えを見つけることができるという結論に至った経緯が似ているのだと思うのだ。
この経緯に関しては、誰もが抱けるものではないと思っている。どちらかというと、普通の人に抱けるものではなく、抱こうとすると、自分が変わらなければいけないという意識を持たなければ感じることのできないものだと思っていた。
「誰にでもできることというのは、意外と何かのきっかけがなければ、掴むことのできないものなのかも知れない」
と思うようになった。
誰にでもできるということは、何もしなくても、誰にでもできると思われがちだが、できることと、できないことの二種類があるという意味で幅が広いものなのかも知れない。
それを思うと、マスターも今まで生きてきて、お店をやりながらいろいろな人を見てきたが、それも自分の人間観察に一応の自信があったからできていると思っていた。
だが、鎌倉氏と出会って、
「こんな人もいるんだ」
と、何度も感じさせられて、それで得られることができた感覚に、驚きというよりも、逆に、
「どうして今まで気付かなかったんだろうな>?」
という思いがあったことに疑問を感じるほどだった。
店をやっていると、いろいろな人にも出会えるし、その中で自分を顧みることができることで、
「今からでも何かを始められるんじゃないかな?」
という感覚になってくるのを感じていた。
マスターは鎌倉氏が落ち込んでいる時、なまじ慰めたりはしなかった。何よりも鎌倉氏は自分よりもしっかりしている相手だという意識があったので、自分が慰めるなどおこがましいという考えもあり、それだけではなく、下手に慰めようとして失敗すれば、鎌倉氏だけではなく、自分までもが立ち直ることのできないほどの落ち込みを感じることになるのではないかと思ったのだ。
マスターは、鎌倉氏が落ち込んでいる時に始めたことがあった。それは絵画だった。
こういう店をしていると、内装に油絵を購入する機会もある。それまでの絵は、業者にお任せという形にしていたので、店に飾ってある絵に自分の意志が介在したということはない。
もちろん、
「この絵にしますね」
ということで、業者から前もっての打診はあるのだが、逆らったことは一度もない。
実際に店の雰囲気にマッチしていて、抗う必要などどこにあろうかというくらいであった。
特に店の雰囲気は暗めで、額の部分はスポットライトを当てているという雰囲気なので、油絵も幻想的に見えていた。見方によっては油絵が立体的なリアルさを感じさせ、本当に絵なんだと意識させるくらいになっていたことで、それこそ異様な雰囲気を醸し出していたが、どうしても、
「作られた空間」
というイメージであり、この雰囲気が自分の望んでいる店の雰囲気なのかということを再認識する時期ではないかと思った。
マスターは、子供の頃から、どちらかとおいうと不自由なく育った方で、お金持ちの家庭に生まれたというわけではないが、不自由をしたという経験もない。
そのイメージがあるからか、高尚な趣味に対しては、少し尻込みするタイプであった。
行動力がないというわけではない。やりたいことさえあれば、いくらでも行動はできるのだと思っていたが、何がやりたいのかということがハッキリとしないので、手を付けることができないというのが本音だった。
中学、高校時代と、部活をすることもなく、勉強も嫌いではなかったが、そんなに必死にやるわけでもなかった。
「何をやりたいというんだ」
という意識だけが先行していて、結局見つけることができずに、絶えず中途半端な自分を認識していた。
その頃のマスターは、
「遠慮こそが自分の信条なのだ」
とまで思っていたような気がする。
出しゃばって何かをすると、
「出る釘は打たれる」
という意識があったのだ。
小学生の頃は、苛めに遭っていたマスターだった。その理由は今でも分からないが、
「何か見ていて気に入らない」
という程度の理由だったのではないかと思う。
そんないじめられっ子だったマスターは、苛めっ子に逆らうことは絶対になかった。
「そのうちに疲れてやめるだろう。下手に逆らうと苛めが人くなるだけで、そんな行動を愚の骨頂というんだろうな」
と思っていたのだ。
だから、苛めがなくなった中学時代からも、自分が決して目立つことのないようにして、遠慮こそが信条と思うようになったのだ。それが正しかったのか間違っていたのか、まだ結論は出ていないような気がする。
「ひょっとすると、鎌倉さんが、その答えをもたらしてくれるのではニアか?」
と感じるようになったが、それも実際に信じていることなのかどうか、自分でもよく分かっていなかった。
マスターは、最初デッサンから入った。
いきなり油絵はハードルが高いと思ったし。油絵だけが絵画ではないということは、以前お客からもらったチケットでいった美術館の展示で初めて気づいたことだった。
「鉛筆だけのモノクロ画法で、ここまでリアルに立体感を出せるんだ」
という思いを感じたのが最初だった。
絵画の素晴らしさは、やはりまずは有名作家の作品に触れることから始めるのが一番だと思ったのだ。
絵を見ていると、
「どうしれあんなに立体的に描けるのだろうか?」
といつも考えてしまうが、デッサンを見ていると、その理由が分かった気がする。
「絵画を立体的に浮き上がらせるには、影が必要なんだ」
ということである。
「絵の濃淡で影を作り、その影が立体感を演出する」
それが絵画というものである。
つまり、表裏をうまくバランスよく使うことが必要で、そこにあざとさがなく、自然に立体感が溢れだしているということが必要なのだ。
クラシック喫茶をやってみたいという感覚は、中学の頃からあった。小学生の頃、クラシックと接し、他の音楽をほとんど聞くことなく中学生になったマスターは、まわりの皆がポップスやロックを聴いていても、クラシックから離れることはなかった。
「やっぱり、あのオーケストラの奏でる壮大な音楽は、どんなジャンルであろうが、敵わない」
と思っていたのだ。
クラシックを聴いていると、浮かんでくる光景は、西洋のお城だった。ライン川なのか、ドナウ川なのか、大きな川のほとりに、そのお城は建っている。川が大きいせいもあってか、川面はまるで湖畔であるかのように、細かい波紋を作って揺れている。
その揺れを見ていると、風があるのかないのか微妙なくらいで、きっと体感的にはほとんど無風ではないかと思えるほどに思えた。
森の緑と、空の青さ。川面まで青かったら、せっかくのカラー映像なのに、色の種類が減ってしまうというおかしな理屈から、川面は違う色を想像してしまう。だが。口で表現するには難しいその色は、いくつかの色が混ざっているようで、波紋がそのグラデーションを演出しているかのようだった。
お城のまわりには、ほとんど緑しか見えない。小高い山の山肌を確認できないのは、それだけ深く内陸部に侵入しているからなのか、それなのに、これだけの川幅を持った広さを思うと、下流まで行けば、そんな光景を見ることができるというのか。
――ひょっとすると、無数に支流があるのかも知れない――
そう思うと、自然というものは人間が考えているよりも、さらに神秘的で、効率よくできているのかも知れない。
川は本当に風の勢いだけで流れているのではないかと思うほど、実に静かに流れていた。流れに沿って船はクルージングのごとくゆっくりとまるで湖畔に浮かぶボートのように風にそよいでいる雰囲気だった。
そんな中をどんなクラシックが一番似合うのかを考えてみた、ワルツのような曲が最初は似合っているように思っていたが、実は交響曲が似合っているような気がする。
壮大さを感じさせるような曲で、最初に音によって度肝を抜かれるような曲がいいのであるが、思い浮かべた曲として、ドヴォルザークの「新世界より」であったり、ホルストの「惑星」であったりがいいのかと思っていたが、どうもイメージが違うようだ。
マスターが思い描いた曲は、ベートーヴェンだった。それも「運命」ではなく、「英雄」であった。
なぜ英雄なのかというと、一つの楽章でいろいろな旋律を感じさせるが、それでいて、一貫している何かを感じさせるところであった。一楽章ごとにテーマを感じさせ、そして、一曲すべてに、大きなテーマがあることを思わせる。
「鎌倉さんなら違う曲を思い浮かべそうな気がする」
と思っているが、きっともっと癒しの深い曲を選びそうな気がする。
マスターが英雄を好きだということを常連の人にはそんなに話していないにも関わらず、リクエストのあるのは、なぜか英雄が多い。ベートーヴェンの他の曲を掛けてほしいというリクエストもそれほどなく、マスターもベートーヴェンの他の曲に対しては、さほど好きだというわけではないので、きっとこういう店を運営したり客としてくる人というのは、それなりに似た感性があるのかも知れないと思った。
そのことについて鎌倉氏が面白いことを言っていた。
「ジャズとクラシックだったら、若者がジャズに走って、ある程度年齢を重ねた人が、クラシックに走るんじゃないかと僕は思っていたんだけど、逆の考えの人も結構いるようなんですよね。その人たちは、別に年齢にはこだわっていないと言っていました。ただ印象として持っているだけだってですね。だから、印象として持っているだけでいいのだとすれば、正解を求めることはない。世の中にはそういう正解を求めなくてもいいことが山ほどあるのに、どうして皆何でもかんでも正解を求めようとするのかって思うようになったんですよ」
と言っていた。
その言葉のどこに信憑性があるのか分からなかったが、何となく理屈は分かった気がした。
マスターが絵画に走ったわけが、この店の雰囲気であったり、絵を見ても分かるからだ。
「私は、最初クラシックしか聴いたことがなかったので、歌謡曲や洋楽派、どうも好きになれなかったんですよ。でも、学校では皆が聴いているので、一応話のネタとして聴いておかないと仲間外れにされてしまう可能性があるんですよ。だから、中学、高校時代までは洋楽なんかも聴いたんですが、大学生になってから、自分のまわりに集まってくる連中は皆クラシックが好きなやつばっかりで、しかも、他の音楽に走らずに、ずっとクラシックばかりを聴いていたと言います。私は恥ずかしくなりました。まわりに影響されて他の音楽を聴き始めた自分がですね。だから、それからはクラシック一本です。それが嵩じてこうやってお店にしてしまうんだから、ちょっと行き過ぎカモ知れないとも思ったけど、これが自分だと思うと、それからは、ああmりブレないようになりました」
と言っていたマスターだったので、マスターが、西洋のお城の絵を描いてみたいと思っていることは分かった。
だが、そこまでになるには、まずデッサンができるようになるのが一番ではないだろうか。
特にこのお店に来る客の中には、芸術家と言われる人も多い。大学教授もよく立ち寄っているし、大学で芸術を専攻している人もよくこの店に来ている。その中には画家の人もいて、
「絵の基本くらいなら、私でよければお教えしましょうか?」
と言ってくれた。
もちろん、基本中の基本を教わるだけだったのだが、まずは基本を知ることであり、そこから先は人から教わるものではない。人から教わったとしても、それは自分の目指す芸術ではない。また、教わったことが正解というわけでもないのだから、基本というものを自分なりに解釈してもいいわけだ。ひょっとしたら、それがパイオニアになるかも知れないからである。
先生の基本とさほど変わらないかも知れないが、マスターが自分の中で基本と考えるもの、まず第一に、バランス出会った
風景画にしても、人物画いわゆる顔の部分にしても、全体を大きく三つから五つに分けることができるのではないだろうか。風景画であれば、空があって、海などの水の部分があって、そして陸がある。顔にしても、おでこから上、花よりも上、そして花より下の部分などと分けることができる。それをどの配分で描くかによって、最初にどこから描き始めるかということも決まってくるのではないだろうか。
これは絵を描いていて気付いたことであるが、
「被写体を上下逆さまに見れば、自分の考えているバランスがまったくしhがったものに感じられる」
というものだった。
風景画などは、普段よりも相当広く感じられる。上下そのままい見れば、水平線の彼方は、ほぼ半分くらいの一にあるように思うが、逆さになるように見ると、空が七対三くらいのわりあいになっていることに気付く。さらに人の顔などはまったく違ったバランスに見える。それを心理学の擁護では「サッチャー錯視」と言われる錯覚だという。
この錯覚は今から四十年前というごく最近に発見されたことであり、今まで誰も何も言っていなかったのが、不思議なくらいである。
サッチャー錯視に関しては最近であるが、風景を逆さまから見るという発想は今に始まったことではない。日本でも、日本三景の一つ、天橋立では、股の間から覗くということが昔から行われているではないか。山の上から、水面に浮かんだ小さな道が続いているのを、股の間を通して逆さに見ると、
「竜が天の昇っていくように見える」
といわれているではないか。
これが、天橋立という名前の由来になったということであれば、本末転倒な気がするが、古来より天橋立は有名で、古事記にも、「天の浮橋」という名称で残っており、そういう意味では日本列島形成時に、一緒にできたものと考えてもいいほど、古いものだということになる。
基本の二つ目は、
「濃淡にある」
と言えるのではないだろうか。
光と影を濃淡で表すというのは前述の通りだが、光と影の発想はバランスとも似たところがあり、さらに比較されるところでもある。光と影がなければ、表か裏か、あるいは、どちらが距離的に近いのかなどの表現ができなくなってしまう。サッチャー錯視や天橋立などのさわぎではないほどの錯覚と言えるのではないだろうか。
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