第5話 依頼

「じゃあ、あなたは、山口氏が自殺をしたのではないとお考えですか?」

 と聞くと、彼女が少し顔が紅潮していて、

「もちろん、発表には間違いないと思いますわ。でも、何をもって自殺というかなんじゃないかって私は思うんです。確かに読んで字のごとしで、自ら命を断てば、その名の通り自殺というだけのことなんでしょうけど、自ら命を断つのは行動という指針だけで、そこに他の人の思惑が介在している場合、単純に自殺と言えるかということなんだと思います」

「あなたは、彼の自殺には他人の思惑が介在していたと?」

「ええ、そう思います。その場合は、私はその人によって殺されたと言えるんじゃないかと思います。もちろん、介在の程度にもよるんでしょうが、元々死というものを意識している人の背中を押す場合も、押してしまったのであれば、やはり私は単純に自殺とはいえないと思うんです。人が一人死ぬ。そのことで思惑がうまく行く人がいる。しかし、それが一切公表されないというのは、不公平だと思うんですよ。その人だけがもし利益を得るのであれば、間接的だったとしても、これはれっきとした殺人だと私は思います。少なくとも警察や法律によって裁かれなくても、せめて世の中には公表されるべき問題だと思っています」

 という訴えだ。

「なるほど、私もそれは思います。この間、前の政府のトップが政治疑惑によって、自殺した事件がありましたが、それを奥さんが調査をお願いすると、当のトップの人が、『すでに調査済み』との回答に、その奥さんが『あなた方は、調査される側の人間なので、その発言は許されません』という趣旨の話をしていましたが、まさしくこれと同じ発想なんですね?」

 という鎌倉探偵に、

「そうです。このまま泣き寝入りなんかできませんよ。私や遺族は、まず事実を知りたいんです。少なくとも自殺という重大事件で自分たちの生活は大いに変わってしまった。性格すら変えなければいけないくらいのところまで追いつめられている人もいるくらいです。ですから、せめて事実を知りたい。自分なりに理解して、納得しなければ、遺族や彼の関係者は、時間が止まってしまって、先に進むことができないんです。きっと彼が自殺でないとして、彼を追い込んだ人間はすでに、先に先に進んでいるでしょうから、いまさらその時のことをと思うんでしょうけど、残されたものにはそこが大切なんです。お分かりいただけますでしょうか?」

 と彼女は訴えるようにいうと、

「ええ、もちろんですよ。同じような思いを抱いている人はたくさんいるでしょうし、私もたくさん見てきました。そう思うと、あなたの気持ちもよく分かる気がします。だから、私も今憤った気分になっているんです」

 それは事実だった。

 今までにも、自殺が絡む事件にもいくつか携わってきた。そのたびに、苦い気持ちになったのであって、いくら事件を解決したとしても、殺害された人もそうであるが、生き返ることはない。世間一般に言われているように、

「自ら命を断つ人は、弱い人間」

 という一刀両断は、いけないのではないだろうか。

 自殺への抑止力として、少々大げさに言われるのは仕方のないことなのかも知れないが、すべてにおいて当て嵌められないことがあるのは、自殺だけではない。だから自殺だけを一つの見せしめのようにするのは、いかがなものかと、鎌倉氏も思うのだった。

 高橋楓は、少々モジモジとした態度を取り、何か思い余った素振りをしていた。鎌倉探偵はそれを思い図って、

「何か私に言いたいことがあるんでしょうか?」

 たぶん、言い出すことはこれしかないという思いを抱きながら聞いてみた。

「実は、彼が自殺した理由について、鎌倉さんにご調査願えればと思っておりますが、いかがでしょう?」

 というではないか。

「その依頼をされるのは、私が初めてなのでしょうか?」

 落ち着き払って、鎌倉探偵は聞きなおした。

「いいえ、いくつかの探偵さんにお願いをしてみました。でも、どこも断られました。理由は、今さら調べて理由が分かったとしても、どうにかなるものでもないですよ。過去のことをほじくり返せば、そのために今の生活が壊れてしまう人がたくさんいるかも知れないというものであったり、本人が死んでしまっていて、遺書がないのであれば、いくら調査しても、それは机上の空論でしかないんですが、あなたはそれでもお金や時間をかけて自殺の理由を確かめたいとお思いですか? というものばかりでした」

 楓がいうので、

「そうでしょうね。私もたぶん、皆さんはそういうだろうと思っていました。それが多分、探偵としての正解なのではないかと私は思います」

 というと、

「探偵のお仕事に正解などというものがあるんですか?」

「ええ、それはあると思いますよ。正解があるから不正解もあるんです。つまりそれがないと選択肢がないことになり。そべて、しなければいけないことに行き着いてしまう。それって危険なことだと私は思います」

 だいぶ精神的に冷静になれたのか、いつもの調子で答えた。

 それを楓は分かっているのか、黙って聞いていたが、唇は噛みしめているので、無念さが伝わってくるような気がした。

 相手がいうことはもっともなことだが、今ここでその言葉を私が納得するわけにはいかないという気持ちが現れているのが、ハッキリしているくらいだった。

 ただ、一つ気になるのは、もし引き受けたとすれば、これほど嫌な事件はないだろう。最初から苛立ちと自己嫌悪が襲ってきそうな気がしていて、ずっと気乗りしないまま推移してしまいそうに思うのだ。

 探偵だって人間なのだから、やりたくない、気乗りしない事件を黙って捜査するのは苦痛でしかないはずだからだ。

 二人の話を聞くつもりはないが、どうしても聞こえてしまうマスターも、どちらの表情も見比べてみて、その場に居づらい雰囲気になっているのを感じているようだった。

 戯事とはいえ、なるべくなら、その場にいたくないというのは、誰の立場でも同じなのかも知れない。

 鎌倉探偵は、本音は断りたいのは事実だったが、断り切れない何かが鎌倉氏の中にあった。

――断ってしまうと、この人はどうなってしまうのだろう?

 という思いがあったのも事実だった。

――きっと断るとまた別の人を探すのだろう。永遠に断り続けられても、どこまでもこの人なら追いかけていくような気がする――

 まで思ってしまうと、断ることへの罪悪感に見舞われるような気がして、ジレンマに陥った鎌倉氏だった。

 鎌倉氏は普段は考えないが、依頼人の依頼にこたえられたとして、この人にとってどれほどのメリットがあるかということよりも、依頼に答えなかったり、答えられなかった場合にどのようなことになるのかという方が、怖かった。

 鎌倉氏は、ここで、答えた方にメリットという言葉を使ったが、答えなかった方に対しては、デメリットという言葉を使わなかった。

 依頼報告が彼女に与える影響力を、メリット、デメリットという言葉で表すというのは違うと考えたからだろうが、そう思ったのは、まさにそのことを考えている最中だったのではないかと感じることだった。

 それにしても、探偵の仕事の正解を聞かれた時、あんなに簡単によく答えられたものだと鎌倉氏は思った。

 自分の中では、

「その結論は、探偵というものを辞めてからでないと分からないことだ」

 と思っていたはずだった。

 結論づけてしまうのは、最終でなければいけない。ということとは、職業として全うしなければ答えることのできないことであるというのは、歴然としていることのように思えたのだ。

 鎌倉氏はどうしようか考えていた。普通なら他の探偵さんがしたように、すぐに断っていたように思う。それは、

「探偵業の正解」

 という理屈の下に考えるからではないかと思ったからだ。

「少し考えさせてもらえませんか?」

 と鎌倉探偵は言ったが、それしかないように思えた。

 答えたタイミングも悪くなったと思う。

 もし、これ以上遅れていた李すると、この場は緊張感で凍り付いてしまったように思うし、もっと早ければ、断ったことと変わりがないと思えた。自分の出せる今時点の結論としては、一番いいタイミングで出せたのではないかと思うのだった。

 マスターの表情を見ると、

――救われた―

 という表情に見えた。

 それだけ、緊張感がマックスだったのかも知れない。

「ちなみに、楓さんは彼が自殺をしたとは思っていないんですよね? それで本当に自殺なのかということと、自殺であるなら、その理由を教えてほしいということが依頼の主旨ですよね? じゃあ、自殺でないとすれば、どう思われているんですか? 誰かに殺されたという風に思っておられるんですか?」

 と鎌倉探偵は、具体的な話を聞いてみた。

「殺害されたとは思っていないんですよ。もし、殺害されたのだとしても、その捜査まで依頼しようとは今は思っていません。私は自殺という結論に疑問を感じているだけで、もし自殺でないとすれば、事故なのかとも思うくらいです」

 と言われて、

「でも、確か遺書はなかったんだけど、遺書らしく小説のような文章はあったんでしょう? それを見れば一番事故という可能性は低いんじゃないですか?」

 というと、

「そうは思います。でも彼がどういう意思で書いたのかとまでは分かりかねますが、彼の性格からすると、思ったことはいつ何時でもメモするくせがあるんですよ。あれを、小説のネタのつもりで書いたのだとすれば、逆に自殺というのはおかしいでしょう? これから書こうと思うネタをメモに残しておくという感覚が分かりません」

 と彼女はいった。

 だが、鎌倉の考えは少し違うようだ。

「でもね、小説家というのは、意外と死を意識している場面でも、何かを思いついたら、書き留めておくものなんですよ。それは癖というべきか、習性というべきか、習性であるならば、それはあくまでも死ぬまでは続けるということであろうが、死を前にしてという段階で、それはもう死の領域に入っているのか、入っていないのかということが彼にとっての問題なのかも知れないね」

 というと。

「そういう意味で行くと、私が考えている先生は、まだ死というものに入り込んでいない時で、あれは遺書というよりも、覚書に近いものだと思えて仕方がないんですよ。だからと言って、あれが自殺ではなく、事故だという理由にはなりませんけどね。事故という可能性が限りなく低いとは私も思っていますからね」

 と楓は言った。

 それを聞いて、マスターが口を出してきた。

「人が死を意識する時って、いったいいつなんでしょうね? 自殺する人って、日ごろから死を意識していて、絶えず死にたいと思っているんでしょうかね? もしそうだとするならば、早い段階で死んでしまわないと、次第に死ぬ勇気がなくなってしまうような気がしますよね」

「それはありますね。また、自殺をする人って、リストカットなどで、躊躇い傷がたくさんあるというじゃないですか。まず最初に死ぬというのを意識するのって、どういう心境なんでしょう? 例えば、肉体的な苦しみを感じるのか、それとも、死んだ後に、まるで魂だけが生きていて。後悔するのが嫌だという感覚に見舞われるというそんな感覚なんでしょうかね」

 と、楓が言った。

「そのどちらもまったく関係のないような話にも聞こえるけど、発想としては通じるものがあるような気がするんですよ。例えば、マスターの話で死を意識する時って話題が出ましたよね。それは、死にたいと漠然と思ってから、死を覚悟するまでの間に、どれくらいの時間が必要かということでしょうね。そして。その間に死を怖く感じて、死にたくないと思う場合も出てくる。その場合は、死というものに対してどう考えるかということが影響してくる。苦しいから死にたくないという思いなのか、それとも、もっと何かをやりたかった。死ぬと未練が残るという思いなのか、どちらにしても、そんな思いが頭を巡るのは間違いないでしょうね。それが死を覚悟できる前だったら、死を思いとどまったりするんじゃないですかね。だから、自殺しようとしている人への説得で、死ぬのが痛いとか、苦しいとかという説得をするわけではなく、やり残したことはないかなどということを話して、自殺を思いとどまらせようとしているんじゃないですか?」

 と、鎌倉氏は言った。

「なるほど、それは一理あると思います。でも死ぬということをどのように捉えるかは、本当に人それぞれですよね。天寿を全うしても、自分のやりたいことが見つからず、ただ一生を終えたという人もいれば、最後は自殺した人でも、世の中に強烈なイメージを残している人もいますからね。ただ一つ言えることは、誰でも最後には死ぬんです。人間が自分で選ぶことができるのは、生まれてくることと、死ぬことなんです。市はいつ訪れるか分かりませんが、死のうと思えば、どうやってでも死ぬことはできます。ただ、絶対にできないのは、生き返ることなんですけどね」

 と、まるで禅問答のような話をマスターがしてくれた。

「死ぬということが怖いと思っている人は何が怖いんでしょうね。正直、子供の頃は苦しいから嫌だという意識しかなかったと思うんですが、今の方が、死に対して怖い気がしますものね」

 と、彼女が言うと、

「いろいろあると思いますよ。人によっては人が死ぬ場面を目撃したりするとかなりのトラウマが残ってしまい、血が噴き出した瞬間を、その時に、自分の記憶として納めてしまうんでしょうね。だから、思い出さないようにしてしまう。でも、一旦死について意識してしまうと、どうしても思い出さなければいけなくなってしまう。その時に、死の瞬間を見た時の記憶が、それ以前に自分が感じた恐ろしい思い、例えば死にそうになった病気の時のことであったり、大きな怪我、例えば交通事故に遭った時の記憶とかと結びつけられるかどうかで、決まってくるんじゃないですか?」

 と鎌倉氏は言った。

「結局、人間というのは、過去の記憶に目の前の出来事を結び付けようとする。時に子供の頃は無意識にでもそうなってしまうんでしょうね。だから、それを怖いと思っているから、怖い過去は思い出さないようにしようと思う。その反動が夢に来ているんじゃないかって僕は思っているんですよ」

 とマスターが答えた。

「それはどういう意味ですか?」

「子供の頃の方が、何でもリアルに受け止めてしまう感覚が強いんじゃないかって僕は思うんですよ。つまりですね、大人になれば、それだけ経験もしている分、ごまかし方も覚えてきた。でも、子供の頃はそんな知恵もない。だから、リアルな感覚をまともに感じるのは子供の時の方なんでしょうね。そのためによく言えば素直なんだけど、悪く言えば、すべてがネガティブにしか感じられなくなってしまっているということなんでしょうね」

 マスターは、子供の方が、リアルな感情を持っていると言いたいのだろうか。

 マスターは続けた。

「すみません、本当は私が土足でお二人の話に入り込んでしまってはいけないとは思ったんですが、どうも我慢できなくて、僕も小さい頃に自殺を試みたことがあったんですよ・実際には死ねませんでしたけどね。でも子供の頃の自殺と、大人になってからの自殺では明らかに違うんですよ。私が思いますに、子供の頃に自殺しようとして失敗すれば、

「あの時死ななくて、本当によかった」

 と思うでしょうね。でも、これが大人になると、

「あの時死ねなかったことが、どういう影響を及ぼすか?」

 ということになる。

 それだけ子供の頃の自殺には、自分として許せないところがあるのか、それとも、子供の頃の自殺は納得が行くことではないと思っているからなのか、あるいは、自殺しなかったからこそ、今の自分がいるということで、自殺しなくてよかったと感じることの証明でもある。

 しかし、大人になってから自殺を試みると、その正解不正解は誰が判断してくれるというのだろうか。判断が難しいようなことを試みる自体、いけないことだという意識はあるおだが、自殺をすることに対して、

「悪いことをしている」

 という意識はなぜか薄いものなのだ。

 何よりも、自殺をするということがまわりに与える影響について、大人になれば考えてしまう。

 子供の頃であれば、親か友達くらいしか、自分が死んだ時に浮かんでくるまわりの人はいないだろう。

 では大人になればどうなのだろうか? 人間関係においては、子供の頃とは格段に自分に関わっている人の数は違ってくるだろう。そうなると、浮かんでくる人の数も結構いるのではないかと思いがちだが、考えてみると、浮かんでくるのは親や恋人、本当に身近な人ばかりである。

 思い浮かばないわけではないのだろうが、無理に他の人のことを考えないようにしているふしを感じる。

 死に対して考える時、ほとんどの人は頭の中から消え去るのだから、残った人たちだけのことを考えればいい。本当に死を意識した人は、瞬時に誰と誰が、自分の中で思い出せる相手になるかということを自覚しているように思えた。

「死ぬということを考えただけで罪悪のように思えた時期があったけど、他の人がよく言うように、自分の命を自分で勝手に扱ってはいけないという発想は。宗教から来ているんでしょうね。しかも、それは考えてはいけないという理屈のもとの発想としてね」

 と、マスターは言ったのだ。

「そういえば、宗教という話だと、何となく、山口さんでお身当たるふしがあるわ」

 と、楓は言った。

「それはどういうことですか?」

 と、軽い気持ちで、それこそ形式的に鎌倉は聞いた。

「あの人、小説のネタにするからと言って、ある種の宗教団体に、入信めいたことをしたことがあったの」

 というと、マスターが、

「ほう、宗教団体にですか? 何となく怖い気がしますが」

 というと、楓も少し低い声で、

「そうなんですおy。私も最初は怖かったんですけどね。でも、そのうちにその宗教の話をまったく私の前でしなくなって、そのうちに仕事の話もしなくなったんです。そのうちに私に会うことも何なりと理由をつけて会おうとはしなくなったんです。そのうちに作品ができてきて、それを読むと、その内容には宗教団体の話が出ていたんですが、その宗教団体は結構いい団体のように書かれていて、きっと実際に経験しなければ書けないと思うほど、うまく書けていたんです。内情に詳しく書かれていたというか、教祖の気持ちまでも繊細に書かれていたんですね。それを見た時、彼は入信したのか、それとも教祖からマインドコントロールでも受けているのかとドキッとしたくらいでした。でも、そのうちに遭ってくれるようになって、その間のことがまるでウソのようだったんです。そのせいでずっと私もそのことを忘れていたんですが、なぜ、あの自殺の時に今の話を思い出さなかったのかって思うくらいですね」

「ということは、その宗教の話はかなり前のことだったんですね? 自殺を敢行した時に思い出せなかったというほどだから」

 とマスターがいった。

「ええ、そうですね。実際にその窮境団体というのは、今は存在しませんからね」

 と楓がいうと、

「それはいつのことですか?」

 と、やっと鎌倉探偵が口を開いた。

「今から四年くらい前のことですね」

「その団体というのは?」

「名前は確か、霊験教とかいう名前じゃなかったかしら? もちろん、彼の小説では違う名前で書かれていたけど、その実情は霊験教に間違いないと思うんです。彼が気になる宗教として名前を挙げていたのが、この宗教だったからですね」

 と楓がいうと、

「霊験教ですか。あそこは確かに三年くらい前になくなったという話を聞いていましたね。実際にはかなりの悪徳な宗教だったようで、なくなった時というのは、警察の捜査が入り、テロができるほどの武器などを供えていたということで、『凶器準備集合罪』が適用されたような話を聞いたことがありました。でも、その後にできた『テロ防止法』のようなものにも引っかかったと聞いたような気もします」

 と、マスターが説明した。

「マスター、詳しいんですね?」

 と楓に言われて、

「ええ、霊験教に関しては、以前ここの常連さんで入信していた人がいて、途中で抜けられたんだけど、かなりヤバい団体だというようなことを言っていたことがあったんですよ。だから覚えていたんだし、その時に宗教団体の怖さというものを感じたのかも知れないと思ってですね。確かに昔からテロ行為を行いそうな宗教団体は結構存在しましたけど、自分の身近にはそんな人はいませんでしたからね。それを思うと、お客さんに宗教団体に入京している人がいると思うと、とたんに身近に感じられて、それだけでもゾッとするような気分になったものです」

 というマスターの話もかなり具体的だ。

「ひょっとすると、それが彼らの狙いであり、真骨頂なのかも知れませんね。信者にはマインドコントロールを掛けて、そのマインドコントロールの掛かった信者から、宗教団体に対して余計な関心を持たないようにさせるための伏線を敷くようなですね」

 と、楓はそんな具体的なマスターの話に感じるものがあったのだろう、そう言って答えた。

「本当に宗教というものは恐ろしいんだなって思いますね」

 とマスターがいうと、じっと考え込んでいる鎌倉氏は、それまでに見たこともないような真剣な表情を浮かべていた。

 それは彼の関心の深さを示すものではなく、話を聞いているにつけて、次第に深まっていくアリ地獄のようだった。

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