第4話 遺書のようなもの
「私があの小説を読んでみようと思ったのは、あの小説家が、数年前に自殺をしているんですね。それでちょうど、遺作というか、最終作になったわけでして、その作品があったもので読んでみようと思ったんです」
確かに彼女の言う通り、その小説家は確か二年くらい前だったか、自殺をしていた。当時はかなり話題になったのだが、その理由は分からず、遺書も発見されなかった。しかし、誰もいないビルの屋上から飛び降りた時、防犯カメラには誰も写っていなかったという。しかし自殺の原因に関しては、いろいろなウワサがあった。
「不倫の清算のため」
であったり、
「作品を弟子に盗作された」
であったり、
「精神的な疾患による被害妄想からの自殺」
など、彼には自殺するに値する理由がありすぎるくらいにあった。
そんな理由に関してよりも、彼が自殺したことで、人気作家の自殺ということで、小説界に渦巻いていたいろいろな癒着が表に出てこないかと言われている方が注目された。
時代が出版からネットへと移ることで、今までは出版社と作家という関係だったが、ネット運営者と作家との関係が大きくなってきたのだ。
作家の持っている著作権や、出版社が持っている出版権など、いろいろな権利が存在しているが、新参のネット業界でも、その権利を巡って、ネット内部というよりも、出版社などの今までの繋がりに横恋慕しようという狙いが、ネット運営の人にはあった。
高額で権利を買ったり、出版権をいかにネットで得るかということが話題になってきている。いくら本が売れなくなってきたとはいえ、芸術としての作品は、そう簡単に色褪せるものではないだろう。
そういう意味でのこの作家による自殺という事件はセンセーショナルだった。
彼の書くミステリーは結構売れていた。時代背景は今ではなく、今から五十根くらい前の時代を描いていた。
ほとんどリアルな時代を読者は知らないはずで、もっと言えば、作者自体も知らないはずの時代。調べられると言っても、実際に生きていなかった時代なので、リアリティに欠けていてもしょうがないだろう」
という覚悟を持って皆読んでいるはずなのに、読んでいると引き込まれるというか、その雰囲気はリアリティがなければ描くことはできないだろうと思われるような作品ばかりだったのだ。
「私はこの時代には生まれていないが、この時代に住んでいたという友達に話を聞いた。その友達というのは、私の夢に現れて、いろいろと過去のことを教えてくれるのだ」
という嘘か本当なのか分からない話をしていた。
ほとんどの人はやはり、
「小説にリアルさがあると言われて、調子に乗っているのさ。そんなバカなことあるはずないだろう」
と言っていたが、他のファンの間では、
「何をいまさら、そんな誰も信じてくれないような話をする必要がある? せっかく本も売れているんだから、読者に余計な刺激を与える必要なんかないんだよ。それをわざわざ口にするというのは、本当のことなのかも知れないと僕は思える」
という話も囁かれるようになった。
「ウソつき作家」
というレッテルも貼られ、
「彼には何か特殊な能力があるのでは?」
というエスパー説もあったくらいだ。
だが、そのうちに、
「僕は未来のことも見える。僕は自殺することになるかも知れない」
と言った。
さすがにそれまでは擁護派だった人も、庇いきれないと思ったのか、口をつぐんでしまったが、そんな彼が自殺を本当にしたのだから、これはセンセーショナルだった。
「予言した時は自殺をするような雰囲気はまったくなかったんだから、この自殺は本当に予言だよ。いくら自分を正直者に見られたいからと言って、本当に自殺をする人間なんて、いるわけはないじゃないか」
とウワサをする人もいる。
ただ、本当に自分の予言を的中させたいがために自殺をするという考えは、誰も持っていなかっただろう。
遺書として、誰か特定の人に渡してほしいというものはなかったが、そこには彼の自殺への意識が書かれた文章が置かれていた。それは自殺をするにあたっての心境ではなく、自殺をしていく時に自分が感じるであろう内容だった。
「こんな高いところに足を掛けるなど、今までの私にはなかったことだ。高所恐怖症の私が、下を見ることなどできるはずもない私が、これから死にゆく身を感じてか、恐怖をマヒさせるがごとくに、足をどこに置いていいのかも分からずに、果たしてどれだけ飛び降りることなく何かを考えていることができるであろう。さぞや襲ってくる恐怖にのた打ち回る気分になっているかも知れない。
いや、逆に気持ちとしては晴れやかだったりするのだろうか? 目の前を通り過ぎる一陣の風が、湿気と一緒にまるで石をかじった時のような嫌な味を感じるだろう。
あれは小学生も頃だった。公園のブランコで遊んでいると、後ろからふいにイヌに吠えられ、不覚にも手を離してしまったことで、背中から落っこちたことがあった。運悪く背中には小石があったようで、息もできないくらいの苦しさに、たまらなくなっていた時、湿気を帯びた風と、何か石をかじったような嫌な臭いがした。
息ができないのに、そんな感覚を味わうことなどできないはずなのに、確かにその時僕はその匂いを感じていたのだ。
その時に感じた匂いを、飛び降りる寸前にも感じるのではないだろうか。足を掛けたその時に、すでに感じているような気がした。
怖いと思っているくせに下を見ようとする。怖くてたまらなくて、足が竦んでしまっている。目の前が真っ暗になるのが早いか、それとも遠近感が取れずに、フラフラしているのを感じるのが早いが、ハッキリと見えないくせに何を感じるのかということは分かるような気がする。
『どこに落ちれば一番苦しまずに済むだろう?』
という思いであった。
なるべく遠くに飛んだ方が、痛みは楽な気がする。真下に落ちるとそのスピードはハンパではないだろう。ただ遠くへ飛べばそれだけ距離が出る。距離と時間が掛かれば、それだけ加速するというもので、結局は地面に就く瞬間のスピードは変わらないのではないだろうか。
いや、そんなことよりも、一気に死んでしまった方が楽ではないか?
ゆっくりと地面に落下すれば、少しは楽なのかも知れないが、死にきれずに苦しみを悪戯に味わうことになるように思えた。一気に加速して、あっという間に即死した方が、苦しむことはないだろう。そう思うと自殺の着地点は増したがいいに決まっている気がする。
そんなことを考えているということは、僕はまだまだ死に対しての覚悟はできていないということだろうか。死ぬということへの覚悟か、あるいは、万が一にも息残るということを暗示できない自分への恐怖からか、余計なことを考えているくせに、その考えは偏ってしまっているのだった。
怖いわけではない……と思う。覚悟は最初から決めている。そうでなければ死のうなどと思わない。
僕は以前、リアルな小説を書いていると言い続けてきたが。果たしてそうだったのだろうか。今ここで死に直面している自分の方がよほど、リアルな感じがする。
今だったらこのまま死ぬことをこんな文章にどうしてできるのか、分かる気がするが、ひょっとすると次の瞬間には、その気心は過ぎてしまっているのかも知れない。
前に死について予言したが、今はあの時のようなのほほんとした気分ではない。あの時もそれなりにゾッとしたものを感じていたが、こんな文章がどうして書けるのか、自分でも分からない。
人間なんて面白いもので、死を目の前にすると、覚悟が決まるというが、そんなことはない。昔の特攻隊の人は、死ぬことを覚悟に決め、遺書を家族に残して飛び立った。いよいよという時に、死を感じた時、何を思ったのだろう。今の自分と同じことを考えているのかも知れない。
しかし、死にきれずに生きて帰ってしまうと、普通なら、
『よかったよかった』
なのだろうが、そうはいかない。
いつまた出撃を言われ、死んで来いと言われるか分かったものではない。生きて帰ってしまっても、それは死んでしまった命なので、また死ななければいけない運命なのだ。それはきっと辻褄を合わせるというだけの形式的なもので、感情論などはまったくないのだろう。すでに特攻隊までの時代に入ってくれば、誰も何も言わない。ただ、死だけを目標に散るだけである。
僕も今目の前にあるものが、敵空母に見えたりするのだろうか? 飛び降りるまでは誰にも分からない」
などという文章で、遺書なのか小説なのか分からないものが遺書のように置かれていた。
だが、だから、どうして自殺をするのかということや、自殺をすることで誰かに言い残したいことがあって書いているわけでもない。見ている限り、死んでいく自分を客観的に見ている自分が書いているという印象だ。
だが、この文章にはかなりおリアルさがあった。彼が自殺をするかのように仄めかしたのをまるで今になって証明でもしようというのだろうか。
鎌倉氏は、その遺書のことがセンセーショナルに頭の中でこまだしていた。
この小説家は自分がまだ小説を書いている頃に、新人としてデビューした作家だった。
他の作家と同じように、デビュー作はかなりのセンセーショナルさを醸し出していたが、二作目以降からは、鳴かず飛ばず、それを、
「どうしてなのか?」
と嘆いていたが、普通に考えれば分かりそうなことでも、感覚がマヒしてしまっていたのだろう。
「一作目で期待した分、二作目にもそれ以上を求められる」
というのが世間の目だが、本人とすれば、
「デビュー作でもうアイデアは出尽くした」
とも思っているとすれば、それ以上の成長は望めない。
彼もそんな作家の一人だったと記憶しているが、それでもあれから何年もの間小説家として生きてきたのだろう。
ヒット作には恵まれなかったが、時々発表する作品を見ていて、鎌倉氏は悪い作品ではにないと思っていた。ただ、ウケるウケないという発想だけでみれば、きっとウケるはずのない作品となっているのだろう。
昔の時代背景というのは、何か自分の話に時代を合わせようとする。いわゆる。
「とっつけたような作品」
と思われるのではないだろうか。
ただ、彼の遺書とも遺作ともいえるこの文章は、週刊誌に全文載ったのだが、その賛否を巡って、出版社には、かなりの投書があったという。
彼の潔さを認めるような投書もあるにはあったが、ほとんどはあざといという意見であった。
死んだ人間のことをあまり悪く言うのは気が引けると皆書いてはいるようだが、それにしても酷評が多い。
「よくあんな文章が書けるよな」
という意見であったり、
「あれだけの文章が書けるんだったら、何も死ななくてもいいだろう。逆に遺書はどうしたんだ? ロアルに遺書もないのか?」
という意見であった。
遺書というものの主旨についてどこまで投書した人が知っているかなど疑問に価するものもあるが、やはり、彼のあざとさは拭い去ることはできないだろう。
「目立ちたがりというわけでもないのだろうに、このあざとく感じる思いは一体どこから来るのでしょうか?」
という投書もあったという。
人間が小説を思いつくのと同じで、小説の内容を感じる誰かがいるのかも知れない。時々小説に書かれたことと同じことが起こるという謎の村が存在するという雑誌の記事もあった。
完全な都市伝説なのだろうが、昔から予言的なことはあったようで、村に保管されている書物にはそのことが書かれているという。
何かを予感するというのは、
「予感が人を選ぶのか、それとも選ばれた人にその予感を誰かが与えるのか」
とにかく予感というものがあるということを前提に考えると、そのどちら側から見るかによって、その見え方も違ってくることを感じさせた。
鎌倉氏はその作家が死んだ時のその頃、自分が何を考えていたのかを思い出そうとしていた。
時間が経てば思い出せそうな気がするのだが、それまでに何か他にも思い出しておかなければいけないことがあるような気がしている。それが一体なんであるか、
――そうだ、自分も自殺を考えた時、同じように何かの文章を残しておくことができるんだろうjか?
というものだった。
遺書ではなく、やはり自分も何かの小説なのかも知れないと思った。
その作家は、どちらかというと売れていたのかも知れない。鎌倉氏はあまり知らなかったが、
「あの人が自殺するなんて、ちょっと考えられないな」
と知り合いの雑誌社の人が言っていたくらいなので、別に仕事で自殺をするような理由もなかったのだおろう。
それとも、自殺をしそうな雰囲気には見えなかったのか。
自殺など、逃げているのと同じだという気概を持った人も中にはいるだろう。また逆に自殺する勇気もないほどの気の弱い人もいるだろう。どちらが多いかと聞かれると後者だと思うのだが、自殺というものほど、勇気のないと思われていた人間が、思い立って最初にやってしまうことで、まったく予想がつかないものであろう。そう思うと、自殺をする人間の気持ちなど、よく分からないという結論になってしまう。もっとも、自殺を考えたことのない人間が果たしてどれほどいるかという方が、自殺を考えたことのある人間よりもずっと少ないということだけは確かではないだろうか。
だが、前述のように調べれば調べるほど、いろいろなウワサが出るわ出るわ。自殺しても仕方がないとは言われるようになってが、却って多すぎて理由が掴めなくなっていたのだった。
彼が元々どんな性格なのかということもよく分からない。。ただ、この間、
「あの先生の作品は一読の価値があるかも知れませんよ」
という雑誌社の話で、思い立ったかのように見つけた本を取ろうとした時、偶然取り合いになったのだった。
「鎌倉さんは探偵さんでいらっしゃるんですよね?」
「ええ、一応、探偵などというものをやらせてもらっています」
というと、マスターが横から、
「鎌倉さんはこう見えても、以前は小説家さんだったんですよ」
と茶々を入れるようにいうと、鎌倉も急に恥ずかしくなって、耳が熱くなってくるのを感じた。
「まあ、そうだったんですね。どんな作品を書かれていたんですか?」
「ミステリーのようなものだったり、オカルト系だったりと、そんな感じですね」
「そうだったんですね。じゃあ、先ほどもミステリー作家ということで、あの本をお手に取られようとしたのかしら?」
と聞かれた、
「あっ、お恥ずかしい話なんですが、あの作家さんのことはほとんど知らないんですよ。それで以前に自殺をされた方だということを思い出したので、ちょっと興味が湧いたというわけです」
「そうだったんですね。私はあの作家の作品が好きだったんですよ。実は、私、彼とは面識があったんです。私が中学生の時に、彼が大学生で、私の家庭教師をしてくれていたんですよ。その縁で私が高校二年生くらいの頃までは、時々会っていたりしたんですが、私が高校受験で忙しくなったり、彼が新人賞を受賞して、それで本格的に小説を書くようになったので、お互いに連絡を取る時間もなくなって、次第に疎遠になっていったんです。結構仲が良くて恋人未満とすれば、最高の友達と言えるくらいの関係だって思っていたんですが、自分のことで忙しくなると、そうも言っていられなくなりますね。相手に対して邪魔になっちゃいけないという遠慮の気持ちもあったのかも知れませんね」
と言っていたが、まさにその通りなのかも知れない。
「それで彼の作品を読んで、影ながらに応援していたということでしょうか?」
と鎌倉氏がいうと、
「そうだったんですが、私が一浪しちゃったんですが、大学生になってから、二年生の時に、偶然お会いする機会があったんです。何かの会で出会ったとか、そういうのではなくて、本当に偶然に出会ったんですよ。私は勝手に、これは運命だって思っちゃいましたね」
と彼女は言った。
「それで仲が復活したんですか?」
「ええ、でも、何か彼には秘密があるような気がしてそれが結構気になっていたんです。私といる時は何もないような感じだったんですけど、彼がいきなり自殺をして、そのうちに、それまで何も言われたことのなかった彼の周辺が次第にきな臭くなってきて、私も頭の中が混乱しました。信じていたのは間違いのないことですし、彼と一緒にいる時間も長かったので、まさか世間で言われているようなことがあるなど、思ってもみませんでしたよ」
ということである。
「なるほど、山口さんというのは、どんな人だったんでしょうね。私も間接的には彼と関係があったこともあったんですよ。ちょっとした事件で私が捜査した中に、その被害者の一人に彼の名前があり、彼の職業が作家だということで、山口豊という名前だけは覚えていたんですよ」
というと、
「あまり目立たない性格でしたね。家庭教師をしてくれていたんだけど、自分から何かを教えようとか、勉強泰地を指示してくれるということもありませんでしたね。どちらかというと、そばにいるだけで、落ち着いた気分になれるというか、そんな感じの人でしたね」
「そういう人が好みなんですね? 彼氏としてはどうだったんですか?」
と少し突っ込んで聞いてみた。
「それが、彼氏という雰囲気にはならなかったんです。私はデートのつもりで一生鶏鳴にめかしこんでいっても、彼は別に服装には無頓着だし、一緒にいても、何かをしてくれるわけでもなければ、気を遣ってくれるわけでもない。話は時々思い出したようにしてくれましたけど、基本的には静かでしたね。小説を書いているわりに話題がないというか、ちょっと私が知っている男性とはしhがっていました」
と、少し考え込んだようになった。
「嫌いにはならなかったんですか?」
と聞くと、
「それはなかったですね。そもそもこっちが勝手に気に入っていただけなので、好きになってもらおうというのは、虫が良すぎるのかなって思っていました。でも、少ししてから彼が、自分は人に気を遣うのが嫌だって言っていたんですよ。よくいるじゃないですか。知り合いに気を遣うがゆえに、まわりに無頓着な空気を読めない人が。それが彼は嫌いだっていうのですよ。だから無理に人に気を遣うことはしたくないらしいんです。それが彼の信条だって自分で言っていましたよ」
と、彼女は力を込めていった。
「なるほど、そういう人も確かにいますよね。私もちなみに、まわりを気にせず自分たちだけで盛り上がっているおばさん連中が大嫌いなんですけどね」
と、鎌倉氏は頭を掻きながらそう言った。
「その彼が自殺をしたんです。どうして自殺なんかしたのか、私には分かりません」
と言って、悔しさをあらわにしていた。
「でも、自殺をするという人は、急に思い立ってする場合もありますからね。僕なんか、自殺をする人間の心境は分からないなだけど、一番信じられないと思うのは、どうしてみんな遺書を書いておくんだろうね。警察の捜査なんかでも、、遺書がなかったら、自殺をした後が歴然でも一応は、殺人を疑ったりするものなんだそうなんだけど、それが僕には分からないんだよ」
と鎌倉氏は言った。
「どうしてなのかは、私にも分からないけど、それだけ自殺をする人というのは、本当の意味での『覚悟の自殺』をするものなんじゃないのかしら?」
と彼女は言った。
「でも、彼が自殺をする理由というのは、その後に結構いろいろ湧いて出てきているようだったよ。だから最初は、彼が自殺なんてと言っていた人も、徐々に仕方がないことのように思うようになったって聞いているけど?」
というと、
「でも、ちょっとおかしくないですか? そんなにたくさんの自殺をする理由が、自殺をした後になってボロボロ出てくるなんて、ちょっと考えられないような気がするのは、私だけなのかしら?」
と彼女は頭を傾げた。
「うん、確かにその通りだね。自殺をする前から、それだけ燻っていることがたくさんあったのなら、一つくらいは出てきてもよかったのかも知れない。でも、逆に言えば、一つが露呈すると、どんどん表に出てくるものであり、彼が身動きを取れなくなっていたかも知れないというのもあるんだよ。結局自殺に追い込まれたとしても、結果は同じだったのではないかな?」
というと、
「そうかも知れないけど、何か釈然としないものが私にはあるんです。鎌倉さんは、本当に彼は自殺だと今も思っておいでですか?」
と言われてみると、少し自信がなくなってきた。
元々、彼の自殺を聞いて、理由が分からないという話から、どんどん余計な話題が噴出してきた時には、
――何だ、これ?
と思ったのも事実であった。
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