第7話 過去の小事件
二人はその後、刑事から少し事情聴取を受けたが、その日は、警察に呼ばれることもなく、その場でお役御免となった。被害者の死亡推定時刻が、死後、三時間から、四時間の間くらいということで、夜中の二時から三時だということだけが、ここで分かったことだった。防犯カメラには、それらしい人物は映っておらず、刑事は、
「犯人はどうやって侵入し、どうやって逃げたんだろう?」
という疑いをかけていた。
りえと森脇は、警察の捜査に関しては、詳しく教えられていなかったので、よく分からなかったが、森脇はその日、店長やマネージャーを中心とした会議への出席を求めれ、さらに、そこには、りえも招かれるということになった。今回の件の善後策を話し合うということからであろう。
スタッフ数名がいたが、それは、昨日、遅番の人が集められた。昨夜は最後までいたのは三人で、女の子の参加はなかった。
ちなみに、ここに参加していない人で、連絡のついた人には、
「諸事情で、しばらくの間、店を閉める」
ということを言い渡していた。
「事情に関しては、そのうちに分かると思うけど、あまり変なことは言わないでほしい」
としか言えなかった。
当然、そのうちに警察は事情を聴きに来るということが分かってのことだが、混乱を避けるために、余計なことを今は言えないということもあり、今事情を知っているスタッフとしても、どこまで話していいのかということがジレンマとなっていた。
警察から事情を聴かれることもあるだろうから、本当は事件のことを話せばいいのかも知れないが、下手に不安だけを煽る形になるのも危険な気がした。
何しろ、お店のプレイルームで、前まで勤めていたスタッフが殺されたのだ。謎も多いということもあるし、スタッフとしては、
「自分の身に危険が?」
と考えるかも知れないということで、余計な心配をしてしまいかねないということだ。
店の会議において、まず、二人は、その日の様子を聞かれたが、別に改まって話せることもないということで、ほとんど、りえも森脇も余計なことは言わなかった。
刑事から聞かれたことで、思い出し、話したことをいうべきか二人は悩んでいたが、
「何もここで言わなくてもいいだろう。警察が知ったとしても、その後の調査で判明したということにすればいいのだ。何しろ、あの時警察に話したことは、ウワサでしかない。下手に警察に話したなどというと、自分たちの首を絞めるようなものだ」
と判断したからであった。
この判断は賢明で、会議の様子を聞いている限り、二人は少し幻滅していた。りえは大体分かっていたことだったようだが、森脇はまだこの業界が慣れていないということもあり。
「ここまで、自分たちだけのことしか考えていないのか?」
というほど、善後策というのは、そのすべてが、保身であることに、ショックを受けたのだった。
しかし、実際には、森脇があまり世間を知らないだけで、一般の会社において、会社内で事件が発生すれば、まず考えることは、社内でだけの問題に対しての、
「隠蔽」
であり、その次には、自分たちの身の振り方だけしか問題にしない。
もし、社内から、容疑者が出た場合、それが冤罪であったとしても、会社から排除しようと図るもののようだ。これも、隠蔽体質が原因で、
「臭いものには蓋」
というのが、一般企業の共通した考え方のようだ。
今回の事件のことを話し合っていた会議の中で、次第にぎこちなくなってきているのを、最初にりえが気づいたが、そのうちに、森脇も気づくようになった。何やら、スタッフ側の方だけでの会話に、力がなくなってきた。それを見た社長が、
「今朝の早番のお二方は、もういいですよ。朝早くからお疲れ様でした」
と言って、言葉では労ってくれて、他のスタッフは、こちらに背中を向けたままで、ただ頭を下げて、一様に、
「お疲れ様でした」
と、ゾッとするような低い声で言ったのだ。
「まるでゾンビでも見るかのようではないか」
と、森脇は感じたが、
「お疲れ様です」
と言って、りえと一緒にさっさとその場を離れた。
明らかに、二人は、
「早くその場を離れたい」
という気持ちで一致していたからであった。
そう言って、二人が部屋を後にしようとする間、誰も二人に振り返ったり、視線を見せる人はいなかった。明らかに様子が変だった。
「森脇さん、ちょっと、いいですか?」
と言って、ビルを出たりえは、森脇を喫茶店に誘った。
さっき真っ暗な中で店に入ったばかりなのに、と二人は感じてしまうほど、時間が経つのが早かったのだろう。あまりにも目まぐるしく時間が過ぎたので、あっという間だったという錯覚に陥ったに違いない。
すでに、昼間も過ぎていて、夕方近くのようだった。時計はまだ二時前だったが、表に出た瞬間は、普段の早番の時の仕事が終わる、四時頃の感覚だったので、
「時間が経つのが早い」
と感じたのだろう。
二人とも、事件の発覚から、警察の事情聴取。さらには、スタッフ会議と、普段は一つだけでも大変なことだと思うようなことなだけに、それが一気に三つもこなしたのだから、時間お感覚がマヒしてしまっていたとしても、不思議はないという感覚だった。
「時系列がハッキリしないな」
と感じたのはりえの方であり、森脇の方は、そこまでハッキリと、感じることはできなかった。
それだけ、りえの方が落ち着いているっということで、
「この業界は、本当に経験なのかな?」
と感じたほどだった。
だからこそ、自分がこの業界にいることが、まるで他人事のように思えていて、
「他人事ではいけないんだ」
と、ずっと思ってきたはずだったのに、いまさら、他人事のように思っていたということを、今回の事件で思い知らされることになるとは、森脇は思ってもいなかったのだ。
りえが、入った店は、ソープ街から大通りを渡ったところにある、レンガ造りの、まるで昭和を思わせる、いわゆる、
「純喫茶」
だった。
森脇は初めて利用するところであったが、りえは常連なのか、少し重たい気の扉を開けると、重低音の鈴の音が響き、
「夏だったら、かなりの納涼になりそうだ」
と感じさせるその音を、どこか懐かしく聞いたものだ。
「いらっしゃい」
という、女の子に、ニッコリと笑って、
「今日は二人ね」
と言うりえの顔は、店では決して見ることのない笑顔だった。
客に対しての笑顔とはまったく違うその表情に、
「これが、彼女の本当の笑顔なんだ」
と、感じた森脇は、どこか自分が安堵している気がした。
それまで、半年という期間であるが、この仕事を覚えることにずっと一生懸命だったことで、気づかない間に、ドップリとこの業界に嵌ってしまっていることに気づいたのだ。
「女の子の笑顔なんて、忘れていたな」
と思うと、先輩であり、さっきの対応に頼もしさを感じていたりえに対し、急に親近感を覚えたのであった。
「ん? どうしたの?」
と言って、こちらを見るりえに対して、気づかれたことへの恥ずかしさと、自分が、りえに対して、何か安堵だけではない何かの感情を持ったと初めて気づいたのだった。
だが、それは決して恋愛感情のようなものではない。しいていえば、仲間意識というものかも知れない。さっきの刑事との会話で見せた、あの毅然としたりえの態度、最初はびっくりしたが、
「この業界の女の子だ」
ということを考えると、それは別に不思議なことではない。
もちろん、客に対してはそんな態度をとることはないが、普段の客に対しての笑顔は、
「お客さんに癒しを与える」
という笑顔であり、親近感という意味ではこれ以上ないといえる笑顔なのだろうが、恋愛感情や、ましてや、感情が移入してしまうような笑顔ではないことは確かだ。
一歩間違えれば、そこに起こるのは、
「マジ恋」
というものであり、そう思わせてしまうと、相手がどのような心境を持つかによって、その態度が自分にとって、ロクなことにはならないと、どっちに転んでもなるであろう。
ストーカーになってしまうか、プライベイトを調べられ、自分のいうことを聞かないと、「個人情報をバラす」
などということになりかねない。
そのために、スタッフがいて、守ってくれているから、女の子も安心して仕事ができるのだ。
そういう意味で、自分たちスタッフの存在意義は、他の会社の従業員に比べて、重要なのではないかと、森脇は最近、感じるようになってきた。
ただ、スタッフも辛いところがある。
そんな守ってあげたいと思う彼女たちと、
「恋愛感情を抱いてはいけない」
ということになるのだ。
こういう店では、主役は言わずと知れた、接客をする彼女たちだ。お客さんは、彼女たちのことを見てはいるが、たぶん、スタッフの顔など、まともに見ている人はいないだろうと思うほどで、もし、スタッフを覚えている人がいるとすると、このお店が初めて風俗利用をするところであり、最初の緊張感を和らげてくれるという意味での感謝から、スタッフを覚えている人もいるだろう。だが、それも稀なことであり、カーテンが開いて向こうの世界に行ってしまうと、出てくるまでの時間、それまでとは違った自分にしてもらった女の子のイメージで上書きされてしまうに違いない。やはり。スタッフというのは、裏方であり、黒子でしかないのだ。
「道に落ちている、石ころのようだな」
とついつい思ってしまうのだが。
「道に落ちている石ころは、自分の目に飛び込んできて、意識をしているはずなのに、見ているわけではない。逆に見ているように表からは見えるが、その表からは、逆に石ころを意識しているようには見えてえいないのかも知れない。それだけ、表から見るのと、自覚するのでまったく違うというのは、そこにあって当然という意識が働いているからに違いない」
と感じるのだった。
「自分たちスタッフとは、そういうものだ」
と、森脇はずっと思ってきた。
その感情は、入店してから思っていて、一番最初が一番強く、業務を覚えていくうちに少し和らいだのだが、つかさに、なじられたりする時、
「やっぱり、俺はこの業界向いていないんだろうな」
という思いと一緒に、
「路傍の石」
を感じてしまっていた。
しかし、今日ここで、りえと一緒にいることで、それまで感じた路傍の石とは、少し違った感覚の、
「道端に落ちている石」
というものを初めて感じた。
それは、
「道端に落ちている石が、どう見えているのかということを、自分でも感じることができているような気がしてくる」
という感覚だった。
そんな感覚、今までに感じたことなどなかったはずなのに、どういう心境なのかと思っていると、
「気が付けば、一日が流れとともに自分の中で流されていて、目の前に、りえが鎮座する喫茶店の中にいた」
と、感じていたのだった。
二人は、しばらく会話もなく、見つめあっているわけではなかったが、やっと我に返った森脇はその状況に委縮してしまったが、すぐに落ち着いて、
「どうやら、りえさんは、俺が何かを言ってくれるのを待っているかのようではないのかな?」
と感じた。
「今日は大変だったね。僕もこんなのは初めてだったので、ビックリしたよ」
というと、りえはその言葉を待っていたかのように、
「そうよね。私もびっくりしたわ。事件もそうだったんだけど、森脇さんが落ち着いておられるのも、頼もしかったと思います。ああいう時って、意外と男の人は結構ダメなものだと思うんですよ。完全に委縮して、何も話せなくなるか、話をしても、私たちが見ていても、視野が狭いとしか思えなくて、イライラしてしまうような」
「僕が落ち着いていた? そう見えたのなら嬉しいです。りえさんが落ち着いておられるので、僕も落ち着かないといけないと思ってですね」
「そう言ってもらえるのが、一番ですね。どうしてもここの男性は、自分が男だという意識があるくせに、余計なことを言ってはいけないという普段から黒子のような仕事をしているという意識から、どうしても、寡黙になってしまう。それって、女の子たちから見ると、正直引いてしまいますよね。もし、事件が解決して、普通に営業できるようになっても、女の子としては、そんなスタッフさんとは、これまでのようには精神的に対応はできませんよ。どうしてもバカにしたりするような態度になったりするものですよね」
とりえがいうので、
「そっか、そうですよね。今思ったんですけど、つかささんが、僕に対していつも苛立っているのを、その言葉どおりに、自分が丸山さんに比較されているからだと思っていたんです。確かにその通りなんでしょうが、本当にそれだけだったのかな? とも思うんですよ。僕に対してだけではなく。つかささんは、僕を見ていて、丸山さんに何か最近違和感があってそれでイラついていたのかなってですね。そのあたりの考え方は、さっきりえさんが刑事に話をしていた内容に似ているような気がしますね」
「さっき、私が指摘しましたけどね」
とボソッとりえは言った。
確かにそういっていたのを今思い出したが、まくしたてるような言い方をしたりえを初めて見た気がしたので、少し臆していたのは間違いないだろう。そう、男性というのは、「人に、特に女性にまくしたてられるように言われると、何も言えなくなってしまう動物なのかも知れない」
と感じたものだった。
りえはそのことに気づいたかどうか分からないが、りえを見ていて、もう一つ気になることがあった。
それは、
「りえさんは、リアルに彼氏が今いるのだろうか?」
ということであった。
確かに、今回の事件を冷静に見れているのはりえで、話を聞いていると、その説得力のある発言には驚かされる。
だが、それは逆に、それぞれの立場をよく理解できていて、中立的な立場だから、分かっている部分があるだけではないかと思うのだった。だから、りえの話を聞いていて、
「彼女の言っていることに間違いはなさそうで、今は一番真相に近づいているような気がするのだが、結局最後は違う人が事件を解決するような気がしてきた」
と感じた。
しかし、もう一つ感じたのは、
「その事件解決というのは、表に見える部分の解決は彼女にもできるだろうが、その裏に潜んでいる。たとえば、人間の素の感情のようなものには、近づくことができないと思え、本当の動機までは分からないような気がしたのだ」
要するに、人間の人間らしさというところまで分かってしまわないところに、森脇がりえに興味を持ったところに思えた。
「何でもかんでも分かってしまうのは、却って距離を遠く感じてしまうので、嫌な気がするな」
と思うのだった。
「りえさんは、ひょっとして、丸山さんとつかささんのことで、もっと他に知っていることがあるんじゃないですか?」
と、思い切って聞いてみると、
「私は、元々、あの二人に興味を持っていたわけではないですから、よく分かりません。でも、今日、お話ができたのは、二人を客観的に見ていた自分が、丸山さんが殺されているのを見て、改めて思い出すと、やっぱり、二人を表からしか見ていないことに気づいたんですよ。でも、刑事さんや森脇さんの話、そして、先ほどの会議と称している茶番に出たことで、表から客観的に見ていたからこそ、ほどかれた糸を、自分なりに結びつけて、手繰ってみることができた気がしたんです。今もその感覚を持って、いろいろ思い出そうとするんですけどね。それには私だけではどうにもならないんですよ。そう思っていると、このまま帰って悶々とするのは嫌なので、だったら、丸山さんとお話ができると、そこから何か、分かることが出てきそうな気がしたので、お誘いしてみました」
「そういうことなんですね。僕も少し考えてみよう」
と、ほんの少しの静寂の時間があった。
というのは、森脇は最初に、
「結構長い間の時間、沈黙だった」
と思ったのだが、りえの様子を見ていると、そういう雰囲気が感じられなかったので、
「自分の勘違いではないか?」
と思ったのだ。
そのせいで、頭が少し混乱し、マヒした感覚の中で導き出されたのが、
「ほんの少しの静寂の時間」
だったのだ。
正直、ほんの少しでもないし、静寂という感覚でもなかった。
きっと、その中には、
「こうであってほしい」
という願望が含まれていたのだろう。
願望というのは、時として、感覚を狂わせるが、逆に真相に近づけてくれることがある。
「図らずも」
という言葉があるが、それは、あざとさや計算がないことで、自分が思っていたのとは違う方に、つまりは計算しているわけでもないのに、あたかも計算している自分を自分で感じることができるというものだ。
それが、どういうことなのか、よく分かっていないが、今回のような事件が起こり、一人であれば、パニックになったまま、しばらく立ち直れないと思える出来事に、一緒に遭遇してくれる人がいるだけでありがたいと思うものだ。
それが、集団意識というものなのか、孤独を埋めてくれる人の存在をありがたいと思うのか、いや、森脇にはそんなことはなかった。
そもそも、森脇は、一人でいることを孤独だと思うことはなかった。
もちろん、
「寂しい」
という感情はあるのだが、寂しいという感情と、孤独だと思う感情とが同じものなのか、自分でもよく分かっていない。
そこで、りえに聞いてみることにした。
「事件とは関係ない話なんですが」
と前置きをすると、
「ええ、いいですよ」
と、快諾してくれたので、
「孤独と寂しさの違いって何なのでしょうか?」
と聞いてみた。
りえは少し考えたうえで、
「私は、孤独というものが、寂しさに含まれるものだと思うんですよ」
というではないか。
「うんうん、確かにそうですよね。寂しいと思うから孤独になるということかな?」
と森脇がいうと、
「いいえ、私の思いは少し違うんですよ。寂しさというものが、孤独だけから来るものではないと思っているんです。つまり、今の森脇さんの発想とは逆ですね」
「どういうこと?」
「孤独って確かに、独りぼっちということで、一人になっているということでしょう? でも、寂しい感覚というのは、一人ぼっちだという感覚だけではないんですよ。たとえば、誰かに対して、嫉妬や怒りを感じた時、つまり、人を意識してのことですよね? そして、さらには満たされない感覚というのも寂しさです。これは、一人で味わう感覚ということになります。つまり、寂しさにはいくつかのパターンがあり、孤独との接点があったり、ないものもあったりというわけです」
「なるほど」
「そして、もう一つは、孤独というのは、自分だけで感じることもできるし、まわりから見て孤独に見えることはある。でも、寂しさを本当にわかるのは本人でしかない。つまり、孤独は現象であって、寂しさというのは、感情になるんですよ。だから、孤独を感じたから寂しい思いに至ることはあるけど、寂しさを感じることで、自分が孤独になるという場合二つがあるけど、これって、違うもののように見えるけど、実は同じなのではないかと私は思っています。でも、これも人それぞれの受け止め方なので、他の人に当て嵌まるとは思っていないけど、そこが面白くて興味を持つことなんですよ。今、私が言った面白いとおいのと。興味を持つということも、同じようなことが言えると思うんです、類似語というのは、意外と皆そんなものなんじゃないでしょうかね?」
と、りえはいうのだった。
「孤独と寂しさ以外にも、同じような意味で、どちらかに含まれたり、それぞれ違う見方をしたとしても、結局同じところに帰ってくるという発想、面白いと思いますね」
「そういえば、今のお話で思い出したことがあったんですが、実は、これは森脇さんが来る前のことで、ただのウワサ話としてあっただけで、まったく信ぴょう性のないことだったんだけどですね。あのお店の今日、被害者が見つかったあの部屋で、スタッフが、店の女の子とあいびきのようなことをしていたということがあったんですよ。もちろんちょっとの時間だったので、咎められることもなかったんですが、その二人というのが、殺された丸山さんと、つかささんだったんです」
と、りえは言った。
「僕もそれは初耳ですね。 ということは、皆さん知っていて、話をすることがタブーだったということですか?」
「いいえ、全員が知っていたというわけではないんですよ。むしろ、そのことを知られたくない人がいたから、皆黙っていたといってもいいんですよ」
「じゃあ、お咎めがなかったのは、時間が短かったからというよりも、その知られてはいけない人が問題だったと?」
「そうなんですよ。そして、それを言い出したのが店長で、店長は、丸山さんとつかささんのことも知っていて、そして、そこにもう一人が絡んでいることも分かっていたんですよ」
「どういうことなんですか?」
「こういう事件が発覚してしまったので、警察も調べるだろうから、もう隠しておく必要はないと思うのですが、つかささんという人は、孤独に耐えられない人だと思ったんです。というのは、つかささんには、以前、丸山さんと付き合うようになる前に、付き合っている人がいた。結構あざといオープンな関係だったので、皆察していたんですよ。ただ、こういうお店では、大っぴらにお付き合いは禁止ではないですか。だから、店長も注意喚起はしていたと思うんです。でも、そのうちに何がどうなったのか、その人と別れてしまったようで、しばらくおとなしくしていたつかささんだったんですが、丸山さんとくっついたようになってしまった。その時は、前のように大っぴらではなく、コソコソとやっていたんですね。それを見つかってしまったというわけです。二人はかなり慌てていましたが、それを私たちは、前の彼氏に対しての配慮から、二人が密かにと思っていたんですよ。その時に初めて二人の関係を知った人もいましたからね。でも、今から思えば、それは、本当に恋愛だったのかとも思うんですよね。どちらが言い出したのかはよく分からないけど、二人は密かに引き抜きをやっていた。二人は共犯だったわけで、どうして共犯になったのかというのも分かりませんが、ひょっとすると、前の彼氏と別れたというのも、その引き抜き問題が絡んでいたのではないかとも感じたんですよ」
とりえは言った。
「そういうことだったんですね?」
「ええ、そして、その人は今もこのお店のスタッフで残っています」
というのを聞いて、
「えっ、今もいるんですか?」
と聞き返すと、りえは無言で頷いた。
森脇には、何となく分かった気がした。
「ひょっとして、向坂さんのことですか? あの人は確か私が入店する少し前まで、マネージャーだったということだと聞いたことがありました」
「それ、誰から聞いたんです?」
「向坂さんから直接聞きました。俺降格させられたんだよね、って、笑ってましたよ。私は事情も分からないし、まだ新人だったので、何とか、ひきつった笑いをするだけで、精いっぱいだったんですけどね」
「そうだったんですね。向坂さんらしいわ」
といってりえは、ため息をついた。
「向坂さんという人は、すぐに女性に言い寄られると、逆らえないところがあって、それを自分では優しさだと思っているようなんです。だから、禁を破ったということに対して、あの人は悪く思っていないと思うんですよ。それが向坂さんという人の性格であり、ただ、私にはいいところなのか、悪いところなのか、分からないんですよ」
と、りえは、話を続けたのだった。
「それは、りえさんの言う通りだと思います。向坂さんとは、何度か同じシフトで仕事をしましたし、何よりも入店後の教育は、あの人にしてもらったんです。その時に感じたのは、気が弱そうな人だという思いと、何かを隠しているのかな? と思ったんですよ。あまりにもわざとらしいと感じる時がありましたからね」
と、森脇は言った。
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