第6話 抱き合わせ犯罪

 どうしても鎌倉氏とは探偵談義になってしまうのは、ほぼしょうがないと思っている門倉であったが、そのほとんどでいつも目からウロコを落とされるような展開に、新しい発見ができて嬉しいという気持ちと、いつもいつもやられてばかりの自分が情けないと思う気持ちが交互にあり、門倉は複雑な気持ちになっていた。

 今回のような一人二役のトリックなどは、どちらかというと、トリックとしてはマイナーな気がしていただけに、ほぼ意識はなかった。実際に犯罪捜査の中で、一人二役などという考えが浮かんできたこともなければ、起こったこともなかった。

「ところで、探偵小説の中で、トリックとしてはありえるけど、実際に難しい犯罪というのもあると思うんだけど、君は何だと思う?」

 と、急に鎌倉氏が聞いてきた。

「どうなんでしょう? ピンとこないですね」

 というと、

「以前、一度君との探偵小説談義でしたことがあったような気がしたんだけどね」

 と言われて、一つ頭をもたげたものを口にしてみた。

「交換殺人ですか?」

 と、違うかも知れないと思いながらも口にしてみたが、

「そうだよ。その交換殺人さ」

「確かあの時は、交換殺人というのは、リスクが高すぎて、実際の犯罪にはそぐわないという話だったのではないかと思います」

「交換殺人というのは、必ず相手がいるわけだよね。しかもここが微妙なんだけど、純粋な共犯ではないじゃないか。つまりは犯人が二人いて、目的が一つというわけではない。それぞれ個別な犯罪で、まったく接点のない二人が犯罪を交換すればどうなるかということだよね?」

「ええ」

「メリットとデメリットのそれぞれが存在するのはどんな犯罪にもあることなんだけど、デメリットの方が明らかに大きいんですよね。それでもするというのは、メリットに本当の意味でのメリットを見出しているからなんじゃないでしょうか? そのメリットというのは何かというと、『それぞれの実行犯が、被害者とまったく接点がない』ということなんですよね。これは一人二役と同じで、交換殺人だと分かった時点で、謎解きが終わったのと同じですよね。要するに、一人二役も交換殺人も、犯人側からすれば、絶対にバレてはいけないこととして死守しなければいけない。でも逆に言えば、それさえ見つからなければ、あとのことは少々ずさんでも発覚しないよね」

「なるほど、でも一つのことに集中しすぎると却ってぎこちなくなって発覚しやすいんじゃないでしょうか?」

「そうなんだよね。それも発覚しやすいことに繋がるかも知れないね。少しでも穴が開くと、それが次第に伝線していって、あっという間に骨だけになってしまうような気もするからね。交換殺人の場合はデメリットが大きいから、見つかる可能性は果てしなく大きくなる」

「デメリットか」

 と門倉は呟いた。

「そう、デメリットとしては、何といっても、裏切りが考えられるんだよね。何と言っても交換殺人は、自分が本当は死んでほしい相手、、つまり犯行時間に、鉄壁のアリバイができていないとダメなわけですよね。だから、二人が同時に犯行を犯すということはありえない。となると、必ずどちらかが先で、その人が成功すれば、次は自分になるわけでしょう? でも、この時点で二人の関係はまったく変わってくるんですよ。殺してもらった人からすれば、ここから先、危険を犯してわざわざその人のために危険な橋を渡る必要がないわけだよね。この時点で立場は完全に変わっていて、それぞれ犯人と第三者になってしまうんだ」

 という話を聞いて、

「でも、ちょっと考えれば分かりそうなものだけどですね」

「でも、実際の犯人には、そんな発想はない。背に腹は代えられないという意識もあれば、それよりも、偶然に殺害したい誰かがいるという偶然を見つけた時点で、『これは神の御導きだ』とか思うんじゃないかな? だから、やろうと思うのさ」

「でも、結局実際の犯罪では起こることはないので、それだけ現実には則さないということになるんでしょうね」

「そうだね、完全に小説の上でだけの犯罪だということになる」

と、鎌倉氏は断言しているようだ

 確かにドラマなどではよく聞くが、密室殺人などとバランで、探偵小説ではよく題材にされるが、ありえないということで、実際の犯罪として記録されることはないのだろう。

 密室の殺人が、実際にあれば、それは完全犯罪ということになるんは歴然だが、交換殺人も実際に成功すれば、これほど完全な犯罪もないものだ、交換殺人などというものは、小説の中だけの世界だと誰もが思い込んでいるので、捜査員の中に思いついた人がいたとしても、まず口に出すことはない。明らかにバカにされるのが見えているからだ、

「普通に考えれば、そんなことあり得るわけないだろう」

 と言われてしまうのがオチである。

 交換殺人というのは、一番最初から困難の連続である。まず最初に自分と同じように殺人を目論んでいる人を探さないといけない。その変にいて、すぐに分かるわけではない。自分がそうであるように、もう一人の相手も、人に知られては終わりだという意識があるので、必死に隠そうとするものを、どうやって見つけ出そうというのか、そもそも相手を探すだけでも、ありえない発想なのだ。

 当然、交換殺人の相手を、まるでバイト募集のように、公募するわけにもいかない、そのあたりが現実離れした発想なのだ。

 さらに、前述のように、どちらかが行動を起こしてしまうと、その時点でそれまで対等だった立場がまったく変わってしまう。行動をしてしまうと、相手のアリバイを作ってあげただけではなく、自分が脅迫される立場になる。相手には完全なアリバイがあり、それに身を守られているので、自分さえ表に出てこなければ、アリバイがすべてを揉み消してくれる。それを余計な動きを見せると、せっかくの努力も水の泡だ。

 ただ、完璧なアリバイを持った人は気持ちが大きくなっている、何もしなければ別に問題ないのに、それだけでは安心できないと、墓穴を掘ることになるだろう。

 そのことを鎌倉探偵の方はよく分かっていたが、門倉刑事の方に意識がなかった。

「交換殺人を、完全犯罪だというには、少し性急な気がするんだ。人の心というのは、安心だと言われても、少しでも不安を感じると、しなくてもいい余計な行動を取ってしまうことがある。交換殺人で、一人が犯罪の片棒を担いて、その人だけに罪をおっかぶせようとしたとしても、結局最後は有利だと見られた人にも、バチが当たることになるんだと僕は思う、これは道義的な話も問題ではあるけど、それ以上に心理的な問題として、人間はどうしても不安を一度でも感じてしまうと、完全に振り払うまでは、どんなに安心という場合でもそれでは済まないことになるんじゃないかな?」

 という意味深な話を鎌倉探偵はしていた。

――何か、鎌倉さんには考えていることがあるんだな――

 ということは分かったが、どうにも門倉刑事にはピンとこなかった。

 何しろ、門倉刑事は現場の刑事という現職警官である。自分が扱ったこともない事件をシミュレーションするなど、絵に描いた餅のようなものである。

 鎌倉探偵が何を考えているかは、やはり元小説家というところが、刑事の門倉にはネックになってしまって、話を盛り上げることはできても、どこかに必ず交わることのない平行線が存在していて、決して相いれることのない時間が永遠に広がっているのだろう。

 分かっているつもりでも分からないと思うのは、この平行線のような結界によるもので、時々門倉刑事は鎌倉氏に対して、いくつか感じていたのだ。

 これは前述もしたが、二人の間の性格的な問題、今までの環境の違いからどうしようもないものとして考えられてきたが、今回の犯罪というものに対しての発想は、また少し違ったものがある、

 それぞれに似たような思いがありながら、ニアミスをしていることすら門倉刑事の方は気付いていないので、結局交わるはずもないのだった。

 それは、

「平行線が交わるはずはない」

 という常識的な考えに囚われている門倉と、もう少し柔軟に考えている鎌倉探偵との間の、埋めることのできない断崖絶壁となっている、底の見えない吊り橋を渡るようなものではないだろうか。

 鎌倉探偵は、自分の考えにあくまでも、固執している。しかしそれは当たり前のことであり、彼の考えがすべての基本になっているからだ。そのことを鎌倉探偵は自覚しているが、門倉刑事は自覚するまでには至っていない。

 ただ、門倉刑事としては、

――あまり自分の考えを、どっちつかずの状態にはしておけない――

 という思いがあった。

 しかし、その思いに裏付けられる信憑性が、門倉の中にはなかった。

 信憑性と正当性、そのあたりが門倉刑事の頭の中で、刑事としてという意識を持つために、矛盾をどう晴らすかが問題であった。

 もう一つの一人二役の方であるが、これは基本的に殺人事件で取り扱うよりも、どちらかというと、詐欺であったりする、

「相手を欺く犯罪」

 によく使われる方法ではないだろうか。

 これを殺人と結びつけるとすれば、元々被害者が詐欺か何かを働いていて、その人が実は近くに住んでいる人で、それを悟られないように、変装したり、整形したりして、

「別人になる」

 ということで、一人二役を演じる場合である。

 しかも、これを死体損壊トリックと一緒にして考えれば、顔がないわけだから、誰か分からない。しかも顔のない死体のトリックの公式に当て嵌めれば、被害者と犯人が入れ替わっているという構図を皆思い浮かべるだろうから、一人二役などとは思わないのではないだろうか。

 かつての探偵小説に、そういった話もあった。しかし、これも考えてみれば、被害者と犯人と目されている人物が同一人物というだけで、殺したとされる人物が死んだことになっているのだから、永遠に安全なはずである。

 もちろん、この話は理論上のことで、交換殺人と同じレベルの完全犯罪だ、あまりにも常識というものを無視したものであり、探偵小説として書く分にはいいのかも知れないが、リアルではありえないだろう。

 ただ、探偵小説というものが、

「トリックのほとんどはすでに表に出ていて、後はバリエーションの問題だとすれば、ここでトリックというのが、常識というものであり、バリエーションが完全犯罪の方法だとすれば、まだまだ完全犯罪というものを考える余地もあるのではないだろうか」

 と言えるような気がしてきた。

 もちろん、一人二役にての常識的に考えられる犯罪というのは、詐欺に限ったことではないだろう、だが例として考えるならば、一番もっともらしいのだ。

 また心理学的に見る二重人格が、一人二役を応用していると考えるのもかなり乱暴ではないだろうか。

 二重人格をミステリーで描いた作品というのを、あまり見たことがない。

 鎌倉探偵は、二重人格を表に出した探偵小説は、どこかルール違反な感じを受けるのだった。

 犯罪心理で快泳できないところがあったら、

「二重人格のどちらかの性格が彼に影響を及ぼし……」

 などと言って、二重人格ということを理由に、犯罪心理を何でもありという風に結び付けてしまうのではないかと思えるのだった。

 だが一人二役の場合は、ある意味逆な気がする。探偵小説における一人二役というのは、あくまでも一人の人間が作為を持って、二つの性格の人を演じ分けるというものだ。二重人格というものは逆に一人の人間の中に潜む人格は一つだと自分で思い込んでいたり、まわりにそうだと言い聞かせようという意識が働く、しかし、それは演じているわけではない。なり切ろうとしているのだ。

 しかし、一人二役の場合は目的が先にあり、目的達成のために、二人の人を演じるのだ。だから、性格が二重である必要はない。どんな性格であっても、別々の人間だと思い込ませればいいのだ。だから、性格が違っていると思わせても、絶対に同じ人間であると思わせられないということだ。

 だから、一人二役には、人の感情は左右されない。それだけに怖いものであり、人が見ても、自分の中でお、

「他人を欺いている」

 ということなのだ。

 しかも、この場合、欺かれいるということを最後まで分からせないことが必要である。

「騙された」

 と相手が思っている間に、海外にでも逃亡しようかとしても、時効があるわけでもないので、それほど意味はない。(昔時効が決まっている場合でも、時効の十五年、すべて海外にいたからといって、海外で時効を迎えることはできない。なぜなら、犯罪の時効の機転は、海外に在住中は、時効の日にちにカウントされないのだ。

 そういう意味で、

「人を欺くこと」

 を殺人などで利用するというのは、あまり関心しない鎌倉探偵であった。。

 探偵小説における「一人二役」をトリックと下小説を最近まだ読み返してみた。

――詐欺と一緒に作れば、いいトリックの一つになるんだろうな――

 と、門倉は思った。

 さらに、考えは他のトリックとの組み合わせについて膨らんでいった。

「交換殺人の場合、キーになるのは、まずはアリバイですよね。一番動機がしっかりしていて利害関係の深い人に完璧なアリバイがあるというのが、この犯罪の特徴ですからね」

 と門倉が言うと、

「そうなんだよ。だから、この犯罪には絶対に、同じタイミングはありえないんだよね。同時に相手を交換して殺人をしても、アリバイがないといけない瞬間に、絶対にアリバイはないわけだからね。あるとすれば、距離的な問題しかありえないわけで、どこにいたという証明はできないよ」

「だから、どちらかが先に半税を実行するわけで、実行してしまった瞬間、二人の間に崩すことのできない立場関係ができあがって、一人は完全な勝者となり、かたや相手は完全な敗者になってしまうわけだ」

「でもそれを分かっていても、どうしてもやりたい場合は、二人が同じ時間に犯行を犯しても、アリバイが証明されなければいけないということになりますよね。それであれば、この犯罪ほど、今の時代に合っているかお知れませんよ」

 と、門倉は何かを感じたようだった。

 そこで、今までであれば、絶対にありえないと言っていた交換殺人も、思いついたやり方とすればできるのではないかと思うのだった。

「門倉君、どういうことなのかな?」

 鎌倉氏もニコニコしていたが、ひょっとすると、この表情を見ると、鎌倉探偵の方が先に気付いていたのかも知れない。

 それでも、いつも自分が手柄を持って行っていると思っていた鎌倉探偵は、この時くらいは、門倉に花を持たせようと考えたのではないだろうか。

「要するに、同じ時間に犯行を犯す場合、それぞれの犯行現場は遠ければ遠いほどいいんですよ。例えば東京と大阪みたいにですね。いくら同じ時間に交換相手を殺したと言いながら、殺す相手は自分にまったく利害のない人間ですよね。その自分が、逆にそこにいたんだと思わせればいいんですよ、自分に利害のある人が東京で殺されていたけど、その時間、自分がまったく利害のない人を大阪で殺した場合。子と下ということさえ分からなければ、大阪にいたことが証明されることで、アリバイ成立です。つまり、今だったら、犯行現場以外の防犯カメラに映りそうなところを徹底的に行けばいいんですよ。例えば、銀行のキャッシュコーナーだったり、コンビニとか、必ず防犯カメラのあるところにですね」

「なるほど、防犯カメラの映像というのを逆手に取るわけだ」

「そうです、その通りです。だから大阪にいるという証明には、防犯カメラがいたるところにある今の方が、戦前や戦後のような時代よりも、アリバイ工作という意味では、現在の方がやりやすいんですよね」

「うん、確かにその通りだね」

 と、鎌倉探偵も納得していたが、それほどの大きな感動はなかった。

 門倉刑事も我に返り、まるで世紀の大発見をしたという意識を少し恥ずかしく感じていた。

「でも、考えてみれば、それ以前のいくつもの偶然を解決しないと、成り立たない犯罪ではありますね」

「自分と同じような立場の人間を探してきたり、その人が自分とはまったく利害関係のない人に死んでもらいたい、それは相手にも言えることという人を探し出すのは、下手をすると、砂漠で金を探すようなものだよね」

「でも、それを見つけてくるんだから、なるほど、小説というのは、本当にすごいと思います。読者によっては、小説のあらばかりを探している人もいるようなので、小説の世界でも、交換殺人というのは、結構難しい分野なんでしょうね」

「それはそうだよ。正直、小説でもあまりないような気がする。でも、昼間の二時間サスペンスなどでは時々あるよね。どういうものなのか、もう一度じっくり見てみたい気がしてくるよ」

 かなり強引な設定にしないと難しいだろう。

 犯人同士が知り合うという謎解きのシーンで、いかにスルリとそのあたりをごまかすか、それが大きな問題なのではないだろうか。

 どちらにしても、アリバイトリックを完成させることで、交換殺人も決して不可能ではないと思えるところまで考えてくると、一人二役なるジャンルと交換殺人というのも、複合するものとして考えることもできるかも知れない。

 犯罪というのが、いかにトリックのバリエーションによるものなのかということは、今の交換殺人におけるアリバイ工作でも分かるように、不可能と思われることを可能にするのかも知れない。

 一人二役と、交換殺人について考えてみた。

 前述のような考え方とは少し違って、違う部分を探すのではなく、共通部分を探してみることにした。

 案外と似ているところがあるようで、この二つは微妙にすれ違っている部分が多い。

「交換殺人では人を殺すことが一番なんだよな、だから、一人二役で、殺人をメインに考えるとすると、まずは、被害者になるべく、まったく関係のない人を探してこなければいけない。これが昔の探偵小説。大正時代などであれば、できないこともない。例えば土葬された墓場から死体を盗み出すなどして、本当は殺されたわけではない人の死体を、あたかもその時殺されたかのように偽装することもできる」

 と鎌倉探偵がいった、

「私が好きな探偵小説作家も、墓暴きを多用する人がいて、そのあたりのトリックは見たことがあります。いかにも大量無差別殺人を装っていることで、猟奇的な趣味を持った犯人像を作り上げるという効果がありましたね」

 と、門倉刑事は言った。

「もし、殺された人が本当に殺害された人でないということになると、一人二役の発想が生まれてくるのだろうか? 事前に、自分が誰かに殺されるということを必要以上に宣伝し、実際に利害関係のある人の存在をまわりに植え付ける必要がある。それが架空の人物だとしても、誰か共犯を立てないと、できないことだよね」

「その通りだと思います。交換殺人では、その共犯に当たるのが、交換殺人の相手ということになるのか、何しろ何ら利害関係のない相手なので、そういうことになるんでしょうね」

「そうなると、交換殺人を行ったはいいが、成功してしまうと、相手に対してだんだん恐怖が募ってくるんじゃないのかな? なぜなら相手とこれから、ずっと生きている間、まったく接点がないことにして生きて行かなければならない。今は時効などないので、本当に安全な時期は死ぬまで訪れない。これほど不安なことはないだろうね。まるで爆弾を飲み込んだまま生きているような感覚なんじゃないだろうか」

「普通なら耐えられないでしょうね。相手が死ぬまでは、動機が怨恨であったり、自己防衛のためだった場合のように必死だったとしても、相手がいなくなれば、その不安が好感した相手に向けられる。疑心暗鬼がマックスの状態のまま、生きていくことになるんだからね」

「そうなると、一人二役の、死んでもらう相手としては、交換殺人の相手というのが一番ふさわしいですよね。自分が死んでしまったとして、その人を殺すわけだから、首のない死体のトリックのように、自分が死んだことになり、しかも、犯人は一人二役を演じた架空の人物なので、手配したとしても、逮捕されることはないですよね」

 と門倉刑事は言った。

「だけどね、それはあくまでも机上の空論でしかすぎないんだよ。だって、さっきも話したように、交換殺人の一番のメリットとして考えられたこととして、アリバイを形成するためには、防犯カメラなどの今の時代がいいと言ったけど、この結末として一人二役を使おうとすると、今度は死んだ人間が誰なのか、逆に今の医学では簡単に分かってしまうのではないかな? DNA鑑定なんてものもあるしね。だから、理論上、つまり小説としては交換殺人の最後の落としどころに一人二役を使うというのは、センセーショナルな発想になるんだろうけど、実際の犯罪にはそぐわない。門倉君、君はそうは思わないかね?」

 と言った。

「そうですね。これがいわゆる交わることのない平行線という発想になるんでしょうね。理屈の上では完璧なんだけど、あまりにも現実離れしているという発想ですよね。ここで言われるべきは、時代錯誤ということになるんでしょうか」

「あちらを立てれば、こちらが立たず、あるいは、帯に短したすきに長し、などということわざと同じようなことになるんだろうね」

 と、鎌倉氏はうまいことを言った。

「要するに、違う場面を見ているばかりではなく、共通点を探そうとしても、なかなか交わることを知らないこの二つなんですね」

「その通りなんだが、実際に交換殺人を行った場合に、そのあとに残った気持ちの不安を解消させるためには、一人二役のトリックしかないということでもある。どっちにしても、侵してしまった犯罪は取り消すことはできない。一度切ってしまった舵は、切り続けるしかないという意味でもあるんだね」

 と鎌倉氏は溜息をついた。

「何か虚しいですね」

「そうだね、たとえがいいか悪いか分からないが、冷戦時代の核による抑止力とでも言えばいいかな?」

「あの時代は、本当にそう信じられていましたからね。絶対に自分からボタンを押してはいけないという発想ですね」

 抱き合わせの犯罪とでも言えばいいのか、そんな話をしていると、話がだんだん大きくなってくるのを感じていた。

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