第22話 人を殺さないといけないと思ったらビビった

――ハ・ルオ


「恵子、大丈夫? 顔色が真っ青だよ」


 地上部隊の襲来。

 その可能性を示唆した直後、恵子は顔色が真っ青になりゴホッ!ゴホッ!と咳込み始めた。


「だ……はぁ~、いじょ……はぁ~」


 大丈夫と言いたいのかもしれないが明らかに恵子の様子は、大丈夫ではない。


「緊張性の過呼吸を起こしてる。恵子、ジッタイカを解除して。あなたは霊体だから本来呼吸は必要ないはずよ」


 アイリスに言われてジッタイカの魔法を解除すると、呼吸が止まり恵子は落ち着きを取り戻す。


「ゴメン――ハ・ルオの話を聞いて人を殺さないといけないと思ったらビビった」


 恵子は手で口元を隠し、不安な気持ちを隠さずに話してくれる。

 きっと地球で生まれ育った彼女は、戦争という人間同士の殺し合いがどんなものかリアルに想像できたのだろう。


「そうだね、私だって人殺しはしたことないし、出来ることなら人殺しはやりたくない」


 恵子が言ってくれたおかげで私も自分の気持ちを偽らずに話すことが出来る。

 マモノとは違う、たとえ勝てる相手でも人を殺すのはとても怖いことだ。


「なら、私達は相手を殺さないように戦いましょう。相手が殺しに来るからといって、私達がそれに付き合う義理はないわ」


 姉さんが良い考えが思い浮かんだと言わんばかりに、手をパチンと打ち合わせる。


「そんな簡単にいきますか? 私達を殺しに来る相手を殺さずに無力化するなんて」

「あまり時間はないけど方法を考えましょう。そうねえ……戦わずにニビルに逃げるのもいいんじゃない。相手がどれだけの人数がいるか判らないけど、ニビルまで逃げたら私達に追いつけないでしょ」

「そういえば、電話で鳴子さんが、ここを放棄してニビルに逃げろって言ってたかも」


 恵子の話を聞く限り、札幌の対策課本部は戦わずにニビルに逃げて身の安全を確保するのがベストだと考えていたみたいだ。


「決まりだね。今からみんなでニビルに逃げよう。ニビルに行くなら装備は全部持って行った方がいいね。家の壊れ方から見て――」


 私は天原家の隣にある作業スペースに向かう。

 衛さんが捕まえた獲物を解体するために作った木の柱の上にトタン屋根を被せただけの作業スペースは、1階の外壁と同様に崩落を免れていた。


「みんな、ロッカー無事だよ。多分、中にある装備も無事だと思う」


 作業スペースの隅に仕切りが7個ある巨大なロッカーが鎮座している。

 これは私達が交換留学生として地球に来るときに衛さんが用意してくれたもので、この家に住む7人の私物、主にマモノ狩りの時に使う装備品の保管するために使われている。


「よかった。私の暗視スコープ無事だったッ!」


 ロッカーを開けて鳴子さんに買ってもらった最新型の暗視スコープが正常に動くのを確認した私は、喜びのあまり暗視スコープに頬ずりする。

 この暗視スコープ、米軍でも一部の特殊部隊にしか配備されていない最新型で、トビサソリに取りつけた照準器に無線で接続して直接顔を向けなくても照準器が捉えた映像を視界に投影してくれるスゴイ代物なのだ。


「ハ・ルオ、暗視スコープよりニビルフォンの動作確認をしなさい。ニビルに行くならこっちの方が重要でしょ」


 暗視スコープに頬ずりしていた私は、姉さんに無線通信機の動作確認をすぐに済ませるようたしなめられる。

 姉さんだけでなく、恵子も、ミ・ミカも暗視スコープより先に無線通信機を左腕にマウントして壊れていないか確認している。


「逃げるにしても、殺さずに戦うにしても、ニビルフォンが使えないとイロイロと困るもんね」

「ははは……そうだよねえ……」


 姉さん達が左腕にマウントしてるのは、スマートフォンではなく異世界生物対策課がニビルで活動することを想定して開発した専用無線通信機、通称ニビルフォンだ。

 タテヨコの大きさは私達が普段使っているスマホと同くらいだけど厚みは倍で、両手が使えるように付属のベルトで腕にマウント出来るようになっているので、遠目にはヨウカンかカマボコを腕にくっ付けているように見える。

 軍用無線機とは違いは、文字入力を容易にするためにスマホと同じように一面が全て液晶パネルになっていて操作の大半をタッチパネルで行うことだ。

 外観や操作方法を市販のスマートフォンとほぼ同じにして、メッセージの送受信をするためのソフトも日本で広く流通しているメッセージアプリのUIを流用することで、日本語がわかれば訓練なしでニビルフォンを操作することが出来る。

 インターネットへの接続機能は無く、機能はニビルフォン同士の通話とメッツセージの送受信に限定されているが、携帯基地局が無くても通話とメッセージ送信が出来るのでニビルに持って行っても問題無く連絡を取り合うことが出来る。

 私達はニビルフォンをニビルに持って行って、マモノとの戦闘で有効活用できるかテストするためにこの機材を渡されている。

 いままで無線通信の無い世界で生きていた人間の感想としては、ニビルフォンはニビルの常識を一転させるものすごい発明だと思う。

 マモノ狩りをやっているときにリアルタイムで連絡ができる利便性は絶大で、今ではニビルフォン無しで森に入るなんて考えられない。

 ニビルフォンの動作確認をした私はロッカーに保管している矢筒が括りつけられたバックパックを取り出して身体に固定する。

 周囲の様子を伺ってみると、姉さんとミ・ミカは夜戦能力向上のために手に入れた単眼タイプの暗視装置をヘルメットに取りつけていた。


「これで準備完了ね」


 一通りの準備が終わった頃合いに、グループチャットにポンと恵子からのメッセージが表示される。

 振り返ってみると、恵子はすでにオオカミモードになって口にタッチペンを咥えて器用にメッセージを入力していた。


「装備が全部無事で助かりました。これなら森の中で迷子にならずに済みそうです」


 ミ・ミカの言う通りだ。

 暗視装置にニビルフォン、水と食料に、魔力ドーピング用のカルピス。

 これが一式揃っていれば、私達はどんな状況だろうと戦闘力を十二分に発揮することが出来る。


『ゲートへ向かう道のりだけど、公道は使わず森の中を移動した方が良いいと思う。ここから森の中を突っ切って北上するけど異論はあるかしら?』


 グループチャットに表示された逃走経路の提案に対して、私と姉さん、ミ・ミカの3人はほぼ同時にOKのスタンプで答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る