第25話 アイリス。悪いけどハ・マナを診てくれないか。

――天原衛


「わォォォォんッ!!」

「ギャオォォォォッ!!」


 戦場となっている小高い丘のふもとまで撤退した俺達の耳に、二頭のマモノの耳を貫くような咆哮が聞こえてくる。


「恵子は、戦っているんだな」

「ミ・ミカと、ハ・ルオって女の子もな」


 恵子と、年端も行かない女の子二人がキュウベエを遥かに超える巨大なマモノと戦っている。

 アイリスと、ハ・マナを連れて戦場から撤退したことに後悔はない。

 あの状況でもっとも重要なのは、戦えない二人を戦場から避難させることだった。

 俺達は重要な仕事をやり切った。

 後悔は無いが、マモノと戦う上で主戦力になれない自分達の力不足に怒りを感じるのも事実だ。


「十字、そろそろ降ろしてくれませんか?」


 牙門に担ぎ上げられていたアイリスが降ろして欲しいと懇願する。


「あっ、悪い。乱暴な運び方ですまなかったな」


 牙門は肩に担ぎ上げていたアイリスをこころなしか丁寧に地面に降ろす。


「しかし、ザックごと私を担いでダッシュするなんて十字はすごくパワフルなのね」

「別にこの程度のことは出来るよう訓練してるだけだ。それにパワーだったら肉体強化の魔法が使える天原の方が圧倒的に強い」

「誉めてもらったところ悪いがパワーで比較したら、俺より恵子の方が圧倒的に強いんだよ」


 マジンになってからの年数と、魔法戦の経験値が違い過ぎるのが原因だが、この差は一朝一夕で埋まることは無いだろう。


「それよりも、アイリス。悪いけどハ・マナを診てくれないか。ただ気絶してるだけじゃなくてかなり顔色が悪いんだよ」


 運んでいるときに気づいたのだが、ハ・マナは顔色が青白く変色し、呼吸もスースーとか細く息を吐くのがやっとという状況だ。

 彼女の体調は、グレンゴンに奇襲されるまで、一緒に森の中を歩き回っていたときには至って健康そうに見えた。

 おそらく、この体調の急変はグレンゴンの火炎放射を防ぐために、後先考えずに大魔法を使った反動だと思われるが何が起こっているのか俺には全くわからない。


「オーケー、確かにただ毎じゃなさそうね」


 アイリスはハ・マナの顔色を見て真剣な表情で診察を始める。

 瞼を開いて瞳孔反応を確認し、頸動脈に触れて血流に異常がないか確認しているのを見て、俺は初めてアイリスが医師だということを実感した。


「十字、スポーツドリンクを出して早くッ!!」


 牙門は剣幕に押されてスポーツドリンクの入った水筒をアイリスに手渡した。

 アイリスは水筒の中のドリンクをコップに注ぎ一口舐めたあと、眉に皺を寄せる。


「これじゃだめ糖分が薄すぎる。彼女は重度の低血糖症に陥ってるの、原液のスポーツドリンクは無いの?」

「いや、水筒に入れたのは行動用に作った飲料だからわざと薄く作ってあるんだよ」


 市販のスポーツドリンクをそのまま飲むと、糖分と塩分が濃すぎて喉が渇きやすくなる。

 だから、長時間山を歩き回る場合は大量に汗をかくことも計算に入れて水割りにして薄味のドリンクを作るのが正解なのだ。


「でも薄味のドリンク低血糖症の患者に飲ませても効果無いよな」


 健康な人間が飲む前提のドリンクが病人の治療に向くとは限らない。

 何もしないよりはマシだと考えたアイリスは、ハ・マナの口を開けて薄味のスポーツドリンクを流し込むが、彼女の顔色は一向に良くならない。


「低血糖症なら行動食のチョコレート食わせてやるか。チョコはエネルギー効率が高いって聞いたことあるぞ」

「ノー、ノー、ノー。今の彼女は咀嚼が出来ないし、チョコを胃で消化して、腸から吸収するまでのタイムラグが生じるわ。人間の身体は食べたものがすぐエネルギーになるようには出来ていないの」


 人間が生きるためのエネルギーとして直接利用しているのは血液中に含まれるブドウ糖で、俺達が普段飲み食いしている食料は胃で消化され腸から吸収されるまではエネルギーとしてカウントされないらしい。


「なら、どうすりゃいいんだよッ!?」

「ここが医療施設なら生理食塩水とブドウ糖の混合液を静脈注射するのがベストなんだけど」

「アイリス、注射器とか持って来てないのか」


 アイリスは無言で首を振る。

 当然か、俺達が持ってきた荷物は一週間程度食料の補給なしで生き延びられるように準備したサバイバル用品ばかりだ。

 一応、ニビルで変な病気にかかったときの備えとして飲み薬の抗生物質を持ってきたがこの状況では何の役にも立たない。


「what? What? What?」


 アイリスは、容体の回復しないハ・マナの顔を見ながらブツブツと英語で自らに対する問いの言葉を紡ぐ。

 彼女はしばらく考え込んだあと、パッと牙門の方に振り向いた。


「十字、荷物を全部出してとにかく何か使えるものが無いか探しましょう」

「それって、ハ・マナさんも持ち物もか」

「そうね、彼女の持ち物もチェックしましょう」


 発想の逆転が正解を生むとはよく言ったものだ。

 ハ・マナの持ち物を探ってみたら、彼女は俺達が求めていた注射器を持っていた。

 すぐに取り出せるように腰に巻いたポーチの中に注射器と、注射器に装着するアンプルが入っている。

 念のため、アイリスがアンプル内の薬液がなんなのか確認してみると、それは生理食塩水とブドウ糖の混合液だった。


「彼女は最初から魔法を使えば低血糖症になるリスクがあるって知っていたのね」


 アイリスは慣れた手つきでハ・マナの腕を取り、生理食塩水とブドウ糖の混合液を静脈に注射する。

 血管に直接ブドウ糖を注入した効果はすさまじく、極端な低血糖状態から解放されたハ・マナの肌は見違えるように本来の肌色を取り戻していく。

 その様子を見て、緊張から解放された俺達三人はほぼ同時にフゥゥゥ……と肺の中の空気を吐き出した。

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