第17話 間違いない、衛、恵子、この木はウォールナットです

――天原衛


 白藤の滝の裏にある洞窟に入り、ロープ伝いに急斜面を降りていくと鍾乳洞にたどり着く。


「アイリスさん、おめでとうございます。念願のニビルにたどり着きました」

「えっ!? この洞窟がニビルなんですか」

「あんまり実感沸かないかもしれないけど、この鍾乳洞はニビル側なんだよね」


 ロープ伝いに降りてきた下り坂の急斜面が地球とニビルを繋ぐゲートになっていることが判明したのはキュウベエをここに住まわせて一か月ほど経った後だった。


「鍾乳洞のマッピングは一通り済んでいるので迷うことは無いと思いますが足元に変な生き物がいないか気を付けながら進んでください。俺は、この洞窟内でマモノに襲われてマジのガチで死にかけたので」

「ははは……」


 俺が洞窟に潜むカガミドロに腸を食い千切られたときのことを思い出し恵子が苦笑いを浮かべる。

 あの一件で俺は肉体をカガミドロと融合させマジンとなった。

 ひどい目にあったのは事実だが、結果オーライだと思っている。

 マジンとなった恵子と一緒に生きていくためには、遅かれ早かれ俺もマジンになる必要があったと思う。


「今日はキュウベエいないね」

「白藤の滝の監視カメラには映っていなかったからニビル側に食べ物探しに行ったんだろな」


 キュウベエは鎖で繋いでおける存在ではないので、市街地に近づこうとしない限り基本的に自由に行動させている。

 ここに住み始めた当初は、食べ物探しは地球側で行っていたが最近はニビル側に行くケースが増えてきた。

 キュウベエは頭がいいので食べること以上に、遊ぶことや好奇心を満たすことに貪欲なのだ。


「キュウベエって、ここで飼育してるヒグマのマジンにことよね。会えるの楽しみにしてたからちょっとショックです」

「正直俺は、あいつの顔を見ないで済んでホッとしてるよ」

「まあ、キュウベエがいたら間違いなく暇だから遊んでって言われそうだもんね」

「何度も言うが、あれは絶対遊びじゃねえ」


 三大マジンの魔法バトルを何度も目にしてきた牙門は辟易した顔でそうつぶやく。

 俺は印刷して来た紙の地図を広げて、洞窟の出口を目指して歩きはじめる。

 普段はタブレット端末をつかっているのだが、今後充電できる見込みが無いので電子機器の類は一切持ってきていない。


「紙の地図を使う意図はわかるのですが、コンパスは使わないんですか? 方角を確認しながら進んだ方が道を間違えるリスクを減らせると思うのですが」

「いや、ここ地球じゃないからコンパス役に立たないんだよ」

「ニビルがどんな形をしているか全容がまだわかってないからね」


 一度コンパスを持ってきたことがあるが、コンパスの針は気まぐれにフラフラ動き回るだけで全く役に立たなかった。

 方位磁石は、地球という巨大な磁石に小さな磁石が反応することを利用して北と南の方向を確認するものなので地球外で使おうとしても役に立たないのだ。


「おっかない話だがニビルが惑星じゃない可能性だってあるからな。聖書に出てくる平らな皿みたいな形で世界が構成されている可能性も0じゃないんだ」

「それはヘビーね。世界がそんな形だと重力とか、それ以外の物理法則も地球と違うかもしれない」


 ニビルは文明の発展が地球より進んでいないので、恵子も由香もカゲトラもニビルがどんな形をしているか知らないと言っていた。

 そういう事も含めて、今俺達がいるのは全てが未知の世界なのだ。


「ただ、この洞窟については徹底的に調査したから大丈夫だ」


 洞窟内を30分ほど歩き続けると、外の光が差し込む出口が顔を出した。

 そして、出口から外に出たらそこは深い森の中だ。


「オーグレイトッ!! やっとニビルに来たって実感がわいてきたわ」

「そうだよなあ、俺も洞窟内がニビルですって言われても実感わかなかったし」


 洞窟外に出た瞬間、アイリスが歓声をあげた。

 三か月ぶりになるが俺は、異世界の空気を肺一杯に吸い込んだ。


「確かに植生が北海道とは全く違う。異世界と言われても納得だな」


 牙門はオントネーではめったに見られない広葉樹の葉っぱを拾い上げて感心したようにつぶやいた。


「これが異世界の植物……この葉っぱ、ウォールナットじゃないかしら」


 牙門が拾い上げた葉っぱを見てアイリスの表情が途端に真剣なものに変わる。

 牙門と同じように葉っぱを拾い上げ子細に観察すると、次に葉が付いていたと思われる大木の幹に近づき撫でたり叩いたりして木の存在がなんなのか確かめる。


「間違いない、衛、恵子、この木はウォールナットです」

「えっと、ウォールナットって?」

「ウォールナットはクルミの英名。つまり目の前の木はクルミだ」


 牙門の補足の証拠と言わんばかりに、アイリスは木の幹の付近に落ちていたクルミの実を俺達に見せてくれる。


「この大木がクルミ!?」


 見上げるような高さ。

 樹高20メートルを遥かに超える大木がクルミだと言われて、俺はただ驚くしか出来なかった。


「なんで、クルミの木がニビルにあるんだ?」

「なんでかと言われたらわかりませんが、少なくともニビルにはホモサピエンスとワシミミズク居ることを私達は知っています。クルミの木が自生していても何の不思議もないです。付け加えるとクルミの木は気候が良ければこの大きさまで育ちます」


 生まれてから一度も北海道から出たことが無い俺は知らなかったが、アメリカでは樹高20メールに達するクルミの大木は特に珍しいものではないらしい。

 アイリスはザックを下ろしてジップロックの袋を取り出し、クルミの葉と実、そして樹皮の一部をナイフで削り取って詰めていく。

 それから袋の表面にサラサラとメモを書き留める。

 英語なので俺には読めなかったがおそらくニビル産クルミとでも書いているのだろう。


「ニビル産のDNAサンプル第1号ですね」

「第1号がクルミってなんか拍子抜けだな」

「ノンノン。クルミは1種類ではないんですよ、日本のクルミとアメリカのクルミだって気候の影響で性質が異なります。だから、これは日本にもアメリカにも自生していないニビルのクルミです」


 日本に自生しているクルミはオニグルミと呼ばれ、アメリカのクルミより実が小さく殻が固いので食料品として生産するには不向きらしい。

なので店で売られているクルミは、アメリカのクルミを輸入して日本で育てそれを食用として販売しているとアイリスが教えてくれた。


「つまり日本とアメリカのクルミは同じクルミだけど違いがあって、ニビルのクルミも別に違いがあるかもしれないってことか」

「イエス。この品種がどんな特性を持っているか調べるのが今から楽しみです」

「なら、食ってみればいいんじゃないか」


 俺はその辺に落ちていたクルミの実を拾って割ってみる。

 殻は市販のクルミより少し硬い気がしたが、肉体強化魔法があるので実は簡単に割ることが出来る。

 実を割ると見慣れたクルミの粒が顔を出す。


「衛、間違いなくクルミだと思いますが有毒の可能性もあるので口にするのは……」


 アイリスは思いとどまる様に言ってくるが、いちいち気にしていたら現地のものは何も食べられなくなるので俺はクルミの粒を口の中に放り込む。


「うん、間違いなくクルミだ。店で売ってる奴より少し酸味が強い気がするけど毒は無いと思う」


 全員でクルミの粒を食べてみる。

 一致した見解として、酸っぱいというほどではないが市販のクルミよりも若干酸味があるというのが味の感想だっだ。


「クルミにはリノール酸やビタミンEを含んでいるのでそれらの含有量が市販のクルミより高いのかもしれませんね」


 アイリスはザックの中からノートを取り出して流暢な筆記体の英語で、味の感想や成分に対する予測を書き込んでいく。


「じゃあ、この調子でこの周囲にどんな植物が生えているか調べていきましょう」

「ついでにクルミみたいな食べられる実があれば拾っておいた方がよさそうだな」

「ナイスアイディア。確かに持ち込んだ食料は出来るだけ節約したいですね」

「あと、最後に……」


 俺はアイリスがDNAサンプルを取ったクルミの木の幹に『1』番号の打たれたタグを釘で打ちつけた。

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