第9話 やはり、矢羽根を取り付けるしかないか
――アイリス・オスカー
帰ったころには時間は午後5時。
オレンジ色の夕日のお尻が、いまにも山陰に隠れそうになっていた。
天原家は、家の隣に柱の上にトタン屋根を被せただけの作業スペースが作られていて、今日仕留めたイノシシはそこで逆さ釣りにして血抜きをやっている。
明日、解体作業をすると言っているので次山に登るのは明後日以降になりそうだ。
「今日はおつかれさま。いろいろあり過ぎて疲れたでしょ」
縁側に呆然と座っていた私に、恵子が温かい飲み物を持ってきてくれた。
「これは……ジャガイモのスープか」
恵子が作ってくれたのは、家で作っているジャガイモをすりおろして作ったジャガイモのスープだった。
「今日は疲れたと思うから、身体の温まるものが欲しいと思ってね」
「デリシャス。とてもホッとする味だわ」
「どう? マモちゃんの訓練ついていけそう」
「ついて行くわよッ! イラクに行ったときも最初はこんな感じだったけど、2年間紛争地医療支援やり遂げたのよ」
イラクに初めて行った日のことを思い出す。
初めて来た国、初めて見る土地、初めて会う人たちの中で私はたくさん動揺し、混乱し、失敗したが、それでもやり遂げることが出来た。
それはどこに行ったって変わらない。
大事なのは自分の我を通すのではなく、その土地に住んでる人の生き方を尊重することだ。
だって、一番上手いやり方を、その土地に住んでる人は知っている。
「しかし、世界で最先端の先進国日本で、世界で一番原始的な暮らしをすることになるとは思わなかったわ」
「覚悟しなさい、ニビルはもっと原始的だから」
「それはタフそうね。でも、やる気出て来たわ。恵子には、私のカッコいいところ見せたいから」
野外活動の慣れるための訓練とてもハードになると思うけど、隣に座るとてもキュートな少女と出会えた幸運を主に感謝することにしようと思った。
――牙門十字
コンパウンドボウと呼ばれる弓がある。
アメリカ陸軍でも一部採用されており、映画ランボーで一躍有名になった代物だ。
弓の両端に弦を巻き取る滑車を付けるという工夫を凝らしたもので、滑車で弦を巻き取ることで従来の弓よりもはるかに強い力を弦に蓄えることが出来る。
カチカチ……ギチギチ……。
滑車がまわる音が徐々に鈍くなっていく。
ハンドルの真上に小さな目盛がついており、いま蓄積している力がどれだけなのかを知ることが出来る。
「まずは60ポンドで……」
俺は目盛に表示された60ポンド(約27キロ)のパワーで弦を開放する。
放たれた矢は、秒速300メートル。
亜音速で放たれた矢は20メートル先に置かれた的に向かって突き進み、右となりを通り過ぎて森の中に消えていった。
なんてことはない、ごく単純に狙った的を外したのだ。
「20メートルの距離だと当たらないな、的を10メートルまで詰めるか」
俺は仕方なく、20メートル先に置いた標的を10メートル先まで移動させる。
「矢の質が悪すぎるなあ。右に逸れたり左に逸れたり、全く狙った場所に向かわないじゃねえか」
間伐材を削って作った手作りの矢。
鏃はなく、先端をナイフ削って尖らせて刺さる様にした非常に原始的な作りの代物だ。
おまけに矢の軌道を安定させるための矢羽根も省略している。
「メーカー製の矢なら50メートル先の目標でも余裕で命中するんだけど……」
カーボン製のシャフトに、プラスチックで成形された矢羽根を備えた矢を大量に持っていくくらないなら、大人しく、89式借りた方がマシだろう。
俺は同時に地面に座り込み、ふうううう……と大きなため息をついた。
ニビルに行けと言われて真っ先に頭に浮かんだのは持っていく荷物の配分をどうするのかという事だった。
サバイバルの原則で考えた場合、最も優先するのは生き残るための道具だ。
ナイフ、ロープ、火打石、水を汲むための水筒等.。
事実、俺が体験したレンジャー教育課程の終盤では水や食料を一切持たずに山に入り、生存に必要なものを全て現地調達しながら一週間近く行軍を続けるという過酷な訓練を行った。
もっとも、今回は特殊な状況を想定した訓練ではないので事前に水や食料をある程度持って行くことが出来る。
だから少なくとも最初の数日は、あの訓練ほど過酷な行軍にはならないと思う。
そして、悲しいことに持っていく荷物の中で一番優先順位が低いのは武器だ。
元自衛官としては悔しいが、数発で弾切れになるグレネードを持って行くくらいなら、そのリソースを1グラムでも多く水と食料を運ぶために振り分けた方がいい。
それでも銃を持っていくとすれば、一番利便性が高いのは自衛隊で最も普及している89式小銃になるだろう。
マガジンの装填数は20発で、89式小銃に装填する5.56ミリ弾の重量が12gとなっている。
12gと聞くと大したことないように聞こえるが、予備弾を100発持っていくとその重量は1.2キロにもなる。
そして、これが持ち込める予備弾数の限界だ。
89式小銃で戦闘した場合、どんなに弾を節約しても1回の戦闘でマガジンに装填した20発全てを撃ち切ってしまう可能性が高いので、たとえ予備弾を100発持って行ったとしても6回戦闘をおこなったら持っていた89式小銃は役に立たない鉄の棒になってしまう。
戦国自衛隊は近代兵器を戦国時代に持ち込んで無双していたが、ハッキリ言ってあんな出鱈目が通用するのは最初の1、2回の戦闘だけだ。
組織による支援、とりわけ弾薬の継続的な補給が見込めない状況下で現代兵器は役に立たないのだ。
ニビルに銃を持って行っても役に立たない。
それが、ニビルの調査に持って行く荷物を選別している過程で俺が下した結論だった。
衛に、相談してみたら。
「銃、やめとけ、やめとけ。牙門は戦わずに逃げることに専念する方が利口だよ」
という、血も涙もない優しい言葉を頂くことになった。
とはいえ俺にも意地がある。
丸腰で現地に向かい、戦闘は全て衛と恵子に任せるのでは俺の存在意義は無いに等しい。
何らかの形で、自分の身を自分で守る方法を考えなくてはならないと思った。
考えに考え、地面に頭をこすりつけて考えた結論が、弓を使う事だった。
現代技術を駆使して作られたコンパウンドボウなら矢の最大速度は音速を超える。
矢を現地調達できるなら、自衛用の武器として使えるのではないかと考えたのだ。
そんなわけでアメリカからコンパウンドボウを輸入した上で、間伐材を削って矢を手作りしてみたのだが結果は思わしくない。
問題は、手作りの質の悪い矢を使うことによる命中精度の極端な低下だ。
「やはり、矢羽根を取り付けるしかないか」
俺は近くにある養鶏場に行きニワトリの羽を分けてもらうことにする。
恵子の話では弓矢はニビルでもメジャーな武器として使われているらしく、矢に取りつける矢羽根もニワトリや猛禽類の鳥からではなく地上を走る恐竜から入手しているらしい。
俺もニビルに行ったらニワトリではなく羽毛恐竜の羽を使って矢を作ることになるだろう。
ちなみに矢羽根を取り付けるための接着剤には樹液を使う。
エゾ松の幹を山刀で切りつけると、幹の中に溜め込んだ樹液が漏れ出してくるので、羽軸に沿って縦に切ったニワトリの羽の断面に樹液を塗りつけて矢に取りつけていく。
矢1本につき矢羽根を3枚取り付ける。
こうやって、三枚の羽を矢に取りつけることによって矢を放った時に矢羽根が空気抵抗を受けて矢を回転させ威力と射程を劇的に強化してくれる。
「とりあえず、10メートル先の的を狙ってみるか」
10メートルまで近づけた的に、再び60ポンドの威力で試射してみる。
「当たった」
矢羽根を取り付けた効果は劇的で何度か試射を繰り返すと、30メートル先の標的にも安定して矢が命中するようになった。
「問題は、ここから先だな……」
こればっかりは弓矢という武器の限界なのか、的の距離を30メートル以上離すと命中率は半分以下に低下する。
「安定して命中するのは30メートルまでか。こんな矢でも戦場で使うなら問題無いんだけどな」
戦争の場合、狙撃なんて狙わず敵の軍団という面に対して狙いを付けずに弓兵全員が頭上に向けて撃てばいい。
俗にいう矢ぶすま攻撃という奴だ。
ただ、弓を使うのが俺一人では矢ぶすまは作れないので工夫して一撃必殺を狙っていかなければならない。
弓矢の歴史は古い。
武器として使われた痕跡は、1000年前の源平合戦どころか200万年前の旧石器時代まででも確認できるという。
人類が銃をメインウエポンとしたのは、直近の300年前くらいからで、それ以前の200万年の間、ずっと弓矢は人類最強の武器として君臨し続けていたのだ。
「まっ、訓練するしかないよな」
俺は兵士だ。
装備の性能が低い、弾薬が少ないと文句をたれて足りない分を補充するのは上層部の仕事。
俺達現場の兵士は、泣き言を言わずに今有るモノで勝つ方法を模索するしかない。
「訓練をするなら相手が必要だな」
俺は腰のウエストポーチに突っ込んでいるスマホを手に取った。
「すいません課長。ニビルに調査に行くための準備の一環で野戦の訓練をやりたいんですが」
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