第31話 相手がマモノじゃなくてマジンなら、仲間にできるかもしれない

――名前は無い


 彼は飢えていた。

 彼は焦っていた。

 彼は怒っていた。

 怪我した右肩を庇いながらそろりそろりと、藪の中を移動する。

 道中で道端にある木の実を食べて糊口をしのいだが到底彼の巨体を維持するのに足りる量ではない。

 彼が知る余地もなかったが、彼はこの地で『ONE19』のコードネームを付けられ、オントネー周辺に住む人々から恐怖の対象として見られる存在だった。

 5年ほど前、牧場で放し飼いにしている牛を襲えば楽に食料を得られることに気づいた彼は、次々と牧場で放牧されている牛を襲い周辺の畜産農家に重大な被害をもたらしていた。

 そんな彼が、今窮地に立たされている。

きっかけは、三日前。

 いつも通り柵の中で囲われている牛を襲おうとした彼は、エサとしてしか見ていなかった乳牛から激しい抵抗を受け角で右肩を貫かれる重傷を負ってしまった。

 ONE19は、牧場で食えるはずだった肉の獲得に失敗した上に、重傷を負った肩の傷をいやすために普段よりも多くの食料が必要な状態に追い込まれてしまった。

 別の牧場を襲うという手もあったがそれは賢い選択肢ではない。

 一度牧場を襲ったら、サル共は再度の襲撃を恐れて警戒が厳重になることを彼は知っている。

 方法はわからないが、サル共は自分達を殺せる不思議な力を持っている。

 母熊も、4頭いた兄妹もみんな人間の不思議な力で殺されてしまった。

 だから、サルは徹底的に避ける。

 それが彼の生存戦略だった。

 サルを避けて大量の食糧を得る。これはとんでもない難題だった。

 シカの一頭も仕留めて食えば腹は満たされるが、都合よくシカが見つかるなんてことはない。

 けっきょくONE19は生き残るために方の傷を庇いながらノロノロと移動し続けることを選んだ。

 移動し続けたONE19に不意に光明が訪れた。

 風に乗って肉の腐った匂いが漂ってきたのだ。

 決して新鮮ではない肉の匂い。

 普段なら見向きもしない質の悪い食糧だが背に腹は代えられない。

 ONE19は匂いのする方向に歩を進める。

 たどり着いた先に居たのは見慣れない大型の獣だった。

 ネコに似ている気がするが、ときどき目にするネコの100倍くらい体格がある。

 見慣れない獣。

 ONE19にとって知らないものは恐怖の対象だ。

 本能が今すぐこの場を立ち去りたいと本能が訴えかけるが、腹からグウウと鈍い音は鳴り響く。

 幸い相手は死に体だ。

 まだ息はありグルグルと口で荒い呼吸を繰り返しているが、いたるところで毛皮が焼け焦げ、擦り傷からはポタポタと血が流れ落ちている。

 特に首筋にある傷はひどく、肉が腐り蛆が湧いているくらいだ。

 そう遠くないうちにこの獣は死ぬ。

 なら、それが少しくらい早くなっても何も問題はないはずだ。

 ONE19は目の前の獣にトドメをさすべく、前足で獣を押さえつけたその時、予想外の事態が起こった。

 獣の口から黒いひも状の物体が飛び出しONE19の右前足に絡みついた。

 瞬時に分厚い毛皮が焼け爛れ、皮膚を破って血がにじむ。

 ノウウジは筋肉や固い頭蓋骨を食い破るために、皮膚から毒素が分泌されている。

 それがONE19の毛皮と皮膚を傷つけたのだ。

 ノウウジはONE19の皮膚を焼き焦がしながら、右腕を伝って脳を目指す。

 ONE19は、怪物の正体を知らない。

 しかし、十年間にわたり弱肉強食の世界で生き残った経験と勘が、腕に絡みつく毒虫が自分の命を脅かす脅威だと知らせてくれた。

 ONE19は、腕に絡みつく毒虫を太い木の幹に思い切り叩きつけた。

 腕の傷と肩の傷が、虫を叩きつけた衝撃で激痛を発したが、命には代えられない。

 ONE19は知る由もなかったが、ノウウジは魔力器官を持ち不老の存在となることで大きな弱点を抱えていた。

 胞子を介して他の動物に寄生することが出来なくなったのだ。

 胞子を出すことは出来る。

 だがそれはあくまで原種であるムシタケの胞子であり、ノウウジ自身が他の動物に寄生するには一次寄生している虫の幼虫の身体を使って他の動物の体内に移動しなくてはならない。

 その弱点を突かれた。

 一次寄生しているのはガの幼虫なので、皮膚は薄く身体の構造は脆い。

 木の幹に叩きつけられた衝撃で、幼虫の薄い皮膚が破れ緑色の体液が噴き出した。

 ノウウジに、人間のような知性はない。

 しかし、生きるための本能が牛の角でえぐられた肩の傷に身体を潜り込ませるという行動を選択させた。

 ONE19は、傷口から身体に潜り込もうとするノウウジを始末すべく木の幹にノウウジの身体を打ちつけ続ける。

 一次寄生しているガの幼虫の身体は半ばから千切れたが、不完全になった身体をなんとかONE19の中に潜り込ませた。

 動物の体内に潜るこんだことで、ノウウジはなんとか命を繋ぐことは出来た。

 しかし、分厚い筋肉と肩甲骨を食い破って脳までたどり着くことは出来ない。

 それは、宿主の脳を食い、身体を自由に操るというノウウジ本来目的を永遠に果たせなくなったことを意味した。

 ノウウジはただ生きるために宿主の身体に魔力を注入していく。

 ONE19の右腕がノウウジ本体である菌糸に浸食されて異形へと変形していく。

 地球に新たなマジンが誕生した。



――天原衛


 オモイイシは目の前のヒグマをマモノではなくマジンだといった。

 そう考えると俺はこの偉大な森の王を始末するのがすごく勿体ないと思えた。


「相手がマモノじゃなくてマジンなら、仲間にできるかもしれない」

「マジンってどういうこと? こいつどう見たって凶暴なマモノじゃない」

「マモノじゃない、こいつマジンだ。オモイイシがそう分析しただろ」


 恵子とカゲトラは少し勘違いをしている。

 マジンとは知性を持ったマモノの事ではない。

 マモノは魔力器官を先天的に有するもの。

 マジンは魔力器官を後天的に獲得した者の呼び名だ。

 仮に地球の野生動物がニビルのマジンから魔力器官を奪うことに成功したとすれば、それはマジン以外の何物でもない。

 目の前のヒグマは俺達が知らない間にノウウジと接触し、そして勝利していたのだ。

 ただ、恵子の危惧する理由もわかる。

 ノウウジを人知れず駆除してくれた恩があるとはいえ、相手は凶暴なヒグマだ。

 まともな方法では仲間にするのは不可能だ。

 仲間にするならどんな形でもいいから意思疎通をする必要がある。


「同じクマ通しなら、話が出来るかもしれないな」

「同じクマ通し……あっッ!! マモちゃんの変身能力か」


 まだ自分の意思で変身したことは一度もないが、俺の命を繋ぐ魔力器官の正体はカガミドロ。

 特定の形態を持たず、他の動物の遺伝子を取り込んで変身する超レアマモノだ。


「衛がカガミドロの能力を使いこなせるならゴウムに変身できるはずなのだ」

「クマに変身かよし、やってみる」

「変身するためには、対象の姿を正確にイメージする必要があるからヒグマの姿をよく観察するのよ」


 俺は倒れ伏すヒグマに近づき、カゲトラに付けられた傷から噴き出す血をすする。

 決して美味いとはいえないが、生臭い血を無理矢理嚥下して、俺は倒れ伏すヒグマの姿を注意深く観察する。

 他の動物の遺伝子情報を取り込んだことに反応して心臓の代わりに左胸に埋まっている魔力器官が魔力を生成し始める。

 血管を神経をリンパ腺を通じて、魔力が全身の細胞を冒していく。

 雑念を抱いてはいけない、俺は目の前のクマを観察し、変身することに集中する。

 細胞が魔力を取り込んだところで、ボンッ!!と身体の中で爆発が起こったような衝撃が走った。

 細胞の一つ一つが膨れ上がる。

 最初は腕から、次に足、最後に顔から体毛が生えてくる。

腕も背中も腹も顔面も、俺の全身は固い毛皮と、分厚い脂肪、そして強固な筋肉に覆われていく。

 気がついたときには、俺はヒグマになっていた。

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