第32話 全員に撤退指示を出してください。状況は終了です
――天原衛
「うおおおおおッ!!」
俺は思わず雄叫びをあげる。
人間の身体とは比べものにならない、圧倒的な力が全身にみなぎっている。
クマの身体能力はすさまじい。
体重200キロ以上、走ったときの最高時速は60キロ、体重200キロの牛の背骨を叩き折り身体を真っ二つに引き裂くほどの圧倒的な腕力を持っている。
変身することでその強力な身体能力を得た俺は、脳内にアドレナリンがドバドバ出て軽くハイな気分を味わうことになった。
「何はともあれ、上手く変身できたみたいね」
「衛、変身した気分はどうなのだ? 身体能力が上がるとなかなか気持ちいいだろ」
「ぐううううッ!」
恵子達に返事をしようとしたところで、俺は自分が人間の言葉を話せなくなっていることに気づいた。
カゲトラが普通に話しているので意識していなかったが、人と比較的発声器官の形が似ている鳥類と違い、クマの喉と口内の形は人間とは似ても似つかない構造なので人の言葉を発することが出来ないみたいだ。
「気にしないで、私もオオカミモードの時は話せないし、そういうものだと割り切るしかないわ」
「しかし、初めての変身だから仕方ないが相手に比べてずいぶん貧相なのだ」
身体能力が何倍にも上がってハイになっていた俺に、カゲトラがヒヤミズを浴びせかける。
改めて、カゲトラが倒したヒグマとクマに変身した自分を見比べてみるとかなりの体格差がある事がわかった。
俺の体格は体長が2メートルを少し超えるくらい、体重は200キロを超えるくらいで若いオスグマとしては標準的なサイズだ。
それに対してノウウジを倒してマジンとなったヒグマは推定体長4メートル、推定体重400キロの超大物だった。
『天原衛の情報についてお答えします。生体属性:マジン。学名:カガミドロ。属性:獣。推定体長2.2メートル、推定体重220キロ。推定レベル30』
カゲトラがオモイイシを俺に向けて俺のレベルを測定してくれた。
「レベル30か、まあ成り立てのマジンとしては上等なのだ」
「でも、恵子はレベル54でカゲトラは55。このバケモノに至っては60だろ。高レベルのマモノの血を吸っても高レベルになるわけじゃないんだな」
「血肉を食らうのは変身する生き物の情報を細胞に覚えさるためで、変身能力のエネルギー源は衛が作った魔力だからな。だから魔力の上限を超える生き物には変身できないのだ」
「強いマモノに変身したいなら、マモちゃん自身が強くなって沢山の魔力を作れるようになるしかないわね」
ゲームに例えると、攻撃が通るとダメージを与えたモンスターに変身できるけど、変身したときのレベルは俺のレベルに準拠するって感じか。
何となく、俺の変身能力に関するルールが判ってきた。
原状では恵子達と肩を並べて戦うのは苦しいが、可能性は感じるし鍛えがいもありそうだ。
「さて、どうする? そろそろ私の負わせた傷が再生するころだぞ」
カゲトラは、シックルクロウでヒグマの身体を100カ所以上突き刺し大量出血で気絶するまで追い込んだ。
普通の動物なら再起不能でそのままのたれ死ぬしかないところだが、レベル60クラスのマモノはそんな大怪我でも短時間で自然治癒してしまうらしい。
傷がいえたヒグマは立ち上がったものの、敵が3人いるのを見て軽はずみに仕掛けてこない。
「がおおおおおッ!!」
両腕を大きく広げ、可能な限り自分の身体を大きく見せる威嚇のポーズを見せながら、ヒグマは雄叫びをあげる。
(ここは俺の縄張りだ。出ていけ雑魚ども)
クマに変身したおかげで何となく、相手の言っていることが判る。
「マモちゃん、あのヒグマはなんて言ってるの?」
俺はヒグマの主張を伝えるべく、掌の先を恵子とカゲトラ、そして自分に向けて、最後にヒグマと反対側の沢向こうに向ける。
このジェスチャーで、何が言いたいか伝わるといいが。
「多分、ここは俺の縄張りだから出ていけ。逆に言うと立ち去るなら見逃すって言ってるみたいなのだ。相手はけっこう私達を警戒してみたいなのだ」
カゲトラは俺のつたないジェスチャーから言いたいことを汲み取ってくれた。
「私達が、仲良くしたいと思ってることが伝わるといいんだけどね」
「相手がデミウルディンなら、楽なんだけどな」
カゲトラの言うデミウルディンは、タイリクオオカミのニビルでの呼び名だ。
確かにオオカミなら群の仲間に引き入れると言えば、割と簡単に仲間に出来るだろう。
しかし、クマは群れを作らず単独で生きる動物だ。
クマにとって同種は仲間ではなくナワバリと食べ物を奪い合うライバル同士。
例えクマに変身したとしても簡単に仲間にできるとは思えない。
でも、単独行動が基本のクマだって1体で種を維持することは出来ない。
子を作るための伴侶が必要だし、子供を育ててくれる母親がいる。
それ以外、クマがオス同士で仲間呼べる存在は……。
「くううううう!」
敵意を込めずに声を出すと、思っていたより高い声が出た。
声に込めた意味は『食い物を分けてやる。仲良くしようぜ兄弟』という感じだ。
敵意の無い声音と共に自分に付いてくるように手招きする。
クマがオス同士で唯一、親近感を抱く存在が居るとすればそれは同じ母熊から生まれた血を分けた兄弟だ。
だから、目の前のヒグマに俺はお前の兄弟だと主張することにした。
「ぐおおおおお!」
ヒグマは敵意ではなく怒りに満ちたうなり声をあげる。
彼は俺の兄弟はみんな人間に殺された言っている。
どうやら、目の前のヒグマは兄弟が猟師に殺されたのを目の当たりにして人間は自分の命を脅かす危険な存在だと学習したようだ。
「くうううう!!」
俺はついてくるよう手招きしつつ、『なら今日から兄弟になろう。俺はたくさん食べモノがある場所を知ってる。お前は兄弟だから分けてやる』と目の前のヒグマに伝えた。
ヒグマ同士のコミュニケーションは、言葉が通じない外国人とのコミュニケーションに似ている。
声のトーンと身振り手振りで、自分が何を考えているか相手に伝える。
ヒグマは人間と違って複雑なことは考えないので、その場で思っていることが伝われば十分なのだ。
グキュウルルルルッ!!!
不意に、ヒグマの腹から空腹を告げる大きな音が鳴り響いた。
いままでの戦いで大量に魔力を使ったので、エネルギーが枯渇しかけているのだろう。
「くうううう!!」
俺はもう一度、『食べモノを分けてやる。ついて来い、兄弟』と呼び掛けて手招きした。
ヒグマが威嚇ポーズをやめて、こちらに近づいてくる。
成功だッ!!
「うおおおお!!」
ヒグマとのコミュニケーションを成し遂げたことを確信して、俺は喜びの雄叫びをあげた。
「マモちゃん、食べ物って何をあげるの? クマにあげる食べ物なんて用意してないわよ」
恵子が腰に手を当てて話しかけてくる。
俺は両手の掌を口元に近づけて、人がトウモロコシを食べるジェスチャーをする。
「衛の家の育ててるトウモロコシを分けてやるみたいなのだ。それなら衛の家の周りで待機してる連中は危険だから指揮車の中に避難するように伝える必要があるのだ」
地球人じゃないからかもしれないが、カゲトラはジェスチャーを見て意図を汲み取るのが得意なようだ。
そういう面でも、本当にこいつは有能だ。
「はいはい、こちら恵子です。ヒグマ型のマモノの懐柔に成功しました。うちの畑のトウモロコシを食べさせるので、家の周辺で待機してる隊員は全員指揮者に避難してください」
『はあああああッ!!???? なんですかそれ、懐柔とか意味判らないんですが』
通信機越しに由香の悲鳴が聞こえてくる。
きっと本部は大混乱に陥っているだろう。
――中島由香
ヒグマに変身した衛さんは、トウモロコシの実をもいでマジンと化したヒグマに手渡す。
ヒグマはそれを迷うことなく受け取って、芯ごとモシャモシャと食べ始める。
同じクマから食料を分けてもらっているとはいえ、凶暴なマジンが大人しく餌付けされている姿はバラエティ番組でも見ているかのような現実味の無い光景だった。
「か、課長、今後の対応はどうしましょうか?」
「どうするって、いまから攻撃したらマジンを刺激して壮絶な殺し合いをする羽目になります。それだけは、やりたくありませんね」
「どいうことは……」
「全員に撤退指示を出してください。状況は終了です」
マジンの懐柔。
とても正気とは思えない思い付きが成功したのを見届けて私はペタンと椅子にへたり込んだ。
「マモちゃんは、あのヒグマをニビルとのゲートになってる鍾乳洞に住まわせるつもりみたい。あそこに人を置いて常時監視するのも大変だし、あのヒグマが門番になってくれれば異世界生物がほいほい迷い込んでくるのを防いでくれると思うの」
「そんなに上手くいきますかねえ……」
動物園の経営なんてしたことないので、クマを飼いならすのがどれだけ大変なのか想像もつかない。
きっとこれから、想像もしていなかったトラブルが山のように湧いてくるだろう。
「そんな顔しないでください課長。死人なしでレベル60のマモノを制圧できたのは大戦果ですよ」
指揮車のオペレーターで私より2歳年上の鳴子さんが、そう言って励ましてくれる。
確かに彼女の言う通りだ。
今後どんな問題が起こるか判らないが、今日は一切の死傷者無しで状況を終了させた。
それは喜ぶべきことだ。
「鳴子さん祝勝会を開きます。週末におススメのお店を予約してください」
「了解しましたッ!」
鳴子さんが満面の笑顔で敬礼を返してくれる。
そうだ、今日くらいは勝利の美酒に酔ってもいいだろう。
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