第23話 緊急事態、敵の攻撃を受けましたッ!!

――天原恵子


 足跡は稜線沿いにある藪の中に続いていた。

 傾斜はそれほどキツクないが、下草が生い茂っているので人間が歩くにはツライ足場だ。

 しかし、ヒグマは警戒心が強い動物なので自分の巨体を隠せるこういう藪の中を好んで移動する。

 ヒグマに下草が踏み荒らされたあとを定期的に見つけることが出来るので、ここがクマの獣道になっているのは間違いない。


「こちら2班の恵子です。マモちゃん、この辺りにクマ用の箱罠仕掛けてる場所はあるかな?」

「その近くにはない隣の山に一か所、クマ用の箱罠置いてあるがこの辺りにあるのはくくり罠だけだ」

「箱罠は高いもんね」


 熊用の箱罠は巨大なクマを閉じ込めるため作られた巨大なオリ状の構造物で、巨大ゆえに値段も高い。

 値段は安くても10万円を超えるので、個人でたくさん用意するのは難しい。


『クマなんて気軽に捕まえる獲物じゃないからな。俺は基本的にシカ、イノブタまでしか想定していない』


 マモちゃんの話を聞く限り、この足跡の持ち主が罠にかかって動けなくなっている可能性は低そうだ。

 私達は、ヒグマが背後や側面から襲ってこないか警戒しつつ慎重に足跡をたどってゆく。

 

「稜線沿いにずっと歩き続けてる。マモちゃん、このクマ、裏山の反対側に行ったみたいだけど。反対側にクマを引きつけそうな餌場とかあったかな?」

『地形忘れたのか? この山の反対側から下山したら沢があるんだよ。沢が家の私有地と県の管理地の境界線になってる』

「沢か、クマも水は飲むから沢に向かった可能性は高いわね」


 足跡の主の目的地が判って少しホッとする。

 クマがいつまでのも沢で水を飲んでいるはずはないと思うが、山の中で隠れ潜んでいる可能性は格段に低くなった。

 さらに稜線沿いに歩き続けていると、サラサラという水音が聞こえてくる。

 山間を流れる水の通り道、沢だ。


「ここから下山したら沢に出ると思います。水を飲みに来ている動物がいるかもしれないので様子を見に行きたいんですが」

「了解だ。総員、ここから下山して沢へ向かうノウウジの寄生体が水を飲みに来ているかもしれないから警戒を怠るな」


 齋藤さんの指示の下、私達は獣道を伝って山間にある沢へと向かう。

 沢沿いの道は右側が崖と呼んでいいほどの急斜面になっている。

 私達が追っているヒグマも崖を直滑降する気はないみたいで、獣道は稜線沿いの比較的平坦な場所を緩やかなカーブを描くように通る形で山間にある沢まで続いていた。


「少しコケの匂いがしてきましたね。沢までもう少しかも」


 沢の周辺では乾いた土の上では成長できないコケ類の植物が大量に繁殖しているので、山の中でも独特の匂いがする。

 私は、お爺ちゃんが匂いを頼りに沢まで移動して、獲物を水に沈めていたのを思い出す。

 お爺ちゃんは私と違って普通の人間だったが、熟練の猟師だけあって狩猟における手腕は人間離れしたところがあった。


「何かひかッ!?」


 それは突然やってきた。

 それは光だった。

 強烈な殺意。

 強大な破壊力。

 莫大な魔力。

 それらを伴った光の奔流が私達に襲いかかってきた。

 私は齋藤さん達を守るために光の正面に躍り出る。

 私の着ている炎の衣は、ただ身を着飾るだけの服じゃない。

 魔法で作った服は、魔法攻撃から身を守る鎧としても機能する。

 しかし、敵の放った光線を炎の衣で受け止めた私は恐ろしい事実に気づいた。


「この魔法の属性、獣ッ!」


 敵が放った魔法は獣魔法でも最大の破壊力を持つ砲撃魔法ホウコウハだった。

 獣属性の魔法は炎の衣では完全に防げない。

 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイッ!!

 このホウコウハ、殺意が高すぎる。

 もし斎藤さん達が巻き込まれれば、全員骨も残さず蒸発してしまう。

 逸らすとしても、後ろに逸らすわけにはいかない。


 ゴースト魔法≪クロノコブシ≫


 私はゴースト魔法を破壊光線に叩きつけた。

 ゴースト属性の魔法は、他の生体属性魔法のエネルギーを互いに打ち消し合う特性を持っている。

 この状況で最善なのは、ホウコウハと同じ威力のゴースト魔法をぶつけることで魔法そのものを消滅させてしまうことだ。

 しかし……ダメだ、敵の魔法の方が強い!!

 クロノコブシで相殺しきれなかったホウコウハは、私の右腕を吹き飛ばし、余剰エネルギーがエゾマツの幹をなぎ倒しながら空の彼方に消え去っていく。


「恵子さんッ!」


 右腕を吹き飛ばされた私に元へ齋藤さんが駆け寄って来る。

 最悪は回避した。

 右腕と引き換えだが、クロノコブシでホウコウハの射線を逸らし、齋藤さん達が巻き込まれるのを防ぐことは出来た。


「私は大丈夫だから、逃げてくださいッ!! 敵はもう次の攻撃の準備に入っています」

「右腕を飛ばされたんだぞ、治療はいいのか?」

「いりませんッ! そんなことより、一刻も早くここから離れて」


 私は立ち上がって齋藤さん達にすぐに引き返すように促す。


「緊急事態、敵の攻撃を受けましたッ!! 敵の魔法攻撃を防いだ恵子さんが負傷。現場判断でこの場から撤退します」


 本部に状況を報告して、来た道を引き返そうとしたその時――。


『登るな下れ、沢に向かって全力で走るんだッ!』


 無線機から、マモちゃんは一喝が響き渡る。

 理由はわからないがマモちゃんの言うことはきっと正しい。

 私は、彼の言葉に従って崖に近い急斜面を滑り落ちるように駆け下りる。

 私に続いて齋藤さん達も崖を駆け降りることを選択した。

 駆け降りる最中、二名ほど足を踏み外して転倒し崖を転がり落ちることになったが、気がついた時には全員、山間の沢に飛び込んでずぶ濡れになっていた。


「いっ、生きてる……」


 隊員の一人が震えた声でそうつぶやいた。

 そう、全員生きてる。

 良かった、本当に良かった。

 斜面で転んだ隊員もボディアーマーのおかげで怪我は打ち身やかすり傷だけで済んだようだ。


 ゴオオオッ!!!


 空気を引き裂く轟音を鳴り響かせながら一条の光が空を引き裂くのが見えた。

 ホウコウハの第2射だ。

 もし、マモちゃんの忠告に従わずに来た道を戻っていたら、背中からあのホウコウハを食らって私達全員消えていたかもしれない。


「なにあれ……沢で待ち伏せして獣道を降りてくる敵を狙い撃ちしてるっていうの……」

『とっ、とにかく撤退してください。あと、衛さんが沢に居れば匂いを誤魔化せるから山の反対側に出るまで沢から出ないようないようにしろと言っています』

「了解しました。沢伝いに第2班撤退します」


 それから一時間余り、私達はバシャバシャと沢の水をかき分けながら逃げ続けた。

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