第22話 私達の仕事は、警察でも軍隊でもなく、有害鳥獣駆除ですからねえ

――天原恵子


 捜索といってもまずは、この急斜面を昇らなくては話にならない。

 ドローンを飛ばしてみた結果、30メートルくらいある目の前の崖を登ったら普通に歩けそうなくらいのなだらかな山道に出るようだ。

 効率を考えてまず私が斜面を駆け上がって上からロープを垂らすことを提案した。


「先に昇るって――あまり危険なことはして欲しくないだけどな。恵子さんは、カゲトラみたいに飛べるわけじゃないんだろ、この急斜面を転げ落ちたらいくらマジンでも無傷じゃすまないと思うんだが」

「心配いらないです。私、こう見えても一番の得意種目は跳馬だったので」


 斜面の傾斜角は目測だが30度を超えている。

 分度器で見ると、30度の傾斜なんて大したことないように見えるが実際に傾斜角30度の斜面の前に立つと目の前にあるのは無慈悲な断崖絶壁だ。

 だけど、このくらいの斜面、私は小学生のときにさんざん登らされた。

 上るコツは周辺に生えている木の根っこを足場にすることだ。

 どんな急斜面でも木は太陽を求めて垂直に伸びる。

 だから、木の幹の周辺には人一人がギリギリ立てるくらいの足場が形成されるのだ。

 私はその小さな足場を跳び移りながら急斜面を駆け上がる。

 大事なことは途中で足を止めないこと。

 跳び移ったときに足にかかる強い反動を運動エネルギーに転嫁して再度ジャンプすることで、体力を節約して登攀することが容易になる。

 私は、このジャンプ登攀を駆使して30秒ほどで崖を昇り切った。

 次に目についた中で一番太い木にロープを括り付け崖の下に垂らす。


「一人ずつ引っ張り上がるのでロープを引くタイミングに合わせて登ってきてください」


 捜索班全員を引っ張り上げたところで、私は齋藤さん達が訝しげな視線を向けているのに気づいた。


「どうかしましたか?」

「ありがとう。おかげで、時間と体力を大幅に節約することが出来た。ただ、君がマジンだということを思い知らされて少々困惑している」

「マジンねえ……多分、人間だったころの天原恵子でも同じことが出来ましたよ。言いましたよね、一番の得意種目は跳馬だったって」

「元体操選手だと言ってたな」

「あと、マモちゃん程じゃないけど山に慣れているの。小学生を卒業するまで、私も今の家で暮らしてたから」


 私は体操競技の中でも跳んだり跳ねたりすることがメインとなる、跳馬と床が得意だった。

 この才能の下地は小学生のころずっと山で飛んだり跳ねたりすることで培われたのかもしれない。

 あと、マモちゃんが指揮車で待機になった以上、齋藤さん達に獲物の追い方を教える必要がありそうだ。


「さて、普通に歩けるところに出たのでまずは獣道を探しましょう」


 狩りの基本は、獲物が移動した痕跡を探すことだ。

 今回は獲物がどんな姿をしているか判らないので厄介だが、シカでもイノシシでもクマでも、獲物になりそうな動物の足跡を探すのが最初のミッションだ。


「足跡って、シカとかクマの足跡を探すのか?」

「そんな感じです。存在の痕跡を探して、立ち寄りそうなところに罠を仕掛けるのが罠猟の基本です。もっとも、シカの群はこの山にはいないと思います。畑の作物目当てに近づいてきたシカはマモちゃんが片っ端から駆除しているので」


 天原家の裏山には、迷い込んできた野生動物を捕まえるための罠が数十か所設置されている。

 マモちゃんが、どのくらいのペースでシカを捕まえているか判らないが10頭を超える群が大手を振ってかっ歩できる環境ではないだろう。

 ただ、三日前みたいに群れから離れた若いシカが迷い込むこともあるし、もしかしたらクマやイノシシが入り込んでるかもしれない。

 私達は、足跡を探しながら山道をソロソロと進んでいく。

 一時間くらい経った頃、私達は最初の困難に直面した。


「これだけ深い森が続くとドローンは役に立たないですね」


 ドローンのオペレーターを担当している三枝さんが、諦めたように機体を収納ケースに仕舞いはじめる。

 人員の安全を確保するためにドローンに先行偵察させる。

 世界中の戦場でセオリーとなっている索敵方法らしいが今回は場所が悪かった。

 捜索場所はエゾ松が生い茂る深い森の中。

 ローターが枝を巻き込むのを防ぐために、木の上を飛ばなければいけないドローンでは動物そのものも、足跡も発見するのは不可能に近い。

 ドローンバッテリーが一度切れたタイミングで、三枝さんはドローンでの先行偵察を断念した。


「マモちゃんも、ドローンは役に立たないって言ってたもんね」

「地元の猟友会に協力を求めるのが一番効率的だけど、相手が相手だからな」

「求められているのは、軍人ではなくてマタギってことか。これなら、衛君に付いてきてもらった方がよかったかもしれないな」


 足跡を見つけたり、木の陰に隠れてる動物を探し出すために最も必要なのは、狩りをやってきた人の経験だ。

 マモノ駆除班の人達は戦闘のプロかもしれないが、狩猟を本格的にやっているわけではないので、狩人としての手腕に期待するのは酷な話だ。


「まあ、狩猟については私がある程度経験があるから、私が先導するわ」

「新人に頼り切りなんて情けない話だが、頼む。しかし、こうなると訓練内容を見直す必要があるかもしれないな」

「私達の仕事は、警察でも軍隊でもなく、有害鳥獣駆除ですからねえ」


 足跡を探しながら山道を歩き続けて2時間くらい経った頃、ようやく私達は動物の足跡を発見した。


「あった……これ、足跡だと思う」


 私は支給されたスマホで足跡の写真を撮って指揮車に送る。

 しかし、これ……。


「これが動物の足跡なのか? シカやイノシシのものとは違うように見えるが」

「そうですね。多分これ……」


 言いかけたところで無線機に指揮車から連絡が入って来る。


『おい、それヒグマの足跡だぞッ!! 周囲になにかいないかすぐに警戒しろ』


 マモちゃんが、怒鳴り声に近い大声で警告を発する。

 やっぱりヒグマだったか。

 多分そうだと思ったけど、裏山にヒグマが入り込んでると思うとやっぱりショックだ。


「皆さん、一度止まって周囲に何かいないか確認してください。この足跡はヒグマです。山にヒグマが入り込んでいます」


 ゴクリと誰かが息を飲む音が聞こえる。

 ヒグマが相手だと知って、空気が凍り付いたような緊張感が辺り一帯を支配する。


「ヒグマか……ちなみにそのヒグマにノウウジが寄生してる可能性は」

「あると思います」


 もし、ノウウジがヒグマに寄生しているなら、ニビルにいる凶悪なマモノに見劣りしない文句なしで地球最強の生物が相手ということになる。

 正直、齋藤さん達は帰らせて私1人で捜索した方がいいんじゃないかと思えてくるが、獲物を探す目を増やす利点を考えるとやはりチームで行動した方が発見の確率は上がる。


「周囲には何もいないようです」


 木陰や岩陰にヒグマがいないか入念に探し回った結果、今この場にヒグマはいないことが確認出来た。


『2班は、発見したヒグマの足跡を追って目標の捜索をお願いします。ただし、相手がヒグマだとわかった以上、警戒は怠らないでください』

「2班、命令受諾しました。今からヒグマの捜索を開始します」


 隊長である齋藤さんが命令の受諾を伝える。

 かくして、私達は日本で一番危険な獣であるヒグマの捜索をすることになった。

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