第17話 私にとってマモちゃんは、自分の命より大切な存在なの
――天原衛
暗い。
ひどい出血のせいで失明してしまったのだろうか、意識を取り戻した俺は真っ黒な暗闇の中にいた。
「生命……はありま……肉体と……」
「……最悪は……ことか」
由香と牙門の話す声が聞こえてくる。
ただ、はっきり聞こえるわけではない。
俺の身体を囲む壁が空気の震えを反射してビリビリと震えるたびに、声っぽい音を感じることが出来るだけだ。
どうしたらいいのだろう? 手でも振れば意思表示出来るかもしれないが、自分の手足がどこにあるのかわからない。
身体の動かし方が判らない。
まるで、全身が泥になってしまったような錯覚を感じる。
『泥』
嫌な考えが脳裏を駆け巡る。
マジン達は、自分の状況に応じてマモノの姿と、人間だったころの姿を使い分けている。
もしかしたら、彼女達の本当の姿はマモノ形態で人間の姿は人とコミュニケーションを取るために変身しているだけなのかもしれない。
俺が融合したマモノの名はカガミドロ。
他のマモノや動物に変身する力を持っているが基本形態は文字通り銀色の泥だ。
もしかして、俺の身体って泥になって水槽かなにかに保管されているのか!?
俺は何とコンタクトを取ろうと自分の全身に『動け、動け』と念じてみる。
「は……」
「ねえ…まも……」
どうなってるんだ、この身体?
身体に神経も筋肉もないからどうやって動けばいいのか全く分からない。
バカッ! 上の方にあるカバーを誰かが開ける。
「きっと……」
誰かが俺の身体に手を突っ込み魔力を流し込んでくる。
「変身のやり方がわからなくて困ってるのよ」
今度ははっきり聞こえた。
俺に触れているのはコクエンだ。
コクエンが天原衛という人間のイメージを泥の中に流し込むことによって、泥の身体の形が変わっていく。
骨格が組み上がり、筋肉が張り付き、全身に神経が張り巡らされていく。
目、耳、鼻、口、感覚器官が出来上がることで俺はようやく五感を取り戻すことが出来た。
「はあ、はあ、はあ……」
俺は口を大きく開き肺一杯に空気を取り込む、
見える、聞こえる、呼吸ができる。
ああ、人間の身体は最高に素晴らしい。
「たっ、助かったぜコクエン」
恵子が俺の体に天原衛に変身するための情報を流し込んでくれたおかげで、俺はようやく言葉を発することが出来た。
あれ、礼をいわれたコクエンの顔はトマトみたいに真っ赤になっている。
そうか、コクエンの助けを借りて人間の姿になれたものの人間になったばかりの俺は当然一糸まとわぬ全裸でバスタブに横たわっていた。
おまけに運がいいのか悪いのか、コクエンの手がふれている場所は股間部分の男にとってとても大事なところだ。
「おっ、マモちゃんの変態ッ!!」
「ぎゃああああッ!!」
コクエンに大事なところを叩かれた俺は痛みのあまり釣り上げられた魚みたいにビチビチとその場を跳ねまわった。
ただ、今の彼女の言葉に聞き逃すことが出来ないフレーズがあった。
「おまえ、やっぱり天原恵子なんだな」
コクエンはおれのことを『マモちゃん』と呼んだ。
この世界で俺のことをマモちゃんと呼ぶのは、たった一人しかない。
俺は札幌市の郊外にある異世界生物対策課の基地に運び込まれていた。
体が銀色の泥になっていたので、仮眠室の浴槽に泥をいれて生命反応をモニターしてたらしい。
俺が服を着て事務室に入ると、恵子はパイプ椅子から跳ねるように立ち上がり、一目散に俺に飛びついてくる。
「マモちゃん、マモちゃん、マモちゃんッ!! 死んじゃってゴメンッ! 一人にしてゴメンッ!」
恵子はむせび泣きながら、俺のことをもう二度と離さないと言わんばかりに抱きしめる。
俺はそれに答えるように恵子をギュッと抱きしめた。
どうやら俺は本当に自分の命より大切な女の子を取り戻すことが出来たようだ。
人目をはばからず、恵子は30分以上泣き続けた。
由香さんが気を使って長椅子に腰かけるように促してくれる。
恵子はなんとか泣き止んだものの、まるで小さな子供のように俺の腕にしがみ付いて離れようとしない。
「15年ぶりの再会と聞きましたが、兄妹仲よかったんですね」
「貴方にはわからないかもしれないけど、私にとってマモちゃんは、自分の命より大切な存在なの」
「恵子さん告白の内容が大胆過ぎます」
「いいの、私はもう、マモちゃんから離れないから」
心なしか、恵子の腕に抱き付く力が少し強くなる。
15年の時を経て、恵子が俺と同じ気持ちを抱えていたことを知ってうれしい反面、気恥ずかしさから『俺も同じ気持ちだよ』と言えない自分が情けなく思える。
「やっぱり、俺が死にかけているのを見て、昔の記憶を思い出したのか?」
「うん、そうだと思う。思い出してみると、なんでこんな大事なこと忘れていたのか自分でも信じられない」
俺のことを忘れていたのがよほど悔しいのか、恵子は泣きそうな顔で唇を噛む。
「ゴースト属性のマジンになったからかもしれませんね。コクエンさんは自分が何時どうやってマジンになったのか覚えていますか?」
「覚えていないわ。日本に帰る飛行機が黒い闇に飲み込まれて、気が付いたら記憶を失ってマジンになっていたことしかわからない」
恵子は俺に抱き付いたまま、由香の質問に答える。
「じゃあ、今回のケースとは逆で15年前、恵子は飛行機毎、ニビルと繋がったゲートに飛び込んでしまったってことか?」
「その可能性が高いですね。海、地上、空……ニビルと地球を繋ぐゲートがどこに作られるのか法則性が判りませんね」
「でも、それって変じゃないか? ゲートを通ったなら、ニビルに転移するんじゃないのか? 黒い闇に包まれて問答無用で死ぬってなんか違う気がするんだけど」
少なくとも今回の恵子と5年前の由香達は怪我無く地球に転移している。
15年前、恵子の身に起こったこととは何か違う気がする。
「15年前の恵子はゲートじゃなくてマジンにぶつかったのかもしれないのだ。ゴースト属性の強力なマジン、例えばネルガルとか」
「ネルガルが地球に来てたなんて、考えただけでも恐ろしいですね」
「なんだ、そのネルガルって奴? やっぱりマモノなのか」
「マモノではなくマジンよ。マモノはニビルに生息している生命体の中で非常に低い確率で、先天的に魔力器官を持って生まれるもの生き物のことで、ニビルに存在するゴーストは全て後天的に魔力器官を得たマジンなの。そして、そのゴーストを作り出しているのがネルガルだと言われているわ」
混乱する俺に恵子がネルガルについて説明してくれる。
「そいつ、マジンだけどなんか神様みたいだな」
死んだ人間を生き返らせるとか、力を与えるとか、ネルガルがやってることはまるで神話に登場する神様だ。
「ニビルでネルガルは信仰の対象となっていますよ。ニビルに神はいないけど、神の代わりにレベル100を遥かに超える超強力なマモノに祈りを捧げる風習があるんです」
「そもそも神は地球人が、自分の力では叶わない願いを、自分の代わりに大いなる存在に叶えてもらおうと考えて作った空想上の産物なのだ。ニビルには身勝手だが実際に願いを叶える力を持ったホンモノが存在するんだから、自分の考えた空想に祈りを捧げる必要はないのだ」
「宗教関係者が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうだな」
しかし、『神は地球人が考えた空想の産物だ』というカゲトラの言葉は的を得ていると思う。
彼らが住んでいたのは異世界ニビル。
生態系違うし、歴史も違う、社会を作り上げた積み重ねが異なるんだから神が居ない世界が存在してもむしろそれが当たり前なのだろう。
「じゃあ恵子は、そのネルガルって奴が一度死んだ恵子に魔力器官を入れてコクエンというマジンに変えた可能性があるのか」
「ゴースト属性のマモノを生み出す元凶っていわれてるくらいだから、人をマジンに変えるくらい造作もないでしょう」
「私は、それを覚えていないから。誰が私をマジンにしたかは『わからない』としか言えないわ」
これ以上考えても答えが出ることは無さそうなので、恵子の秘密についてはいったん棚上げすることになった。
「そういえば、泥になってる間、夢の中で爺ちゃんに会ったよ。俺と恵子がまだ爺ちゃんと一緒に暮らしていたころの夢。思えば、俺の人生で一番楽しかったのは、あの頃だな」
「楽しかったのはマモちゃんと、お爺ちゃんだけよ。鹿の吊るし切りなんて喜んでやる女の子はいません」
俺と恵子も捕まえた獲物の解体を手伝わされた。
グロいとか血が臭いとかそんな甘えは許されない。
いただいた命に感謝して、美味しく食べるために全力を尽くせ。
そういう意味では爺ちゃんはけっこう厳しい人だった。
「でも、肉は美味かっただろ」
「それは……まあ……スーパーの肉が味気ないって感想は今でも変わらないわね」
いまの言葉を聞いて確信した。
彼女は、恵子。俺の双子の妹の天原恵子だ。
「なにはともあれ、おめでとうございますッ!! 運がよかったですね。生存確率0.1%の賭けに勝ったんですから」
「これで衛も晴れてマジン。私達の仲間になったのだ」
由香とカゲトラが俺の肩を叩いて生還を祝ってくれる。
生存確率0.1%。
あらためて言われると確かに奇跡としかいいようのない数字だ。
右胸に触れてみると心臓の代わりに埋め込んだカガミドロのコアが変身するために必要な魔力を作り出しているのが判る。
「本当に運が良かったなんて思わないでね。マジンはニビルでも人間扱いされないし、基本ロクな目に遭わないんだから」
恵子は辟易した表情で言葉を紡ぐ。
「そんなことないですよ。私なんて、政府にヘッドハンティングされて管理職まで出世しています」
「バケモノ退治を押し付けられただけじゃない」
「ニビルでも私達はマモノ退治を仕事にしていました。そういう意味では、私は今の待遇に不満は無いですよ」
「しかし、衛。ずいぶんとかわいい顔になったな。元々童顔だったけど、今のお前とても牙門と同じ年には見えないのだ」
「顔が変わったってどういう事だ? 恵子が身体に俺のイメージを流し込んで変身させてくれたんだろ」
判らないので、手で顔をペタペタ撫でていると、カゲトラが足で手鏡をつかんで俺に手渡してくれる。
鏡に写った自分の顔を見て俺は絶句した。
「これが俺!? どうみたって、十……いや中高生くらいになってるじゃないか!?」
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