第三話 ……お腹が空いたよ?
「おや?」
「ごめんねあにくん。ソースがほっぺたに飛んでしまったみたいだ」
青年が未だ事故の後遺症から、思うように動かない手を動かそうとする前に、少女の指が青年の頬に触れる。
少女がソースを人差し指で拭い、それを舐めとる。
少女はゆっくり、よく聞かせるように言う。
「あにくん。とっても、美味しいよ」
少し明るい声に少女の声が戻る。
「あはは。照れてるあにくんは可愛いなぁ」
――。
「からかわないでほしいって?」
「まあまあ。許しておくれよ」
「あにくんと、こんなにお話出来て嬉しいんだ」
「あにくんも。もっと素直に甘えてくれていいんだよ?」
――。
「はいはい。まったく、あにくんは素直じゃないなぁ」
「それじゃあ、次はハンバーグにしようか」
少女がナイフとフォークを操り、弁当箱の中央に乗っているハンバーグに切れ目を入れる。
「あにくん。あーんしながら、少しの間だけ目を瞑っていてくれないかい?」
「うん、少しの間だけでいいよ」
「大丈夫。唇に指を入れたりしないから安心して」
――。
「あははは。私が言うと冗談に聞こえないって?」
「早くしてくれないと、本当に指を入れちゃうよ?」
「なんちゃってね」
「うん。ありがとう。少しだけそのままでいてね」
少女がハンバーグを切る音がした後、その後に何かを取り出す音がする。
「少しあったかいけど、ビックリしないで。大丈夫。やけどはしないさ」
口の中に何かが入った感触。
「どうかな?」
――。
「あったかくて美味しい? 良かった!」
――。
「実は、ソースは別に保温して持ってきていたんだよ。少しでも温かいのを食べてほしくてね」
――。
「そうなんだ。ハンバーグの中に入れたチーズが、ソースと混ざるととっても美味しいんだよ」
「喜んでもらえて良かったよ」
「ゆっくり食べてね」
「大丈夫、時間はいっぱいあるさ」
■
「いやあ。一生分ぐらいのあーんをしてしまったね」
「これから毎日、あにくんにご飯を食べさせてあげられるんだね。やっぱり幸せだなと感じてしまうよ」
「あにくんは大変な目にあったばかりなのに。ごめんね」
――。
「うん。のどが渇いたかい?」
「そうだね。お茶にしようか」
「あにくんは冷たいのが好きだけど、今日はぬるめの物を持ってきたよ。冷えるのは体に良くないからね」
魔法瓶からお茶をカップに入れる少女。
「少し熱すぎるかな? 冷まそうか」
「ふー……。ふー……」
少女がカップに息を吹きかける。
「え、冷ましてもらうのが恥ずかしい?」
「もう……。まだそんな事を言っているのかい?」
少女が少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……ああ。もしかしたら、口移しが良かったかな?」
「気が利かなかくてごめんね」
――!
少女の左手が自分の頬に当たり、少女の顔と真っすぐ見つめ合う形になる。
「ほら、こっちを向いて……?」
少女がもう片方の手で、口の中に茶を含む。
「んっ……(こくっ)」
少女が半ば強制的に、両手で青年の顔を覆い唇を重ねてくる。
「んっ……。んっ……」
(こくっ、こくっ)
のどに、水分が流し込まれていく。
「はぁっ、はぁっ……」
唇が離れ、少女が吐息を吐き出す。
青年の鼻の頭に、少女の息が当たった。
「ふふ。美味しかったよ」
「あ・に・く・ん……」
青年の耳元で、蠱惑的に囁く少女。
「もう少し、味わいたいなぁ……?」
――!
「んっ……」
逃げる間もなく、再び唇が塞がれる。
「んっ……。んんっっ……」
「んっ……」
「はぁっ……。はぁっっ……」
ようやく、少女の唇が離れる。
少女が静かに、興奮を抑えるような声で語りかける。
「ふふ……。あにくん。ごめんね」
「冗談だと思ったかい?」
「私は、予想を裏切るのが大好きなのさ」
「……ん」
少し落ち着いた声に戻る少女。
「美味しかったよ。あにくん……」
「でも……。これ以上は危ないね……」
「スイッチ。入っちゃいそうだったよ……」
「あにくんの体が、大事だからね」
そして、少女が青年の耳元で再び囁く。
「今は、我慢するね……?」
窓の外からは、子供たちの喧騒が聞こえてきた。
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