第18話 美しき憎悪

 ――――三日前、麗の昏倒直後



 月明かりさえも遮られるほどに木々が鬱蒼と生い茂った暗黒に包まれた森の中、

「う…ぐぁぁぁ…!」

 その暗闇すらも飲み込みかねない程に鈍く深い漆黒の翼をしならせ、その美しき妖魔は膝を付く屈辱と、肉体を蝕まれる苦痛に悶えていた。

「あの糞餓鬼ぃ…!!あんな…一瞬で…!…がぁぁっ…!!」

 ズボォ!!


 全身に深く突き刺さった矢を一本ずつ強引に引き抜き、全てへし折って辺りへと投げ捨てる、未だに体に残る矢と合わせるとその数は十本を下らず、その全てに彼女の意識をじわじわと削るほどの猛毒が纏われていた。

(…討魔隊…これほどに強力な毒を生み出せる人間がいるなんて…完全に油断した…)

 体の至る所から赤黒い泥のようにべちゃべちゃした体液を流し、力なく麻痺して垂れ下がる左腕の指先から滴り落ちる事でそれが血だまりとして大地を染めている。


「はぁ……はぁ…くくく…」

 呼吸するたびに痛みが走り、体を動かす事も苦しみが襲う中、その妖魔は苦痛をに歪みながらも、それすらも忘れるように邪悪な微笑みを浮かべる。

(…あの時…黄色の弱い方は確か…もう一人を比那と言っていた…ありふれた名前だけど聞いたことがある)


 他者の事を覚えていない私が記憶している、数少ない名前。


 今まで出会ってきた奴らの事なんて殆ど覚えていない、そとそも覚える気もないし、そんな必要もなかった。

 どいつもこいつも有象無象の雑魚共、逆らえば殺す、そもそも私が少し微笑めば男は鼻息を荒くして物を貢ぐ、女であろうと道を開けて私に嫉妬して、中には媚びへつらおうと称える奴も居た。


 私は美しく、そして気高い。

 私の上には誰もおらず、こと強さにおいても私は至高の存在だった。


 あいつを…除いては


 あいつは思いだす事も忌まわしい程に美しく、何よりも気高く純潔で、多くを知りながらも無邪気であり、果てしない空を誰よりも速く、誰よりも自由に巡り、そしてただただひたすらに強かった。


 そんな奴が、少し前に「人間の娘が二人も出来た」と喜んでいた。

 その子供の名前が「比那」と「紗那」で、あいつが嬉々として話していたのを嫌でも覚えている。


 あの身軽さや動き、間違いなくあの餓鬼二人が娘で間違いない、片方は大間抜けだった、一人を囮にすればもう一人の方も大人しく殺されるだろう、あの二人はそういう情に弱い類だ。


 二人を殺せばあの翼は必ず陰る、翼が陰れば完璧ではなくなり、あの純粋さと冷徹さが失われて私の知るただの有象無象に成り果てる

 そうなれば…その時が…



「その時が…貴方の堕ちる時よ…嶽峰がくほう…!」

 痛む体を引きずり、全身から血をまき散らしながら、妖魔は笑う。

 その声は遠吠えの様に闇に包まれた森の中を暗く寂しく、不気味に響き渡っていった。

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