第5話この街
「ん…んぅ…」
街の喧騒と閉じた窓から射す暖かな光で辰之助が目を覚ます。
ゆっくりと布団から起き上がり、大きな欠伸と共に窓を開けて街道を見る。
昨日と何ら変わりなく、人の波は忙しなく動き、怒号とも笑い声とも取れる様な騒がしさが寝起きの耳に嫌になるほど響いてくる。
(ちょっと寝過ぎたか)
窓から見上げると、太陽はかなり高い位置に登っている。
ふと、店の少し前に見覚えのある人物が立っているのを見つけた、千彩だ。
女将さんに頭を下げているので、どうやらお礼を言っている様だ。
しばらく眺めていると、こちらに気付いた千彩が笑顔で手を振って来たので、こちらも振り返す。
その隣で女将がニヤニヤしている、口元を隠しているが分かる、もう目がそういう笑い方をしている。
千彩はその視線に気付かず、こちらに礼をした後、もう一度女将に礼をしてどこかへ歩いていった。
人波に消える千彩の姿を眺めていたら、ふと昨夜の事が頭を過ぎる。
『じゃあ明日のお昼、また迎えに来るよ!それまで部屋で待っててね!』
昨夜交わした、麗との約束。
もうお昼時だが、まだその姿を見せない。
"なぜ部屋で待つのか"
という疑問は
"昨日と同じ様に窓から迎えに来る"と自分の中で納得させている。
下では千彩を見送った女将が店に入ろうとしていた。
すると千彩が歩いていった道の方から少女が人波をすり抜けるように走り抜け、女将に話しかけている。
一際目を引く可愛らしい桃色の着物…なのだが、ここからでも分かる程に丈が短く、足が殆ど見えている。
髪型は辰之助と同じ総髪。
前以外は後ろで纏め、辰之助よりも長い髪の毛先は背中の中心辺りまで下りている。
女将に向かって何かを伝えようと必死に体を動かし、纏めている髪を見せて撫でたり、目を指で吊り上げたりしている。
(…この街…あんな元気なのも居るんだな…)
と珍しい生き物を見るようにぼーっと考えていると、女将が何かに気付いた様にこちらに向かって指を指している。
「…ん?」
そして辰之助の姿を確認した少女の顔が明るくなり、元気に飛び跳ねながらこちらに手を振っている。
(…まさか…!)
その瞬間、辰之助は荷物を持ち、転がるように階段を降り、店の入口に向かう。
「あ!来た来た!」
店から飛び出した辰之助がズザァ!と音がしそうな程勢いよく止まり、息を切らしながら、少女に問いかける。
「…まさか…麗…か?」
「…?そうだよ?」
「こんな健気で可愛い娘とも知り合いだなんてねぇ…よっ!色男!」
「…やめてくれ…」
昨日見た服とあまりにも違う、しかも予想していない方法で迎えに来たせいで辰之助は完全に油断していた。
そんな思いも知らず、膝を掴んで下を向き、肩で息をして、落ち着こうとしている辰之助の横で、女将が麗に話しかけている。
「にしても…そんな格好で寒くないのかい?肩も出てるし…これからどんどん冷え込んでくる季節だから、無理はしない様にね」
「えへへ、ありがと!でも走ってきたからへっちゃらだよ!むふー!」
と鼻息を吹かし、得意げに胸を張る。
「子供は風の子…って奴だねぇ…」
女将が嬉しそうにしみじみと麗を見ている。
「我が子を見ているみたい…懐かしいよ…今はもう…ね…」
と目が少し潤んでいる。
「……」
その様子を心配そうに麗が見ている。
「…クスン…」
女将が寂しげに鼻を鳴らす。
「……」
辰之助も下を向いたまま、何も言葉を発していない。
「…大丈…」
麗が声をかけようとした瞬間
「母さん!客が増えてきたからそろそろ戻ってくれ!」
と板前の服に身を包んだ男が店の中から呼びかける。
「はいはーい!じゃ、二人とも、体には気をつけるんだよ」
女将はそう言い残すと、店の中へと足早に入って行った。
「……」
「……」
(いや…息子、普通に生きて
2人の心が、初めて一致した瞬間であった。
「……それでだ…」
息を整え、落ち着いた辰之助が麗に聞く。
「なんで「部屋の中で待ってて」って言ったんだ?普通に来るなら外で良かっただろ」
「…人混みの中だと分からなくなるから…」
(なんだそりゃ…)
「だって、夜にちょっとだけ見た人の顔なんて覚えてないよ、髪も下ろしてたし!」
「……」
(それを言われると…俺も最初は気づかなかったから何も言えない…)
そう思いながら改めて麗の服装を見る。
遠目からでも見えた足と総髪、髪を留めているのは赤色の紐と三色団子の装飾が着いている簪。
(…そんなのどこで売ってるんだ…)
そして何故か胸元も空いている、単純に目のやり場に困る。
腕には振袖の様なものもあるが、何故か袖が肩の部分と繋がっておらず、肩から二の腕の半分くらいまでが見えている。
見れば見るほど変だし、全体的にやはり大きさが合っていない、色々とキツそうだ。
「その…聞きにくいんだが…その服は自分で選んだのか?」
「え?うぅん、親分がこれにしとけって!」
この瞬間、辰之助の中での親分は助平な変態男という認識になった。
(本当にそんな奴が困ってんのか…?麗が騙されてるんじゃ…?)
今まで感じた麗の人物像も相まって、親分が麗を騙して利用している悪人の可能性すら出てきた。
(そうだったら…やるしかないか…)
と、心の中で覚悟を決める。
「さ!早く行こ!親分に怒られちゃう!」
麗はウキウキで足を進める、一方の辰之助は少し重い足取りで、麗の隣を歩いていく。
道中、他愛の無い無駄話をしながら進む、麗の年齢は十六だとか、好きな団子の種類、ここに来る前の生活、 辰之助がどんな相手と戦って来たか、など。
話の中で、当然麗の昔話も出た。
生まれた時からこの街に居て、親分に拾われた時も赤ん坊で、それ以前の記憶がないとか。
街から出た事が無く、親分からも「外の世界は危険だ」とずっと言われ続けて、街の外には頑なに出して貰えなかったとか。
だからどんな場所があってどんな人が居るか、多くが集まるこの街にも無い物に憧れを抱いているとか。
辰之助が何故かと聞くと、麗からすればこの街は窮屈過ぎるらしい。
毎日遊び惚けている大人、家族がいるのに他人と快楽を貪る大人、任侠に頭を下げ続ける大人、賭博や遊郭で一時の快感を得る為にその身を滅ぼす大人、同じ団子しかない甘味処。
この街の人は何かに取り憑かれている、なんでもある筈のこの街では必要無いものに飢えている。
きっとそれは恵まれた証なんだろう、それ以上を求めてしまうのが大人なんだろう。
だから窮屈、あるものしか手に入れられないこの街は、と立ち寄った甘味処で団子を頬張りながら麗は語った。
辰之助は麗の思いに驚き、出された茶を飲むのを止め、口を開く。
「…恵まれているなら、それに超した事は無いんじゃないか?」
「…そうかもしれない…けど」
麗の表情が一層曇りを見せる、団子を食べる手を止めて、一度息を吐いて重い口を開く。
「…私の覚えている礎静町は、もっと自由だった……色んな人が…色んなものを作って売って、それで失敗しても笑ってて、また新しく作って…」
「……」
「……でも今は…皆似たようなものしか作らない、売れそうな商品しか作らなくなって…必死なのは分かってる…生きる為には売らないといけないし…それが当たり前なんだと思う…でも…」
「…でも?」
「…もう、誰も笑ってない…皆が私と同じ様に窮屈で飢えてるから…生きる為に、自分のしたい事を我慢してる、だからお金を使って必要以上に遊ぶ…んだと思う…」
「…それは……勿体ないな…」
「………私はただ…どんなに恵まれている人も…そうでない人も…皆が笑っていた頃の礎静町が…大好きだっただけなのに…!」
麗の目から涙が少しだけ零れる。
辰之助は昨日と同じ布巾を手渡し、受け取った麗は涙を拭いている。
「まぁ…お前の言いたい事は分かるが…それは…麗が成長した証でもあるんじゃないか?」
「…私が…成長…?」
「大きくなって、子供の頃見えなかったものも見える様になった、きっとそれだけだ…少し寂しいかもしれないが…受け入れて進む事で、より成長する」
「……そう…かな…」
元気だった姿から想像できない程に暗く俯き、不安そうに呟く。
「…そうだ、お前は優しいから、誰よりも立派になって、皆を笑顔に戻せる様な大人になる」
辰之助は麗の頭にポンと手を乗せる。
「…っ…」
麗が驚きの表情で、辰之助の方を向く。
(あ、つい流れで…)
と直ぐに手を下ろし、誤魔化すようにすっかり冷めた茶を啜る。
「…私、頑張る!皆をまた笑顔にする!」
「おう、頑張れよ」
「よーし!いっぱい食べるぞ〜!」
「……それは…そろそろ…止めてくれ…金がない…」
――――数分後、素寒貧になった財布をもつ辰之助とお腹が一杯になった麗が並んで歩いている。
「…」
(…成長した…か……言ってみたは良いが…麗の言い方がやっぱり引っかかるな…)
辰之助はチラリと麗を見ると、もうすっかり笑顔に戻り、跳ねるように前を歩いている。
(俺が感じた街と麗の見てきた街の認識が違いすぎる…主観と言えばそれまでだが…だとしても同じ街だとは思えない…)
辰之助が立ち止まり、考え込む。
「ん?」
当然麗はそれに気づき、少し先で立ち止まる。
(……少なくとも…俺が働いてる所にそんな雰囲気はしていない…
皆が楽しそうに笑っていたし、泊まった宿も明るい人が多かったし、女将も気さくな良い人だった)
「辰之助ー?」
(…どういう事だ?旅人には優しい…いやそんなの分からないだろ…)
「あれ?おーい」
(…旅人…そういえばこいつも…そんな奴らの刀を取ってたんだよな…なんだかんだで全部返していたらしいが…)
「聞ーこーえーてーるー?おーい、そろそろだよー」
辰之助の周りを麗がウロウロし始めるが、全く気にかけず考え続ける。
(…確か…この話は…嶋田がしていたな…仕事も宿も…どっちもあいつの…紹介…で………あいつの…)
「もう!辰之助ってば!そろそろ着くからしっかりしてよ!」
「!!」
麗の叫びでようやく今の場所に意識が戻ってくる。
「ほら!行くよ!まったくもぅ!」
麗が待たされた事と無視された怒りで、頬を膨らませプリプリしながら、地団駄を踏むようにズカズカと歩いていく。
辰之助は先程の思考と、謎の既視感のある道に、僅かな不安と何かへの確信を抱く。
そして数分歩き、ようやく目的の建物に着いた。
「…ほら、着いたよ!」
「…っ…はは、やっぱりかよ…」
その場所は
「……え?何が?」
「……何でも無い…親分…いや…
"嶋田 歳典"とご対面だ」
昨日働いた、嶋田が営む何でも屋だった。
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