第5話 小さな魔導士
「あの、少し素性をお聞きしてもいいですか?」
「構わん。特に秘密にするような事柄は抱えていない。」
俺の少し前方を歩く、ローブを前進に纏った小さな後ろ姿に声を掛けた。
俺は今、前方を歩いている女性の家に向かっている。
というのも、別に変な目的があるわけではない。
――魔導技術を教わるためだ。
しかし、この人の事が気になる訳ではない。
身長だけでなく、声も若々しい。
恐らく、子供で間違いないだろう。
そんな子供がハンターをやっているというのは、少し理由がありそうだ。
この世界では、魔獣による襲撃もあり、成人を迎える前に親を失う事は決して珍しくない。
もし、この子もその類で渋々ハンターをやっているようなら、できれば助けになってあげたいと思う。
俺は、その可能性を探るべく、素性について質問をする。
「貴方……ネイアさんの声は、非常に若く聞こえます。ご年齢を教えていただけますか?」
「女性に年齢を聞くのはマナー違反だという事は教わらなかったのか?」
俺の質問に、その女性は常套句のようなセリフで返事をした。
俺は、その常套句は好きではない。
どんな年齢だろうが俺は受け入れるし、嘘をついている可能性を孕んでいる人間は好きになれない。
「私もそれなりの年齢を重ねているので、そういった決まり文句をよく耳にするのですが、私は好きではありません」
俺は、出来るだけ腹を見せるように、素直に返事をする。
「……お前はそれなりに信用できる奴みたいだな。私も、その常套句は好きではない」
その返事を聞いた俺も同じ感想を持った。
やはり、この人は所有する技術にたる教養があるように思う。
俺の見立てでは年下だが、当時の俺よりも賢いかもしれない。
「13だ」
ネイアさんは、年齢を明かした。
――13歳か。
俺よりも三つ年下だ。
正直、三年程度ではそこまで大きな差が生まれるとは思わないが、成人はしていない。
そんな子供がハンターをやっているのは少し勘ぐってしまう。
「両親はご存命で?」
「どちらも死んだ」
やはりそうか。
この子は、今一人なんだと思う。
しかし、それは重い話になりそうなので、一旦別の話に移そう。
「ネイアさんは魔導士、なんですよね? その技術は何で学んだのですか?」
「父は、獣族でな。母が私を産んで死んだあと、この街でハンターをやっていた」
俺が質問すると、それに答えるように自身の境遇を語りだした。
「父は、友人である
なるほど。大方理解できたかもしれない。
鳥族は、天候を操る秘伝の技術を保有しているらしい。
その天候操作において、気流の知識は必須なのだそうだ。
ネイアさんに魔導を教えたという鳥族が気流操作の技術を持っていたのは、それが理由だろう。
しかし、その鳥族の人はどうなのだろう。
生きてはいなさそうだが、念の為聞いてみる。
「その鳥族の方は――」
「父と一緒に亡くなった」
ネイアさんは、俺が質問を言い切る前に答えた。
しかし、「亡くなった」か。
些細な表現だから違うかもしれないが、もしかしたら両親よりも鳥族の人に懐いていたのかもしれない。
「ここだ。入れ」
会話が終わると、丁度そこがネイアさんの家の前だった。
ネイアさんの家は、俺達が借りている家からかなり近い位置にあった。
といっても、ハンターは大抵居住区の安い住居を借りるが、その家は一か所に固まって分布している為、そこまで珍しい事ではない。
「……お邪魔します」
少し緊張したが、それを悟られないように平静を装って中に入る。
「そこに座れ」
「失礼します」
一応年下なんだが、凄い落ち着きだ。
デュアンもこれくらい落ち着いてくれたら、色々と楽なんだが。
――ゴトン。
俺がネイアさんの佇まいに感嘆していると、お茶を出してくれた。
その慣れた手付きから、教育が行き届いていたのが伺える。
「気流の操作は、広範囲の魔力を遠隔魔導と作用魔導で動かすことで可能になる」
ネイアさんは、椅子に腰を下ろしたかと思うと、突然話し始める。
「広範囲ですか……ネイアさんは魔力量が多いんですか?」
「いや、そこまで多くはない。ニャータよりは多いだろうがな」
「傷つくんですけど……」
というより、俺の事を知っているのか。
俺は、ギルド内で"
蔑称のようにも聞こえるが、揶揄というより「愛嬌のある称賛」の様なものだろう。
ギルド登録初日にちょっとした騒ぎを起こしたこともあって、たまにそうやって気さくにいじってくる奴らがいる。
デュアンはその度に怒るけど、屈強なお兄さんたちに「こういうのはスキンシップなんだよ」とたしなめられるのが通例だ。
そんなことはさておき、ネイアさんもそこまで魔力が多くないのであれば、俺でも魔導具込みならできるかもしれない。
そう思った俺は、さっき聞いた知識を元に実践してみる――俺が魔導を発動すると、その途端、ヒューと風が流れる。
家の中で風が吹き、その風はネイアさんが深くかぶっていたフードを器用に捲った。
「……なっ!」
気流操作は、なんとか成功した。
捲られたフードに関しては、俺が故意にやったことだ。
失礼かもしれないとは思ったが、俺はどんな容姿でも受け入れるし、関係を築くためには必要なことだろう。
顔を隠すのも、年齢を隠すのも、俺からしたら同じようなものだ。
肝心の顔についてだが、これは正直俺も驚いた。
ネイアさんは、獣族と賢族とのハーフだったのだ。
「ハーフだったんですね……」
「…………」
ネイアさんは、俺の言葉に返事をすることなく、再びフードを被ってしまう。
俺は、再び気流操作を行い、フードを捲る。
「おい! 一体どういうつもりだ!」
ネイアさんは、フードが完全に捲られないように、手で押さえる。
その手の外見で獣族の種類がわかった。
恐らく、ニヤアルタ族だろう。
ニヤアルタ族とは、「初級/下位」の山猫という魔獣と似たような姿をした獣族だ。
そのニヤアルタ族は、求愛などの時に「にゃあ」と鳴くそうだが、俺の名前「ニャータ」もこれが由来になったそうだ。
――何故なのか。
それは、父がニヤアルタ族が大好きだったから。ただ、それだけ。
しかし、それくらい俺の事も愛してくれていたと思いたい。
嫌いな人に好きな物の名前を付けるとは思えないし。
そう言う経緯もあり、父から散々ニヤアルタ族について聞かされていた。
こんな所で役に立つなんて、父も想定していなかったかもな。
「俺がどういう意図でフードを捲ったのかわからない」という様な表情で俺を見つめるネイアさんに、一言声を掛ける。
「獣族とのハーフは、初めて見ました。でも、とても可愛らしいじゃないですか」
「しょ、初対面の相手に失礼過ぎるのではないか!?」
ここで、初めてネイアさんが取り乱す。
そう、誰にだってこういう所もあるんだ。
どんなに落ち着き払っている人だってこういう一面はあるし、達観した人でも且つてはこのような一面を持っていたはずだ。
それが、13歳の未成年であるのであれば、尚更。
――賢族とニヤアルタ族のハーフ。
その容姿は、お互いの特徴を半分ずつ組み合わせたようなものだった。
顔の造形は、鼻から上が賢族、鼻と口元はニヤアルタ族の様なもので、ヒゲも生えている。
耳は、賢族と同じ位置にあるが、形状がニヤアルタ族のような柔軟で薄い形状をしている。
目元は賢族とほとんど変わらない。が、顔と腕には全体的に短めのもふもふな毛が生えている。
「失礼と言えば、相手に顔を見せないのも失礼に当たるんじゃないですか?」
「まぁ……そうなのだが」
ネイアがローブで姿を隠すのには、恐らくその容姿が原因だろう。
異種族間のハーフは一定数いるが、比較的珍しい為に周りからの視線も感じやすい。
「ここは家の中、俺以外に誰も見てはいません。いつもローブを外す必要はないですけど、貴方がこれから生活する時に、誰も顔を知らないっていうのは寂しくないですか?」
「うぅ……」
ネイアもわかってはいるのだろう。いつまでもこうしているのはよくないという事は。
であれば、俺は半ば強引にでも手を差し伸べてやりたいと思う。
「いつも一人でハンターをなさっているのですか?」
「そうだが……?」
「……危険じゃないですか?」
「私だって馬鹿じゃない、そんなに難易度の高い魔獣とは戦わん」
ネイアは恥ずかしそうに顔を俯かせながら変わらない口調で言う。
ネイアの実力のほどはわからないが、「中級/下位」の魔獣を一人で倒せる可能性があるほどの実力はあるのだろう。
上手く弱点を突くことで初めて討伐が可能になると思うから、相性が悪ければそうはいかないとは思うが。
しかし、一旦その話は置いておこう。今は気流操作についての話をするべきだ。
俺はコホン、と咳ばらいをして、話を戻す。
「気流操作の話に戻りましょう。疑問なのですが、鳥型の魔獣だったらある程度の気流の乱れには対処できそうですが……」
「当然だ、生半可な気流操作ではバランスを崩すことなどできん」
そう言った後、ネイアは気流の乱し方やタイミング、強弱の付け方などを詳しく説明してくれた。
それは、魔導の技術というよりも、気流の知識だった。
正直その辺に関しては数々の本を読み漁っていた俺でもそこまで詳しくない。
それに、魔獣討伐に活用しようだなんてことは微塵も考えたことがなかった。
「……これは、訓練が必要ですね」
「それなら、私が付き合ってもいいぞ」
それはありがたい。
本人が見てくれるのなら、今の自分が正しいのか正しくないのかがすぐにわかる。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「いや、これくらいなんてことない。あと、ネイアでいい」
ネイアは照れ隠しをしながらそう言った。
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「という事で、ネイア師匠に気流操作を教わることになった」
俺は、ネイアの家からギルドへ戻ってくると、これまでの一連の流れをデュアンとレイドに説明した。
一応、ネイアのプライベートな部分については伏せて置いた。
「おぉ~」
二人は、落ち着いた様子で同時に感心の意を示した。
この二人の関係にも何か進展があったのか、雰囲気に滲み出ていた緊張感が緩和されている。
「お前ら、仲良くなったのか?」
この二人はいつの間にかギルド内のテーブルで顔を突き合わせていたので、レイドの右隣りに座りながら質問をした。
「まぁ、話してるうちにな」
レイドが落ち着いた態度で返答する。
「ねぇニャータ! 明日レイドと二人で狩りに行くよ!」
デュアンが楽しそうに予定を告げる。
「狩り? 一体どういう風の吹き回しだ?」
「いやな、ウォルテム族の身体能力の話をしたら、妙に食いついてな」
あぁ、何となく想像できた。
「ウォルテム族って、強化魔導使わなくても凄く強いんだって!」
俺がレイドに対して言葉を返す前に、デュアンが身を乗り出しながら上ずった声で主張する。
こいつは、何でそんなに戦闘が好きなんだろうな。
いつもながら、そんなことを思う。
時々、デュアンに対して恐いという感情が芽生える時がある。
今の会話ではそんな風に思わないが、俺が魔獣との戦闘に臆している時なんかに、その感情は顔を出す。
俺は……というか人族は、分からないことを「恐い」と感じる。
それは、「対処法が分からない」という知識の有無によるものや、「間に合うか分からない」という知識の有無以外の「分からない」という感情にも反応する。
俺がデュアンに感じるのは、いつの日か俺を置いて遠くへ行ってしまうかもしれないという恐さだ。
デュアンはどうにも、底が知れない。
いつまで隣に立っていられるかがわからない。
とはいえ、その辺に関しては俺の努力次第ともいえる。
遠くの物でも、心意気次第ではいつか掴める。
俺はただ、自分のペースで着実に実力と知識を蓄えていくことに尽力するべきだろう。
そして、翌日からの気流操作の特訓は、その一環とも言える。
心して師匠に学びを請うとしよう。
「レイド、あんまりデュアンの話を聞き入れないでくれよ? 無理なことは絶対にしないでくれ」
「わあってるよ。どうせ、『強い魔獣を倒しに行こう』とか言い出すんだろ?」
「よくわかったな。正解だ」
どうやら、本当に打ち解けたみたいだな。
ならば、俺も安心してデュアンを預けられる。
これは感だが、レイドは人格者の部類だと思う。
物腰が柔らかく、語尾こそ野蛮だが、言葉遣いも丁寧だ。
それに、相手の心情を凡そ理解したうえでの気遣った発言も会話の節々で感じ取れた。
更に、嘘を付いている様子がない事も好印象だ。
俺は相手の視線や雰囲気で嘘を付いているかどうかわかる。
確実とは言えないが、今回の目的の裏で何かを画策している可能性は低いと思う。
それに、そう言うのはデュアンの方が敏感だが、そのデュアンと打ち解けている。
これが何より信頼に足る証拠だ。
それはさておき、俺が気流操作を学んでいる間にデュアンを遊ばせるのも忍びない。
そこで、俺はレイドに一つ提案をする。
「レイド、一つ提案がある」
「あん? なんだ?」
レイドは、少し間の抜けた声で提案の内容を尋ねてきた。
俺は、淡々と提案の内容を分かりやすいよう心掛けながら説明する。
「デュアンは前衛だが、相手の攻撃を受け止めて隙をつくるタイプじゃない。そして、俺も後衛か中衛だから当然違う」
まずは、俺とデュアンが「盾役」の役割を持っていないことをレイドに伝える。
「デュアンはあまり戦術に詳しいとは言えない。俺が言葉で教えるのもいいが、こいつは言葉で説明するより実際に体験した方が早く覚えられる」
レイドとデュアンは黙って俺の話に耳を傾けている。
「ということで、レイドにはこれから盾役を務めてもらい、デュアンに前衛の連携を覚えさせて欲しい」
「なるほどな。ニャータが気流の操作? を学んでる間に、デュアンにも学ばせようってことか」
「そういうことだ」
レイドは獣族だが、容量が良いな。
やはり、これまでいろんな人と関わってきたからだろうか?
話しぶりからして、そんな感じがする。
「ところでレイド。お前、今回みたいに素知らぬ他人とよく金策するのか?」
「随分急だな。大体いつもやってるぜ……ちょっと金が要りようでな」
レイドは、少し言いずらそうな表情をしながら返事をした。
金が要りよう……という割には身なりはそこまで整っているとは言い難い。
恐らく何か訳がありそうだが、まだ知り合って間もないし、今は触れないでおこう。
何となく、今は聞かない方が良いような感じもする。
それに、今後も関係は続くだろう。
何せ、同じギルドに毎日のように顔を出すことになるんだからな。
俺は、カジュアルな言い回しで、レイドに気を使うことにする。
「その金の使い道は、いつかそっちから話してくれるのを待つとしよう」
「はは、助かるぜ。ちょっといいずらくてな」
「レイド。お金がないなら言ってくれたら助けになるよ?」
デュアンが心配そうな様子でレイドに金銭的支援を申し出る。
「馬鹿、デュアン。多分レイドはそんなんじゃない――」
「あはは! ありがとうな、デュアン」
レイドが豪快に笑いだす。
その後にデュアンに礼を言ったが、子供を相手にしているような話し方だ。
俺はデュアンと同年齢だからあまり考えたことがなかったが、確かに傍から見たらデュアンは無垢な子供のように見えるかもしれない。
実際は、色々と自分なりの哲学を有していたりするのだが、今のレイドには分からないだろう。
と言っても、レイドに対して不快感を覚えたとかは全くない。
むしろ、良い兄貴分ができたようで嬉しくなった。
思えば、院長を含めたおっさん達との関係は多いが、兄貴と言えるような距離感の知り合いは、少ないように思う。
年齢は聞いていないが……年上だよな?
「もう! 子ども扱いしないでよ! 年だってそんなに離れてないじゃん!」
デュアンは知ってるのか。
よし、今日帰宅したら絶対に聞こう。
「はぁー、わりぃわりぃ。ちょっと、知り合いと重なってな」
レイドが笑いを徐々に沈めながら訳を説明する。
ふと、「知り合い」という人物が少し気になった。
「デュアンがか?」
俺は、一先ず「知り合いと重なった」のがデュアンで合ってるかを確かめる。
「ああ。『ラアム』っていう今10歳くらいの奴がいるんだが、反応がそっくりでな」
レイドは「ラアム」という人物を話題に挙げた。
「10歳って、やっぱり子ども扱いじゃないか!」
デュアンが、再び憤慨する。
そんなデュアンを笑いながら諫めるレイドを眺めながら、ギルドの中心にある円筒状の受付、その上に埋め込まれている「計時装置」を確認すると、時刻は26時を回っていた。
「おっと、もうこんな時間か。俺は酒場で約束があるから、もう行くぜ」
俺もそろそろ解散時かと思っていたため、丁度いい。
「そうか、俺達はそのまま帰るよ。明日からデュアンの事、よろしくな」
「任せとけ!」
その後、レイドが酒場へ向かっていくのを見送ると、俺達も家路についた。
――翌日。
デュアンが朝早くにギルドへ向かうのを見届けてから、俺はネイアの家に向かうことにした。
「おはようございます。ネイア師匠、ニャータです」
数分でネイアの家に着いた俺は、名を名乗って自分であることを主張しながら扉をノックする。
「…………」
応答がない。
時間は指定しなかったが、「起きたらすぐ行きます」と言っていた。
「…………」
どうしたものか。
紳士たるもの、承諾を得ずに女性の家に入ることはあってはならない。
それに、寝ているのであれば起こすのもなんだか気が引ける。
これは、俺が無理やり起こされるが少し嫌だからだ。
自分がされて嫌な事を他人にするのは、親密な関係でもなければやらないのが普通だろう。
暇をつぶすために店に赴くのも悪くはないが、この場を離れてすれ違いになれば、余計面倒なことになる。
――仕方ない、家の前で待つとしよう。
俺は、扉の横で腰を下ろして、ネイアの目覚めを待つことにした。
「師匠、か」
俺はネイアを師匠と呼んで師弟関係を築いているが、正直なところ、ネイアの事は妹の様に思っている。
純粋に年下と言うのもさることながら、思考回路も似通っているというのが理由だ。
俺には兄弟がいないから、もしかしたらそういう関係性の人が欲しくなったのかもしれない。
昨日のやり取りで何となく分かったことだが、彼女は警戒心は強いが素直な子だと思う。
敵意や害となる可能性が無いと判断した後の対応は、ただの可愛らしい女の子ような振る舞いだった。
妹の様に思っているとは言ったが、話口調をこれ以上崩すつもりはない。
何故なら、彼女は強い精神を宿しているからだ。
俺はそんな人に敬意を払わずにはいられない。
というのは建前で、実は師匠と呼ばれて嬉しそうなネイアが可愛いからだ。
紳士たるもの、喜ぶ姿を嗜むべきだろう。
ゴトン
晴天の青空を眺めていると、背を預けている建物の中から音がした。
起きた、かな?
俺は、腰を上げてお尻に着いた土を払い落とし、再び扉をノックする。
「ネイア師匠、ニャータです」
「に、ニャータ!? す、すまん! 少し待っててくれ!」
ネイアが、寝起き特有の重い声帯を酷使して返事をすると、屋内でドタバタと音が聞こえ始めた。
その音を聴きながら扉の前で立ち尽くしていると、数分後に騒がしい音が止み、扉がギィと軋む音を立てて開く。
「や、やぁ。おはよう、ニャータ」
「おはようございます」
扉の中にいるネイアは、昨日の様にフードを頭まで被っていた。
「取り合えず、中に入ってくれ。すまんが、特訓の計画を決めかねていてな」
そう言うと、ネイアは家の中にトコトコと入っていく。
俺は、「失礼します」と断りを入れてから中へ入った。
俺が昨日話をする際に使用したテーブルの元へ近づくと、ネイアが椅子に座るよう促す。
「昨日の席に座っててくれ。今、茶を淹れる」
もしかしたら、変に気を使わせているのかもしれない。
「ありがとうございます。けど、そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ?」
俺がそう言うと、ネイアは茶の準備を進めながら「いや、いいんだ」と言った後、理由を話してくれた。
「父から聞いたことだが、母はいつもこのように客が来たら茶を淹れていたそうだ。私の母は、私を産んだ時に死んでしまったから顔も匂いも知らないが、家族として母の面影の一つでも引き継ぎたい」
素晴らしい心意気だと思う。
そのような形で愛を示すことは、一つの美学だろう。
昨日は茶の味なんてあまり気にしなかったが、今日はしっかり味わおう。
俺は、微笑みながら「そうですか」と言って、ネイアの淹れた茶をを楽しみに待つことにした。
数十秒後、ネイアは木製のトレイに、二つの木製のティーカップを乗せてテーブルに置いた。
そして、すぐ横にあるサイドチェストの上に置かれていた、筒状に丸められた紙を手に取って向かいの椅子に座る。
俺は、トレイに置かれたティーカップを一つ自分の前に持っていき、その紙が何なのか尋ねた。
「……それは?」
すると、ネイアは紙を括っていた紐を解きながら説明をする。
「私は、気流操作を習っている間、原理や感じたことを白紙の本に細かく記していた。これはな、それをより簡潔に分かりやすくまとめた巻物だ」
それは、売ったら有り得ない程の値が付きそうだ。
そして、鳥族にとっての重要機密情報でもある。
「それは、中々取り扱いに困る代物ですね……」
「そうだろう? だから、お前に技術を伝授したら捨てるつもりだ」
ネイアは、少し上ずった声でそう言う。
ローブで表情が見えないが、恐らく、笑いながら喋ったのだろう。
しかし、これまで残しておいたという事は、思い入れがあるのではないだろうか。
「いいんですか? その……鳥族の恩人の方との思い出の品なんじゃ――」
「いいんだ。お前に教えるという目的を果たしたというだけで、この巻物も報われるだろう」
ネイアは、先程と同じ声色で理由を告げる。
その態度から察するに、本当に問題ないと思っているのだろう。
俺は、そのタイミングで茶を啜る。
昨日も思ったが、これまで味わったことのない味だ。
これが、「母の味」という奴なのだろうか?
茶の味から様々な感情が芽生えていると、ネイアが言葉を続ける。
「元々捨てるつもりだったんだ。これは、残しておくのは危険すぎるからな。でも、そんな折にその人は亡くなってしまった。だから、どうにも捨てられなかったのだが、なんでか今はそんな未練のようなものを感じないな」
ネイアは、何かを思い出しているような、物腰の柔らかい声でそう告げる。
「その気持ち、何となくわかります。新しいスタートを切ると、過去の物を振り切る勇気が湧いてきますよね」
この感情については、俺も最近味わった。
ペセイルに引っ越すとなった時、これまで大事に集めてきた本でさえ、必要な物以外捨てる決意が意外と簡単にできてしまったのだ。
結局、何かを手放せないのは、自分が手放す準備ができていないだけなのかもしれない。
準備ができてしまえば、意外とあっさり手放せる。
俺が「ネイアの選択」に共感すると、ネイアもそれに反応する。
「そうだな。結局、気持ち次第でなんでもできるのかもな」
ネイアは、楽し気な口調で考えを述べた。
「そう思います。きっと、いつかそのフードを取ることもできますよ」
俺も笑顔で考えを述べると、ネイアは途端に動きが止まった。
その様子を、表情を変えずに笑顔で見守る。
数秒の沈黙を経て、ネイアはゆっくりとフードを捲った。
「こ、これでいいか?」
「はい。一歩ずつ進んでいきましょう」
「そ、そうだな」
もはやどちらが師匠なのか分からないような状況だ。
「じゃ、じゃあ。気流操作の特訓、するか?」
ネイアは、この状況から早く逃げ出したいと言った様子で言った。
このまま気流操作の特訓に移ってもいいが、もう暫くこのまま会話をしてこの状態に慣れさせた方が良いかもしれない。
何事も、時間や回数を重ねれば慣れていくものだ。
「いえ、もう少し話しましょう。私は、ネイア師匠に気流操作を教えたという鳥族の人に興味があります」
「そ、そうか。わかった」
ネイアは、そわそわした様子で返事をした。
その後、鳥族の人について語り始める。
「その人の名は『アリツェフ』、私の恩師だ」
ネイアは、こちらを見ずに話した。
恐らく、「その人」の事を思い出しているのだろう。
俺は黙ってその名を覚えると、ネイアの話を待った。
「彼は、とても豊富な知識を蓄えていた。父と良いコンビで、二人で困難を乗り越えながら成果を上げていたらしい。そして、アリツェフは私に教育も施してくれた」
「二人で」という言葉に、親近感を覚えた。
特に、知力に長けていたというアリツェフさんとは、一度話をしてみたかったものだ。
「ニャータ、鳥族の生態について、どの程度の知識がある?」
ネイアは、俺に質問をしてきた。
――鳥族か。
正直、みんなが知っているような一般的な知識と、一冊の本に記されていたことくらいしか知らない。
「天候を操る魔導技術を保有していることと、鳥族というものの翼をもたないということくらいですね。あとは、オルト族やイング族などの猛禽類のような性質を持つ一部の部族を除いて、基本雑食性なんですよね」
俺は、過去に読んだ「神樹の森の種族」という本を思い出しながら質問に答えた。
「流石、勤勉だな。だが、翼をもたないというのは、正確な情報ではない」
ネイアは、俺の本から得た知識が間違っているという事を告げた。
「正確な情報ではない? しかし、著者は現地に行って調査をしたようですよ?」
「その著者は、あまり歓迎されていなかったのではないか? 鳥族は警戒心が強いらしいからな」
著者が現地に行ったことを示してもなお、全く迷う様子なく否定する。
という事は、ネイアは実際に翼を持つ鳥族を知っているのだろう。
話の流れでは、恐らくアリツェフさんだが……。
俺は、ほぼ確信している推測の答え合わせをすべく、ネイアに問いかける。
「では、ネイア師匠は翼を持つ鳥族を知っているのですか?」
「あぁ、勿論だ。もうわかっていると思うが、アリツェフがそうだった」
ネイアは、俺が推測を立てていたことを知っていたかのように答えを出した。
「やはり、アリツェフさんがそうだったんですね」
「あぁ」
すると、ネイアが自分が居れたお茶の匂いを嗅いだ。
その後、飲むのかと思ったがそんなことはなく、何事もなかったように話し始める。
「鳥族の翼と言うのはな、魔力によって生成される。正確には生成する、だがな」
ネイアが淡々と翼についての真相を語った。
翼を生成する? それであれば賢族にでもできそうだが……。
俺は思った疑問を素直に質問することにした。
「生成するというのは、生成魔導のことですか? であれば、賢族にも同じようなことができそうですが……」
「あぁ、そうだな。しかし、それとは少し違うんだ。どうやら、生成魔導を身体の内側、つまり骨から出力できるらしい。そして、神経が繋がるため、自分の羽の様に繊細な動きが可能になるんだ」
ネイアが鳥族の身体の構造について説明する。
俺は、率直に不可解な生態だなと思った。
魔導ありきの身体の仕組み? 神経が繋がるというのはそう言うことだと思うが……。
まだまだ人族には謎が多いとはよく言われるが、不可解にも程がある生態だ。
しかし、それが身体の一部と言うのなら、その
「その翼を動かすための筋肉はあるのですか?」
「あぁ、あるぞ。退化したのかどうか分からないが、強化魔導を施して隆起させないと意味をなさないささやかな筋肉がな。しかし、その筋肉がその奇怪な身体構造を裏付ける証拠にもなっている」
確かに、その筋肉があるのなら証拠と言えるだろう。
もっとも、神経が繋がるというだけで証拠と言えるほどだが。
俺が、衝撃的な事実に感心していると、ネイアは更に「アリツェフ」さんについて話始める。
「因みに、アリツェフはイング族だ。強靭な握力と鋭い爪を誇る足、そして
ネイアは、「アリツェフ」さんの種族と性質を語ってくれた。
食性に関しては、話を聞く限りだと、筋肉の量なんかの肉体的特徴によって摂取する必要のある栄養素に偏りがあるものの、結局は美味しい物を食べるというだけな気もする。
そう考えると、そこまで完全に常識が通じない様な種族は少ないのかもしれない。
勿論、毒に対する免疫なんかは種族ごとに異なるから、異種族間で食事を共有する場合は注意が必要だがな。
ここで、ネイアばかりが話すのも申し訳ないと思ったため、俺は賢族の一般に知られていないだろう特性をネイアに披露してみる。
「師匠、実は賢族は毒に対する免疫が他の種族よりも多く、抗体を生成する能力も優れているんです。知っていましたか?」
「そうなのか? それは知らなかった。何分、主な情報の供給源がアリツェフだったものでな」
ネイアは、何かを言いたげに口を開いたが、それを飲み込んだ素振りをして、再びテーブルの上にあるお茶の匂いを嗅いだ。
俺は、そのお茶を今度こそ飲むかと思ったが、やはり飲まなかった。
流石に気になったので、一体何をしているのか質問してみる。
「あの、飲まないんですか?」
俺が質問すると、ネイアは少し笑って何をしていたのかの説明を始めた。
「これは匂いを嗅いでるのではない。温度を確かめてるんだ。ニヤアルタ族は舌で温度を感じないから、鼻で温度を確かめる。その性質は、ハーフである私も受け継いだようだ」
ネイアは説明をすると、再び匂いを嗅いだ――いや、温度を確かめた。
しかし、鼻を使って温度を計るというのは興味深いな。
我々賢族は、口に含む物の温度を確かめる時、主に舌を使う。
指を入れたり湯気に手を当てたりもするが、微妙な温度の差までは分からない。
これに関しては、俺はニヤアルタ族の特性を引き継ぎたいくらいだ。
俺は良く舌を軽く火傷するからな。
「それはとても便利な特性ですね」
「そうだろう?」
ネイアはそう言うと、そろそろ丁度いい温度になったのか、お茶を啜った。
「やはり、この味は口に合うな。ニャータはどうだった?」
「ええ、美味しかったです。こちらでは味わったことのない味でしたが、師匠の故郷に伝わるものなんですか?」
「ああ。子供の頃、父の姉、伯母が世話を焼いてくれてな。その時に良くこのお茶を出してくれたんだ。母についての多くは、その伯母から聞いた。とても優しく、気高い人だったらしい」
伯母か。
俺にはそれにあたる人はいないそうだ。
全員死んでしまったと両親から聞いた。
しかし、父の母、祖母は生きている。
とある事情があって会いに行くことは、少なくとも数年は叶わないだろう。
そんなことを考えながら茶を啜った。
その後、俺はネイアの母を称賛するように返事をする。
「ネイアに似て、素敵なお母さまだったんだと思いますよ。あぁ、ネイアがお母さまに似たんですね」
俺のささやかな間違いに、二人で笑いあった。
その後、もう暫く俺の事やハンター活動について語った。
ネイアは最初のような硬い雰囲気を捨て去り、とてもリラックスした態度で会話をしている。
そろそろ、気流操作の特訓を始めても良さそうだ。
「師匠、そろそろ特訓に行きませんか?」
「あぁ、そうだな。しかし、何から教えればいいのか……」
ネイアは、考えるポーズを取った。
訓練法については、俺が疑問に思ったことをその場で質問して、それに答えてもらう様にすれば問題ないだろう。
とにかく、まずはどのように鳥を墜落させるのかを肉眼で見てみたい。
「師匠、まずは実際に鳥を墜落させるところを見せてくれませんか?」
俺はお茶を飲み干すと、立ち上がってそう提案した。
「そうか……そうだな。まずは手本を見せよう」
ネイアもそう言うと、俺につられてお茶を飲み干して立ち上がった。
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俺とネイアは、森の比較的浅い所に足を運んで、手ごろな鳥型魔獣を探している。
標的は、「セゼネ」という魔獣だ。
この魔獣は、肉食ではない為、人族に殆ど害を及ぼさず、「初級/下位」に分類されている。
俺が目で注意深く辺りを見回していると、ネイアが突然小声ながらも力強い声で何かを訴える。
「ニャータ、静かに!」
俺はその訴えに従い、その場で静止して音を消した。
恐らく、ネイアの耳が「セゼネ」の音を感じ取ったのだろう。
そう思った俺は、ネイアの視線の方を確認すると、何とか視認できる距離に標的が佇んでいた。
10匹ほどの「セゼネ」は、大木の枝に止まって身を寄せ合っている。
「ニャータ、もう少し近づくぞ。静かにな」
そう言って、身をかがめて視認性を出来るだけ低くしながらゆっくりと近づいていく。
「セゼネ」との距離が数十メートル程に迫ってくると、ネイアが静止した。
「よし、今から作用魔導で一気に近づく。逃げた所を墜落させるから、よく見ておけ」
「了解」
そう言うと、俺は少し身体を起こして、視野を広げる。
そして間もなく、ネイアが凄いスピードでセゼネの元に接近した。
それにやや遅れ気味に反応して、セゼネたちが一斉に飛び立つ。
――その瞬間。
木々がざわめき、飛び立って間もないセゼネたちがパタパタと落下していく。
俺は、その光景を見て、一つ重要な事に気が付いた。
「ニャータ、何か掴んだか?」
手本を示した師匠がそそくさと俺の元まで歩いてきて、成果のほどを問うてきた。
そして、俺は気づいた重要なことを素直に話す。
「風が凄かったのは分かったのですが、どのような気流を発生させたのかは全くわかりませんでした」
俺の返事を聞いて、ネイアは少し黙った後、肩を落とした。
とはいえ、色んな方向の気流を発生させたというのは分かった。
これからは、その気流の方向やタイミングを聞けば、自ずとわかっていくだろう。
「でも、師匠。最初の一手と思われる気流を発生させた時、セゼネの動きが止まったように見えました。あれは、どうやったのですか?」
「……なんだ。重要なところには気が付いているじゃないか」
ネイアは、俺の質問を聞くと、項垂れていた頭をひょんと上げて、いつもの声色でそう言った。
どうやら、重要なのはそこらしい。
俺の目に移った光景では、一斉に飛び立った「セゼネ」は、最初に発生した風で動きを止めていた。
「あれは、真下からの突風によって動きを止めた。下から風が吹くなんてことは殆どないからな、経験を積むことも中々叶わないだろう」
なるほど、真下からか。
よくよく考えてみたら、そりゃそうだと思う。
とはいえ、突風を発生させる位置や強さの感覚を掴むのは難しそうだ。
ネイアはそれをあの数のセゼネにやって見せた。
流石に「中級/下位」の魔獣を墜落させるだけあるな。
俺はそれから数日間、実践してはネイア師匠に質問を繰り返し、徐々に技術を磨いていった。
風を発生させる際の力み具合や角度、位置の調整が困難を極めた。
最初は何となくで出来ていたことが、途中で全然できなくなったりもした。
その度にネイア師匠へ質問と助言を求め、諦めずに繰り返し特訓をした。
――そして、特訓を開始してから20日が過ぎた頃。
「はぁっ!!」
俺はいつもの事の様に下から突風を発生させる。
その後、右から左、上から下、斜め下から斜め上、弱い風から途端に強くなる風、そしてその逆を繰り返し、遂に「セゼネ」を落下させることに成功した。
「はぁ……はぁ……」
俺は、疲労感と高い脈拍によってリアクションが取れなかったが、後ろにいるネイア師匠の方を向いた。
すると、ネイア師匠は力強くうなずいた。
俺は、何とか気流操作を基礎を習得したのだ。
「やりましたよ師匠ー!」
そう言って、思わず師匠に抱き着く。
「わぁ! 馬鹿、抱き着くな!」
ネイアの言葉で我に返り、急いで離れた。
「しかし、まだ基礎が出来たに過ぎない。今からそれを確かなものにするために、同じことをし続けるぞ」
「はい!」
――それから数十日後、ネイア師匠と共に特訓を繰り返し、「初級/上位」の鳥型魔獣を墜落させることに成功した。
ネイア師匠は、そんな俺の気流操作にお墨付きを与え、無事免許皆伝となった。
その瞬間には思わずネイアに抱き着いてしまったが、今度は優しく頭を撫でてくれた。
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