side ー 家庭教師 

《side家庭教師》


 わたくしの名前はアーデルハイド。

 敏腕家庭教師として、数多くの淑女を育て上げましたの。


 すでに年齢は二十五歳に届くというのに、男性に触れたことはございません。

 これまでの実績を買われて、初めて男性の教師を仰せつかったというのに、このたびお暇を言い渡されて納得できないため直談判にやってまいりました。


「クビ? クビとはどういうことですの? 花婿教育はまだ二年も残っております!」


 これはわたくしにとって一斉一代の大仕事だと取り掛かりました。

 マクシム・ブラックウッド様は、他の男性とは違って真面目で素直な生徒でした。わたくしの教えを素直に聞き入れ、己を律する態度に、わたくしは何度も股を濡らしました。

 

 それは数えられないほどの数になり、夜のオカズに事欠くことはこれから一生ないと思っていた矢先です。


 クビなど納得できない。


「マクシム様が、花婿候補を辞退されました」

「なっ! 今のまま行けば間違いなくマクシム様が筆頭花婿候補なのですよ! 選ばれることは間違いないのですよ! それなのにどうして?!」


 私の対応をしてくれているのは、家令を務めるメリッサ殿だ。

 普段は、公爵様が領地を空けているため、領地の経営をされている。

 現在は公爵様の母君にあたる太公様が領地におられるので、こちらで家を取り仕切っておられる。


「申し訳ありません。男性の心変わりを理解することはできません」

「ならば、一目で良いのです。マクシム様に最後の別れをさせてはいただけませんか?」


 クビは仕方ない。

 だけど、一目、一目マクシム様に会いたい。


「わかりました。先生の熱心さに免じて、マクシム様に聞いてみましょう」

「ありがとうございます」


 メリッサ殿が席を外して、しばらく経つとマクシム様が現れた。


 いつも冷たい眼差しで、無表情、無感情。


 素直ではあるが、私に笑顔を見せたことなどない男性。

 

 最後に美しいお顔を見てお別れしたい。


「お待たせしました、先生」


 現れたのは、わたくしが知る冷たく、無表情で、無感情のマクシム様。


 ではない!


 柔らかな雰囲気で、わたくしに申し訳なさそうな顔を見せていた。


「アーデルハイド先生。今までお世話になりました。私のような者に一から様々ことを教えて頂きありがとうございました」


 優雅な雰囲気は、今までもお持ちでした。

 ですが、それは凛々しさの中で毅然と潜む優雅さで。

 柔らかで貴族としての優雅さとまた違っていた。

 現在、目の前に座るマクシム様は、ソファーに座って足を組む姿勢を取られ、真面目で前のめりに座っていた前とは明らかなに違う。


 無表情で、わたくしが話しかけても反応がなかった顔は、優しい微笑みを讃え。


 無感動だと思っていた感情の起伏は、わたくしに対する感謝と申し訳なさが伝わってくる優しさを含んでいる。


 目の前にいるのは誰? カッコ良すぎて、今までのわたくしが見ていたマクシム様とのギャップに洪水が起きている。


「まっ、ままっママっマママママッマ、マクシム様」

「はい。アーデルハイド先生。どうしました?」


 小首を傾げて可愛らしい仕草。

 わたくしが指導しているときは、そんな姿を一度も見たことがない。


 わたくしは砂になって散ってしまいたい。


 こんなにも素敵な姿を引き出すことができなかった。

 わたくしにできたことは、勉強を厳しく教えて、立派な大人になることだけだ。

 それはつまらない大人を作る手伝いをしていただけで、彼のような垢抜けることはなかっただろう。


「わたくしは、自分が恥ずかしいです」

「えっ?」

「これまでの教育人生で、わたくしは多くの女性たちの指導をしてきました。ですが、マクシム様のように開花された方は初めてです。良ければ、どうやってマクシム様は今のご自身に気づくことができたのか、教えてはいただけませんか?」


 わたくしの質問が意外だったのか、しばらく考えたマクシム様は、困ったような顔をしていました。


「多分、先生が教えてくれたんです」

「えっ?」

「本当に大切なことに気づかせていただきました。ですから、私は大切な人や、自分が大切にしたい物のために生きたいと思います」


 羨ましい。


 彼に、マクシム様に大切に思われる人が、私はクビになる。

 つまり、私はマクシム様の大切な人の中に入れてもらえなかった。


「先生には、感謝しています。ですから、これを受け取ってください」

「えっ?」


 そう言って差し出されたのは、花が刺繍されたハンカチだった。


「これは?」

「拙いですが、僕が刺繍をしました」

 

 わたくしは教えていない。

 刺繍は、これからの二年で教えるつもりだった。

 そうか、もう私は教えることすら無くなってしまっていたんだ。


 雰囲気も、刺繍も、勉強も、マクシム様に私は必要ない。


「ありがとうございます! 大切に使わせていただきます」


 マクシム様にいただいたハンカチは宝物にしよう。


 幸い、わたくしは次の教え子が決まっている。

 次も男性の指導をすることになる。

 だから、次の男性にはマクシム様と同じように、素敵な男性になってもらうための教育をしよう。


「アーデルハイド先生。これまでありがとうございました」


 マクシム様は立ち上がって握手を求めてくれる。

 私は、初めて男性に触れることを許されました。


 できることならば、この身を全て捧げたい。


 それほど素敵な成長をされたマクシム様にわたくしは失恋を自覚しました。

 



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