第二幕⑦


「じゃあ、もう、なんだ。それでいい」

「承知しました。では次に……殿下は『弟君』、久遠が皇帝陛下のごらくいんだと、何を理由に確信されたのでしょうか」

「ああ! その設定なら考えてあるぞ」


 途端に伯蓮の表情に、ふてぶてしいまでの笑みが戻ってくる。彼は己の懐をまさぐると、令花に手中の物を差し出した。

 それははいぎょく、つまり帯にぶら下げて使う装身具だ。

 丸く磨かれたすいでできており、夏輪国では宮廷の高官あるいは貴族、皇族でなければ身に着けることは許されない。

 わけても今、目の前にある物のように、麒麟の姿が浮き彫りにされている佩玉は特別だ。今上陛下の血を引く男子、すなわち皇子にのみ所持が許された品なのだから。


「こ、これは……」

「受け取れ」


 言われるがままに、令花は佩玉を拝領する。手のひらの上に載ったその表面はひんやりしており、そして見た目よりもずっしりと重たい。


「どうやら、麒麟の佩玉の意味は知っているようだな」


 にやにやしながら、伯蓮は語る。


「それを持つのは、皇子しかいない。つまり偶然出会った子どもが麒麟の佩玉を持っていて、しかもそれが父から託されたものだと語ったとしたら……相手が皇子だと確信するのは、当然だろう?」

「……」

「ああ、その佩玉のどころなら心配しなくてもいいぞ。俺の分をくしたと言って、もう一個貰もらってきたんだ」


 彼は自分の腰帯にぶら下げてある佩玉を手でいじりつつ、ふんと鼻を鳴らした。


「病弱な弟は、その佩玉こそが自分の身のあかしだと思って、今日これまでを懸命に生きてきた――というのでどうだ。これならなんの問題も……」

「それはおかしいですね」


 ぴたりと伯蓮は語るのをやめる。しかし令花は、気にすることなく続けた。


「佩玉が身の証だと知っていたのなら、天涯孤独になった段階で、わらにもすがる思いで宮廷に保護を求めていたのではないでしょうか。佩玉を掲げれば『自分は皇子だ』と主張できるのですから……」

「あーそうか、わかったわかった!」


 やや大きな声で伯蓮はこちらの言葉を遮った。

 了承と受け取り、令花は対案を述べる。


「では、『物売りに佩玉に似た物を持っていこうとする姿を見つけて話しかけてみたところ、少年は母を亡くし、天涯孤独で生活に困ったので、戸棚から見つけたこの品を売ろうとしたのだと語った。よくよく話を聞いてみれば、少年の母がいつか貴き方とおうを重ねたと語っていた時期が、皇帝陛下が行幸なされた時期とぴったり一致していたので……』ということでいかがでしょうか」


 流れるようにそこまで語った後、令花は伯蓮をまっすぐ見つめる。


「設定を設定で塗り固めるより、ある程度曖昧なほうが、かえって真実味が増します。それに久遠の設定も、自らの出自をこれまで知らなかったというほうが、より純粋なわいらしさを演出できるかと。ちょうど先日、そのような人物が出る物語を読みましたので」

「……じゃあ、それでいい」


 どことなく居心地が悪そうに、伯蓮は応えた。

 とはいえ平民であった『弟君』が堂々と佩玉をつけて歩くというのもうそくさい印象を与えそうなので、令花はそれを身に着けることなく、大事にしまっておくことにした。


 それから、令花と伯蓮は短い打ち合わせがてら何度か練習を行った。

 すなわち台本の読み合わせをしたのだが、結局のところは、令花の『久遠』としての言動が伯蓮の意にかなっているかどうかの確認の意味合いのほうが大きかった。

 伯蓮は実に自然に、つまりわざとらしくなることなく、弟への思いやりあふれる貴公子としての対応をこなしてみせたのである。

 令花はあんすると共に、素直に感服した。


「では、この台本は用済みですし燃やしましょう」

「も、燃やす?」

「証拠が残るほうが危険ですから。ご心配なく、この紙は胡家秘伝の製法で作られたものですので、すぐに着火しますし煙も人体には無害です」


 台本は炉の中でれいな炎と化す。その様を見つめる伯蓮は、なぜか気まずそうだった。

 そうこうするうちに、ちょうど宴へ向かうのによい頃合いとなったが――


「そういえば殿下、この部屋からの移動はどうすればよろしいでしょうか? この建物には人が近づかないようにしておりますが、万が一のこともありますので、いっそのこと地中を掘って進もうかと……」

「もぐらかよ。いや、その必要はない」


 部屋の隅にある一柱を軽く手で擦りつつ、彼は言う。


「東宮には古くから伝わる隠し通路が至るところにある。例えばここの装飾を、五つ数える間に続けて八回押すと……」


 話すのに合わせて伯蓮が浮き彫りの花の装飾を押せば、ほとんど音も立てずに、壁際の飾り棚が扉のように開く。


「まあ……!」


 さすがの令花も、これには目を丸くした。


「俺が『胡家の悪姫』の部屋から出てくるのは誰に見られたとしても構わないが、久遠が『悪姫』の部屋から出てくるのを目撃されてはまずいからな」


 伯蓮はふっと目を細める。


「この通路を通っていけば、東宮の入り口近くの植え込みの中に出られる。お前はそこで待っていろ、陳を使いにやる」

「有事に備え、このような仕掛けがあるのですね。仰せの通りにいたします」

「よし」


 確認するように小さくうなずいた後、伯蓮はそっと歩み寄ってきた。

 それからぐっと膝を曲げ、こちらに視線を合わせるようにすると――


「では、頼んだぞ。久遠」


 かけられたのは、ささやくような優しい言葉。

 それと同時に伯蓮の手が伸び、ぽんぽんと二回、頭に温かなものが触れるのを感じた。

 ――でられたのだ。けれども令花はもちろん、それに臆するでもない。


(殿下はもう、兄としての役に入っておられるのね)


 だから屈託なく、久遠としての声音で、こう答えるのだった。


「はいっ、兄上! お任せください」


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