第二幕④


「で、では…… せんえつながら、私から」


 やがて最初に口を開いたのは、やはり先ほど声を発した、美しい黒髪の女性だ。


「私は、こうずいしょうと申します。学士の一族の、末席に座す者でございます」


 震えながらも、一瞬だけ彼女、瑞晶は顔を上げた。伏し目がちのその容貌は、たおやかかつ清廉な印象だ。


(孔家といえば……確か、歴史学などの分野で素晴らしい功績を残されているご一族ね)


 勉学の一環として、孔家に属する学者が著した書物を何冊も読んだ記憶がある。


(あの一族のご出身なら、きっと瑞晶殿も博識でいらっしゃるはず。もしお話しできれば、楽しい時間を過ごせそう!)


「中身の詰まった頭であれば、落としがいもあるものだけれど」


 令花は本心の一部を、『悪姫』の口から告げた。瑞晶は短くヒュッと音を立てて息をみ、口をつぐんでしまった。


「……次は私だ」


 続いて声を発したのは、髪をきりりと高い位置でひとまとめにし、軽装ではあるがしいよろいを纏った女性だ。


「私は、じょぎんうん。右将軍・徐せきが一子。太子妃候補として東宮に参じた身ではあるが、己が使命は、の民を守ることにあると自負している」


 自分自身を鼓舞するように、銀雲は言う。なぜわざわざこんな所信表明をしたのか、といえば――目の前にいるのが、この夏輪国に巣食う(とされる)巨悪だからに違いない。

 切れ長の瞳の奥では、恐怖に押しつぶされそうな闘志の炎がくすぶっているのが見える。


(徐将軍はごうで忠誠心にあつい方だと、お父様たちがお話ししていたような。それに、太子妃候補としてだけではない使命を帯びていらっしゃるなんて、親近感を覚えるわ)


 頭の中ではそう応えつつ、『悪姫』はあざわらうようにこう返す。


「これはこれは、勇ましいこと」

「くっ!」


 こちらの一言を受けて、銀雲はあたかも一撃らったかのようなうめきをあげて体勢を崩した。

 瑞晶が心配そうな視線を送る中、ずっと頭を両手で抱えるようにしていた女性――というより、少女と言ったほうが適切かもしれない年格好の人物が、口を開く。


「あ、あたしの名前ははく…… りん琥珀、です」


 青ざめて半泣きになっていなければ、きっと誰もが振り返る美少女だろう。自然にそう思えるほどに、琥珀と名乗った少女は子猫のようにいらしかった。


てい州の、た、太守の孫娘で……ぐすっ……ど、どうか命ばかりはぁっ!」


(ああ、そんなに緊張なさらなくても大丈夫なのに)


 こういう時、つまり『悪姫』を恐れるあまりに体調を崩しかねないほど震えあがる人を見る時だけ、令花の胸はちくりと痛む。けれど恐れられることこそが胡家のため、ひいては夏輪国のためになるのだ。変な手加減をするわけにはいかない。

 令花は無言のままに、ただ口の端をふっとり上げた。

 平伏している相手に対して、こちらは立ったまま、視線だけを下に動かす。

 圧倒的強者、しかも傲岸不遜、悪逆非道な者だけが見せる「見下しの笑み」――これこそが『悪姫』の真骨頂。

 処刑宣言のような視線を受け、琥珀はぴぃと甲高い声をあげて白目をいた。瑞晶と銀雲も、同様にびくりと身を震わせて青ざめている。


 するとそこで、勢いよく立ち上がった人物がいた。

 伯蓮のすぐ隣、恐らく席次から見て一番立場が高いと思しき女性――だいだい色のさんくんを品よく着こなした、ややふくよかな印象のあるその人は、丸顔を怒りで紅潮させ、まなじりを決して叫ぶ。


「あっ、あなたっ、いい加減になさい!」

「なっ……!?」


 言葉もない驚きを発したのは瑞晶だ。それ以外の二人、銀雲と琥珀も、時が止まったように顔を引きらせている。


「だ、駄目……! 気を静めてください、こうぎょく殿! でなければ、あなたの命が」

「いいえっ、瑞晶殿! もう黙ってなんていられませんわ!」


 紅玉、と呼ばれた橙色の衣服の女性は、激しく頭を振るようにして言った。


「いっ、いくらあの胡家の令嬢だからといって、このような無礼な方に、どうして私たちが平伏せねばなりませんのっ!」


 紅玉はぜんと『悪姫』を指さすと、もう片方の手を強く握りしめた。


「このそう紅玉、商業のすいたる家の者として、『悪姫』に屈するわけにはいきません!」


(まあ、荘家!)


 令花にはぴんと来るものがあった。


(荘家は、押しも押されもせぬ大商家。『荘の棚になき物は来世で取り寄せよ』という言葉があるほど、なんでも手に入る素敵なお店をいくつも経営なさっているとか)


 夏輪国の成立時にも、そん家を財政面から支えたという逸話がある、由緒正しい商人の家系だ。

 きっと紅玉もそれを誇りに思っていて、だからこそ、彼女らの目から見れば不遜でしかない『悪姫』の態度に義憤を覚えたのだろう。


(紅玉殿は、恐怖を振り払ってでもしき者に立ち向かう、強い正義感をお持ちなのね)


 令花は素直に感嘆したが、ここでそれを口にはできない。

 だから『悪姫』としてもう一度、口の両端を吊り上げてみせた。さっきよりももっと嘲りの色合いの濃い、「面白い芸を見た」と言いたげなほほみをあえて浮かべる。


「ひっ!」


 女性たちの悲鳴が唱和したように響く中、『悪姫』は一歩、彼女らに近づいた。

 それから、悪役らしい余裕と威厳をたっぷりと保ったまま、おもむろに告げる。


「素晴らしいご挨拶だったわ。しかし震える手は隠しておっしゃることね」

「うっ!」


 小刻みに震えていた手を、紅玉は袖の中に隠した――なぜか、陳も手を隠しているのが横目に見えた。それはともかく、『悪姫』は相手を見下しながら、続けて語る。


「私の名は、申し上げるまでもありませんね。そして命が惜しければ、よく理解なさい。私を煩わせた者たちが、これまでにどのような目に遭ってきたか」


 クククククク、と喉だけを鳴らして笑う。夜鳴きする怪鳥の声にも似た、母からも「夢に出てきそうでした」と好評を受けた、悪女としての朗らかな笑い声だ。

 女性たちは、身を寄せ合うようにしながら青ざめた。


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