第二幕②


(……いいえ。皇家の方をお支えするのが、胡家たる者の責務。それに初対面の方のことを、訳知り顔で評するべきではないわ)


 もしかしたら、何かやむにやまれぬ事情があるのかもしれない。

 第一、伯蓮の命令に背けば『胡家の悪姫』の正体が衆目にさらされてしまうのだ。たとえ少し納得できないところがあろうとも、任務に集中しなくては。

 そう気分を切り替えている令花を置いて、伯蓮はさらに語る。


「いいか、きさきになれとは言ったが……あれはあくまでも妃候補としてお前を東宮に入れるという意味だ、本気で娶りたいわけじゃない。本命は弟役のほうだ」

「とおっしゃいますと?」

「例えば、こういう話はどうだ」


 軽く腕を広げるようにして、伯蓮は続けた。


「『実は皇太子には病弱でけなな弟がいて、面倒をみてやらねばならない』……『弟が元気に独り立ちするまで、皇太子は心配すぎて、とても太子妃をとる気になんてなれない』と。こうなれば、太子妃を選ばずにふらふらしていても、誰にも文句はつけられないだろう?」


 妃候補として『悪姫』を東宮に入れるのは、単なる手段。真の目的は、皇太子として地盤を固めない言い訳のために、架空の都合のいい弟の役を令花に演じさせることなのだ。

 そう頭の中で纏めつつ、令花が気にかけているのは、もっと別の事柄である。


「病弱で健気な弟君、ですね……」


 あいづちを打ちながら、素早く頭の中で『病弱で健気』の具体的な姿を思い浮かべていく。

 演技にあたって最初にするべきなのは、この想像という作業だ。これまでのけんさんや人間観察で得てきた情報から適切なものを頭の中で拾い上げ、組み合わせて、自分の演技の計画を練らなくてはならない。


「うーん。しかし、殿下にそのような弟君はいないとご存じの方も多いはず。畏れながら、私が演じたところで、事実を知る方々には信じていただけないのではないでしょうか」

「いや、問題ない」


 やけにきっぱりと、伯蓮は断言してみせた。


「お前、父上の後宮に何人のひんがいるか、知っているか?」

「い、いいえ」

「気にするな、俺も知らない。つまりそれくらい多いんだ。はっきり知っているのは、後宮に仕える宦官かんがんたちくらいだろう。それぞれの妃嬪との間に全部で何人の子がいるかは、父上すらも覚えてはいまい」


 それに、と彼は言葉を重ねる。


「父上は、まあ最近になってようやく落ち着いたが、ほんの少し前まではそういう、、、、関係が乱れに乱れていてな。後宮の外に、個人的に親しい関係の婦人がいたことなんて、一度や二度じゃないんだ」


 だから、誰にも知られずにひそかに生まれた皇帝の子がいたとしても、何もおかしくはない。むしろ皇帝の私生活に詳しい者であればあるほど、「ああ、やっぱりそういう子がいたのか」と納得してしまうだろう、と伯蓮は語った。

 皇族でなければ口にできないような話ではあるけれども、聞いて令花も納得できた。


「では私は殿下とは母上違いの、いわゆる庶子の役なのですね」

「そういうことだ。つまり筋書きはこうなるな。『皇太子は、母を亡くし貧しい暮らしをしている病弱な少年と、外出先の街で偶然出会った』、『少年の父が実は皇帝であるとわかり、血を分けた弟の惨状を見るに見かねて、皇太子は少年を東宮に迎え入れた』」

「ふむ、ふむ」


 令花は何度も頷いた。


「基本設定は理解できました。細かいところを詰める必要があるかと存じますが、今しばらくお時間をいただければ幸いです」

「そこまで気負わなくていいさ。適当にやれ、適当に」


 ひらひらと片手を軽く振りながら、伯蓮は言う。


「ただ男装して、ちょっと病弱そうな感じで、俺の隣に立っていてくれればいい。後の時間は好きにしていろ。『胡家の悪姫』を東宮に呼んだのは、そのほうがお前に弟役をさせるにあたって都合がいいからだ。『悪姫』がいれば、他の妃候補へのけんせいにもなるだろうしな」


(ふーむ……)


 ――適当にやれ、と殿下は仰った。


(つまりはご要望にかなう、最高の演技をお望みになっているのね!)


 適当という語のもう一つの意味を、令花はよく知らない。


「承知いたしました」


 改めて、深々と伯蓮にこうべを垂れる。


「では速やかに東宮に伺えるよう、万事整えてまいります」

「ああ。俺のほうでも支度がある、来るのは五日後の正午でいい。弟になる件については、くれぐれも内密に頼む。お前の家族にもな」


 そう言って、伯蓮は今一度、こちらをじっと見据えた。

 その唇が美しい弧を描く様を、令花はつい、まじまじと捉えてしまう。


「では期待しているぞ、『胡家の悪姫』。うまこと、皆をだましてくれよ」

「かしこまりました、殿下」


 きょうしゅして、令花は桃園を退出する。


(真の貴人は、あのようにほほまれるのね。演技の参考になる……)


 そんなことを考えながら。



 ***



 しかし思い出すうちに、疑問が胸のうちで頭をもたげてくる。


(そういえば、どこで私の本性をお知りになったのか……殿下にお尋ねできなかったわ)


 胡家の内の誰かがろうえいさせたとは考えられない以上、伯蓮が真実を知り得る経緯は限られてくるはずだ。


(もしかして皇家の方々は、何かすごい情報網をお持ちだとか?)


 とはいえ『壁の耳』の異名が示す通り、そういった情報網はすべて胡家が一手に握っているのだ。だから、そこから令花の正体が漏れるというのも考えづらい。


(……ここでどれだけ考えたところで、憶測にしかならない。今は、私にできる最善の演技をお見せするしかない)


 そう考えつつも、思い返せば返すだけ、煮え切らない気持ちが湧き上がってくる。

 だが、その時――窓の外の雰囲気が変わったのに気づいた令花は、『悪姫』らしい余裕をもって、そっと窓を開けてみた。

 いつの間にか朱雀すざく門を通り過ぎ、ごく限られた者しか進入を許されない場所へとやって来ていたらしい。


(なんて美しい、瑠璃瓦の屋根……!)


 瑠璃のうわぐすりを使った瓦は、火を入れると鮮やかな黄金色になる。

 辺りに広がるのは壮麗にして荘厳な、日常と隔絶された神秘的世界。

 令花も今はすべてを忘れて、外の景色に見入ってしまう。

 そして伯蓮の待つ東宮は名の通り、宮城の東――りんを模した装飾に彩られたひときわ立派な門を、くぐり抜けた先にあるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る