第二幕 久遠、溺愛されること

第二幕①


 はくれんと密約を交わしてから、五日後のこと。


「……では、行ってまいります」


 声音も装いも『あっ』となっているれいは、居並ぶ家族や関係の深いそばづかえたちに、深く一礼した。

 これから馬車に乗り、禁城へ。東宮で待つ、伯蓮のもとへ向かう。


「くれぐれも、身体からだに気をつけるのですよ」


 目を潤ませてそう告げた母の隣で、父は過日と同じ面持ちで、同じ言葉を短く告げた。


「務めを果たせ」


 端から聞けば、冷酷な言葉に聞こえるかもしれない。けれど言葉の裏に込められた愛情を知っているから、『悪姫』はもう一度こうべを垂れて、しっかりと応えた。


「はっ、かしこまりました。皆様もどうか、お元気で」


(殿下のため、家のため、そしてりんこくのため。私、精一杯頑張ってきます!)


 心の中でもそう告げてから、令花は馬車へと乗り込んでいく。

 御者が馬に合図を送り、静かに出立する。邸宅を出て、禁城へと続くまっすぐな大通りを馬車で進んでいくと、往来を行く人々のどよめきが聞こえてきた。


「み、見ろ。やっぱりうわさは本当なんだ、『胡家の悪姫』が東宮に入るって!」

「なんてことだ……! まさか皇家がいよいよ胡家にむしばまれるとは」

「終わりじゃあ! この国は終わりじゃあ!」


 嘆く人々の声を聞いても、『悪姫』はまったく動じない。座席についたその時の姿勢のまま、涼しい顔でただ前方を見据えている。

 しかし、当の令花本人はといえば――


(ふわぁ……うーん、いくらなんでも、ここ最近寝不足すぎたかしら)


 欠伸あくびを嚙み殺すのに必死だった。


(殿下からのご用命に応えるための準備に、思っていた以上に時間がかかってしまったわ。初めての役柄を演じるのには、やはり相応の手間がかかるものなのね)


 東宮で『悪姫』を演じるというのはともかく、伯蓮の弟となれという命令――

 こちらについては、家族にも内緒にして出立してきた。殿下と二人だけの密約、ということになっているからだ。

 今も、弟を演じられるその瞬間を待ち望んで胸が躍っているのは確かである。

 けれど、どうもすっきりしない気持ちもあった。

 それは五日前、とうえんで伯蓮の下知を受けた時の問答のせいだった。



 ***



「――恐れ入りますが、いくつか伺ってもよろしいでしょうか」


 桃園にて、新たな役柄を引き受けたその直後。令花の問いかけに、伯蓮は軽くうなずいた。


「いいぞ」

「ありがとうございます。では」


 一番大きな疑問を、相手にはっきりぶつける。


「なぜ私に、殿下の弟君の役をお申しつけになるのですか? どのようなご事情が……」

「うん? ああ、とても深刻な理由があってな。つまり」


(……つまり?)


 伯蓮は目を細めると、おもむろに自分の胸に手を当てて答えた。


「俺は気楽に生きたいんだよ」

「えっ」


 きょとんとする令花が面白いのか、伯蓮はふふんと鼻を鳴らす。

 それから、軽く肩をすくめるようにしてこう続けた。


「堅苦しい生活なんて、まっぴらごめんだからな。そもそも立太子されたのだって、こちらからすればいい迷惑なんだ。だというのに勝手にまつり上げられて……このうえ太子妃まで迎えたら、いよいよ自由ってものがなくなってしまう。そうは思わないか?」

「は、はあ」


 こちらの気の抜けた返事をものともせず、伯蓮はさらに述べ立てる。


「父上がご存命だというのに、次代のことばかり考えるのも不敬というものだ。どうも宮廷の連中は頭が固くて困る。ともかく俺はまだ妻帯する気はないし、皇太子として地盤を固めるつもりもない。だからそのために、お前の力を借りようというんだよ。胡令花」


 予想だにしていなかった言葉を、理解するのだけでも大変だ。

 令花はしばし黙って考えをまとめてから、うかがうようにそっと尋ねた。


「つまり殿下には、太子妃をめとるおつもりはなく……自由な暮らしを続けるために、私にご命令を下されたと?」

「ああ。俺は好きな時に好きな場所で、好きなように戯れたり、昼寝をしたり、思うさま酒を楽しんだりする毎日を守りたいんだ」


 堂々と、そしてへらへらと、皇太子殿下はそんなことを言う。その態度は王者らしく不敵というよりは、むしろ無責任というか、ふてぶてしさを感じるものだった。


(なんてこと……!)


 今の伯蓮の発言は、令花の基準では「自分勝手」に分類される。

 言うまでもなく皇太子とは、未来の夏輪国を担う責任ある立場だ。なのに立太子から四年った今でも、遊び放題したいから太子妃なんて要らない、そもそも帝位を継ぎたくなんてなかった、なんて――

 己の責務と向き合わず、逃げ出そうとしている発言にしか思えない。


(お父様たちのお話とは、まったく違うお人柄だわ。確かにとてもお美しい方ではあるけれど、なんというか……すごく……身勝手!)


 期待を裏切られたからというよりは、信頼する家族が語った内容とのあまりのかいに衝撃を受けたといったほうが正しい。

 そう思って見てみると、伯蓮の装いがややほうらつなのも「これが公務ではないから」ではなく、単に内面のあらわれのような気がしてしまう。

 伯蓮からの下知について話していた時に、父の様子がどことなくおかしかったのも、もしや本人の性格が噂とかけ離れたものだと知っていたからなのでは?

 そんな人物のたくらみの、片棒を担ぐことになるだなんて――



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