第二幕 久遠、溺愛されること
第二幕①
「……では、行ってまいります」
声音も装いも『
これから馬車に乗り、禁城へ。東宮で待つ、伯蓮のもとへ向かう。
「くれぐれも、
目を潤ませてそう告げた母の隣で、父は過日と同じ面持ちで、同じ言葉を短く告げた。
「務めを果たせ」
端から聞けば、冷酷な言葉に聞こえるかもしれない。けれど言葉の裏に込められた愛情を知っているから、『悪姫』はもう一度
「はっ、かしこまりました。皆様もどうか、お元気で」
(殿下のため、
心の中でもそう告げてから、令花は馬車へと乗り込んでいく。
御者が馬に合図を送り、静かに出立する。邸宅を出て、禁城へと続くまっすぐな大通りを馬車で進んでいくと、往来を行く人々のどよめきが聞こえてきた。
「み、見ろ。やっぱり
「なんてことだ……! まさか皇家がいよいよ胡家に
「終わりじゃあ! この国は終わりじゃあ!」
嘆く人々の声を聞いても、『悪姫』はまったく動じない。座席についたその時の姿勢のまま、涼しい顔でただ前方を見据えている。
しかし、当の令花本人はといえば――
(ふわぁ……うーん、いくらなんでも、ここ最近寝不足すぎたかしら)
(殿下からのご用命に応えるための準備に、思っていた以上に時間がかかってしまったわ。初めての役柄を演じるのには、やはり相応の手間がかかるものなのね)
東宮で『悪姫』を演じるというのはともかく、伯蓮の弟となれという命令――
こちらについては、家族にも内緒にして出立してきた。殿下と二人だけの密約、ということになっているからだ。
今も、弟を演じられるその瞬間を待ち望んで胸が躍っているのは確かである。
けれど、どうもすっきりしない気持ちもあった。
それは五日前、
***
「――恐れ入りますが、いくつか伺ってもよろしいでしょうか」
桃園にて、新たな役柄を引き受けたその直後。令花の問いかけに、伯蓮は軽く
「いいぞ」
「ありがとうございます。では」
一番大きな疑問を、相手にはっきりぶつける。
「なぜ私に、殿下の弟君の役をお申しつけになるのですか? どのようなご事情が……」
「うん? ああ、とても深刻な理由があってな。つまり」
(……つまり?)
伯蓮は目を細めると、おもむろに自分の胸に手を当てて答えた。
「俺は気楽に生きたいんだよ」
「えっ」
きょとんとする令花が面白いのか、伯蓮はふふんと鼻を鳴らす。
それから、軽く肩を
「堅苦しい生活なんて、まっぴらごめんだからな。そもそも立太子されたのだって、こちらからすればいい迷惑なんだ。だというのに勝手に
「は、はあ」
こちらの気の抜けた返事をものともせず、伯蓮はさらに述べ立てる。
「父上がご存命だというのに、次代のことばかり考えるのも不敬というものだ。どうも宮廷の連中は頭が固くて困る。ともかく俺はまだ妻帯する気はないし、皇太子として地盤を固めるつもりもない。だからそのために、お前の力を借りようというんだよ。胡令花」
予想だにしていなかった言葉を、理解するのだけでも大変だ。
令花はしばし黙って考えを
「つまり殿下には、太子妃を
「ああ。俺は好きな時に好きな場所で、好きなように戯れたり、昼寝をしたり、思うさま酒を楽しんだりする毎日を守りたいんだ」
堂々と、そしてへらへらと、皇太子殿下はそんなことを言う。その態度は王者らしく不敵というよりは、むしろ無責任というか、ふてぶてしさを感じるものだった。
(なんてこと……!)
今の伯蓮の発言は、令花の基準では「自分勝手」に分類される。
言うまでもなく皇太子とは、未来の夏輪国を担う責任ある立場だ。なのに立太子から四年
己の責務と向き合わず、逃げ出そうとしている発言にしか思えない。
(お父様たちのお話とは、まったく違うお人柄だわ。確かにとてもお美しい方ではあるけれど、なんというか……すごく……身勝手!)
期待を裏切られたからというよりは、信頼する家族が語った内容とのあまりの
そう思って見てみると、伯蓮の装いがやや
伯蓮からの下知について話していた時に、父の様子がどことなくおかしかったのも、もしや本人の性格が噂とかけ離れたものだと知っていたからなのでは?
そんな人物の
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