第2話『エンジェル探偵』

「あかんっ、またやられてもうた!」


 新聞を読みながら、しーちゃんはボサボサの黒髪をかきあげます。

 新聞の一面には、にこやかに手を振る怪盗ビックボインと、何故か手を振り返す私がデカデカと掲載されておりました。


「ちょっと見せてくださいっ」


 しーちゃんから新聞を奪い取り記事を読みます。


『【怪盗ビックボイン、エリクシーラ二世が愛用した小顔ローラを盗む】

 昨夜、王都美術館に予告状を出した怪盗ビックボインは、予告時間ピッタリに現れ、現場に待ち構えていた探偵を軽くいなし、宝を奪い逃走。

 途中、偶然居合わせたはんなり探偵事務所所長、はんなり探偵明智翔子と、エンジェル探偵シャーロット・ワトスンが応戦し、上空十二メートル、屋根の上で追跡劇を繰り広げるが––––怪盗ビックボインがふわりと宙を舞い(下記の写真参照)、追跡を振り切る』


 写真には昨夜の光景が、マジマジと写しだされ、『闇夜に舞う夜の蝶怪盗ビックボイン』と銘打った写真では、間違いなく空中を舞う怪盗ビックボインが写っています。


 この鮮やかな手際、流石は怪盗ビックボインといった所でしょうか。

 怪盗ビックボインは、「芸術品や美術品を盗むのなら、芸術的にそして美しく盗むのが一流の怪盗」という謎のポリシーを掲げる怪盗の中の怪盗です。

 昨夜の空中浮遊も、おそらくその一環でしょう。

 逃げる時も美しく逃げる。

 怪盗ビックボインは、その高貴なポリシーと、ビックボインの名前の由来となる大きなバスト、さらに優れた外見を持ち合わせ、巷ではアイドル的な人気を誇る怪盗です。


 怪盗ビックボインを見たいが為に遠くから王都を訪れる人までおり、一つの観光資源として成り立っていると言えばその影響力も分かると思います。


 えーと、続きは––––


『その後怪盗ビックボインは、可愛すぎる探偵として最近人気急上昇中のエンジェル探偵に手を振り、何故か手を振り返すエンジェル探偵(上記写真参照)』


「ホンマにシャロは、メディア受けえぇなぁ」

「むうぅぅぅっ! またバカにして!」


 私の肩越しから新聞を覗き込むしーちゃんは、からかうように笑いました。


「ちゃう、ちゃう、羨ましいと思っとるで」


 絶対バカにしてます。

 全く。

 大体エンジェル探偵の二つ名も気に入ってないんですから。

 王都探偵学院を卒業した探偵には二つ名が与えられ、特別な事情がない限り、その探偵の特徴を捉えた二つ名が与えられます。

 エンジェル探偵と言いますのは、外見が天使のように可憐だからという意味らしいです。


 つまり私の場合。

 外見が可愛いくらいしか探偵としての特徴が無かった––––というわけです。


 探偵としての能力が劣っている落ちこぼれ探偵。

 それが私の現状です。

 王都探偵学院も主席のしーちゃんと違って、ギリギリでの卒業でした。

 成績も多分……下から数えた方が早いくらいです。

 人のために、困っている人の役に立ちたいと思い志した探偵業ですが、私には荷が重かったと言わざるを得ません。

 今回も怪盗ビックボインに軽くあしらわれるどころか、手を振られてしまいましたし。

 ……続きを読みましょう。


『エンジェル探偵は先月行われた探偵人気投票で二位に五倍以上の票差を付け一位となり––––』


 ここは飛ばしましょう。

 下の方に今回の事件の総括と……あっ、私たちの探偵事務所のことについて、マイナスな印象を書かれちゃってますね。


『今回の件で、はんなり探偵は怪盗ビックボインに対して7連敗となり、はんなり探偵事務所の評価は下落し続ける一方であり––––』


「シャロ、新聞まだ読みかけなんやけど」

「ごめんなさい、返しますね」


 しーちゃんに新聞を返してから、簡単に朝食の準備を始めます。

 私達の探偵事務所は、都心部の中央に位置する二階建ての一軒家です。

 立地が凄くいいので、家賃がとても高いです。

 探偵業はかなりの高収入でして、普通でしたら払える額なのですが––––私達は、新聞に書かれていた通り、怪盗ビックボインに7連敗中でして、その敗北が事務所の評判を落とし、仕事が減ってしまいました。

 毎月カツカツの貧乏生活です。

 なので、今日の朝食も、パン一枚を半分に切り、真ん中にちょこっとだけバターを塗ったトーストになります。


「出来ましたよ」

「出来ましたよ––––じゃあらへんわ!」


 しーちゃんは私が作ったトーストを見て、声を荒げます。


「文句があるなら、もっと家賃の安い場所へ、引越しませんか?」

「んな、必要はあらへん! 怪盗ビックボインを捕まえれば、事務所の評判も回復するし、仕事も増えるやろ!」


 その怪盗ビックボインを捕まえられれば苦労は無いんですけどね。

 しーちゃんは半分のトーストを二口でペロリと食べてから、椅子に深く座り直しました。


「……飛ぶのはどう考えてもおかしい」

「それはそうですけど」

「何らかのトリックがあるはずなんや」

「アレじゃないですか、ほら巻き尺みたいな物を使ってですね、身体をビューンと上に引っ張るんです」

「アホか、巻き尺に掴まってぶら下がってみぃ。落ちるやろ」


 私の考察は、しーちゃんに一瞬で否定されました。

 しかし、私も引き下がりませんよ。


「もっと強力なやつを使うんです!」

「あのな、怪盗ビックボインの体重を仮に五十キロだとして、あの距離をあのスピードで引っ張る力を身体にかけたら骨折するで」

「そうなんですか?」

「そうなんや」


 そう言ってしーちゃんは再び新聞に目を落としました。

 毎回、毎回、怪盗ビックボインにはお手上げです。

 敗北の理由はいつも同じ。

 怪盗ビックボインの華麗な逃走、トリックを用いた不可能とも言える逃走手段の方法が分からず、追跡不可能になってしまうことです。


 今回で言えば、からです。


 対怪盗の基本的な戦法としまして、用いられたトリックの即時特定が必須になります。

 現場で素早くトリックの謎を暴き、現場への侵入、ターゲットの強奪、現場からの逃走を妨害し、確保します。

 今回の件で言えば、私達は怪盗ビックボインと同じトリックを用いて、同じように宙を舞い、追跡しなくてはいけませんでした。


 ただ、ハッキリ言って怪盗ビックボインはレベルが違い過ぎます。

 私はともかく、しーちゃんは物凄く優秀な探偵でして(首席ですし)、そこら辺の怪盗ならちゃんと捕まえられるんです。

 ですが、あの怪盗ビックボインは毎回毎回、ひらりひらりと私達の手を逃れ、気が付けば手の届かない所に居るという、常軌を逸した逃走をします。


 分かりきってはいますが、私達の及ぶ相手ではないのです。

 だから、本来手を引くべきですし、そもそも対怪盗ビックボインの依頼など––––最初こそ私達に回されていましたが––––来るはずもないのです。

 もう国際探偵事務所(International Detective Agency)通称IDA(私達探偵の依頼や仕事を割り振る機関です)もお手上げ状態って話です。


 なので、目の前に怪盗ビックボインが現れても無視して帰宅すべきなのですが––––そうもいかず、惨敗を繰り返し、はんなり探偵事務所は評価を落とし、怪盗事件は割り振ってもらえなくなってしまいました。


 最近の依頼なんて、迷子の動物探しばかりですからね。

 おかげで動物が隠れていそうな場所は大体知っています。

 そこを順番に見て回れば見つかるので、IDAでは動物探しが得意な探偵事務所という、不名誉な評価までされちゃいました。


 なので、その名誉を挽回すべくしーちゃんは怪盗ビックボイン逮捕に躍起になっているというわけです。


「シャロ」

「あ、は、はいっ」


 急に話しかけられビクッとしてしまいました。


「仕事に出かけるで」

「何のですか?」


 しーちゃんは新聞を私の顔に近付けました。

 どうやら、広告のようです。


『エンジェル探偵限定、等身大ドールのモデル、報酬要相談』


「嫌です」

「シャロ、金が必要なんや」

「絶対嫌です!」


 私も怪盗ビックボインのように宙を舞い、逃走したい気分です。

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