アゲラタムとアングレカム

 この世界には二種類の人間がいる。温かい人間と、冷たい人間だ。精神的なものではなく、物理的なものだ。この二種類の人間は、もう百年にわたって戦争をし続けている。温かい人間は『温かいホット』、冷たい人間は『冷たいクール』と呼ばれていて、それぞれ、『温かい』は雪を溶かすほど体温が高く、『冷たい』は握りしめても氷が溶けないほど体温が低かった。

『温かい』と『冷たい』はお互いに、直接素肌で触れ合うとひどい火傷をしてしまう。それが原因で死んでしまったものも少なくない。それ故に、『温かい』と『冷たい』との間には深い深い溝が合った。

 戦況は五分五分で、『温かい』の戦線がぐっと踏み込んできたと思った一週間後には、『冷たい』の戦線が『温かい』のそれを取り返していたり、その逆もまたしかり、といった感じだ。

 アゲラタムは『温かい』だった。三人きょうだいの次男で、戦線から少し離れたところの街に住んでいた。父親はいない。戦争で死んだのだ。アゲラタムの母親はいつだって、『冷たい』の悪口を言っていた。まだ一度も『冷たい』に会ったことのないアゲラタムは、「そういうもの」として受け入れていた。『冷たい』は極悪非道で、冷血(どちらの意味でも)で、どうしようもない存在なのだと。

 その観念が覆ったのは、ある晴れた日のこと。


 アゲラタムに召集令状よびだしが来た。十八になれば戦争へ行かなければならない。そういう決まりなのだ。防具をつけて、ヘルメットを被って、『温かい』の証である赤いリボンを腕に巻き、それから支給された銃を肩に掛ける。

 『温かい』と『冷たい』の戦争にはいくつかルールが定められている。見えるところに所属のリボンを巻く。戦争をする時間は朝九時から、昼の一時間休憩を挟んで、夕方の五時まで。それも二日に一回。場所は、『温かい』と『冷たい』の領土の真ん中、大きな平原。死体は、夕方五時以降にそれぞれの生き残りで回収する。

 他にも細かいルールはあるけれど、重要なのはこれくらい。

「行ってきます」

 アゲラタムは、家に残った妹と母親に手を振って、兄とともに戦場へ向かった。道中、アゲラタムは兄と話をした。

「アゲラタム、戦場では、逃げてもいいんだからな」

 そう言われて、アゲラタムは眉を顰めた。

「逃げたら戦争にならないよ」

「いいんだよ、どうせこの戦争は……」

 そこまで言うと、兄は曇り顔で口を噤んでしまった。

「この戦争は?」

 アゲラタムがそう催促すると、兄は困ったように笑って、

「いいや、なんでもない」

 この戦争は、なんなのだろうか。アゲラタムは首を傾げた。まあ、実際経験してみればわかるかな。


 戦場は、アゲラタムが思っていたよりも砂埃と硝煙に塗れていた。ひゅんひゅんと耳のすぐ横をが通り抜けていく。そのうちの一つがアゲラタムの頬を掠めていった。一瞬置いて、右頬がとても熱くなる。アゲラタムは頬を抑えてその場にうずくまった。兄とはとっくの昔にはぐれている。

 心臓が肋骨を叩いて外へ出ようとしているようだ。一歩間違えれば死んでしまう、というのが今更ながらに実感できた。今更すぎたが。

 アゲラタムが動けずにいると、不意に服の袖をぐいと引っ張られた。なんだと反射的にそちらを見上げると、そこにいたのはそうアゲラタムと歳が変わらないであろう少女だった。

「ここにいたら死ぬよ。こっちおいで」

 少女に引っ張られるまま、アゲラタムは立ち上がって走り始めた。走って走って、着いたのは戦場の端、森の近くだった。

「ここで、戦争が終わるまで待ってるといい」

「あ、ありがとう……」

「いいよ。初めてだったんでしょう」

「うん」

「あたしはアングレカム。あなたは?」

「アゲラタム」

 と、そこでアゲラタムはようやくアングレカムの腕を見た。そこに巻いてあったのは、青いリボン。『冷たい』の証だった。

「アングレカム、君、『冷たい』なの……?」

「ん? ああ。そうだよ?」

 こともなげに言ってのけたアングレカムに、アゲラタムは目を回した。だって、『冷たい』は悪いやつのはずで、でもアングレカムは自分を助けてくれて……?

 そんなアゲラタムの心を見透かしたように、アングレカムは溜息を吐いた。

「あのねアゲラタム。こんな戦争真に受けたら駄目だよ。偉い人たちのくだらないプライドだけで百年も続いてるだけなんだから」

「くだらないなんて言ったら……」

「いいの。どうせわたしとあなたしかいないし。アゲラタム、あなた『冷たい』のお偉いさんに「アングレカムがくだらないって言ってました」って言えるの?」

「それは……言えないけど……」

「ならいいのよ」

 アングレカムは満足そうにそう言うと、地面に座り込んだ。大きく息を吐き、後ろに手をついて、青空を見上げている。アゲラタムよりも軽装備な彼女の白い首きゅうしょが晒されていた。今なら……けれども、アゲラタムは握りしめていた突撃銃を置いて、自分も座った。なんだか力が抜けて、どうでもよくなってしまったのだ。

「ねえ、アングレカム」

「なに?」

「君、いつもこうしてるの?」

「こうって?」

「その、人を助けて……」

「いいや」

 アングレカムは苦笑して首を横に振った。

「今日はたまたま。戦場のど真ん中で蹲るなんて流石に見過ごせなくてね」

 アゲラタムはきまりが悪そうにぱっと顔を赤くした。

「怖かった?」

 からかうようにそう言われて、アゲラタムは少しムッとしたけれど、その通りであったので、微かに頷いた。アングレカムはふふ、と笑うと、

「大丈夫、あたしも最初はそうだったから」

 と言った。

「君も?」

「そう。まああたしは三回も出れば平気になったけどね……平気っていうか、端っこにいるだけだけど」

「でも、もし皆が端っこに逃げたら、戦争じゃなくなるんじゃない?」

「だからバレないようにこっそりするんだよ」

「ズルじゃないか」

「ズルでも死ぬよかいいでしょ。それとも何? 死にたいの?」

「そ、そういう訳じゃ、ないけど……」

「ならいいの」

 アングレカムはごろりと寝転んだ。青空を指さして、

「ねえ、空は誰のもの?」

「……誰のものでも無い、だと思う」

「この世界は?」

「誰のものでも、無い」

「じゃあさ、『温かい』も『冷たい』も関係ないんじゃないかな」

「──なら、どうして神様は『温かい』と『冷たい』を作ったの」

「ん、君、有神論者? その考えで言ったら、たぶん他人の痛みがわかるように、とかじゃないの」

「他人の痛みなんかわかったって辛いだけじゃないか」

「でも大事なことさ」

 それきり、アングレカムは口を閉ざして、ついでに目も閉じて眠ってしまったようだった。アゲラタムは、その寝顔を見て、はあ、と息を吐いた。それからアングレカムを真似して、地面に寝そべると目を瞑った。

「アゲラタム、起きて。そろそろ時間だ」

「ん……って、時間?!」

「今十一時五十二分。今から中央に戻ろう、昼休憩だ」

「うん」

 アゲラタムは横に置いていた銃を拾い上げると、アングレカムに続いて砂埃の中に走っていった。

「じゃあまた、午後」


「アゲラタム、お前、どこにいたんだ。顔に怪我までして」

「兄さん」

「まあ、死んでないなら良かった。午後は俺と一緒にいるか?」

 兄のその言葉に、アゲラタムはぎくりと固まって、それから

「いいや、大丈夫」

 と言った。

「ほんとうに?」

「うん」

「ならいいんだが……もしかして、友達でもできたり?」

「うーん、まあ、そういうことで」

「そうか、それならよかった」

 兄はアゲラタムの頭を撫でて、さあ、サンドイッチを食べよう、と支給された包みを広げた。


 午後、戦争再開の合図が鳴ったあと、アゲラタムは午前中アングレカムが連れて行ってくれた森の近くまで走っていった。

「アゲラタム、来たんだ」

「来ちゃ、悪かった、かい」

 アゲラタムが息を切らしながらそう言うと、アングレカムはいいやと笑った。

「君は素直だね」


 そのあと二人は、取り留めのない話をして時間を潰した。家族のこととか、好きな食べ物とか、いろいろ。

「アングレカムの目の色、白にも黄色にも見える。不思議だ」

「ああこれ? 母譲りなの。アゲラタムの目も、綺麗な紫だね」

「これは父さんに似たんだ、あんまり覚えてないけど」

 時たま沈黙が流れたが、それは何故だか酷く心地よかった。

「ねえアングレカム、この戦争、いつまで続くと思う?」

「あたしたちが死んだあとも、ずっと」

「どうして終わらないのかな」

「下っ端にはわからないよ。でもね、あたしは、いつか『冷たい』も『温かい』も仲良くできるって信じてるから」

「僕たちみたいに?」

 アゲラタムがそう言うと、アングレカムは一瞬きょとんとした顔をして、それから嬉しそうに笑った。

「五時になるのが待ち遠しくないのは初めて」

 アングレカムが言った。時計は、あと三十分で終わりの時間になると告げていた。

「また明後日も、ここで」

「うん」


 それから、ふたりは戦争のたびに、で語り合った。一年が過ぎ、二年が過ぎた。幸いなことに、誰も二人のことに気が付かなかった。

「ねえアゲラタム、もし、あたしたちが友達だってみんなの前で宣言したらどうなると思う?」

「蜂の巣」

「だよねえ」

「したいの?」

「やってみたいなあって」

「やる?」

 アゲラタムがそう言って、アングレカムは虚を突かれたような顔をした。まさかアゲラタムがそう言うとは思わなかった、というような顔だ。

「何、その顔」

「いや、だって戦場で蹲ってた人の言うことじゃないなって」

「それはそうだけどさ、なんか、それもいいかもなって。もしかしたら、何か変わるかもしれないし」

「何も変わらないかもよ?」

「やってみなきゃわからない」

「じゃ、やる?」

「やろう」

 二人は揃って頷いて、いつやるか、どこでやるか、計画を練り始めた。


 そして迎えた決行の日。アゲラタムは、戦争開始の合図の前に戦場の真ん中に行った。

「アゲラタム?」

 兄の声が聞こえたが、振り返らなかった。両軍の丁度真ん中に着くと、そこにはアングレカムもいた。

「アングレカム」

 アゲラタムが名前を呼ぶと、アングレカムは薄い微笑みを浮かべた。

「いいよ、アゲラタム」

 アゲラタムは、持ってきた拡声器を口に当てて、大声を出した。

「僕は『温かい』のアゲラタム、そしてこっちは『冷たい』のアングレカム! 僕たちは友達だ! そしてこの戦争に反対している!」

「やめろ! アゲラタム!」

 兄がこちらに来ようとして、周りの人たちに押さえつけられているのが見えた。あと三分で戦争が始まる時間だけれど、すでに銃を構えている人の姿も見えた。

「偉い人! 聞こえてますか!? 僕たちはこんな戦争なんてしたくない! 『温かい』と『冷たい』は仲良くできる!」

「貸して」

 アングレカムが言ったので、アゲラタムは拡声器を譲った。

「あたしは、この戦争を、あたしたちの代で終わらせたいと思ってる。『温かい』とか『冷たい』とか、どうでもいいと思わないの?」

 そこまで言ったとき、どん、とアゲラタムの身体に衝撃が走った。それを皮切りに、銃声が雨音のように鳴り響いた。

 前から、後ろから撃たれて、ふたりの身体には無数の穴が開いた。アゲラタムの頭蓋が弾け、アングレカムの上半身と下半身はバラバラになった。アゲラタムの紫の瞳が、ころころと転がって、アングレカムの白い瞳とぶつかった。

 そのまま、戦争開始の合図が鳴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その血の温度は 午前二時 @ushi_mitsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ