第7話 オウララ&ザルバド視点

〜オウララ視点〜



 同時刻。オウララは深い森の中、大賢者のもとへ来ていた。平伏すオウララの心臓に、大賢者の言葉が流れ込む。


『サウザンドの長、オウララよ。ザルバドは、英雄たり得ない』


「それは、どういう意味ですか?」


 思わず顔を上げ、オウララは聞き返す。


『言葉通りだ。ザルバドは《ハザード》を治める英雄ではない。どころか、我々大賢者にとって脅威となるだろう』


「そんな……しっ、しかし、サウザンドの呪術師は二人とも、ザルバドこそが英雄だと」


『呪術師は我々のような力を有していない。彼女たちは危険だ。その言葉に惑わされてはならない』


 オウララは大賢者の瞳を盗み見た。まばたきを忘れたように見開かれた、ガラス細工のような複雑な虹彩が光っていた。



〜ザルバド視点〜



 同日の夕暮れ。ザルバドは呪術師グーグスの家をおとずれた。


「グーグス、いるか?」


 ザルバドは入り口のすだれから中を覗き込んだ。消えかかった小さな火が控えめに家の中を照らしている。

 グーグスは小ぶりの石を手に地べたに座り込んで、底の浅い土器に入れた何かをすり潰していた。


 呪術師の仕事は占いだけではない。代々受け継いだ秘伝の知恵で薬を調合し、病や怪我を治すこともまた、彼女たちの役目だ。そのためここ最近頻繁に呪術師の家に訪れているザルバドにとってはごくごく見慣れた光景であった。


「グーグス、話がある」


 呼びかけると、グーグスはおもむろに振り返った。


「おぉ、ザルバド。悪いな、気づかなんだ」


 グーグスは焚き火に薪を焚べ、火力を強めた。家の中が徐々に明るくなる。


「いいんだ。それより、相談に乗ってくれないか?」


 ザルバドはグーグスに今日の出来事を話した。

 他種族の姿がなく、中止するよう進言してきたンィーガを無視して狩りを強行したこと。

 アズマゾウを仕留しとめて狩りを成功させた一方で、ホウキョクグマの襲撃に遭い、咄嗟の判断でルキアとバーリアを捨て駒のように扱ってしまったこと。

 そして、結果として被害を最小限に留めることができたものの、ザルバドの指示によって失われた二つの命があったことを包み隠さずに語った。


 その間グーグスは瞑目めいもくし、静かに耳をかたむけた。ザルバドが話し終えると、グーグスは同情するような悲しげな表情を見せた。


「辛かったろう? 可哀想に。その気持ちは痛いほどわかる。オウララ様もかつて、サウザンド族の指導者として同じような悩みを抱えておったそうだ」


「そうなのか?」


「あぁ。先代の呪術師、ブンババ様が申しておった。指導者はときに、非情に徹せねばならない。多きを助けるため、目の前の仲間を見殺しにせねばならんのだ」


「多きを助けるため?」


 聞き返すザルバドにグーグスは深く頷き、続ける。


「そうだ。百人のために、一人を犠牲にする。その覚悟がなければ、サウザンドの長は務まらないということだ」


 ザルバドはその言葉に胸を打たれた。それはまさしく雷に打たれたかの如き衝撃だった。その通りだと思った。自分は何一つ間違っていなかったのだ。


「しかしザルバドよ。お主にはまだ、迷いがあるな? こうして私のもとへ訪ねてきたことがその証左だ」


「迷い? そうかもしれない。確かに俺は、迷っているのだと思う。今の俺は、かつての俺が否定した、オウララと同じだ。どうすればいい?」


 グーグスは腰を曲げ、先ほど何かをすり潰していた土器の中をザルバドに見せた。


「これは?」


「これはアズマアサガオという植物の実をすり潰したものだ。心に作用し、迷いを断ち切る」


「迷いを、断つ?」


 グーグスは小ぶりの器でそばの水瓶から清潔な水をすくい上げると、アズマアサガオをすり潰した土器とともにザルバドに渡した。

 ザルバドが土器から視線を上げると、グーグスの顔があった。慈愛に満ちた顔に見えた。ザルバドは少し迷ったあと、土器の中の粉末を口の中に入れ、器の水で流し込んだ。


 その瞬間、グーグスが下卑げびた笑みを浮かべたことに、ザルバドは気がつかなかった。


「どうだ?」


 グーグスが、嫌に優しい声色で語りかける。


「わからない……何か、変わったのか?」


「はっはっは、すまんのう。私も人伝に聞いただけでな。いつ効果が現れるかは、正確には知らんのだ。今日は疲れたろう? 効果が出るまで、そこへ横になりなさい」


 グーグスが他種族の毛皮が敷かれた床を示す。ザルバドは脱力感を覚え、その上へ倒れ込むように寝転がった。


 そのままどれだけの時間が流れたのか、ザルバドにはわからない。


 大賢者から授かった知恵によって、サウザンド族には時間の概念がある。


 しかしただあるというだけだ。


 サウザンド族には正確な現在時刻を知るすべがない。

 よって空に昇る太陽の位置を見て、おおよその時刻を知る。家の中では経過時間などわかるはずがなかった。


 ザルバドはぼんやりとした意識の中、いつの間にか唇の周りが痺れていることに気づいた。

 脱力感が強い。

 自分は想像していたよりも疲れていたらしい。ザルバドはそう納得した。


「ザルバド」


 グーグスが顔をのぞきこんできた。嬉しそうに笑っている。このままここで一眠りするのも、悪くないかもしれない。

 ザルバドは何事か喋ろうとしたが、しびれのせいでうまく言葉にできない。


「効いてきたようだな」


 声が出ない。ザルバドは代わりにうなずいて返事をした。その目からは輝きが失われていた。ザルバドの、焦点しょうてんの定まらないうつろな瞳を見て、グーグスは口元の笑みを深めた。


「ザルバド。今から私が言うことを、繰り返すのだ。何も考えなくていい。ただ、口ずさむだけでいい」


「わあった」


 舌がうまく回らない。これではまるでギャドのようだ。眠ろう、そうすれば治るはずだ。


「ザルバドは、悪くない」


 一刻も早く眠りたいと思った。朦朧もうろうとしたまま、ザルバドはグーグスの言葉を復唱する。


「おえは、悪ふない」


「逆らう者たちはおろかだ」


「さはらう者たちはほろかだ」


「愚かなことは、悪だ」


「ほろかなことは、はくだ」


「悪は、滅ぼさなければならない」


「あふは、ほほぼさなへればはらない」


「悪は、滅ぼさなければならない」


「はふは、ほほぼはなけへばはらはい」


 光の失われたザルバドの瞳に、炎が宿った。

 ゆらめく炎が、心を焦がすような気がした。

 熱い。

 ザルバドの全身から玉のような脂汗あぶらあせが吹き出し始める。


 何かがおかしい。


 ザルバドは薄れゆく意識の中で思った。そのときにはもう、手遅れだった。



〜オウララ視点〜



 夜。

 集落のほとんどのサウザンド族が寝静まったころ、オウララが松明たいまつを手に呪術師グーグスの家のすだれをめくる。


「グーグス。まだ起きているか?」


 グーグスは寝息を立てるザルバドのそばに座り込んでいた。


「オウララ様」


「ザルバドじゃないか。ここにいたのか」


「はい。私のところへ相談に来たのですが、狩りの疲れが溜まっていたらしく、途中で眠ってしまわれました」


「そうだったか。こうして見ると、ザルバドもまだまだ子供だな」


 グーグスのそばにしゃがみ込み、オウララはザルバドの寝顔を見て嬉しそうに笑った。


「それよりもオウララ様。何かご用事があったのでは?」


 グーグスに尋ねられると、オウララは顔色を変えた。


「あぁ、そうだったな。実は今日、大賢者様と謁見えっけんしたのだが、どうもおかしなことを言うのだ。

 胸の内にしまっておこうかとも思ったのだが、どうにも晴れない。グーグス、聞いてくれるか?」


「もちろんですとも」


 グーグスが大げさに頭を下げて見せると、オウララは大賢者の警告とも取れる助言をグーグスに話した。

 グーグスは、くすぶき火のわずかな残り火の中でもわかるほどに激しく怒った。


「オウララ様。大賢者の言葉に耳を傾(かたむ)けてはなりません。おそらくその大賢者は、我々サウザンド族に滅亡をもたらすでしょう」


「なんだと?」


「今はっきりとわかりました。大賢者は悪き導きをするもの。言うなれば敵対種族! こうしてはおれません。大賢者を今すぐ根絶やしにするのですっ!」


「待てグーグス。大賢者様は我々サウザンド族に数々の知恵をもたらしてくださったのだぞ? 大賢者様の導きがなければ、私たちは今こうして言語を解することさえ叶わなかった」


 そう。人類の原初の時代を生きるサウザンド族が、なぜ言葉を話せるのか。その理由は大賢者の叡智と、その超常的な力のおかげに他ならないのだ。


「オウララ様! 同じサウザンド族の血が流れるこの私と、得体の知れない四足の他種族、あなたはどちらを信じるのですか?」


 オウララは返答に窮し、逡巡しゅんじゅんした。しかし、それも一瞬のことだった。


「私はサウザンド族の長として、大賢者様を信じるっ!! 先代のブンババならともかく、お前のような大賢者様を敵視する呪術師の言葉になど惑わされん!」


 グーグスはオウララの剣幕に怯んだかに思えたが、すぐに底意地の悪い不気味な笑みを浮かべ始めた。


「何がおかしい? 偽りの呪術師風情(ふぜい)が。サウザンドの長に敵うとでも思うのか」


 直後、前触れもなくオウララの足が底なし沼に沈んだ。


「なっ、何を……」


 いな、正確にはそうではない。平衡へいこう感覚が失われたことで、地面の上に立っていられなくなったのだ。オウララは今頃になって気がつく。焚き火は残り火をくすぶらせていたのではなかった。


 よくよく見れば、まきに植物の根らしきものが混じっている。その根から発生した煙を、オウララは知らぬ間に吸い込んでいたのだ。


「かかったな。ホウキョクカノコソウは催眠効果をもたらす。サウザンドの長とて、まぬがれる術はない」


 視界が暗転する。オウララの意識はそこで途切れた。


 そのまま、戻ることはなかった。



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