第6話 ンィーガ&ザルバド視点

 英雄ザルバド擁立から数日後。

 小高い丘の上に、武器を手にしたサウザンド族の男たちが集結していた。


 今日はザルバドが初めて指揮をとる狩りの日だ。

 しかし、かつてのオウララを真似て丘の頂上に立ったザルバドは浮かない顔をしていた。


「おかしい。他種族の姿がまったく見えない」


 ザルバドはここに来るまでの道のりを思い返す。思えば、その時点で他種族の気配はほとんどなかった。


 広大な円形の大地マーミアでは数多くの種族が暮らしている。

 しかし実は、一平方キロメートルに生息する種族の個体数はそれほど多くない。

 とはいえ、サウザンド族の視力なら数キロ先の種族の種類を見分けることができる。そんなサウザンド族の目を持ってしても他種族の姿が見当たらないというのは、異常事態に他ならなかった。

 本来なら狩りを中止し、すぐにでも引き返すべきだ。


 しかし、


「ん? あれは、アズマゾウか」


 ザルバドは比較的近い距離に、一頭のアズマゾウの姿を見とめた。

 目立つ体色ではなく、体高二メートル弱の小さな個体だったので見落としていたようだ。初めて指揮する狩りの成果としてアズマゾウは上出来と言えた。


「敵対種族の姿もない。今日のところはあのアズマゾウを持って帰ろう」


「ザルバド」


 合図を出そうとしたザルバドの背に、聞き慣れた声がかかる。

 浅黒い肌を持つサウザンド族としては珍しい、わずかに黄色がかった色白の肌に、決然と見開かれた褐色かっしょくの輝きを持つ瞳。

 ンィーガだった。


「ィーガ」


「今日は空気がおかしい。静かすぎる。残念だが狩りは中止にしよう」


「それを決めるのは俺だ。口答えするな」


 初めて指揮をする狩り。先日の集会で受けた非難の声。

 ザルバドの英雄としてのプライドが、判断力をにぶらせた。


 ザルバドは何か言いたげなンィーガを無視して男たちの方へ振り返り、巻き舌で高らかに声を発する。

 男たちはあからさまに怪訝けげんな顔をしていたが、狩りにおいてリーダーの命令は絶対だ。

 ザルバドが先陣を切って走り出すと、渋々と言った様子で後に続く。


 茶色の体毛とひものように長い鼻、湾曲した一対の牙を持つ種族、アズマゾウ。

 基本的に温厚で、自発的にサウザンド族を襲うことは珍しい。


 しかしその力は強大で、激昂げっこうしたアズマゾウにはホウキョクグマすら敵わないと言われるほどだ。

 だが前述した通りアズマゾウは温厚なため、戦略と数を持って短期決戦で挑めばサウザンド族でも狩ることができる。よってマーミアの支配者たり得ず、ホウキョクグマが最強とされている。


 ザルバドが歌うようにリズミカルな声を出すと、サウザンド族の中でも足の速い男たちがアズマゾウの正面に回り込んだ。

 そこから十分な距離を取って、ザルバドの合図を待つ。


 ザルバドが怒声のような声を上げると、背後にいた男たちがアズマゾウの尻に槍を突き刺して刺激する。

 驚いたアズマゾウは慌てて逃げ出すが、その先には足に自信のある男たちが待ち構えていた。

 温厚なアズマゾウは戦うことを避けるため、進行方向をずらした。

 足の速い男たちはわざとアズマゾウの視界に入るように立ち回り、アズマゾウを刺激しつつ誘導する。


 あせったアズマゾウは底の見えないにごった水溜まりに突っ込んでしまった。

 その正体はただの水溜まりではなく、底なし沼だった。


 抜け出そうと暴れるアズマゾウを取り囲むと、男たちは槍で突き刺し石斧で殴った。アズマゾウの巨体にとってその一撃は大した威力ではなかったが、男たちが物量でもって攻め立てると、血を流したアズマゾウは徐々に衰弱していった。


 やがてアズマゾウが動かなくなると、喜びが湧き上がった男たちはアズマゾウの血を全身に塗りたくって周囲を回り出す。

 甲高く短い鳴き声があちこちから上がった。それはサウザンド族流のいのりだった。


 同時に、分担してアズマゾウを解体することも忘れない。ザルバドは祈りにも解体作業にも参加せず、周囲を警戒していた。


「今日はフクロオオカミも現れないのか」


 一帯には既に血の匂いが漂っていたが、今のところフクロオオカミが集まってくる様子はない。周辺は不気味なほど静かだった。


 ともあれ、狩りは成功した。

 誰もがそう思っていた。


 祈りを捧げていた男たちが一斉に騒ぎ出した。

 遅れて気づいた解体作業中の男たちもわめき出し、大騒ぎになる。


 言葉ではなく、合図でもなかった。


 皆一様にひどく慌てた様子でザルバドのもとへ走ってくる。


「なんだ、どうした?」


 大人たちのほとんどが言語を話せない。意味のない鳴き声を発して騒ぐばかりだ。もどかしく思ったザルバドはンィーガやフーの姿を探す。

 ンィーガは発音に多少難があるが、それでも二人はサウザンド族の中では話すのがうまい。


「ィーガ、フー! どこにいる!?」


「ザルバド!」


 フーがその場で飛び上がって人垣から顔を出す。


「フー! これは一体なんの騒ぎだ?」


「ホウキョクグマだ!!」


「なんだと!?」


 ザルバドは一気に青ざめる。

 サウザンド族の人垣の向こうにいたために、その姿を見つけるには十数秒を要した。

 そう遠くない距離に、全速力でこちらへ向かってくる赤毛の塊が見える。


 大型なら単独でサウザンド族の集落を壊滅させることができるとされる、事実上最強の支配者、ホウキョクグマだった。


 まともに戦って勝てる相手ではないため、その対処法は逃げの一手。

 それも──


 ザルバドは同世代の若い二人組が集団から孤立していることに気づいた。

 二人は迫り来るホウキョクグマに呆気あっけに取られ、ザルバドに気がついていない。


「そこの二人!」


 ザルバドが呼びかけると、二人組は肩を震わせて振り返る。

 ルキアとバーリア。

 偶然にも英雄ザルバド擁立ようりつを良く思っていない者たちの一派だった。


「ちょうど良い、命令だ。ホウキョクグマを食い止めろ」


「なんだって?」「できるわけないだろ!?」


 真っ青な顔で抗議する二人だったが、ザルバドは食い下がる。


「注意を引いて足止めするだけでいい。大型の個体じゃない、できるはずだ。後でオウララを呼んで必ず助けに戻る」


 嘘だった。

 この距離、それもホウキョクグマを見慣れていないザルバドに大きさなどわかるはずもない。

 その上、わざわざホウキョクグマのもとへ戻ってくるなど自殺行為だ。ザルバドは既に見切りをつけ、二人を置き去りにするつもりでいた。


「ふざけるな、お前が残れ!」「そうだそうだ」


「ザルバド……」


 抗議するルキアとバーリア、心配そうに近寄ってくるンィーガとフー。

 こうしている間にもホウキョクグマはすぐそばまで迫っている。その速度は時速にして約60km。時間がない。

 ザルバドは決断せざるを得なかった。


「口答えするなぁ!! 逆らう者は全員ここに置いていく。これは命令だ!」


 狩りのリーダーに逆らった者に、集落での居場所はない。追い出され、他種族の餌食えじきになる。ザルバドを不満に思っているルキアとバーリアとてそれはわかっていた。


「るきあ、ばーりあ……」


 サウザンドの男たちは二人を残して集落へ走った。

 ギャドの泣き出しそうな声は、疾走する男たちが蹴散らした泥に埋もれた。



 結果としてルキアとバーリア以外の全員が無事に集落へ辿り着いた。


 ホウキョクグマと近距離で遭遇したことをかんがみれば、それはサウザンド族の歴史が始まって以来の大快挙であった。

 そんな中すべてではないものの十分な量のアズマゾウの肉を持ち帰ったザルバドたちは集落中の人々からたたえられた。


 しかし狩りに参加した男たちは皆沈痛な面持ちでうつむいている。

 ただ一人、ンィーガを除いて。


「ザルバド!」


 広場で、激昂げっこうしたンィーガがザルバドに掴みかかった。

 そばにはフーとギャドの姿もある。


「なんだよ、ィーガ」


 詰め寄られたザルバドはばつが悪そうに目をらす。


「なぜあんなことをした! どうして二人を置き去りにしたんだ!!」


「相手はホウキョクグマだぞ? あぁするしかなかった」


 言い争い始める二人。仲裁ちゅうさいに入りかねるフー。


「るきあ、ばーりあ……」


 そのそばで、こらえきれなくなったギャドは地面にへたり込んで泣き出してしまった。


「……ぐずっ、うわああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーんん!!

わああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーんん!! るきあ、ばーりあ! うわああああぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」


「ギャド、やかましいぞ! 男ならめそめそするな!」


 ザルバドが怒鳴ると、ギャドはますます大きな声で泣き叫んだ。


「うるさいっ!」


 ザルバドが制止するンィーガを振り切り、ギャドの頬を殴った。

 倒れ込むギャド。

 泣き止むことはなかった。


「あの二人はいつもお前を馬鹿にしていたんだぞ? わかっているのか!?」


 ザルバドに何を言われても、駆けつけたロウロに慰められても、ギャドは泣き続けた。


「……あれは、必要な犠牲だったんだ」


 俯いたザルバドが、自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 ギャドの泣き声にかき消されて、誰の耳にも届くことはなかった。


「ザルバド、お前変わったな。この七年で」


 フーの言葉が、ザルバドの胸に深く突き刺さった。



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