第2話 オウララ視点 / ンィーガ&ザルバド視点

〜オウララ視点〜



 産声は、ほとんど同時だった。


 きたる夜明け。

 降り頻る雨が植物のくきを束ねて作った屋根を伝う。

 地面を平らに掘った床に木の柱を立て、あしかやの茎を束ねただけのみすぼらしいその建物はしかし、このサウザンド族の集落で二番目に大きい住居だ。


 そんな場所で、オウララと二組の夫婦は今まさに、英雄誕生の瞬間にいた。


「なんということだ」


 頭を抱えるオウララ。

 その場にいた妊婦も夫二人も、戸惑うように視線を彷徨わせる。大賢者の口ぶりから察するに、英雄は一人。

 しかし、泣きわめく二人の赤子は、その両方が男だった。


「呪術師を──ブンババを呼べ!」


 その一声に夫二人が立ち上がり、躊躇ちゅうちょなく雨の中へ飛び出していった。

 すぐに老女──呪術師ブンババを連れ立って戻る。

 三人ともずぶ濡れで、夫二人に至っては転倒したのか腹から顔にかけて泥がついていた。

 ブンババも、普段の豪奢ごうしゃな装飾を身につけておらず、唯一、ホウキョクグマの骨や牙を下げた首飾りだけを揺らしていた。


「ブンババ。どちらだ、どちらが英雄だ?」


 息が整わないうちにオウララに詰め寄られながら、ブンババは二人の赤子を見比べた。

 裏返すなどして全身くまなく探ったが、唯一特徴と言えるのは浅黒い肌を持つ者が多いサウザンド族にしては色素が薄いということだった。


 そしてそれも両方に言えることであり、見かけの区別はほとんどつかなかい。ザルバドは白く、ンィーガはそれよりわずかに黄色い。その程度だ。


「名前は?」


 ブンババが重々しく口を開くと、オウララが答える。この中で他に口を聞けるのはオウララだけだからだ。


「右がザルバド、左がンィーガだ」


「ザルバド、ンィーガ……」


 ブンババは二人の名前をしぼんだつぼみのような唇で反芻はんすうし、その場で右往左往うおうさおうする。


 見た目の判別すらつかないというのに、どちらが英雄かなどわかるはずもない。心のうちを悟られないよううつむいて歩き回り、それらしい呪文のようなものを口ずさんで思案するふりをする。


 不意に立ち止まって、赤子へ振り返る。目に留まったのはザルバドだった。


「ザルバドじゃ。しかし、神は気まぐれ。ンィーガもともに育てるのじゃ」


 保身のためにそれらしい理由をつけ、呪術師ブンババは追求される前にそそくさと立ち去った。


 同日。太陽が真上に登った昼頃。

 サウザンド族が暮らす百人規模の集落で、狩りの成功と英雄の誕生をたたえる儀式が執り行われていた。


 集落を囲む深い堀の外周を、他種族の頭蓋骨ずがいこつや毛皮をかぶった男たちが取り囲んでいる。


 集落の入り口で、オウララが舌を巻いて喉を震わせると、それはリズミカルな雄叫びとなった。男たちは応えるようにオウララを真似て吠え、堀に沿って一斉に走り出す。一体となったその群れは押し寄せる波のようで、波は湿った大地を巻き上げて呑む。


 泥だらけになりながら子供のようにはしゃいで駆ける男たち。沼に足を取られて体勢を崩しても、身を低くかがめて四つ足の獣の如く風を切った。


 同時刻。集落の中では呪術師ブンババとその弟子である中年の女グーグスによってザルバドとンィーガをまつる儀式が行われていた。


 場所は、集落で三番目に大きい呪術師ブンババの家の中だ。薄暗闇を、かれた炎が煌々こうこうと照らし出している。


 グーグスは普段着であるフクロオオカミの皮を着、手首や胸元を骨や牙、翡翠ひすいをあしらった急拵きゅうごしらえの簡易的な装飾を身につけるに留まっていた。


 一方ブンババは白い巻き貝の耳飾りと、赤みを帯びたホウキョクグマの毛皮を着込んでいた。厚みのあるその衣装は支配と権力の象徴であり、ブンババの他には長のオウララしか持つことを許されていない。


 儀式の内容は、弟子のグーグスが地に膝をついて傷に効く薬草を焚き火の熱で炙り、発生した煙を祈祷きとうするブンババがザルバドたちに浴びせるというものだ。


 神聖な熱と蒸気をその身に受けた赤子たちは、泣くことはせず、ただ眼前のブンババを不思議そうに見上げていた。


 場には静寂があり、ブンババのしゃがれた声と枝をむ火の咀嚼音そしゃくおんだけが断続的に響く。

 二組の夫婦が家の外で肩を寄せ合って見守る中、その儀式は日暮れまで続いた。



〜ンィーガ&ザルバド視点〜



 英雄誕生から十年の歳月が流れた。


 とある日の朝。ザルバドとンィーガは、ンィーガの母方の血が流れた六歳の娘、ロウロとともにンィーガの家の前で遊んでいた。


 二人と違ってつたない言葉しか話せないロウロは、談笑するザルバドとンィーガの会話に耳をかたむけるのが好きだった。その日もロウロは地べたに座り込み、長い髪をいじりながら指先で複雑な記号を描いて遊んでいた。


 記号はどこか不恰好ぶかっこうで、大きさもそろってはおらず、見ようによってはミミズがい回ったあとのようにも映った。


「何を書いてるんだ?」


 ザルバドがたずねる。その声は少し上擦っていた。

 声をかけられたことに遅れて気づいたロウロがほうけた表情で顔を上げる。視線が合いそうになり、ザルバドは目を逸らした。


 ロウロが首をかしげながら答える。鈴虫のようにんだ声音だったが、舌足らずで判然としない。


 それでも、ザルバドは嬉しそうに口元をゆるめていた。

 その頬に赤みが差していることに、ンィーガは気づかない。


 途切れていたンィーガとの会話が再開しても、ザルバドは横目でロウロの様子をうかがっては、その癖のない艶めいた黒髪に目を奪われていた。


 ロウロの肌は色白な二人と違ってやや浅黒い色をしていて、ザルバドにはそれが黒くまっすぐな髪と同じように印象的だった。


「ざうばど、いーが」


 三人のもとに間の抜けた顔をした八歳くらいの少年がどたどたと大袈裟おおげさな足音を立てて走り寄ってくる。今にもずり落ちそうなぼろぼろの腰巻を身につけていて、髪にはノミがたかっていた。


「ギャド」


「どうかしたのか?」


 ギャドと呼ばれた少年は鼻の穴に指先を突っ込みながらふがふがと答える。


「おーらら、おーらら」


 鼻に突っ込んでいた指を引っこ抜き、集落でもっとも大きいオウララの家の方向を示す。


「オウララ様がよーでるのか?」


 立ち上がるンィーガの腰巻のすそを小さな手が掴んだ。ンィーガが振り返ると、不安げに指を加えるロウロだった。

 ンィーガはロウロの頭をで、家の中へ戻るよう声をかけた。そのやりとりを見ていたザルバドの胸の内に、行き場のないほの暗い感情が芽生える。


「ザルバド?」


 いぶかしんだンィーガが声をかけると、ザルバドははっとした顔で立ち上がり、誤魔化ごまかすように砂を払い落とした。


「……なんでもない。行こう」


 歩き出した二人の背後で、通りかかった二人の少年──ルキアとバーリアが鼻をほじるギャドを指差して笑っていた。


 オウララの家の前には、武器を持った男たちが集まっていた。そして、その中心に立つオウララの右頬には、辰砂しんしゃで塗り込んだ真新しい赤い紋様もんようが描かれていた。

 二人にはその意味がわかっていた。サウザンド族の狩りが始まるのだ。

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